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自宅でパーティー、ゲストの方々に最高のご馳走のご用意を
しおりを挟むある日、いつもと変わらないと思っていた日常業務が、思わぬ出来事により一変することになった。
「リャオリイさん。今日は、折り入ってお願いがあるんです。」
メイウェイが珍しく畏まった口調で話しかけてきた。普段とは異なる表情に、俺は何かが起こることを察し、緊張した。
「どうされました?」
「実は、……今週末に、家族が遊びに来ることになったんです。それで、食事会をするためにリャオさんにちょっとしたパーティー用の料理を作って頂きたいと思っているんですが…。だ、大丈夫でしょうか?」
なるほど、なるほど。それでは週末の勤務日は早めにここに来て数人分の食事を用意すればよいのだろうか。
メイウェイが家族を呼び寄せると聞いて、最初は戸惑いと緊張が入り混じった気持ちに包まれた。普段は二人きりで穏やかな時間を過ごしているのに、外部からの要因が絡むことで、何かが変わるのではないかという不安を感じたのだ。
だけど、俺は腐っても料理人だ。料理人とは、味覚を刺激してみんなに幸せを運ぶ職業だ。これは誰かの幸福な時間に貢献できるチャンスなんだ。
驚きや不安と同時に、胸に広がるわずかな興奮。彼の家族を料理でおもてなしする。つまり普段からお世話になっているメイウェイに恩返しができるというのは、なんだか特別なことの予感がした。
「それは良いですね。ぜひお手伝いさせて下さい。俺に出来る範囲で頑張ります!」
表情が硬いとよく言われる俺は、努めて明るい声で、メイウェイに向けて頑張って微笑む。すると彼はホッとしたように肩の力を抜いて続ける。
「良かった。あの、もし無理ならテイクアウトにしようと思ってるので、言って下さいね。と言うのも、僕の家族の中にちょっと特別というか。姉なんですが、少し体質的な問題を抱えてまして。」
「問題…?」
「はい。姉にはアレルギーがあって卵が食べられないんです。リャオリイさんは卵を使用せずに食べられる料理に心当たりはありますか?」
それを聞いた瞬間、津波のように荒々しく押し寄せドッと蘇る古い記憶の数々。
それらを振り払い、せめて今だけは笑顔でいようと何とか踏ん張る。
「っ。もちろんです。たくさんありますよ。」
「あ、ありがとうございます、リャオリイさん!…以前僕がついうっかりしてリャオさんの料理が美味しいっていう話をしたら家族に『ぜひ食べてみたい』って言われてしまって…。リャオさんがオーケー出してくれて、本当に嬉しいです!」
緊張した面持ちは鳴りを潜め、全面に“安心”を押し出したメイウェイのいつも通りの笑顔に、少し照れくさい気持ちがこみ上げる。彼の家族のために、特別な料理を用意できるなら、それがきっかけでお互いの距離が縮まるのではないかと期待が膨らんだ。
「まずは、メイウェイさんのご家族がお好きな料理をいくつか教えてもらえますか?」
そうして俺たちは週末のイベントに向けて二人で話し合い、計画を立てた。
いつもより少しだけ一緒に居られる時間が増えて嬉しい、なんてメイウェイに知られればきっと引かれるだろうから、気取られないように気を付けなければ。
▽
その週末、メイウェイの家に彼の家族がやってきた。期待と緊張が入り混じる中、俺は家族の好みに合わせた、スパイシーで香り高いチキンビリヤーニを主軸としたコース料理を振る舞うことになる。
「リャオさん、今から来るのは僕の家族なので、畏まったり、緊張したりしなくて大丈夫ですから。」とメイウェイが心配そうに俺に微笑みかける中、ドアが開かれる音とともに、彼の家族が次々と姿を現した。
「リャオリイさん、こちらが僕の家族です。手前から姉、母、兄です。みんな、この人がリャオリイさん、僕の家事代行のシェフだよ。」
メイウェイがそれぞれを紹介してくれる。迎え入れられた家族はみな和やかな雰囲気で、それぞれに個性が光りつつも、どこかメイウェイに似た特有の気品を感じさせていた。
独特の雰囲気に圧倒されそうになる。
こ、これが上流階級のオーラってやつか…!
「こ、こんにちはっ!」
小さい声でボソボソ挨拶するのは感じが悪いので気合を入れて声を張ったが、力が入りすぎて声が裏返ってしまった。初っ端からつまずいてやんの、俺。恥ずかしい。穴があったら入りたい。
顔を赤くし、エプロンを握りしめながら縮こまっていると、上品な身なりの明るい女性が話しかけてくれた。
「こんにちは、リャオリイさん。私がメイウェイの姉のビンチリンだよ。よろしくね。」
「…よ、よろしくお願いします。」
美女が俺に微笑みかけている…ッ!
