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 連絡先を交換し、夜のうちには帰る新幹線の時間やら座席やらと確認され、寝る前に送られてきたメッセージには隣の席取れた、とピースサインをする顔文字が送られてきていた。

 すべてが怒濤で、竹野は何かを考える間もなく押し流されているように思う。ちょっと一晩、できれば一週間くらい時間がほしい。キスはおろか、告白自体、まだ受け止めるだけのキャパシティがないのだから。
 だが新幹線の時間をずらすようなことも、隣の席を取られたことに文句を言うようなことも、竹野はできなかった。どうしようどうしようと頭を悩ませつつも、結局は翌日、小槙に伝えた通りの新幹線に乗り込んだ。

「よっ」
「あ、おはよ……」

 隣を取ったと言われても、確認したわけではなかった。実は小槙は来ないのではないかと、竹野は直前まで思っていた。だがそんな竹野の内心には気づかず、当たり前のように小槙は竹野の隣、通路側の席にするりと座り、ビニール袋をがさがさと漁った。

「駅弁買ったんだけど、食べる?」
「え、小槙のぶんは?」
「二つ買ったから」

 焼き肉弁当と手まり寿司弁当を見せられ、じゃあ、と竹野が頷くと、小槙は手まり寿司の方を差し出した。肉は自分で食べたいらしい。テーブルを下ろし、お弁当を置いた頃になってようやく新幹線が発車する。まだ正午を回っていない、ちょうど混み合う時間帯なのか、新幹線の座席はほぼ埋まっていた。小槙も、急だったのによく席が取れたものだ。

「僕が弁当いらないって言ったらどうしてたの?」
「二個くらいは食べるから俺」
「そっか。……ありがと」

 体格もよく、陸上をしているなら小槙はよく動くのだろう。確かにそれくらい食べても不思議ではない。逆にあまり運動もしない竹野からすると、この手まり寿司のほうで十分腹は満たされる。
 蓋を開けて肉に目を輝かせていた小槙は、そういえばさ、と箸を割りながら口を開く。

「竹野は自炊してる?」
「まあ、簡単には……」

 その方が食費が安く上がる。一人暮らしで仕送りももらっているが、地元よりも物価が高い。もう越してきて一年以上も経つというのに、竹野はスーパーで、いまだに何を買ったらいいかいまいちよく分からない。
「小槙は?」
「俺もまあしてるっちゃしてるかな」
「……何作るの?」
「ゆでたまごとか」
「ゆでたまごか……」

 竹野もゆで卵はよく作る。だが小槙のように自信満々には言い放てない。もしかしたら、小槙はゆでたまごを作るのがとてもうまいのかもしれない。

「竹野は?」
「俺もゆでたまご作るけど」
「ゆでたまごいいよな。うまいし。俺温泉卵も好き」

 温泉卵も作るのだろうか。竹野は曖昧に頷く。あとは肉とか焼く、と言う小槙の弁当は、もう残り一口というところだ。話しているのに食べるのが早い。竹野は頷きながら、手まり寿司を口に頬張る。まだ自分は三分の一も食べていない。

「竹野は温泉とか行く?」
「ん、んん」

 手まり寿司が口にあるので喋ることができない。すっかり弁当をからにして、箸を放り込み蓋を閉じている小槙に、竹野は首を振ることで返事をした。サークルでスキー旅行に行ったりはしたが、それも一年近く前のことだ。今年はメンバーの日程がことごとくあわず、泊まりの旅行はしなかった。少し前にハイキングとバーベキューをしたくらいだ。

「俺あんまり温泉とかどこがいいとか分かんねーんだけど、竹野とだとなんか楽しそうだと思うんだよね」
「んん?」

 なんで。竹野が首を傾げると、小槙が指を伸ばしてきた。頬をつつかれて竹野は慌てて身体を引く。ごはんが入っているのでやめてほしい。

「竹野って温泉とか好きそうって思って」
「んー?」
「なんか、図書館みたいじゃん。静かで」

 そうかな。竹野はお茶を飲みこむ。温泉も、旅館も、親との旅行や修学旅行でくらいしか経験がない。静かといえば、静かだろうか。

「竹野静かなところ好きそう」
「静かなところは、好きだけど」

 人が多いところは落ち着かない。それは小さな頃からそうだし、高校の頃もそうだった。そんなにあからさまだっただろうか。竹野は苦笑する。

「俺が近づくと逃げてたじゃん? 竹野」
「逃げ……? 逃げてないよ」
「そう? いつも教室のすみっこにいた」
「それは、そうかも……」

 小槙から逃げた覚えも、小槙から近寄られた覚えもないが、教室では好んで端にいたかも知れない。竹野は、なんとか手まり寿司を飲み込みながら思い返す。

「逃げてたのは、一年の頃だよ。学祭のときとか。覚えてない?」
「学祭……?」
「準備のとき」
「……あ」

 竹野は急に高校の頃の教室の風景が脳裏に浮かぶようで、声を上げた。あれは、確かに逃げたかもしれない。

 まだ会話をしたことがなかった頃だ。竹野と小槙のクラスは、輪投げを企画していた。放課後、看板や展示を作っていると、材料が足りない、と声が上がった。

『買い出し行けるやついる?』
『じゃあ俺行くわ』

 学祭委員の募集に手を上げたのは、ちょうどそのとき竹野の隣で作業をしていた小槙だった。そういえば、そうだ。あのとき、隣にいた。竹野や小槙、複数の人間で、看板を塗っていた。
 誰か一緒に、と小槙があたりを見回したとき、竹野は目が合った。

