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21.離宮・王妃の回想(18)
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ライルは二つの学びを得た。
まず、酒に溺れると人の判断力は著しく低下するし、中でも色欲に関してが顕著だということ。それからハムザは酔うと手近な人へ発情するので要注意、ということだ。
あの翌日、ハムザは二日酔いだった。あちこち記憶も抜けていて、アーシムの件は覚えているが、ライルに手を出そうとしていたのは抜けていた。
額にできた瘤に触れながら「ここ滅茶苦茶痛ぇんだけど、何があったか知らねぇか? 大事なこともあった気がするんだけどよぉ。お前、俺に重大な告白でもしたか?」と言うので、ライルは知らぬ振りをしてとぼけた。
「大方、酔って転んだのだろう。大事なことなら、アーシムの軍紀違反の報告じゃないのか?」
ハムザが女の代わりに男のライルを襲いかけたのは消したい過去となるだろう。
もちろん、ライル自身が酔ったへライルがいかがわしい誘いをして逃げおおせたことも、恥ずべき行為と思っていた。
事実を知れば互いに気まずい。だから二人にとって都合が悪い過去を初めからなかったことにしたのだった。
ダーイフを侵略したディルア軍は凱旋した。
ライルは書簡管理部を訪ねると、ヤスミンは退職していた。急なことで後任もいないから困っていると、いつもいた受け付けの男がぼやいた。
アーシムは二十代半ばごろに見える青年だがニケだった。実年齢はもっと年嵩で、ヤスミンと夫婦だったのも事実なのだろう。きっとハムザに斬られて逃亡した後、夫婦でどこかへ逃げたに違いない。
ハムザはダーイフでの戦功により、また昇格をした。
軍事国家の王族男子に生まれた使命というべきか、あちこちへ飛ばされては戦いに明け暮れている。
その一方で第三王子は神殿に入り、第四王子は他国の王族へ婿入りを果たした。二人とも戦いと縁の薄い人生が確約されている。血生臭い戦場からは退けるのは、うらやましい限りだった。
六人いる王子の中で、王位に就く可能性があるのは第一王子、第二王子、第五王子、それから第六王子のハムザだ。ただ、第五王子はディルア領となったどこかの小国を任される噂もあった。それが真実ならば王位争いからは外されたのと同義になる。驚くべきことは、大国ディルアの王位争いに一番末席のハムザが残っていることだ。それもかなり有力な候補として。
ライルにとってはリガーレへの不可侵を守ってくれるのなら、誰が王だろうと構わなかった。
■
ダーイフの陥落以降もディルアは進撃を重ねた。一年が経ち、二年が過ぎ、もうすぐ八年を迎えようとしている。
ライルが母国を後にしてからはおよそ十年。二十五歳になっていた。
そして気付けば、リガーレの周り一帯がディルア領になっていたのだ。つまり地図上では、ディルアという池にぽつんと小さな浮島のようなリガーレ公国がある。
それを見たとき、ライルは怖気が走った。
吹けば飛ぶような公国へ、なぜディルアが不可侵を約束して律儀にずっと守るのか。
恐らく理由として、条約を締結させた当時からここまで領土を広げる算段があった。そしてリガーレとの不可侵は一時的なもので、いずれ侵略するつもりもあった。
けれどもいざリガーレへ条約を提案してみれば、父大公からとんでもなく強力な武具になるリガーライトの提供があって、侵略の計画を変更したのだろう。不可侵を守る限り、せっせと製造をされたリガーライトは自動的にディルアが占有できる。わざわざ費用と兵士を使って侵略をせずとも良いのだ。
結果的に大公の決断は功を奏し、リガーレは滅亡せずにいる。
ライルはシャラフへの手紙を前ほど頻繁には書かなくなっていた。年月は心を沈静化させ、諦めを教えたのだ。気が向けば遠征中に立ち寄る村で、正規の書簡配達屋を探して依頼をする程度。料金はどこの村から出してもおよそ銀貨二枚。冬になろうと雪が降ろうと追加料金は発生しないので、手軽に利用できる。アーシムたちにまんまと騙されていたのは、子どもの時分の苦い過去として消化できていた。
