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変装
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「そんなの無理ですよ、一体どうしろって言うんです。しかもこんな真昼間から」
まさか、刑事のふりをしろとでも?私が思いついたのはそれくらいだった。何か理由をでっち上げて――でも警察手帳なんて私は持っていない。あるのは事務員の名刺ぐらいだ。
「院長は毎月一週目の火曜日に、近くの薬局に処方箋をFAXで送って、そこの薬剤師に薬を届けさせることが多いんだ」
けれど返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「は?」
「秘書にでも対応させればいいだろうに、薬が薬でお願いしづらいらしい」
「どう言う事ですか?薬なんて、院内で出してもらえるんじゃないんですか?」
そこで先生がなにやら含み笑いをした。
「院内では用意していない薬なんだよ。けれど自分で呼び出したにかかわらず、ミーティングやらなんやらで相手を待たせることが多くてな。届けに来た薬剤師は、十分以上堅苦しい院長室で待ちぼうけだ。そこの薬局の薬剤師は、置かれたトロフィーがいつ何の賞で与えられたのかすっかり覚えてしまったとぼやいていたよ」
指さしたのは、病院の近くにある薬局だ。その近くの公園で、先生が足を止めた。
「まさか、私に薬剤師のふりをしろと?」
「勘が鋭くて助かるよ、リンドウ君」
「無理ですよ、そんなの。だってこんな格好じゃ」
先生に指示されて、普段の出勤姿で私はやってきた。ただのスーツ姿だ。
「大丈夫だ。そう思って、こんなものを用意した」
病院近くの小さな公園で足を止め、先生がなにやらカバンから取り出したのは、水色の白衣だった。
「まさか、これを私に着ろと?」
「ああ。サイズは合っているとは思うんだが」
「こんなの、先生がやれば」だって探偵なんだろう?
「私の顔はもうバレているからな。なに、近所の薬局の薬剤師の顔など皆ろくに覚えていないし、何か言われても最近入ったとでも言えば誤魔化せるだろう」
「そうはいっても、でもどんな鍵だかもわからないんですよ」
「カードキーだ」
公園のベンチに腰掛け、白衣を広げながら先生は続ける。
「他のフロアは普通の鍵だが、増築部分だけよくあるホテルのカードキーになっている。8Fと書かれたカードがあれば、それが恐らくそうだろう」
「そんなわかりやすいものなんですか?」
にわかには信じ難かった。「もっとセキュリティって厳しいもんじゃ」
「病院のセキュリティなんてあってないようなもんだ、役所や学校と一緒でな。君の所もそうだろう? 」
そう言われて、私は言葉に詰まる。たくさんの人間が出入りする場所だ。例えば郵便局員や業者を装って来られたら、すぐには不審者とは気づかない。
「でも、院長室のどこにあるって言うんです」
「それも単純だ。というより、それだけ他の場所に隠すと、今度は院長が怪しまれるからな」
持ってきた鞄の中から、変装グッズを出しながら先生は続ける。
「院長室にあるのは、すべての部屋のオリジナルキー。全部の鍵にコピーがあって、それぞれのセクションで保管されている」
「なら、コピーを盗ったほうが早いんじゃ」
「ところが、コピーの方が厳重に保管されているんだ。八階と七階の鍵は、六階のナースセンターで管理されている。常に人がいるし、皆仕事で忙しくて殺気立っている。その中に入るのは、骨が折れる」
まるで一度入ったことがあるかのように、先生が険しい顔つきで言った。
「でも、オリジナルの方が盗りやすいだなんて、大丈夫なんですか?」
「まあ、一応は院長室だ。常識的に考えれば、入りにくいということになっている。で、そのオリジナルたちは、院長の机の左上に並んで入っているはずだ。どうだ、そこまでわかっていれば君にでも出来るだろう?」
そこまで言われて、私は渋々白衣を受け取った。
※
白衣にマスク、手には白いビニール袋。袋の中には何やら紙袋と、ジャラジャラとお金が入っている。
