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12. 理解できない男
しおりを挟む文化交流会がおこなわれるグランドホールの控え室には、すでにイシルディアの令嬢たちが集まっていた。
少し緊張した様子も見えるけれど、楽器の調整をしたりドレスを褒め合ったり、思い思いに過ごしている。
部屋の最奥にあるソファへ座って、そんな令嬢たちを和やかに眺めていると、不意にノックの音が響いた。
文化交流会の開始までにはまだ時間があるし、誰かが訪ねてくるようなタイミングとも思えない。
(……嫌な予感がする)
そして案の定、レオパルド王が入室してくるのを見た瞬間、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
巨体を揺すりながらゆったり歩くそのうしろには、カートを押した侍従が続く。
その侍従は、レオパルド王を盗み見ては、この世の終わりのような顔をしていた。
アンナもそれに気づいたのか、眉を下げて不安そうだ。
「お嬢様……」
「ええ、絶対に何か企んでいるわね」
あまりの怪しさに警戒して立ち上がる。
レオパルド王は満足そうに令嬢たちを見回し、最後に私を見てニヤリと笑った。
「ご令嬢方、改めてヴァルケルへようこそ! 今回の文化交流会では、素晴らしい演奏が聴けることを楽しみにしている。が、何か褒賞があったほうが張り合いが出るのではないかと思ってね。今回、もっとも優れた演奏をしたご令嬢には、こちらを進呈することにした」
レオパルド王がカートから何かを手に取るような仕草をしたけれど、私は離れた場所にいたため、他の人の陰で彼が何を持っているかまでは見えない。
しかし、近くにいた令嬢たちは興奮したように歓声を上げた。
「ほっほ、喜んでいただけて何より。では健闘を祈りますぞ」
巨体に見合わぬ動きで、何かに追われるように退出するレオパルド王を見て不審に思う。
(まさか、あのカートに何か仕掛けられているのではないわよね?)
確かめようと一歩足を踏み出したところで、令嬢たちの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「このネックレス、本当に素敵ね! 私、本番までもう少し練習するわ!」
「私も! こんなに大きくて上質なルビーは見るのも初めてよ」
頭で理解するより早く寒気にも似た感覚に襲われ、遅れて脳裏にノックスたちの言葉が蘇る。
『ただのルビーじゃない。霞霧の宝珠っていう、かなり危険な代物だ』
『事実、霞霧の宝珠で発生させた毒霧により数十人が犠牲になった事例もある』
(まさか……いや、私たちを殺したところでヴァルケルには何の得もないはず。だから落ち着くのよ)
そうは思いつつも混乱して体が強張り、どう動くべきかの判断がつかない。
しかし、一瞬の迷いが命取りになることもある。
シュウシュウと音をたてながら部屋に白い霧が立ち込め始めるのを見て、私は希望的観測で除外した最悪の事態が起こったことを悟った。
「きゃあ! 何よこれ!?」
「みんな、その霧を吸い込まないで! 息を止めるのよ!」
とにかく令嬢たちを守らなければと声を張り上げたけれど、悲鳴を上げながら右往左往する彼女たちに届いた様子はない。
すると「お嬢様は窓を!」と叫びながら、アンナが私の横をもの凄い勢いで駆け抜けていった。
アンナの機転により、私が窓を開け放つとほぼ同時に霧の放出が止まる。
しかし、それは犠牲のもとに成し得たことだった。
「おじょ、さま……」
弱々しい声が聞こえて心臓がざらりと撫でられたような錯覚に陥る。
恐る恐る振り返ると、アンナは額を押さえてフラフラと揺れていた。
「……アンナ?」
「……逃げ、て……」
アンナの体が傾いでいく光景が信じられなくて、ただ呆然と見ていることしかできない。
力なくくずおれる姿が妙にゆっくり見え、そして頭で理解するより早く、心に絶望が広がっていった。
「アンナッ!!」
倒れ込んだアンナに向かって駆け出すけれど、いよいよパニックに陥った令嬢たちに阻まれてうまく近づけない。
逃げ出そうとした令嬢がドアノブを捻るも、向こう側から固定しているのかドアが開くことはなく、あっという間に私以外の全員が倒れ伏してしまった。
足がガクガクと震え出し、一歩も動けないような気持ちになる。
けれど、何の罪もない令嬢たちや、勇敢に宝珠へ駆け寄っていったアンナが助からないなどと、そんなことあっていいわけがない。
頬をバシリと両手で叩き、足を一歩踏み出した。
祈る思いでアンナの顔の前に膝をつき、口元にそっと耳を近づける。
すると、視線の先で胸がゆっくり上下しているのが見え、すうすうと小さな寝息が聞こえてきた。
(……眠っているだけだわ)
体の力が一気に抜け、思わずぺたりと床に座り込む。そして同時にどっと汗が吹き出した。