あまりの神々しさに直視できずにいる挙動不審な俺に、ビンチリンさんは「ふふ、初対面だから緊張するよね。かわいい~」とにこやかかつ軽やかに笑いかけてくる。
「おいおい、あんまりからかってやるなよ。…っと、俺はメイウェイの兄貴でビンチリンの弟のユエビン。リャオリイさん、さっそくお料理を頂いてもいいですか?さっきから美味しそうな匂いに我慢できなくて。」
歯を見せてカラッと笑う顔が素敵な男前が俺の手のひらをガッチリ掴み、握手をする。ビンチリンさんを太陽に例えるなら、ユエビンさんは煌々と輝く満月のようだ。
「ちょっと~。私もリャオリイさんと握手したいんだけど!」とビンチリンさんがユエビンさんから俺の腕を奪う。「いーや、まだ握り足りないね。」と今度はユエビンさんが取り返して手をこすり合わせる。謎に腕が取り合いされている状況にあたふたしていると、壮年の女性がずずいと二人を押しのけて俺の手を両手で握り締めた。
「こんにちは。いつも息子がお世話になっております。今日はあなたの料理が食べられるのを楽しみにしていたの。いっつもメイウェイから『美味しい、美味しい』って自慢されていたもんだから。」
「もう、お母さん!それは言わないでよ!」
「ほほほ」と上品に笑うメイウェイの母に、当の本人が制止を試みるが、時すでに遅し、この耳にしっかりと聞こえてしまった。メイウェイが俺の作った料理を俺だけじゃなく他人にも言っていたなんて。嬉しいやら恥ずかしいやら色んな感情がない交ぜになって、コンロで火を付けるように一気に顔が熱くなる。きっと耳まで真っ赤になっていることだろう。隠れたい一心で思わず両手で顔を覆う。
メイウェイの反応も気になって手の隙間からチラリとそちらを見れば、顔を真っ赤にした本人とバッチリ目が合う。言い訳をしたいと思うのに、口からは何も言葉が出てこない。それはメイウェイも同じなようで、目の前の男は頬を染めたまま口を開いたり閉じたりしている。
そうしてさっさと挨拶を終えたメイウェイの家族が率先してテーブルにつくまで、俺たちはお互いに何も声を発することなく真っ赤な顔のまま互いを見つめ、固まっていたのだった。
▽
メイウェイと家族のご厚意で、当初の予定通り俺もみんなと同じ料理を囲めることになった。
夕食が進む中、とある瞬間、俺は一つの会話に耳を傾ける。
メイウェイの兄が何気なく振った言葉が、俺の心をざわめかせるものだった。
「メイウェイ、知ってるか?家事代行サービスってさ、すごいね。最近めちゃくちゃ人気なんだって。なんでも自分でビジネス立ち上げて何百万も利益出してる業者もいるんだとか。」
「あら、いいじゃない。メイウェイもそろそろ自分の事業を立ち上げてみたら?オーナーになって出資して、現場は他の適任者に任せて、ねぇ?」
「お母さん、僕はまだ今の仕事続けたいって前に言ったでしょ。」
もう何度もそういう話になったことがあるのだろう、むっとしたようにメイウェイが母親に言うが、うふふと笑うだけで母親は全く動じていない。あえて釘を刺すために言ったように見える。
「そう言えば俺の友達も最近利用してるらしくて。共働き家庭だから家事分担で言い争ったり不満を感じたりする頻度が減って夫婦仲がずいぶん良くなったって言ってたんだ。」と兄のユエビンさんが続けると、ビンチリンさんがそれに食いつく。
「へぇ、私も家事代行利用してみようかな。そういうのって1日何時間くらいなの?」
「その友達のトコは料理、洗濯、掃除で2日に1回、3~4時間くらいで頼んでるって。」
「じゃあひと月12万くらいか。確かにお金ならきちんと半々で負担を分けられるからハッキリしてて良いね。」
「そ。リャオリイさんもこいつのトコだけじゃ生活が立ち行かないでしょう。どこか、複数掛け持ちしてるんですよね?」
「……。え?!あ、あの!は、はい?!」
流れるように交わされるビジネス関係の話題の中でまさか俺に話を振ってくるとは思いもよらず、一呼吸分の間をあけて俺は慌ててユエビンさんに返事をする。「と、とんでもないです!お、俺なんかが…そんな、器用なこと!」とブンブンと首を振りながら。
「掛け持ちしてないんですか?…それならちょうど良かった。実はソイツのとこで契約してる家事代行の人が今度辞めるみたいなんですよ。今新しい人を探してるらしくて…。」