言われたとおりに医局に向かい、院長室をノックする。先生が想像していた通り返事がなかったので、失礼しますと堂々と中に入るが誰からも止められることはなかった。
扉を閉めると、私は慌てて指定された引き出しを開ける。そこには確かにずらりと鍵が並んでいて、迷うことなく目当ての物を手に入れることが出来た。その少し後に扉が開いたので、私はほっと胸をなでおろす。何が十分以上は待たされるだ、ものの数分で来たぞ。
「ザガーロ三十日分と、お釣りが入っています」
これまた言われたとおりのセリフを述べると、気にするでもなく佐伯院長――見た目は穏やかそうな紳士で、残念ながらもっと頭皮が豊かだったら現役でモテていたに違いない――が二万円と紙切れを渡してきた。
それを恭しく受け取り、心臓がドキドキと言うのを誤魔化しながら扉の外へと出る。別に、普通のおじさんと言う印象だった。本当にこの人がすべての黒幕なのだろうか。思わず首を傾げるほどに。
走って逃げ出したい気持ちを押さえながら、私は廊下を歩いていく。似たような水色の白衣の男とすれ違い、軽く会釈されたので返す。恐らく、同職と思われたのだろう。ということはつまり、あの男が本来院長に薬を届ける薬剤師だったのだろうか。
足早に待合まで戻ると、この寒いのに半そでの白衣を着た加賀見先生が待っているのが目に入った。
「先生」
「おお、お疲れ様」
合流して、我々は自然を装い歩き出す。「今日は透析の薬の日かい?」
急に問われてもなんだかわからない。私はあいまいにうなずいた。
「え、ええ」
「そうか、正月前の分がもうなくなるからな」
そんなやり取りをしつつ、私たちはあまり人けのない階段まで歩いてきた。
「で、物は盗れたのか?」
急に小声になって先生が私に聞いた。「すまないな、足止めしたんだが、なんでも薬局が混んでるから早く帰らないとと言われてしまってな」
足止めというのは、あの本当の薬剤師のことだろう。そう思うと冷や汗が一気に流れてきた。院長が早く戻ってきてくれなかったら、本物と鉢合わせてしまうところだった。
「しかしまあ、結果良ければすべてよしだ」
先生的にはそうかもしれないが、こちらとしては何年も寿命が縮まる思いをしてしまった。
「八階に行くぞ」
「行って、本当に何か手がかりがあるんでしょうね」
「それは、神のみぞ知る、だな」
思わずため息が出た。
まさか、刑事のふりをしろとでも?私が思いついたのはそれくらいだった。何か理由をでっち上げて――でも警察手帳なんて私は持っていない。あるのは事務員の名刺ぐらいだ。
「院長は毎月一週目の火曜日に、近くの薬局に処方箋をFAXで送って、そこの薬剤師に薬を届けさせることが多いんだ」
けれど返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「は?」
「秘書にでも対応させればいいだろうに、薬が薬でお願いしづらいらしい」
「どう言う事ですか?薬なんて、院内で出してもらえるんじゃないんですか?」
そこで先生がなにやら含み笑いをした。
「院内では用意していない薬なんだよ。けれど自分で呼び出したにかかわらず、ミーティングやらなんやらで相手を待たせることが多くてな。届けに来た薬剤師は、十分以上堅苦しい院長室で待ちぼうけだ。そこの薬局の薬剤師は、置かれたトロフィーがいつ何の賞で与えられたのかすっかり覚えてしまったとぼやいていたよ」
指さしたのは、病院の近くにある薬局だ。その近くの公園で、先生が足を止めた。
「まさか、私に薬剤師のふりをしろと?」
「勘が鋭くて助かるよ、リンドウ君」
「無理ですよ、そんなの。だってこんな格好じゃ」
先生に指示されて、普段の出勤姿で私はやってきた。ただのスーツ姿だ。
「大丈夫だ。そう思って、こんなものを用意した」
病院近くの小さな公園で足を止め、先生がなにやらカバンから取り出したのは、水色の白衣だった。
「まさか、これを私に着ろと?」
「ああ。サイズは合っているとは思うんだが」
「こんなの、先生がやれば」だって探偵なんだろう?