もしこれが毒霧だったなら、今私はアンナを失っていた。他の令嬢も、私だってレオパルド王がその気になれば全員死んでいたのだ。
(やはり、宝珠はこの世にあってはならないものよ)
震える手で強く握りしめているアンナの指を開き、ネックレスを取る。
これをレオパルド王に奪い返されるわけにはいかない。
「そうだわ、笛!」
ノックスに霧が出たら即座に呼ぶよう言われていたのに、混乱のあまり失念していた。
レオパルド王が戻ってくる前に助けを呼び、宝珠が再びあの男の手に渡らないようにしなければ。
そう考えた矢先、突如として猛烈な眠気に襲われ、視界がくらりと揺れた。
(しまった……私も少し霧を吸い込んでしまったみたい)
でも、耐えられる。耐えてみせる。
ネックレスを力いっぱい握り締め、手のひらに金属の尖りが刺さる鈍い痛みでかろうじて意識を保つ。
しかし私が笛を取り出すよりも早く、ドアが開いてレオパルド王と数人の男がぞろぞろ部屋に入ってきた。
「おい、すぐに換気を……おや? 公爵令嬢に気づかれてしまったようだな。まあいい。今のうちにおのおの気に入った娘を連れていけ。下級貴族の娘などあまり期待はできんが、それでもしっかり孕ませるのだぞ」
信じられない台詞が聞こえてレオパルド王を凝視する。
この男はどこまで腐っているのか。
何のためかは知らないが、こんな残酷なことを考えつく人間が、王として君臨している事実が耐え難い。
「エレアノール嬢、換気の手間が省けて助かったよ。ところで、息子との相性はどうだったかな? 晩餐会も欠席して、ずいぶん楽しんだのだろう。あの香は避妊効果が玉に瑕だが、媚薬としては覿面だからな」
レオパルド王は、下卑た笑みを浮かべて私の体を舐めるように見た。
エドゥアルド殿下の予想どおり、この男は息子の行動を容認していたのだ。
この親子はひとの人生を何だと思っているのだろう。
怒りに震える息を悟られぬようにそっと吐き出す。
そして不審に思われぬよう、できる限り「よくわからない」という表情を浮かべて首を傾げた。
「なんのことでしょう? グレゴール王太子殿下にはお迎えいただいたとき以来、お会いしていませんが。そんなことより、この部屋は妙に暑いですわね」
じりじりと後退りながら肌を這うように胸元へ手を滑らせ、ドレスの中に指を潜り込ませる。すると、レオパルド王が嬉しそうに目を輝かせた。
「ははは、強がらずともよい。どうやら快楽の味が忘れられないようだな。しかし、お前は息子にやる約束だからなぁ。ううむ、だがたまには相手してやるか。仕方ない、こちらへ来なさい」
どういう思考回路なのかしら?
理解できない男の脂下がった顔を眺めつつ、胸の谷間から銀の笛をさっと取り出す。
今ここでアンナたちを守れるのは、私しかいない。
私にできるのは、この笛を吹くことだけだけれど……どうか、お願い!
ピーーーーーーーーーーーーッ!
力いっぱい吹いた次の瞬間、大きな破壊音とともに建物がぐらりと揺れる。
ノックスの言う「助けに行く」とは、どうやら建物を破壊して侵入してくるという意味だったらしい。
「な、なんだこれは!? まさか……お前、エドゥアルドの回し者か!!」
「きゃっ、きゃぁ!」
レオパルド王が突然掴みかかってくるとは思っておらず、巨体が迫りくる勢いに気圧されて一瞬反応が遅れる。
おかげで何も抵抗できぬまま髪を掴んで引き倒され、続けて顔にもの凄い衝撃を受けた。
先ほどまで抗っていた眠気は一気に飛んだけれど、視界がブレて世界が回る。
どうやら分厚い手で思い切り頬を張られたらしい。
「かわいがってやろうと思ったものを……ワシを虚仮にしおって! その宝珠をよこせ!!」
(っ絶対に渡さない!!)
もはやどこが窓かもわからないなか、一か八かで光の方へ宝珠を力いっぱい投げる。
ルビーのネックレスは、キラキラ輝きながら光の中へと吸い込まれて消えていった。
「宝珠が!! お前たち外へネックレスを探しにいけ! 今すぐだ!! エドゥアルドに奪われたら、全員縛り首だと思え!!」
レオパルド王の怒号を聞いた男たちは、弾かれたように走り出し、ドアからなだれ出ていく。
「ぐぅぅ……こうなったら仕方あるまい。おい、こっちへ来い!!」
レオパルド王は私の髪を掴んだまま、壁にかかった豪華なタペストリーをめくり、そこに垂れ下がったロープを勢いよく引いた。
その拍子にサファイアの髪飾りが、カツンと硬質な音を立てて床に落ちる。
(本当に隠し通路が好きな男ね!)
滑るように扉が開き、薄暗い通路へ引き摺り込まれる。
倒れ伏した令嬢たちと、レオパルド王に踏みつぶされ無残にひしゃげたサファイアの髪飾りを残し、やがて隠し扉は静かに閉ざされていった。
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