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しおりを挟むマリアは、レイフが戻ってくるのを今か今かと待ち構えていた。
あの状況で何も起こらないわけがなかった。夕方になり夜になっても帰って来ない。マリアは等々待てずに探しに行こうと立ち上がった。その時だった。
がちゃりと扉が開く。レイフが姿を現した。五体満足の姿に、マリアは心底安心した。
「よかった…!レイフ様…」
マリアが駆け寄って抱きしめる。レイフも背中に手を回す。鼻にふと、変わった匂いが掠めた。その匂いにあまり覚えがなかったが、そんなことに構ってはいられなかった。
「あれからどうなったのですか?もう心配で心配で」
「マリア…」
レイフが口付ける。舌が入り込んできて絡まる。何かアルコールのような味がして、マリアは離れようとしたが、レイフが後頭部を抱えてくるから、逃げられなかった。
レイフは酒を飲んでいるらしい。変わった匂いだと思ったのは、酒の匂いだった。
それは全くマリアを気遣わないキスだった。乱暴に咥内を犯されて、呼吸が苦しかった。
「れいふ、さま…くるしい…」
なんとか絞り出したマリアの訴えは、レイフには届いていないらしい。ときどき離れては繋がって、その時垣間見えるレイフの顔は、酩酊しているかのようにボンヤリしていて、目が虚ろだった。
口が離れると、今度は耳を咬み始めた。舌でなぶられて水音が直で響いてくる。体の奥がうずき出す。その波に呑まれないように胸を叩いたり声をかけたりするが、ガタイの良いレイフには全く効かない。マリアはこの続きを察して、止めたくて何度もレイフに訴えた。
声を聞きつけて隣の部屋から乳母が顔を出した。だが二人の有り様を見て直ぐに扉を閉じてしまった。見られたマリアは羞恥で一杯だったが、レイフの耳を舐める行為は止まらない。腰をしっかり掴まれて逃げられず、いっそ自分も酔っぱらってしまえたら、と思った。
せめて何があったのか教えて欲しかった。マリアは自由になる腕でレイフの耳を引っ張った。するとレイフは甘噛みを止めて顔を上げた。相変わらず酩酊してはいたが、マリアは今しかないと声をかけた。
「レイフ様!お願いです!殿下とはどうなったのですか?」
「あの男の話はするな」
ぴしゃりと言い放たれる。不機嫌な顔になったかと思えば、立っていられなくなったのか、ずるずると膝をついた。マリアの腹に顔を埋め、ぐりぐりと押し付けてくる。甘える子供のような仕草だ。
「マリア…あんなに注いでいるのに…どうして次の子を孕まないんだ…」
突然の言葉にマリアは顔を赤らめた。確かに、レイフとは頻繁に体を重ねてはいた。だが全くその兆しは無く、マリアも気にしていた。
「すみません…私のせいです」
「ちがう…孕まないで欲しい」
逆のことを言い出したので、どういうことかと問う。レイフは呟くように答える。
「…次の子を孕んだら、死んでしまうかもしれない…そんなのは嫌だ」
「まさか、子を成せないように、旦那様がなにかなさってるのですか?」
レイフは顔をこすりつけたまま首を横に振った。
「そんなことしない…相反してるんだ。子が欲しい自分と欲しくない自分がぐるぐる回ってる。子がいれば、マリアを繋ぎ止めておける。だが、二人目の子の出産で命を落としてしまうかもしれない」
レイフの言っていることがよく分からなかった。自分がレイフから離れたいとでも思われているのだろうか。今まさに、殿下の件で引き離される危険があるのに、論点がズレているような気がした。
はぁ、とレイフは息をつく。そのままマリアの服を咬み始めた。
「レイフ様、ローレンスみたいなこと止めてください」
「息子に許されて、私が許されない謂れはない」
「お気に入りの服なんです」
レイフの頭を撫でる。しぶしぶ、と言った表情でレイフが咬むのを止めた。
「殿下とはどうなったのか教えてください。安心出来ません」
「何もなかった」
「嘘を言わないでくださいな」
「私の言うことが信じられないのか。そんなにあの男が良いのか」
「そんなことは言っておりません。こんなに酩酊して…、何かあったからそんなに飲んだのでしょう?教えてください」