そこで俺の正面に座るユエビンさんに手を握られ、突然のことに俺の肩はビクッと飛び上がる。
「『俺なんか』、なんて悲しいこと言わないで下さい。リャオリイさん、やってみませんか?あなたのこの腕前なら自信を持って紹介できます。もし引き受けてくれたら嬉しいです。」
少し逡巡する。今の話だと長く勤めることが前提のようだし、もうすぐ満了するメイウェイとの契約が終わった後も続けなければならないとなると、うーん…。もし目標金額を達成して俺がこの世を去ったなら、またそのご家族は新しい人を探さないといけなくなる。そんな案件を引き受けるのはあまりにも無責任な気がした。
だけど同時に、早いとこ稼ぎ切りたい気持ちもある。苦しいのだ。今、この瞬間も。生きていること、呼吸をすること、これからどうやって生きて行くかを考えること自体がつらいのだ。毎日毎日、ジクジクと心臓を絶望に苛まれながらその日をどうにかやり過ごすこの繰り返しに、終止符を打ちたい。楽になりたい。行動は早い方が良い。後のことなんか知るもんか、…という自分勝手な思考が、『こっちの道を選びなよ。』と甘い言葉を囁いてくる。
そんなことをグルグルと考えていた時だった。俺の隣に座る人物が、重ね合わされたユエビンさんと俺の手を引き剥がしてがっしりと強い力で肩を抱いてきた。
「ダメ。リャオリイさんは“僕の”!家事代行なんだから。僕だって本当は毎日会いた…来て欲しいけど、リャオさんは忙しいの!だからムリ!…それに、兄さんは今その人に恩を売っておいて、あとあと頼み事する時に使えると思ってるんでしょ。バレバレだから。うちの大事なリャオさんをそんな会社内部の政治事に利用しないで。」
メイウェイの凛とした声が、有無を言わせない堂々とした言葉が、その形の良い口元から紡がれる。
「なんだよ。ちょっと言ってみただけだってーの。ムキになっちゃって。」
ペロッと舌を出し、おどけたようにユエビンが笑う。
言葉には特に悪気はないようだが、普段は穏やかなメイウェイの、少し敵意を出したトゲトゲしいオーラに俺はほんの少しの緊張を感じた。本当は毎日仕事に来て欲しい的なことを言っていたのがなぜか心に引っかかった。もしかして俺が週3回しか仕事に来れていないことに不満を感じているのだろうか…?
「ごめんねリャオリイさん、急にこんなこと言っちゃって。でも、何も『即決して下さい』なんて急かさないから、しばらく考えてまた返事聞かせて下さい。」
明るいトーンで「良いお返事期待しています!」とウィンクするユエビンさんに俺は「はあ」とも「はは」とも聞き取れる曖昧な答えを返すものの、その後の会話に不安が募っていく。先ほどの三ノ宮兄弟の最後の会話がどうしても気になってしまい、俺はメイウェイの視線を盗み見た。
「ッ…!」
そして見た事を後悔した。兄を見つめる彼の表情は穏やかだが、何かを思案しているのか彼の瞳を色んな感情がよぎっている気がしたのだ。先ほどの会話のキャッチボールからして、あまりポジティブな内容でないことは明らかだ。やっぱり俺が何かしちゃったのでは…?やっぱり俺が来る頻度が中途半端過ぎたのでは…?
メイウェイの腕の中でオロオロしていると、絶世の美貌を誇るビンチリンさんが俺に視線を投げかけてきた。
「リャオリイさん、この間メイウェイにヨーロッパ風のおしゃれなサンドイッチを持たせてくれたでしょ? あの日ちょうど私がメイウェイのトコに用事があって行っててね。一かけら貰ったの。あの料理、すごく美味しかったな。」
さすがビンチリンさん…!きっと俺のSOSを察して、話題を変えて助け船を出してくれたにしがいない…!女神…!
「あ、…あの、ありがとうございます…!」
美女に優しく微笑まれ、自分の料理を褒められることに、俺は瞬間的に喜びを感じる。それだけじゃない、これはこの空気感に焦る俺に気を遣ってくれた彼女に対する様々な意味を込めた“ありがとう”だ。
しかしその興奮も束の間、思わず顔が綻んだ俺を見たメイウェイが少しムッとした表情を浮かべて「“貰った”じゃない。姉さんが“無理やり奪った”の間違いでしょ。僕のだったのに。」と言った瞬間、俺の心はざわめきを増していくのだった。
さっきからすこしだけ、メイウェイの機嫌が悪いような気がするのはきっと勘違いではないだろう。
俺、やっぱり何か気に障ることやっちゃったのか?
