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しおりを挟む王都では、王宮で客人として留まることになっていた。伯爵であれば王都に自分の邸くらい所有していてもおかしくないのだが、レイフは滅多に王都に滞在しないからと、邸を持っていなかった。
皇帝側の配慮で、王都に入る城門の前から、使者が伯爵を待ち構えていた。馬車を降りたレイフが、使者と挨拶を交わす。マリアも降りようとしたが、ローレンスが泣き出してそれどころでは無かった。
なだめているうちに挨拶が終わったのか、レイフが馬車に戻ってきた。ローレンスを抱き上げてあやしてくれたが、一向に泣き止まない。
「急にわがままになって。どうした?」
レイフが額を突き合わせて問いかけるが、どこ吹く風。大きな声は馬車の外にも聞こえているに違いない。
「ローレンス、泣き止んで、ね?」
「駄目だ。諦めよう。マリア来てくれ」
レイフは早々に降参して、ローレンスを抱いたまま馬車を降りてしまった。マリアも慌てて後を追う。
馬車を降りると、先程の使者がまだ立って待っていた。レイフの腕の中の大泣きを見て、苦笑する。
「いやぁ。かの辺境伯も、我が子には負けますか」
などと気楽に言う。レイフはローレンスの拳を顎に受けながら、落とさないように抱き直した。
「この通り暴れ者でな。このまま王宮に赴いたら、陛下は遺憾に思われるだろう」
「とんでもない。陛下は先月、皇子がお産まれになったばかり。歓迎されるでしょう」
使者はマリアと変わらない年頃の青年に見えた。騎士のごとき甲冑を纏い、鈍色に光る。髪は短く刈り上げられ、目尻の下がった瞳が、物腰の柔らかさを感じさせている。
対するレイフは、黒の軍服を着て金の飾緒と勲章を煌めかせていた。背が高く、体格も良い。整った顔立ちと、つり上がった瞳。人を寄せ付けない威圧感は、ローレンスのお陰で幾分か和らいでいる。
使者はマリアにも一礼した。マリアも挨拶を返す。
「お噂に聞いておりましたが、これほどお美しい方とは。伯爵もお人が悪い。このような美女を隠しておられたとは」
浮ついた言葉にマリアは面食らいつつ、何食わぬ体を装って礼を言う。自分が噂に?レイフを持ち上げる為の嘘だと思った。
使者の先導により、王宮へ入る。絢爛豪華な造りは当然だが、それ以上に周囲の目線が気になって仕方がなかった。特に女性の目線が。扇子越しで見ているのはレイフだろう。長身の美形はどこでも目立つ。みな遠巻きなのは、彼の人を寄せ付けない冷たさを感じているからだろう。
レイフの後ろにマリアが付き従う。その後ろには乳母がローレンスを抱いていた。
使者が振り返って、こちらです、と一つの扉の前で止まった。扉の前に予め立っていた使用人が扉を開ける。
「滞在中は、こちらの部屋にてお休みください」
中継ぎの部屋を通って更に奥へ。広々とした室内。豪華すぎる設えに、マリアは気後れするほどだった。
「バルコニーもありますから、今の季節にはちょうどいいかもしれません」
使者の視線を追って、窓を見る。確かに、バルコニーには小さな白い丸テーブルと椅子が置かれていた。
「良い部屋ですね」
マリアの感想に使者が恐縮ですと答える。
「陛下が奥様の為にと特別に用意されました」
「まぁ、そうでしたか」
レイフが口を挟む。
「気にするな。いつも大体こんな部屋だ」
「伯爵はそれだけ先の戦で軍功を上げられました。クンバンでの戦い、私も陛下の派遣軍の一人として参加していました。観戦将校に従ってましたので、小高い丘から伯爵の部隊を拝見しておりましたが、見事でしたよ」
その時の戦いぶりは戦勝報告書に記載されているという。王宮の文書室にまとめられており、申請すれば誰でも閲覧可能だそうだが、マリアは見ようとは思わなかった。血生臭いのは嫌いだ。
使者が去り、眠りだしたローレンスは隣の部屋で乳母が付き添っている。
レイフとマリアは早速バルコニーに座り、使用人が運んできた紅茶に口をつける。ふんわりとした匂いが鼻腔に広がる。移動の疲れを癒す良い香りだった。
バルコニーからは、建物の隙間から庭の一部を垣間見ることが出来た。
「王宮はどこも目が痛くなるほど豪華だが、庭は落ち着いていて歩きやすい。明日にでも一緒に行こう」
マリアの視線を受けてレイフが答える。彼の言葉はよく通る。心地よく、いつまでも聞いていたくなる。本人は話下手というが、そんなことは無いとマリアは思っている。いつでもマリアに、嬉しい言葉をささやいてくれる。
「わたしなら元気ですよ。なんなら今からでも構いません」
「本当か?」
もちろん、と微笑む。レイフも微笑んでくれた。
庭に出てみる。レイフの腕に寄りかかる。するとマリアの手を重ねるようにレイフの手が置かれた。
巨大な噴水を中心に庭が遠くの小高い丘まで続いている。直線の道で丘の先の森まで見通せた。奥までたどり着いたころには疲れ切っているだろう。適当なところで折り返すつもりで、共に歩いた。
さわやかな風が吹いていた。散歩するには程よく、澄んだ空気を吸い込んで気分がよくなる。他にも歩いている者たちがいて、すれ違うたびに、レイフへ一礼していくので、そのたびにマリアも返礼した。
「みな貴方様に敬意を払っておられます」
「ただの挨拶だ」
「ただの挨拶でも、向こうから頭を下げていかれます」
「私が怖いらしい」
「怖い?」
「他の者に言われた。もっと愛想よくしろと」
レイフは自分の顎を撫でた。その顔は無表情なまま、遠くを見つめている。
「面白くもないのに、どう笑えばいい」
「面白くなくても、笑えてきますよ」
「そうか?」
「先も、私が笑ったら、笑い返してくれましたじゃありませんか」
言いながらマリアは笑いかける。こちらを見たレイフは、少し口を引きつらせて視線を逸らした。照れていた。マリアは腕を引っ張って名を呼ぶ。レイフはこちらを見てくれない。耳が真っ赤で、マリアは思わず笑い声を漏らした。
もう一度、名を呼ぼうとして、ぐい、と腕を引かれる。
レイフではない。
大きな手がマリアの腕をがっしりと掴んでいた。
驚いて振り返る。知らない男の人だった。
レイフに負けないくらいの長身で、彼と同じ金髪に青い瞳。相貌が鋭いところもそっくりだが、この人は少し面長だ。そう考えられるくらい、長い時間、見つめていたように感じた。
「──マリア」
男がささやく。
「マリア、やっと見つけた。私の──」
青い瞳が近づく。吸い込まれるように引きつけられて、逸らせなかった。
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