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終わり
しおりを挟む夏になった。暑い日が続いていたが、戴冠式は朝から雨が降っていた。新国王は民が濡れて体調を崩すのを懸念して、急遽パレードを中止にした。
戴冠式は大聖堂で行われた。一番奥の祭壇に、招聘された教皇が王冠と王錫を授け、新国王はそれを粛々と受け取る。
白貂のマントを羽織り、きらびやかな刺繍の施された衣装を纏い、王錫を振るう。
臣下にその姿を知らしめる。若干、十二歳での即位とは思えない威厳に、誰もが自然と平伏した。
ローズはその姿を二階のバルコニー席から見守っていた。気分が悪くなっても座れるようにと、ダンフォース自らが指定してくれた席だった。アルバートはダンフォースに一番近い席。白い軍服に身を包み微動だにせずに起立している。彼もまた、静かに見守っていた。
厳かに続く儀式の中で、ふと、ローズは見てしまった。
彼の瞳から一筋の涙が流れるのを。ローズは彼がどんな過去を歩んで背負ってきたのか知らない。だが、あの一筋の涙は、彼が体験してきたあらゆる苦しみを表してもいたし、今この場で報われたことを示してもいた。それが如実に分かった。それが苦しいほど見て取れた。
長いと聞いていた戴冠式も、いつの間にか終わりを告げるラッパが鳴り響いていた。身に響くほどの歓声が上がる。ローズも手を叩いてその騒ぎに加わった。
リラに付き添われて大聖堂を出る。いつの間にか雨が上がり、大きな虹がかかっていた。雨上がりの空はとても綺麗で、あるで秋空のように澄み渡っていた。
隣国へ引っ越しする日、ダンフォースとカトリーヌが見送りに来てくれた。ダンフォースもカトリーヌも笑顔で、馬車に乗り込み一人になると、少し寂しさが込み上げた。
アルバートは既に隣国に赴任しており、会うのは戴冠式以来だった。約一ヶ月ぶりの再会。
馬車が止まると、リラが乗り込んできた。使用人は別の馬車だが、ローズを心配してこちらに来てくれたという。
「もう私すっかり元気ですよ。そんなに心配しなくて大丈夫」
「でも暇でしょう?」
「それはリラでしょ?」
意地悪するように言ってみる。リラは簡単に膨れた。
「奥さま元気になりました。途端に私を邪険にする。酷いです」
「そうね。酷いわね」
リラはもっと膨れる。我慢できなくなって大笑いしてしまう。
「ごめんなさいね。リラの怒った顔が面白くて」
「本当に酷いです。そのために私を怒らせたんですか?」
ローズは自分の頬を引っ張った。
「だってリラったら。こんな顔して怒るんだもの」
まだ笑いは止まらなくて、ローズは腹を抑える。リラは自分の頬を潰す動作をしてから、身を乗り出しローズの頬を両手で挟んだ。
「やだ。なにするの」
「仕返しです」
「痛い痛いっ引っ張らないで!」
「仕返しです」
ローズは逃げようと顔を背けようとする。リラの手も同じように動くからなかなか離れない。腕を掴む。取っ組み合いの形になって、狭い馬車の中でドタバタして、御者を驚かせた。
「…ずいぶん、健康的になったな」
あまりにもこちらがうるさいので、到着していたことにも、アルバート自らが扉を開けてくれたことにも全く気づかないまま、ローズとリラは頬の引っ張り合いをしていた。
そんな二人の姿を全く想像していなかったアルバートは、何を言うべきか悩んでようやく言葉を絞り出した。
ローズは羞恥で一杯だった。こんな醜態を晒して、死んでしまいたいですからいだった。
リラは何とも思っていないらしい。何食わぬ顔でアルバートに挨拶の言葉を述べていた。アルバートはそれに頷き、ローズに手を差し伸べた。ローズは慌てて手を握った。すると何故かアルバートが苦笑した。
「ずいぶん、力が強くなった」
「え?あ!すみません!」
リラの頬を引っ張る要領で、アルバートの手を握っていた。それなりの力が入っていたらしい。ローズは力を弱めて事情を話す。
「リラに怒ると頬が膨らむと言ったんです。そしたらお互いに頬を引っ張り合うようになって、ついはしゃいでしまいました」
「元気なのは構わないが、程々にな」
「はい…気をつけます…」
馬車を降りる。新しい屋敷の入口。新たな使用人たちが整列し、出迎えてくれていた。
「扇子で顔を隠した方がいい」
「え?」
「頬が真っ赤だ。リラのやつ、強く引っ張って」
ローズは慌てて扇を広げた。リラをからかったのを後悔した。
屋敷の中へ入る。新しい屋敷でも、構造は大体同じ。取り敢えず二階の私室へ通される。部屋に入る。ローズは感嘆のため息をついた。