つ、つらい…。
▽
メイウェイの母と兄が「あなたもそろそろ結婚を考えなさい、せめて婚約だけでも。」という話題で話し込んでいる。その話題から距離を取っていたメイウェイだが、ついに彼にも飛び火したらしく、メイウェイは盛大に顔をしかめながら話を流そうと苦戦している。平時は笑顔で穏やかな物腰の彼が、家族の前では子どものように感情をあらわにするそのギャップが新鮮に感じ、面白く映る。
思わず「ふふ」とかすかな息だけで笑うと、耳ざとくそれに気づいたメイウェイと目が合い、慌てて俯く。恥ずかしい。ごめんなさい、嘲笑ったとかじゃないんです。顔が赤くなっていないといいけど。
デザートも食べ終えみんながくつろぐ中、全員分の食器を片付けだしてしまうと『早く帰れ』という意味に取られかねないため我慢する。しかし立場上、せめて自分の食器だけはと誰にも気づかれないようにタイミングを見計らってそうっとキッチンへ持って行くと、ビンチリンさんがネコのように音もたてずに俺に続いて入ってきた。驚いた。
「ビ、ビンチリンさん…!あの、片付けは俺がやるので…!どうぞゆっくりしていて下さい」
小声でそう訴えると、目の前の美女は「大丈夫、そうさせてもらうつもりだよ。」と微笑みながら手に持った自分の食器をシンクに置いた。
メイウェイもかなり顔が整っているが、同じ血を引くビンチリンさんも目を見張るほどの美しさだ。気品と実力に裏打ちされた理知的な自信に満ち溢れ、圧倒的なオーラを放つ彼女を前にして、少し…いや、かなりドキドキする。勇気を出してそちらを見やれば、彼女の瞳には何かを知りたそうな興味が宿っているようだった。
「ちょっとね。リャオリイさんと話してみたくてさ。ほら、リビングだと外野もいるし、ゆっくり話せないと思って。リャオリイさんのこととなるとメイウェイもすぐ間に入って邪魔して来ようとするし…、ね?」
パチンと片目でウィンクされた。たったそれだけの仕草がまばゆ過ぎて、天に召されそうになる。
しかし、お茶目に微笑む彼女の視線は、こちらをじっと捉えている。彼女の言葉に少し引っかかる部分もあるが、蛇に睨まれた蛙のように、自分よりも圧倒的な“強者”を前にした俺は、彼女に対する憧れと同時に緊張を感じた。
「話とは…。あの、ごめんなさい、何か今日の夕食に気になることがありましたか…?」
不安になって言葉を返すと、彼女はゆっくりと近づいてきて、俺の腕に軽く手を添えた。あまりのことにビクッと体を揺らす俺に、目の前の美女は耳元で囁く。
「安心して。文句を言うつもりはなくて、むしろ逆。」
「ぁっ」
ビンチリンさんが、その細くて長い指で俺の手の甲の血管をツツツ…となぞるせいで、意図せず声が漏れる。そんな俺を気に留めず彼女は「リャオリイさんって、本当に手先が器用ですよね。今晩の料理、私、感動しちゃたな。」と言葉を続けた。
彼女の手は俺の腕を優しく撫でるように触れてきた。その仕草に、髪の先から足のつま先に至るまで俺の体の全神経が一瞬にして緊張感に包まれた。あまりの妖艶な空気に自分でも顔が真っ赤になるのが分かる。
「い、いえ、お褒め頂いて、こ、光栄です。」
どもった返答をしながらも、僕は彼女の視線から逃れることができなかった。そのとき、カウンターキッチンが対面する部屋の先でメイウェイが微妙な表情を浮かべてこちらの様子を窺っているのが目に入った。何かを言いたそうにしているが、言葉に詰まるような仕草をしている。
そんなメイウェイに対しどういう訳か言い訳をしたい気持ちになったが、なぜそんな感情が頭をもたげたのか、自分でも分からない。
すると、目の前の美女はよそ見をするなとでも言うのか、さらに一歩踏み込んできて、囁くような声で言葉を投げかけてきた。
「リャオリイさん、私、キミには他の人にない新しい魅力を感じちゃった。」
その言葉に、僕は驚きと同時に状況を理解する。彼女は何かを企んでいる。そして、その真意を見抜いた瞬間、僕の心臓は激しく鼓動し始めた。
「私たち、もっと仲良くなれると思うんだよなあ。」
スラリと背の高い彼女はそう言って、少し身をかがめて俺の耳に唇を寄せる。彼女の控えめで上品な香水が仄かに香り、その刺激的な雰囲気に、俺はビンチリンさんの目を凝視しながら息を飲んだ。
「メイウェイには内緒でさ、リャオリイさん…。」
彼女の言葉が、僕の心を揺さぶる。彼女の狙いは明白だ。そして、その一連の出来事を見ていたメイウェイの表情が、ますます険しくなっていく。
「私がお店を開いてオーナーとして出資するから、そこでシェフをやってよ。もちろん、お代は弾むから。…メイウェイよりも、ずっとずっとね。」
あれ?!告白じゃなかった?!この流れ、俺が勝手に勘違いしていただけらしい。
メイウェイよりも金は出す、そう言いながら、彼女は小悪魔的な微笑みを浮かべ、てっきりビンチリンさんに告白されるのではないかという予想を大きく外した俺の反応を見守っている。
え…?俺がビンチリンさんに出資してもらって自分の店を出す…?