「思い出した?」
「うん……」

 小槙は、竹野にとってそのとき自分とはタイプの違う人間だった。隣で作業をするのは別に気にならない。だが、親睦を深めようとは思わなかった。思い至らなかった。看板を塗りながら、小槙は何かしら喋っていたし、他の面々も会話を楽しんでいたようだった。竹野は、自分はどうだったか。覚えていない。相槌を打つくらいはしたかも知れない。

 買い出しに一緒に行くほど、親しくはなかった。なあ、と声をかけられるより先に、竹野はさっと目を逸らしてしまった。その頃にはすでに小槙はみんなに慕われて、人気が高かった。そういう相手が眩しくて、竹野は苦手だった。どうしたらいいのか分からないからだ。話が合うとも思えない。こんなにこやかな男に、つまらないやつ、と思われるのも怖かった。小槙は、空気を読んだのか、それとも目を合わせたことに気づかなかったのか、特に竹野を追うことはしなかった。他の、一緒に看板を塗っていた誰かを連れて、買い出しに行った。
 だから竹野は、小槙がそう考えていたとはいままで気づかなかった。

「あのときは、あの、ごめん……」

 逃げたと言われれば逃げたには違いない。ばつが悪い竹野をどう思ったのか、小槙は笑っただけだった。

「謝るようなことじゃないよ。俺もまあ、なんとなくはね、分かる。結構避けられること、あるし」
「小槙を?」
「竹野もそうじゃん」
「や、だって……そう、だけど」

 竹野はうまく言葉にならないもどかしさに視線を彷徨わせる。あの頃の自分の気持ちを考えると、分からなくもない。小槙は、こわい。明るくて、楽しそうで、人気があって、自信に満ちあふれている。勝手なイメージだが、眩しくて怖い。向き合うだけの自信がない。

 自分の中が空っぽのように思えてきてしまう。

 いま、あのときのように怖くないのは、図書館で会話したことがあるからだ。小槙は、竹野の自信など気にしてもいない。ただそこにいて、笑っているだけ。揺るがないから、竹野がどうしていても、気にしないだろう。

「へへ」

 思わず、というように零れた笑い声に、竹野は口の中の寿司を咀嚼しながら隣を見上げた。小槙が、目元を緩めている。その雰囲気があまやかで、竹野は咀嚼しきらずに寿司を呑み込んでしまった。慌てて自分のペットボトルの茶を煽る。

「……あの、見られてると食べづらい」
「ん。ああ。ごめん。ほんとに竹野だな、と思って」
「なにそれ……」
「二年会わなかったけど、変わってないから」
「そう……かな」

 竹野だって、自分でどこが変わったと思うことはない。それでも高校生を見かけると、子供だと感じるくらいには自分の見た目は変わったように竹野は思う。だがそう考えてから、目の前の元同級生を見て溜息を吐いた。自分には、小槙のような色気のようなものはない。

「小槙は大人っぽくなった」
「え、まじで」
「なんとなく」
「へえ。嬉しいかも。どこが?」

 竹野は困ってまた視線をうろうろとあちこちに投げる。食べ終えた弁当を片付けながら、なんとなくだよ、と繰り返した。

「なんとなくかあ~」
「うん……」

 特に大きく変わったとは思わない。それでも高校の頃よりも少し伸びた髪や、目元に滲むあまさに色気を感じる。前もこうだっただろうか。あの頃は、竹野の方が前髪を伸ばして何も見ないようにしていた。顔を真正面から見たのは、勝手にその髪かきあげられた一度きりだから分からない。

 前はもっと豪快に笑っていたから、印象が違うのだろうか。
 弁当を片付けてしまうと、途端に手持ち無沙汰になる。新幹線で隣同士、何を話したらいいのかと竹野は少し途方に暮れた。高校の頃のように、参考書が手元にあるわけでもないのだ。スマートフォンを確認すると、まだ一時間は時間がかかる。窓の外の景色を眺め、竹野はそっと溜息を吐いた。

「それでさあ、竹野」
「うん?」
「俺んちにゆでたまご食べに来ない?」
「……はっ?」

 ゆでたまご、と思わず繰り返すと、ゆでたまご、と小槙がにこにこと頷く。

「うまいよ。俺が作ったゆでたまご」
「そ、そうなんだ……」
「竹野んちでもいいけど」
「え、待って。ちょっと待って」
「うまいよ。俺が作ったゆでたまご」
「そ、そうなんだ……」

