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その日のシフトは真尋と町田、正社員のスタッフが深夜まで、深夜帯は橋岡と店長という組み合わせだった。真尋が肩を回しながら事務室に戻ると、ちょうど出勤してきた橋岡がタイムカードを押すところだった。
「よ。お疲れ」
真尋が疲れているせいか、橋岡は苦笑しながら鞄から何かを取り出し、真尋に差し出した。りんごジュースだ。お疲れ、と真尋は返しつつ、ペットボトルを受け取った。いつかの桃のジュースと同じサイズだった。
「くれんの?」
「おー。南野甘いの好きなんだろ」
「よく覚えてんな」
ラベルに描かれたりんごのイラストは赤く、つるりと瑞々しい。真尋は底から白色を見つつ、ボトルを振った。
蓋を外していると、従業員用のドアがノックされ町田が入ってくる。仕事終わりのせいか、へろっとしていたが、真尋と橋岡を認めると、お疲れ、とにっこりと笑った。
「あ、りんごジュースだ。駅に売ってるやつだよね」
「町田も知ってんの?」
「知ってるよ~。いろんなブランドのりんごがあって面白いんだよ」
「へ? これだけじゃなく?」
「有名どころのりんごそれぞれのジュースがあるんだよ」
橋岡も町田もよく飲むのか、どのブランドが好きかと言い合っている。真尋が一口飲み、うまい、と声を漏らすと、ふたりともそうだろうとばかりに頷いた。ラベルに書かれたブランドは有名なもので、詳しくない真尋でも名前を聞いたことがある。真尋はまた一口飲みながら、もしかして、と思いつく。
「……青りんごとかもある?」
「あるある。あるよ」
「なに? 南野は青りんご好きなん?」
町田と橋岡が勢いよく頷くので、真尋は少し驚く。そんなにこのりんごジュースが好きなのか。
「いや、俺っていうか、まあ、うん。それが好きなやつがいるから教えてやろうかと」
真尋はそう言い訳のように口にしながら急速に恥ずかしくなってきた。別に仲がいい友達の好きなものの情報を知って、伝えたいと思うのは不自然ではないはずだ。それでもどうしてか、なんだか自分がそんなに理仁のことを考えているのだとおおっぴらにしたような感覚があった。胸がむずむずして口元が緩んでしまう。
言わなければ誰も何も言わないと分かりながら、真尋は顔をなかなか引き締めることができなかった。そのせいか、たまたま思いついたのか、あ! と町田が真尋をしっかりと見ながら声を上げる。
「もしかして北浦くん? 最近仲いいもんね」
「ああ、やっぱ付き合ってんの」
「うん、うーん、まあ……」
付き合っている、と言っていい状況なのだろうか。真尋は首を傾げたくなったが、付き合っている前の段階なのだからと頷いた。自分が相手を好きで、相手も自分を好きなのだから、何も間違っていない。
「いいねー」
にこにこする町田の影で、橋岡が渋い顔をしている。真尋が見ていることに気づくと、苦虫を噛みつぶしたように、リア充、と呟いた。町田が笑う。
「りんごジュースは駅の販売機で売ってるよ」
「駅か」
大学までは歩いて通える真尋が、電車を使うのは土日くらいだ。あまり販売機で買い物もしないので、いままで目を向けていなかった。この頃はよく一緒に出かけるようになった理仁も、駅の販売機で何かを買っているところはあまり見ない。もしかしたら、りんごジュースのことを知らない可能性がある。
「販売機って、駅のどこででも売ってんの?」
「駅のには入ってること多いけど、一つの販売機に一種類って感じだよ」
「じゃあ、販売機全部にあるわけじゃないのか……どこに青りんごのやつがあるとかはわかるか?」
「そこまで意識して見てないな~」