ただ、十三歳になっている弟からの返信はこれまで一度もない。母国でライルの存在を抹消されているのか、それともシャラフが兄を忘れてしまったのか知る術もなく。
それでも健やかであってくれたらそれで良かった。
ライルは今夜泊まる宿屋へ向かって歩いている。腕には先ほど手折った山百合の束。今日明日は美味しく食べられるだろう。
他の兵士たちは特段用事がなければ宿に戻っている時間帯だ。ライルは新鮮な花を探しに行った帰りだった。村の隅で思いがけず群生を見付けられたのは幸運だった。暑い夏のごちそうだ。
白い花弁には黄色い筋と赤の斑点が散っている。倦厭されそうな毒々しい色合いだが、ユリはライラの好物だ。香り高く肉厚なのがいい。自然と足取りは軽くなった。
宿まではまだ少しある。そこは繁華街も近いが大通りから一本裏の道だった。女性に見送られる形で店から出てきた大男と偶然目が合う。
ハムザだ。
成長が成人前でほぼ止まるニケのライルと違って、ハムザは更に恰幅が良くなった。身長、肩幅、肉付きから、どこにいてもよく目立つ。
それが娼館の前であっても。
「お疲れさま」
状況からして合っているような合っていないような微妙な挨拶をすると、ハムザもまた「……おう」と何ともいえない返事をした。
向かう先は同じ宿だ。仕方なく並んで歩いてしまうが、ハムザはずっと顔をしかめている。
「生娘でもあるまいし、娼館の出入りを見られたからといって気にすることでもなかろう? お前は未婚の青年王族なのだから、愛人や庶子の一人や二人いても驚きはしないぞ」
「……庶子なんざいねぇって」
愛人を否定しないので、察した。
「わたしは何も見なかったし、聞かなかった。誰にも言わないから安心してくれ」
「……手遅れだ。一番知られたくない奴にばれている」
「それは……災難だな」
「まあなぁ……」
この手の事情を知られたくないのなら、相手は想い人か。ハムザの運の悪さにライルは背をとん、と軽く叩いて慰めた。
まず、酒に溺れると人の判断力は著しく低下するし、中でも色欲に関してが顕著だということ。それからハムザは酔うと手近な人へ発情するので要注意、ということだ。
あの翌日、ハムザは二日酔いだった。あちこち記憶も抜けていて、アーシムの件は覚えているが、ライルに手を出そうとしていたのは抜けていた。
額にできた瘤に触れながら「ここ滅茶苦茶痛ぇんだけど、何があったか知らねぇか? 大事なこともあった気がするんだけどよぉ。お前、俺に重大な告白でもしたか?」と言うので、ライルは知らぬ振りをしてとぼけた。
「大方、酔って転んだのだろう。大事なことなら、アーシムの軍紀違反の報告じゃないのか?」
ハムザが女の代わりに男のライルを襲いかけたのは消したい過去となるだろう。
もちろん、ライル自身が酔ったへライルがいかがわしい誘いをして逃げおおせたことも、恥ずべき行為と思っていた。
事実を知れば互いに気まずい。だから二人にとって都合が悪い過去を初めからなかったことにしたのだった。
ダーイフを侵略したディルア軍は凱旋した。
ライルは書簡管理部を訪ねると、ヤスミンは退職していた。急なことで後任もいないから困っていると、いつもいた受け付けの男がぼやいた。
アーシムは二十代半ばごろに見える青年だがニケだった。実年齢はもっと年嵩で、ヤスミンと夫婦だったのも事実なのだろう。きっとハムザに斬られて逃亡した後、夫婦でどこかへ逃げたに違いない。
ハムザはダーイフでの戦功により、また昇格をした。
軍事国家の王族男子に生まれた使命というべきか、あちこちへ飛ばされては戦いに明け暮れている。
その一方で第三王子は神殿に入り、第四王子は他国の王族へ婿入りを果たした。二人とも戦いと縁の薄い人生が確約されている。血生臭い戦場からは退けるのは、うらやましい限りだった。