 さっきもそうだったが、小槙は自信満々に言い放つ。だが、竹野はそのゆでたまごが気になっているのではない。

「竹野んちでもいいけど」
「え、待って。ちょっと待って」
「うん」

 小槙は素直に口を閉じた。そうされればされたで竹野は困る。単純に、家に遊びにきてほしいということなんだろうか。新幹線の隣に座って過ごす、いまでもいっぱいいっぱいなのに家と言われても竹野には想像が付かない。二年会わずにいて、再会したばかり。
 もともとそう親しかったわけでもない相手だ。
 告白されたけれど。いや、告白されたからなおのこと問題だ。

「なんで、そんな、あの、急じゃないか?」
「急かな? 会いたかったから、会えたら嬉しくなっちゃってさ」
「う、嬉しく、って……」
「ほら、俺、竹野のこと好きだって言ったじゃん?」
「あの、あれ、本気で……?」

 竹野は帰ってから、もしかして小槙は酔っ払っていたのではないかと考えた。好きだったと言われたのは最初の頃だったけれど、すでにグラスは持っていたし。

「キスとか本気じゃなきゃしないよ」
「キ……!」

 あえて考えずにいたものを取り出され、竹野はつい自分の口と小槙の口を口で覆った。誰に聞かれているか分からないのだから、もっと静かに言葉に出してほしい。竹野の慌てぶりをどう思っているのか、小槙は口を塞がれても静かに笑っていた。

「そ、そういうのはあの、こういうところで言わないでほしい」
「わはっあ」
「わあ!」

 手をくっつけたまま小槙が話すので、竹野は慌てて自分のほうに手を寄せた。手のひらに当たった柔らかい感触や、吐息が生々しく、竹野は手首を掴んだまま目を回す。

「竹野っていま誰かと付き合ってたりする? 好きな人いんの?」

 小槙が顔を近づけてくるので竹野は身体を縮こめる。耳元で囁かれてしまい、飛び上がらないように必死だった。
 好きな人なんていない。
 とにかく東京の生活に慣れるのに精一杯だった。女子の知り合いもできたが、恋愛を考えるよりも講義を理解したりバイトをすることで手一杯だった。余裕がなかった。

「い、いない、けど……?」
「じゃあいいじゃん」
「なにが……?」
「俺と付き合っても」
「ええ……?」

 竹野は小槙の言葉をうまく断れない。好きな相手がいないのは事実だ。小槙のこともきらいじゃない。よくない、と否定するための根拠を提示できないのだった。

「キスもしたし」
「小槙!」
「今度は静かに言ったよ?」

 そうだけど。竹野は混乱する。何を話しているのか分からなくなる。こんなに竹野が困っているのに、小槙が笑っているのが腹立たしい。何がそんなに楽しいのか、小さく笑い続けて腹まで押さえている。

「竹野がそんなに怒るの初めて見た」
「お、怒ってるわけじゃない……」
「慌ててるんだよね? それも初めて見た」
「は、初めてじゃない……」

 図書館で会ったときだって、慌てていた。同窓会のときも。竹野はいつだって、小槙に会うときは慌てている。ゆうゆうと自信に溢れている小槙を目の前にすると、シャキっとしなければと思ってしまうからだ。

「んー。じゃあ、わかった。ゆでたまご食べよう」
「な、何が分かったの?」
「竹野がゆでたまご食べに来れば分かるよ」

 俺んちの住所ね。メッセージが竹野のスマートフォンに送られ、ポン、と通知音が鳴る。確認すると、自分の住んでいるところから地下鉄で数駅離れているだけだ。一時間もかからない。

「まだ行くって言ってない」

 そう言いながらも竹野は乗り換え案内のアプリを立ち上げた。横から覗き込み、小槙は笑う。そして内緒話でもするように、こそこそと竹野の耳元に話しかける。くすぐったい。

「ゆでたまごきらい?」
「きらいじゃないけど……」
「俺のこときらい?」
「き、きらいじゃ、ない……」

 じゃあいいじゃん。小槙が耳元で囁くのは、竹野が注意したからだ。そう思うと、やめてほしいとも言いづらい。やっぱり断る根拠が呈示できず、竹野は無駄にスマートフォンの画面をスクロールした。ゆでたまごも、小槙もきらいではない。
 次の土曜の予定を聞かれ、ぼんやりしていた竹野はつい正直にないと応えてしまった。成人式があったから、ここ最近のアルバイトは調整していたのだった。

「じゃあ土曜でいいね」

 駅まで迎えに行くから。時間まで指定され、その予定をメッセージで送られる。竹野はだめと最後まで言えず、うん、と頷くしかなかった。

「よかった。楽しみにしてる」

 小槙はやっぱりこそこそと竹野の耳元で囁いて、どさくさに紛れて頬にキスをした。頬に当たるものに気づいて竹野は飛び上がる。小槙に笑われ怒りたかったが、その笑みのあまさに身動きもとれない。仕方なく、窓の外をしばらく睨んでいた。
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