マリアも膝をついて抱きしめる。
「レイフ様、何があっても離れませんから、どうか心に溜めず、打ち明けてください」
ローレンスをなだめるのと同じように背中を優しく叩く。レイフは息をつくと、急にくつくつ笑い出した。
面食らうマリアを他所に、レイフは笑い続け、やがて静まった。
「今の私、随分おかしくなってると思わないか?」
「えぇ…とっても」
「おかしくても、こんな私でも離れないか?」
「勿論。お慕いしておりますから」
レイフは強く抱きしめ直す。痛いくらいだった。
「あの男のことは解決した。あいつとはもう何も関係無いし、すべては過ぎ去った」
「本当ですか?」
「本当だ」
断言されても、マリアの心は晴れない。だがもうこれ以上は聞き出すのは無理だろう。レイフに話す気がなかった。解決したというのなら、解決したのだろう。とりあえず今はそれで十分。そう思うしかなかった。
レイフは、マリアの髪を優しく梳いて、一房手に取った。髪からレイフの温もりが伝わるようだった。
「マリア…私の妻で、後悔していないか?」
「しておりませんよ」
「散々無体した」
「ええ、忘れられません。最初は、本当に怖くて…でもその分、愛してくださるから、許してあげます」
「許さないでくれ…」
「許さないと、いつまでもお互い苦しいままですよ」
「………」
「…レイフ様?」
レイフがもたれかかってくる。支えきれず、床に倒れ込む。重くて動けない。レイフは寝息を立てている。酩酊して、眠ったようだ。マリアは隣の部屋の乳母に助けを求めた。
結局、よく分からないまま解決したらしい。レイフはあの夜以上の話をしなかった。あのまま夜を共にして、翌朝にはレイフは二日酔いなんかもしないでケロッとしていた。いつもの仏頂面だったが、マリアとローレンスの前では顔を緩ませて子供のような笑みを見せた。
皇帝との謁見。すぐ傍にはフェルナンド殿下も控えていた。昨日拵えた顔の腫れはそのままに、何食わぬ顔をしていた。レイフの顔にも腫れはあったが、誰も何も言わなかった。
皇帝はマリアの美しさを百合に例え褒めたたえた。マリアは社交辞令だと思って礼を言った。それで終わったと思っていた。
レイフが陛下、と声をかける。
「我が妻は、百合のごとき美しさでなく、花こそが恥じらう美しさです」
と、大真面目に言った。
マリアは顔から火が出る思いだった。
皇帝もポカンとした後、大笑い。隣の殿下も呆れたような顔をしていた。周囲からも失笑が広がって、マリアはもう恥ずかしくて早くその場から逃げ出したかった。
「何を怒っている」
謁見を終え廊下を歩く。一言も口を利かず先を歩くマリアにレイフが追いかける。
「マリア、待ってくれ」
「陛下の前であのような言葉、もう私、ここにいられません」
「いられない?王宮を追い出される理由は無いぞ」
「恥ずかしいのです。貴方があんなこと言うから…」
レイフには心当たりがないらしい。当たり前だ。分かっていたらあんなことは言わない。
「何も間違いは無かった」
とさえも言った。指摘してもレイフには理解出来ないだろう。マリアはせめて自分の気持ちが落ち着くまでそっとしておいて欲しかった。
「もういいです。放っておいてください」
「放っておく?そんなこと出来ない」
「一人になりたいんです」
「駄目だ。傍にいて欲しい」
レイフの手がマリアの指を握る。いじらしい仕草さに、ほだされそうになるのを必死に抑えて、マリアはそのまま歩き続けた。
部屋に戻る。指は繋がったまま、マリアが長椅子に座ると、レイフも隣に座った。無言のまま、時が流れ、窓からは雲がのんびりと漂っていた。気持ちは全く落ち着かなかった。
ふと気づくと、レイフの手も汗ばんでいた。顔を見てみる。いつもと変わらない無表情。でもマリアには分かっていた。怒らせてしまったからどうしよう、と内心思っているに違いない。手の汗がそれを証明していた。
マリアは微笑んでみる。するとレイフはホッとしたように微笑み返した。レイフの笑顔を見ていると不思議と安心する。向こうもそう思っているに違いなかった。
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