六人いる王子の中で、王位に就く可能性があるのは第一王子、第二王子、第五王子、それから第六王子のハムザだ。ただ、第五王子はディルア領となったどこかの小国を任される噂もあった。それが真実ならば王位争いからは外されたのと同義になる。驚くべきことは、大国ディルアの王位争いに一番末席のハムザが残っていることだ。それもかなり有力な候補として。
ライルにとってはリガーレへの不可侵を守ってくれるのなら、誰が王だろうと構わなかった。
■
ダーイフの陥落以降もディルアは進撃を重ねた。一年が経ち、二年が過ぎ、もうすぐ八年を迎えようとしている。
ライルが母国を後にしてからはおよそ十年。二十五歳になっていた。
そして気付けば、リガーレの周り一帯がディルア領になっていたのだ。つまり地図上では、ディルアという池にぽつんと小さな浮島のようなリガーレ公国がある。
それを見たとき、ライルは怖気が走った。
吹けば飛ぶような公国へ、なぜディルアが不可侵を約束して律儀にずっと守るのか。
恐らく理由として、条約を締結させた当時からここまで領土を広げる算段があった。そしてリガーレとの不可侵は一時的なもので、いずれ侵略するつもりもあった。
けれどもいざリガーレへ条約を提案してみれば、父大公からとんでもなく強力な武具になるリガーライトの提供があって、侵略の計画を変更したのだろう。不可侵を守る限り、せっせと製造をされたリガーライトは自動的にディルアが占有できる。わざわざ費用と兵士を使って侵略をせずとも良いのだ。
結果的に大公の決断は功を奏し、リガーレは滅亡せずにいる。
ライルはシャラフへの手紙を前ほど頻繁には書かなくなっていた。年月は心を沈静化させ、諦めを教えたのだ。気が向けば遠征中に立ち寄る村で、正規の書簡配達屋を探して依頼をする程度。料金はどこの村から出してもおよそ銀貨二枚。冬になろうと雪が降ろうと追加料金は発生しないので、手軽に利用できる。アーシムたちにまんまと騙されていたのは、子どもの時分の苦い過去として消化できていた。
ただ、十三歳になっている弟からの返信はこれまで一度もない。母国でライルの存在を抹消されているのか、それともシャラフが兄を忘れてしまったのか知る術もなく。
それでも健やかであってくれたらそれで良かった。
ライルは今夜泊まる宿屋へ向かって歩いている。腕には先ほど手折った山百合の束。今日明日は美味しく食べられるだろう。
他の兵士たちは特段用事がなければ宿に戻っている時間帯だ。ライルは新鮮な花を探しに行った帰りだった。村の隅で思いがけず群生を見付けられたのは幸運だった。暑い夏のごちそうだ。
白い花弁には黄色い筋と赤の斑点が散っている。倦厭されそうな毒々しい色合いだが、ユリはライラの好物だ。香り高く肉厚なのがいい。自然と足取りは軽くなった。
宿まではまだ少しある。そこは繁華街も近いが大通りから一本裏の道だった。女性に見送られる形で店から出てきた大男と偶然目が合う。
ハムザだ。
成長が成人前でほぼ止まるニケのライルと違って、ハムザは更に恰幅が良くなった。身長、肩幅、肉付きから、どこにいてもよく目立つ。
それが娼館の前であっても。
「お疲れさま」
状況からして合っているような合っていないような微妙な挨拶をすると、ハムザもまた「……おう」と何ともいえない返事をした。
向かう先は同じ宿だ。仕方なく並んで歩いてしまうが、ハムザはずっと顔をしかめている。
「生娘でもあるまいし、娼館の出入りを見られたからといって気にすることでもなかろう? お前は未婚の青年王族なのだから、愛人や庶子の一人や二人いても驚きはしないぞ」
「……庶子なんざいねぇって」
愛人を否定しないので、察した。
「わたしは何も見なかったし、聞かなかった。誰にも言わないから安心してくれ」
「……手遅れだ。一番知られたくない奴にばれている」
「それは……災難だな」
「まあなぁ……」
この手の事情を知られたくないのなら、相手は想い人か。ハムザの運の悪さにライルは背をとん、と軽く叩いて慰めた。
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