「私の顔はもうバレているからな。なに、近所の薬局の薬剤師の顔など皆ろくに覚えていないし、何か言われても最近入ったとでも言えば誤魔化せるだろう」
「そうはいっても、でもどんな鍵だかもわからないんですよ」
「カードキーだ」
公園のベンチに腰掛け、白衣を広げながら先生は続ける。
「他のフロアは普通の鍵だが、増築部分だけよくあるホテルのカードキーになっている。8Fと書かれたカードがあれば、それが恐らくそうだろう」
「そんなわかりやすいものなんですか?」
にわかには信じ難かった。「もっとセキュリティって厳しいもんじゃ」
「病院のセキュリティなんてあってないようなもんだ、役所や学校と一緒でな。君の所もそうだろう? 」
そう言われて、私は言葉に詰まる。たくさんの人間が出入りする場所だ。例えば郵便局員や業者を装って来られたら、すぐには不審者とは気づかない。
「でも、院長室のどこにあるって言うんです」
「それも単純だ。というより、それだけ他の場所に隠すと、今度は院長が怪しまれるからな」
持ってきた鞄の中から、変装グッズを出しながら先生は続ける。
「院長室にあるのは、すべての部屋のオリジナルキー。全部の鍵にコピーがあって、それぞれのセクションで保管されている」
「なら、コピーを盗ったほうが早いんじゃ」
「ところが、コピーの方が厳重に保管されているんだ。八階と七階の鍵は、六階のナースセンターで管理されている。常に人がいるし、皆仕事で忙しくて殺気立っている。その中に入るのは、骨が折れる」
まるで一度入ったことがあるかのように、先生が険しい顔つきで言った。
「でも、オリジナルの方が盗りやすいだなんて、大丈夫なんですか?」
「まあ、一応は院長室だ。常識的に考えれば、入りにくいということになっている。で、そのオリジナルたちは、院長の机の左上に並んで入っているはずだ。どうだ、そこまでわかっていれば君にでも出来るだろう?」
そこまで言われて、私は渋々白衣を受け取った。
※
白衣にマスク、手には白いビニール袋。袋の中には何やら紙袋と、ジャラジャラとお金が入っている。
言われたとおりに医局に向かい、院長室をノックする。先生が想像していた通り返事がなかったので、失礼しますと堂々と中に入るが誰からも止められることはなかった。
扉を閉めると、私は慌てて指定された引き出しを開ける。そこには確かにずらりと鍵が並んでいて、迷うことなく目当ての物を手に入れることが出来た。その少し後に扉が開いたので、私はほっと胸をなでおろす。何が十分以上は待たされるだ、ものの数分で来たぞ。
「ザガーロ三十日分と、お釣りが入っています」
これまた言われたとおりのセリフを述べると、気にするでもなく佐伯院長――見た目は穏やかそうな紳士で、残念ながらもっと頭皮が豊かだったら現役でモテていたに違いない――が二万円と紙切れを渡してきた。
それを恭しく受け取り、心臓がドキドキと言うのを誤魔化しながら扉の外へと出る。別に、普通のおじさんと言う印象だった。本当にこの人がすべての黒幕なのだろうか。思わず首を傾げるほどに。
走って逃げ出したい気持ちを押さえながら、私は廊下を歩いていく。似たような水色の白衣の男とすれ違い、軽く会釈されたので返す。恐らく、同職と思われたのだろう。ということはつまり、あの男が本来院長に薬を届ける薬剤師だったのだろうか。
足早に待合まで戻ると、この寒いのに半そでの白衣を着た加賀見先生が待っているのが目に入った。
「先生」
「おお、お疲れ様」
合流して、我々は自然を装い歩き出す。「今日は透析の薬の日かい?」
急に問われてもなんだかわからない。私はあいまいにうなずいた。
「え、ええ」
「そうか、正月前の分がもうなくなるからな」
そんなやり取りをしつつ、私たちはあまり人けのない階段まで歩いてきた。
「で、物は盗れたのか?」
急に小声になって先生が私に聞いた。「すまないな、足止めしたんだが、なんでも薬局が混んでるから早く帰らないとと言われてしまってな」
足止めというのは、あの本当の薬剤師のことだろう。そう思うと冷や汗が一気に流れてきた。院長が早く戻ってきてくれなかったら、本物と鉢合わせてしまうところだった。
「しかしまあ、結果良ければすべてよしだ」
先生的にはそうかもしれないが、こちらとしては何年も寿命が縮まる思いをしてしまった。
「八階に行くぞ」
「行って、本当に何か手がかりがあるんでしょうね」
「それは、神のみぞ知る、だな」
思わずため息が出た。
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