壁には白に小さな薔薇があしらわれた模様。ベットも天蓋も椅子も、全てその模様で統一されていた。最初の屋敷の内装に酷似していた。
「どうだ?」
「可愛らしいです」
「奥へ、サンルームがある」
奥の部屋へ続く扉を通る。一面ガラス張りで、陽の光が惜しげもなく降り注いでいた。小椅子が置かれただけの小さな部屋だが、二人で過ごすには十分だった。ガラス越しに庭も見えた。中央の噴水を起点に、幾何学模様に樹木が列植されていた。
「庭はまた今度な。疲れてるだろう。座ろうか」
「平気です。お庭に行ってみたいです」
「無理は…してなさそうだな」
ローズは微笑んだ。リラとの格闘を経ても元気が有り余っていた。腕を伸ばす。アルバートは心得たものでローズを抱き上げた。
「どうですか?」
「なにが」
「重くなったでしょう?」
「失礼なことは言えないな」
ローズはくすくす笑った。
「わたし、毎日たくさん食べてます。おかわりするくらい。貴方よりも食べるかもしれません」
「見てみたいな」
アルバートが部屋を戻り、ローズをベットに座らせる。そのまま唇を重ねた。
離れた途端アルバートが吹き出すものだから、ローズは怪訝な顔をした。
「すまない。頬、真っ赤だから」
「人の顔見て笑わないでください。リラのせいです」
「指の跡が残ってる」
「やだ。もう」
アルバートは頬にキスして立ち上がる。
「冷やすものもらってくる。どのみちそんな顔で外に出たら笑い物だぞ。今日はここでゆっくり過ごすといい」
「アルバート様も居てくださいますか?」
「望みのままに」
ぱたりと扉が閉まる。最後の言葉が嬉しくて、ローズはベットに横になって転がった。
庭に出たのは、その翌日。サンルームで見たときよりも広大で、端まで歩くのにそれなりの時間がかかりそうだった。
アルバートは花園を先に案内してくれた。他の屋敷と同様、隠されてそれはあった。
薔薇で溢れた花園。小さな東屋には、小さな二つの椅子が置かれているだけ。
「冬に咲く品種ばかりだから、今の時期は咲いているのが少ない」
「十分です。でもどうして、冬ばかりを?」
「好きだろ」
確かに冬に咲く薔薇が一番美しいと思っていたが、そんなことを言っただろうか。
そんな心中を察してか、アルバートは言った。
「君を見ていればすぐ分かる」
「アルバート様…」
「女性ならばそうだが、虫が嫌いだろう?冬に虫はいない。だから君は冬にだけ、薔薇に触れる」
そうだったかも知れない。自分よりアルバートの方が、自分のことをよく分かっているようだった。
「私の他のこと、何か知っておられますか?」
「きのこが嫌いだが、ソテーなら食べられる。ピアノが好きだが、人前だと緊張して上手く弾けない」
アルバートは、にやりと意地悪に笑ってみせた。
「よく褥で俺の名を呼ぶ」
「うそ」
「嘘じゃない。前はモーリスモーリスうるさかったが、今は俺の名前を呼ぶ」
「知りません」
「寝言だからな。知らなくて当然だ」
「信じません」
「強情だな」
強い風が吹く。秋らしい冷たい風。秋風は「飽き」と言い換えられるから、男女の別れにも例えられる。木々が枯れゆく季節でもあり、物哀しさを指したりもする。
そっと、抱きしめられる。こうして、風にも当てないように守られてきた。
「屋敷に戻るか」
「もうですか?」
「カモミールが飲みたい。湯浴みをして、食事をしよう。君の食べっぷりを堪能したい」
自分がしたいと言いながら、全てローズの為の配慮だった。
彼は秋風の意味を知らないだろう。知っていても自分たちの間には無縁だと思っているはず。
「アルバート様」
身体を離す。その代わり手を繋げて、ローズは見上げた。背の高い彼は、少し上体を屈ませて、耳を傾けてくれた。
「ん?」
「私、ルビー以上の価値がありますでしょう?」
「古い話を」
「貴方が古い名前を言うからです」
「今となっては笑い話だ」
「…ええ。本当に」
名を呼ぶ。何度も呼んできた名前。これから、もっともっと呼ぶであろう名前。
「──お慕いしております」
「知ってる」
「愛しております」
アルバートは笑顔で頷く。
「どうした改まって」
「愛してくださいますから、お伝えしようと」
彼は額を合わせた。こつんと合わさって、鼻先が触れ合う。同じ言葉が囁かれる。焦点が合わないほど見つめ合って、私たちは終わらない幸せを感じあっていた。
応援ありがとうございます!
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なんとか二人を幸せに出来てホッとしております。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。