黄泉還りの国 

ken

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 修学旅行を思い出す。

 修学旅行当日の朝――俺は布団から飛び起きて、まだ薄暗い部屋で持ち物を一つひとつ念入りに確認していた。

「……ハンカチ、財布、切符……よし、忘れ物なし!」

 着替えや洗面道具を詰めた大きなリュックサックと、移動中にすぐ使うものを入れた小さめのリュック――この“二個持ち”が、なぜか“できる中学生”っぽくてちょっと誇らしい。

 今じゃキャリーバッグが当たり前らしいけど、1998年の修学旅行はまだまだ“リュック&スポーツバッグ”が主流だった。

「母さん、俺の荷物、重すぎない?」

「大丈夫よ。男の子なんだから、それくらい持てないと」

 家族に見送られて玄関を出ると、すでに近所の友達が同じようなリュックを背負って並んでいた。

「写真どうする? 家のカメラ借りてきた?」

「いや、“写ルンです”を三本持ってきた。失敗しても大丈夫なように予備まであるんだぜ」

 デジカメなんて、夢のまた夢。
 カメラ好きの父さんから借りたフィルムカメラはちょっと重くて、「絶対に壊すなよ」と念押しされていた。

「こうやって“撮れてるかどうか分からない”のがドキドキだよな」

 友人とそんな話をしながら、俺は少しワクワクしながら、いつもの通学路を、今日は旅人の足取りで歩いていた。

 集合場所の八王子駅には、俺と同じように大きなリュックを背負ったクラスメイトたちが、ぞろぞろと集まってきていた。

「おい大輔、そのリュック、まるで山登りでも行くみたいだな」

「そっちこそ、寝袋でも入ってるんじゃないの?」

 そんな冗談を言い合いながら、みんなで改札を抜けていく。
 ここから東京駅か新横浜駅まで移動し、いよいよ新幹線で京都を目指すのだ。

 新幹線のホームで見上げたのは、やや古びた0系の車両。
 窓も座席もどこか“昭和の香り”が漂っている。

「なあ、これが噂の“団体列車”ってやつか。俺、初めて乗るよ」

「なんか“旅してる”って感じするな!」

 車内に乗り込むと、持ち寄ったウノやトランプをテーブルに広げるグループ、お菓子を分け合いながらおしゃべりに花を咲かせる女子たち。

「大輔、ウノやろうぜ。俺、絶対負けないからな!」

「負けたらプリント全部コピー取る役な」

 ガタゴトと揺れる車内で、笑い声とカードを切る音。
 窓の外を流れる景色も、話に夢中でほとんど覚えていない。

 気がつけば、「次は京都~、京都~」の車内アナウンス。

「え、もう着くの? 全然時間感じなかったな」

 友人たちと過ごす旅の始まりは、こうして、あっという間に京都の町へと転がり込んでいった。

 今回の自由行動班は、男女6人――俺、健太、愛、そしてクラスでいつも賑やかな畑中や、ちょっと物静かな高橋、最後に美術部の山本。
 1998年の修学旅行、男女混合の班なんて珍しくもなくなってきて、「なんかドラマみたいだな」と、健太がちょっとはしゃいでいた。

「……なんだよ、健太。女子がいるだけで緊張してるのか?」

「う、うるさいな。お前だってテンション上がってるくせに」

 新幹線では、この6人で座席が固められて、移動中も班メンバーでワイワイお菓子を交換したり、「今から“自由行動の作戦会議”だ!」なんて冗談を言いながら行程を確認したり。

「京都駅に着いたら、まずどこ行く?」

「やっぱり清水寺は外せないよね」

「舞妓さん見てみたい~」

「俺、絶対金閣寺も行きたい!」

 それぞれの“見たいもの”“やりたいこと”が飛び交い、いつの間にかみんな、すっかり“旅モード”だ。

 正直、男女で一緒に行動するなんて、少し前の自分なら考えられなかったかもしれない。
 でも今は、この多様なメンバーで過ごす数日間が、“人生二周目”の俺には、やけに新鮮に感じられた。

「ま、最初の迷子だけは勘弁な。俺、方向音痴なんだし」

「大丈夫だよ。地図は私に任せて!」

 そんな心強い一言に、思わずほっとした。
 こうして、班のみんなと一緒に京都の旅が幕を開けたのだった。

 宿泊先の夕食は――まあ、よくある“修学旅行の味”だった。

 ずらりと並んだトレーの上には、魚のフライにハンバーグ、付け合わせの冷凍野菜。
 味噌汁も大きな鍋でまとめて煮られた感じで、どこか画一的で“病院食”を思い出させる。

「やっぱり修学旅行のご飯って、こんなもんだよな」

「俺、もうちょっと美味しいの期待してたんだけどなあ」

 あちこちのテーブルから、そんな素朴な不満が漏れてくる。
 女子の一人がぽつりと呟いた。

「もしかして、不景気だから宿も経費削減してるのかな?」

「団体旅行だと、どうしてもサービスもコスト優先になるのかもね」

 畑中が妙に大人びた顔で言う。

「ほら、旅行会社が間に入って、見えないところで調整してる分、食事の質にしわ寄せがきてるんじゃない?」

 山本も新聞部らしく真面目に頷く。

「“失われた10年”って言われてるしな。どこも大変なんだろうな」

 不満はありつつも、誰かが冗談を言えばすぐに笑い声が広がる。
 食後のデザートのオレンジゼリーひとつで、思いのほか盛り上がったりもする。

「まあ、文句言いながら食べてるこの感じが、案外一番の思い出になるのかもな」

 そんな風に思いながら、俺も少しだけ冷めた味噌汁をすすった。

 1998年――日本はまだ、不況のトンネルを抜け出せずにいた。

 旅先でふと見かけた閉まったお土産屋や、どこか疲れた表情の旅館のスタッフ。
 かつて団体旅行で賑わった観光地も、時代の波に取り残されたような静けさをまとっていた。

「この前の新聞で、“観光地がリピーター減少で苦しい”って記事を読んだよ」

「昔みたいに団体旅行に頼ってると、今の多様化したニーズには対応できないって」

 山本が、いつもの真面目な口調でつぶやく。
 実際、夕食のメニューもそうだが、どこかサービスの質が“画一的”で、“みんな同じ”が安心だった時代から、もう一歩先に進む必要があるのかもしれない。

 その一方で、円高の影響も続いている。

「最近は海外旅行が当たり前みたいになってきたよな。卒業旅行でハワイとか、夢みたいな話が現実になってるし」

「国内旅行って、逆に“ちょっと古臭い”って感じる子もいるみたいだよ」

「うちの姉ちゃん、友達と韓国行くって言ってたもん」

 そんな話をしながら、俺もどこか複雑な気分になる。
 実際、“国内旅行離れ”なんて言葉が、ニュースや新聞でもよく目に入る。

 四季の旅の倒産なんて出来事も、「大手ですら潰れるんだな」とクラスの間でさえ話題になった。

 観光業界全体が大きな転換期を迎えている。
 自分たちが今、どんな時代に立っているのか――ただ“旅行に来た”だけでは済まされない何かが、胸の奥に、じわりと広がっていた。

「でもまあ……こうやって班のみんなとワイワイできる旅も、あと何回あるか分からないしな。今は、目の前の景色をしっかり焼きつけておこう」

 そんなことを思いながら、冷めた夕食のトレーを片付けた。
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