黄泉還りの国 

ken

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 夕食が終わると、待ちに待った自由時間だ。

 男子連中は「とりあえず大浴場で“修学旅行恒例の桶合戦”だな」と意気込み、女子たちは「先にお風呂すませてから新京極行こう!」ときゃっきゃしている。

「大輔、風呂より先に夜の街行く? それとも一緒に桶で勝負するか?」

「うーん……まあ、風呂は逃げないし、とりあえず新京極攻めるか!」

 そんな軽口を叩きながら、班のみんなと夜の京都へ繰り出した。

 新京極商店街は、旅館を出るとすぐに人の波。
 小遣いを握りしめて八つ橋や抹茶味の菓子を見比べたり、「これが噂の“舞妓はんストラップ”か。お前、買うの?」「妹への土産だよ」
 なんてやりとりがあちこちで交わされる。

 “京都らしい”土産物や、ご当地限定のストラップ、男子は「これ誰に渡すの?」と冷やかし合い、女子は「こっちの方が可愛い!」と盛り上がる。

「意外と真剣に悩むよな。オレなんて母さんと妹に“八つ橋”で済ませちゃうかも……」

「どうせなら普段は絶対買わないような、ド派手なTシャツとかいっとけよ!」

 仲間と過ごすこういう“何気ない時間”が、一番の思い出になる気がした。
 和気あいあいとした雰囲気のなか、みんなそれぞれに、旅の夜を満喫していた。

 大浴場でたっぷり温まった後、慣れない浴衣に袖を通すと、それだけで自分が少し“別人”になった気がした。

「どうよ、大輔。似合ってる?」

「帯の結び方、絶対間違ってるぞ。しかもそれ、裏返し!」

 男子だけで大騒ぎしていたが、廊下で女子グループとすれ違った瞬間――さすがに空気が変わった。

 普段は体操服や制服姿しか見ていない同級生たちの、浴衣姿はやけに新鮮で、「……あれ? なんか、急に大人っぽく見えるな」
 と、内心ちょっとどきまぎしてしまう。

「男子、口ポカンって開けてるよ」

「べ、別に! いや、似合うなって……」

 女子も女子で、はにかみながらもどこか誇らしそうに笑っている。

 こういう“非日常”の雰囲気が、修学旅行だけの特別な高揚感をどんどん盛り上げていく。

「いつもと違う自分に出会えるのが、旅の醍醐味かもな」

 浴衣の裾を直しながら、俺はそんなことをぼんやりと思った。

 就寝前、旅館の広間に布団をずらりと並べて――これぞ「雑魚寝」ってやつだ。

「大輔、隣いいか? いびき、かいたらごめん!」

「頼むから寝返りで俺の布団にダイブしてくるなよ」

 1998年にもなると、この大人数で一部屋に寝るスタイルはどこか懐かしく、でもやっぱり“修学旅行の醍醐味”だ。

 消灯時間が近づくと、どこからともなく始まるのが枕投げ。

「やめろ、そっちには俺の荷物が……って言ったそばから!」

「“必殺・ダブルピローアタック”だ!」

 枕が空を舞い、笑い声がこだまする。
 そして布団にもぐり込んだ後は、恋バナの時間。

「なあ、健太って、誰か気になる子いるの?」

「は!? い、いないし……いや、そりゃまあ、ちょっとは……」

 普段はふざけてばかりの男子も、こういう時だけは妙に真剣だったりする。

 誰かがふと思いついて、「この旅館には御札が隠されてるらしいぞ」と言い出せば、懐中電灯片手に“御札探し”の探検が始まる。

「これ、絶対誰かが仕込んだ“ニセ札”だろ!」

「でも、こういうのが一番盛り上がるんだよなあ」

 夜更けまで続く“集団生活ならでは”のイベント。
 どこか幼さが残る15人のざわめきに包まれて、俺も、きっとこの夜のことをずっと忘れない気がした。

 「体育会系」の男子連中は、畳の大部屋の埃っぽさなんて全然気にしていなかった。

「なあ、大輔、畳のにおいって、なんか“青春”って感じしないか?」

「ただのホコリ臭いだけだろ。鼻がムズムズするし」

「それがいいんだよ。合宿みたいでさ!」

 サッカー部や野球部の奴らは、多少の埃なんて“勲章”みたいなもんだ。
 布団を蹴っ飛ばしてはしゃぐ姿も、普段のグラウンドそのまんまだった。

 一方で、普段からきれい好きな生徒や、あまりこういう環境に慣れていない連中は――

「うっ……ゴホッ。誰だよ、布団バサバサやったの」

「畳ってこんなにホコリ立つんだね。家じゃ絶対見ないよ」

 なんて、ちょっとむせたりしながらも、「まあ、修学旅行だからいっか」と結局は楽しそうにしている。

 全員が同じ空間に転がって、お互いの仕草や笑い声がやたら近い。

 多少の不便や違和感すら、みんなで過ごす時間のなかじゃ、むしろ“思い出のスパイス”になるんだろう。

「家に帰ったら、この埃っぽさも、きっと懐かしく思うんだろうな」

 そんなことをぼんやり考えながら、俺も枕を抱えたまま、仲間たちの騒ぎに耳を傾けていた。

 消灯時刻をとうに過ぎても、部屋のざわめきはなかなか収まらない。
 これも修学旅行の夜のお約束――というやつだ。

「おい、もう寝ろって先生言ってたぞ」

「まだだよ、恋バナ終わってないし」

 案の定、廊下に足音が近づくと、誰かが「先生だ!」と小声で叫び、あわてて布団にもぐる――その後は決まって先生の注意。

「こら、いつまで起きてるんだ。次は本気で起こるぞ」

「はい、すみません……」

 (でも、どうせまた騒ぐくせに)

 男子の部屋はそんな調子だが、女子の部屋ではもっと戦略的だったらしい。

「見張り、ちゃんと交代で立ってね」

「先生来たら合図よろしく!」

 女子は女子で、廊下の気配を敏感に察知し、見張り役が「今!」と手信号を送ると、会話が一瞬でピタリと止む。

「女子のほうが絶対抜け目ないよな……」

「そりゃ普段から鍛えられてるからな。情報戦はあっちが上だ」

 こんな夜の過ごし方にも、男子グループと女子グループで、どこか力学や楽しみ方の違いがにじむ。

 修学旅行の夜――いろんな小さな“社会”が、広間のあちこちに生まれていた。

 そういう空気のなかで、俺もふっと眠りに落ちる、その瞬間まで、誰かの小さな笑い声を聞いていた。
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