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6.離宮・王妃の回想(3)
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ざわめきが波紋のように広がると、一呼吸置いて静けさを取り戻した。
「言うてみよ。ただし、聞くに値しないと判断すれば、この場で小僧を握りつぶす」
「では申し上げます。この大陸に公子ほど女神の寵愛を一身に受けたニケはございません。通常ならば、白い鳥はくちばし、もしくは脚が黄、赤、黒などの色でございます。ですが公子は全て白。まさに女神ニケの羽の色でございます」
「だがカラスだ」
「カラスなのにでございます」
「目が赤い」
「夜を照らす火となりましょう。輝かしい未来へ導く目でございます」
「不吉だ」
「黒は不吉、その反対の白い公子は吉祥。兵士たちが勝利を確信して奮闘すること間違いございません。どうぞ戦場でご覧ください。必ずやご満足いただけるはずでございます!」
人か化け物か分からぬようなカビルへ、大臣が捨て身となって立ち向かっている。やられてなるものかと、ありったけの毛を逆立て、爪を牙をむき出しにして唸って、一歩も引かない。
薄氷を踏まずに歩もうとしたライルよりも恐ろしいことをしている。
カビルはにやりと唇を歪ませた。
「そうまで言うなら試してみるのも悪くない。大臣、首の皮に助けられたな」
突如、ライルを圧迫していた力が消え、床へ落とされる。大量の空気に、かはっと幾度かむせた。
「人に戻ってから下がれ、小僧」
大勢の臣下の前で、裸になれ。そういう意味だ。
大公位の継承権は失ったが、公子には違いない。それを全裸の見世物にし、屈辱を与えようとしている。
『せいぜいあなたに高値がつくよう上手く進言してやろう』
大臣は宣言通りにした。公子の価値を、無から有へ変えた。
この公明を無駄にできない。
意を決し、元の姿へと戻る。
すぐ正面のカビルは片唇を上げ、下卑な笑みを浮かべた。
「陛下のご厚情に感謝申し上げます」
片膝を付き、胸に手を当てる。立ち上がってくるりと広間へ向かい直し、何事もなかったかのように絨毯の上を裸足で踏み出す。
裸の公子が広間をゆく。
毛穴という毛穴に視線が刺さる。けれど馬車で聞いた無礼な説教が、ライルの背を支えた。
そうだ。この日のために、自分は最高の教師陣から教育を受けた。国の命運を左右する分岐点で、君主ならどう立ち居振る舞うか。
大臣が繋いだのは、彼自身の首の皮ではなく国そのもの。
見たければ見ろ。噂をしたければ噂しろ。手に入れた公子の価値がどれほどなのか目算して脳裏に刻み込めばいいのだ。
臆せず、気高く、揺るぎない自信をもって誰よりも毅然と歩いた。
そうして大臣の横へ戻り、二人で退出の挨拶をして部屋の扉を潜った。
異世界から生還したように、通路には当たり前の日常世界があった。大臣がマントでライルを覆い隠したので、壁際に寄って素早く着替える。
「大臣、先ほどの発言に感謝する」
ライルへの弁護がなければ、戦になっていた。リガーライトどころか全てを貪り尽くされ、滅ぼされていたのだろう。水際で回避できた。今更ながら肝が冷えた。
「わたしは自分の仕事をしただけだ」
「そうだったな」
先ほどの剣幕は広間に落としてきたようで、大臣の声は落ち着いていた。少し喉が枯れてはいたが、元の冷たく無礼な大臣だ。
だが、リガーレには彼以外、ハムザを前にしてあの場をしのげる者はいなかっただろう。
大臣とメイドは、その日のうちに帰国の途に就くことになった。
馬車に乗る大臣を見送るときのことだ。
「分かっているだろうが、身を守るのは正しさよりも強さだ。公国を一切頼りにするな。例え手紙を出したところで、心ある返事が来ると思わないように」
別れ際まで手厳しい忠告だが、それが現実なのだろう。
国の安全がライルとの引き換えになると分かり、諸手を挙げて喜んだ父大公の顔がよみがえる。実の息子が被る責へ親としての不安もなければ、感謝の一言もなかった。
「大臣、ディルアまでの同行は自ら希望したのか?」
「……そうだ」
つまり大公が用意したのは、道中の世話を焼くメイドのみだったのだ。
落胆はしなかった。腑に落ちたからだ。
「大臣がついてきてくれて良かった。ありがとう、お元気で」
「公子も……この国には長年あなたを診ていた医師はいないからな」
馬車が遠ざかると、急に風が冷たくなった気がした。
割り当てられた部屋は、狭いが一人部屋だった。その理由は夜に分かった。
古い宿舎の一番端にある部屋なので、冷えるのだ。誰も使いたがらないから余っていたに違いない。
寒さと暗闇は、人を不安にさせる。
一人で生きる覚悟はしていたのに、強くあらねばならないのに、広間で感じた薄氷が永遠のその先にまで続いているように思えてしまう。
「っ……う……うぅ……」
大丈夫、何だってやり遂げられる、と自分を鼓舞しても口からは嗚咽が漏れる。頬が濡れるのは寒さのせい。孤独に怯えるのは夜のせい。弟、シャラフの顔が思い浮かぶのはかわいいせい。