そんな方法、考えてもみなかった。まさか、自分でお金を貯めて不動産を借りて店を運用する以外の方法があるなんて。しかも、自分の腕をここまで買ってくれる人がいるなんて。
―…夢。
かつて追い求め、いつしか諦めていた夢の形が再び頭をもたげてこようとする。
俺の頭の中に張りつめた何かは、何か大きな転機を迎える感触に包まれていた。
▽
「何?二人してコソコソ話して。僕も入れてよ。」
まるで仲間外れにされた子どもがむくれるように、不機嫌な雰囲気を纏ったメイウェイがキッチンに入って来た。
「別に。世間話してただけだよ。私たち、パートナーとしてもっと仲良くなれそうだったからね。」
“パートナー”、もちろんビジネスパートナーのことなのだろうが、ビンチリンさんが弟を揶揄うようにわざと省略してそう言うと、メイウェイは何とも言えない表情で俺を見つめた。その不安げな視線は、まるでどこかに行こうとする俺に縋りつくかのような切実さがあった。そして、メイウェイは意を決したように重い口を開いた。
「あのね、姉さん、リャオリイさんは僕の家政夫なんだよ。」
その言葉に、ビンチリンさんが興味津々な表情を見せる。
「でも、そんなこと関係ないでしょ? だって、リャオリイさんってこんなにも腕のある料理人なんだから、あんたのトコだけに置いておくなんてもったいなさ過ぎる。誰だってこの料理に惹かれる。ならより多くの人に振る舞ってより多くの人を幸せにする方が素敵でしょうよ。」
俺よりも背の高いビンチリンさんは俺の近くに寄り添い肩を抱いて引き寄せて、弟の言葉に異を唱える仕草を見せる。たぶんだけど、先ほどからあえてメイウェイを煽っている気がする。一体どういう意図があるのか、頭の悪い俺なんかには分かりかねるが。
それに対してメイウェイは、内心では何かを感じているのだろうが、つとめて平静な表情を保っている様子だった。
「でも、リャオリイさんは“僕が”雇ってるわけで、それに雇用関係だけじゃない。リャオさんはその、僕の大切な………大切な友人、で。それから…、えと、その。」
メイウェイは言葉を選びながら、姉に対して説明を試みようとしている。しかし、自分の中でも上手く言葉がまとまっていないのか、その表現がなんとも複雑で、ビンチリンさんは挑戦的な目で首をかしげながらメイウェイの言葉に耳を傾けていた。
「だから、姉さんの言っていることは…」
その瞬間、メイウェイの視線が僕に向けられた。そして、言葉が途切れさせたメイウェイは、どこか吹っ切れたような顔で俺に向かって歩み寄ってきた。俺の肩を抱くビンチリンさんの手をどかして、その大きな腕で俺を囲い、自分の方へ抱き寄せ、いつもの儀式の通りにハグをする。自分の周りが彼の温かい体で囲われていて、狭くて身動きのできないメイウェイの腕の中はすこぶる心地良い。
…が、忘れないで欲しい。なにせここにはビンチリンさんがいるのだ。こんな光景を見られていると思うと恥ずかしくなって、両手でメイウェイの体をそっと押して離れようとする。
しかし、それすら許さないとでも言うのか、メイウェイは俺を抱きしめる腕に余計に力を込める。
「姉さん、ちょっと外で話そうか?」
メイウェイがそう言いながら、俺からパッと体を離しビンチリンさんに微笑んで誘導する。彼女は戸惑いながらも、弟の誘いに応じて部屋を出ていく。一人キッチンに取り残された俺は、唖然としながらも、所在無げな気持ちを落ち着かせるために洗い物を再開したのだった。
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