だから全部仕方ない。
波乱の一日は個室に感謝しながら終わった。
「言うてみよ。ただし、聞くに値しないと判断すれば、この場で小僧を握りつぶす」
「では申し上げます。この大陸に公子ほど女神の寵愛を一身に受けたニケはございません。通常ならば、白い鳥はくちばし、もしくは脚が黄、赤、黒などの色でございます。ですが公子は全て白。まさに女神ニケの羽の色でございます」
「だがカラスだ」
「カラスなのにでございます」
「目が赤い」
「夜を照らす火となりましょう。輝かしい未来へ導く目でございます」
「不吉だ」
「黒は不吉、その反対の白い公子は吉祥。兵士たちが勝利を確信して奮闘すること間違いございません。どうぞ戦場でご覧ください。必ずやご満足いただけるはずでございます!」
人か化け物か分からぬようなカビルへ、大臣が捨て身となって立ち向かっている。やられてなるものかと、ありったけの毛を逆立て、爪を牙をむき出しにして唸って、一歩も引かない。
薄氷を踏まずに歩もうとしたライルよりも恐ろしいことをしている。
カビルはにやりと唇を歪ませた。
「そうまで言うなら試してみるのも悪くない。大臣、首の皮に助けられたな」
突如、ライルを圧迫していた力が消え、床へ落とされる。大量の空気に、かはっと幾度かむせた。
「人に戻ってから下がれ、小僧」
大勢の臣下の前で、裸になれ。そういう意味だ。
大公位の継承権は失ったが、公子には違いない。それを全裸の見世物にし、屈辱を与えようとしている。
『せいぜいあなたに高値がつくよう上手く進言してやろう』
大臣は宣言通りにした。公子の価値を、無から有へ変えた。
この公明を無駄にできない。
意を決し、元の姿へと戻る。
すぐ正面のカビルは片唇を上げ、下卑な笑みを浮かべた。
「陛下のご厚情に感謝申し上げます」
片膝を付き、胸に手を当てる。立ち上がってくるりと広間へ向かい直し、何事もなかったかのように絨毯の上を裸足で踏み出す。
裸の公子が広間をゆく。
毛穴という毛穴に視線が刺さる。けれど馬車で聞いた無礼な説教が、ライルの背を支えた。
そうだ。この日のために、自分は最高の教師陣から教育を受けた。国の命運を左右する分岐点で、君主ならどう立ち居振る舞うか。
大臣が繋いだのは、彼自身の首の皮ではなく国そのもの。
見たければ見ろ。噂をしたければ噂しろ。手に入れた公子の価値がどれほどなのか目算して脳裏に刻み込めばいいのだ。
臆せず、気高く、揺るぎない自信をもって誰よりも毅然と歩いた。
そうして大臣の横へ戻り、二人で退出の挨拶をして部屋の扉を潜った。
異世界から生還したように、通路には当たり前の日常世界があった。大臣がマントでライルを覆い隠したので、壁際に寄って素早く着替える。
「大臣、先ほどの発言に感謝する」
ライルへの弁護がなければ、戦になっていた。リガーライトどころか全てを貪り尽くされ、滅ぼされていたのだろう。水際で回避できた。今更ながら肝が冷えた。
「わたしは自分の仕事をしただけだ」
「そうだったな」
先ほどの剣幕は広間に落としてきたようで、大臣の声は落ち着いていた。少し喉が枯れてはいたが、元の冷たく無礼な大臣だ。
だが、リガーレには彼以外、ハムザを前にしてあの場をしのげる者はいなかっただろう。
大臣とメイドは、その日のうちに帰国の途に就くことになった。
馬車に乗る大臣を見送るときのことだ。
「分かっているだろうが、身を守るのは正しさよりも強さだ。公国を一切頼りにするな。例え手紙を出したところで、心ある返事が来ると思わないように」
別れ際まで手厳しい忠告だが、それが現実なのだろう。
国の安全がライルとの引き換えになると分かり、諸手を挙げて喜んだ父大公の顔がよみがえる。実の息子が被る責へ親としての不安もなければ、感謝の一言もなかった。
「大臣、ディルアまでの同行は自ら希望したのか?」
「……そうだ」
つまり大公が用意したのは、道中の世話を焼くメイドのみだったのだ。
落胆はしなかった。腑に落ちたからだ。
「大臣がついてきてくれて良かった。ありがとう、お元気で」
「公子も……この国には長年あなたを診ていた医師はいないからな」
馬車が遠ざかると、急に風が冷たくなった気がした。
割り当てられた部屋は、狭いが一人部屋だった。その理由は夜に分かった。
古い宿舎の一番端にある部屋なので、冷えるのだ。誰も使いたがらないから余っていたに違いない。
寒さと暗闇は、人を不安にさせる。
一人で生きる覚悟はしていたのに、強くあらねばならないのに、広間で感じた薄氷が永遠のその先にまで続いているように思えてしまう。
「っ……う……うぅ……」
大丈夫、何だってやり遂げられる、と自分を鼓舞しても口からは嗚咽が漏れる。頬が濡れるのは寒さのせい。孤独に怯えるのは夜のせい。弟、シャラフの顔が思い浮かぶのはかわいいせい。
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