橋岡が俺も、と同意し、ごめんね、と町田が首を振る。真尋は首を振り、逆に礼を言った。ある程度の情報があれば、あとは自分で探せば良いだけだ。一緒に病院に行く約束をしているが、電車で移動する予定だ。帰り道にでも、理仁と一緒に探せばいいだろう。
「ま、今度見かけたら教えてやるよ」
「ああ、うん。ありがとな。でも特に気にしなくっていいから」
橋岡はそうか? とくちびるを尖らせる。なぜここで拗ねるのかわからないが、気にせず真尋はちら、と時計を確認した。橋岡はそろそろ店内に行った方がいいだろう。橋岡もつられて時計を確認して、じゃあ行くかとばかりに背伸びをした。そしてそのまま店内に向かうかと思ったが、ぱっと振り返って戻ってくる。
「そうだ。今度バイトのメンツで飲み会行く話出てんだ。南野も行くだろ?」
「飲み会?」
真尋は目を瞬かせた。バイトのメンツという言葉に町田を振り返るが、町田もうんうん、と頷いている。すでに大体のことは決まっているのだろう。
「親睦会って言った方がいいか? メシだけでもいいよもちろん。つーか来てくれねえと女二人に男一人で俺が気まずい」
「ってことはこのメンツに芝先輩ってことか?」
いまのバイトのメンツは、ここにいる三人と芝だ。パートや正社員もいるが、仕事の話以外はあまりしたことがなかった。
「そうそう。芝先輩がなかなかみんなで会えるときがないから、一回くらいそういう機会を設けたいねって。ちょうど今度の金曜の夜ならシフトがみんなないしさ、どう?」
「いいけど」
真尋は深く考えることなく頷いた。芝が言い出した、というのが正直意外だ。芝は態度が悪い人間ではないが、特に真尋や橋岡とはあまり近い雰囲気はない。町田とは仲良くしているようだが、相性が良いのか同性だからなのか。仕事での会話ややりとりに問題はないので気にしたことはないが、仕事内だけでの関係を望んでいるのだろうと勝手に思っていた。
「決まりな」
予定を言い渡され、真尋はスマートフォンのカレンダーアプリを立ち上げる。その間に橋岡はばたばたと店内へと駆けていった。
アルバイトからの帰り道は、迎えに来た理仁にその日の仕事のことを話すことが多かった。今日は肉まんがよく売れたとか、コピー機が紙詰まりを起こして大変だったとか。今日は親睦会の話になった。
「俺は酒飲まないし、町田も飲まないだろうから、めし食べて終わりだろうけど」
だがこの四人で何を話すのだろうと真尋は首を捻っている。仲が悪いわけでもないし、集まることに意義はないが、アルバイトだ。楽しく仕事をしているし、やりがいもある。だがこのアルバイトのためにこれからも皆と仲を深めたい、というほどの熱意を持っている人間は、真尋も含めていないと思っていた。
理仁は軽い相槌を打ちながら聞いていたが、話が途切れた合間にそっと声を出した。
「迎えに行ってもいいか?」
「えっ迎え……って、その、親睦会の日か?」
「ああ」
「親睦会ったってそんな遅くならないだろうし、場所だって駅前だし、別に」
「だめか?」
人差し指を立てて迎えに来なくてもいい理由をあれこれ上げていた真尋は、理仁に覗き込まれただけでぐう、と口を噤んだ。人差し指も曲げてしまう。だめかと言われたらまったくだめではない。
「だめじゃないけど。翌日もあるんだぞ。疲れないか?」
伝えられた日程は、奇しくも理仁と病院に行くと予定していた日の前日だ。予約は午前の早い時間に入れてある。帰りにデートしようとあれこれ行き先の話もしたばかりだ。理仁は真尋に向かって柔らかく笑った。夜の街灯が、妙にきらきらと理仁を照らす。真尋は眩しさに目を細めた。
「前も言ったけど」
夜道は静かだ。出歩いている人もなく、時々どこかの家のテレビの音や、子供の泣き声が微かに聞こえてくるがそれくらい。特に意識せずに話すだけでお互いの声は届く。それなのにどこか秘密を打ち明けるように、理仁は真尋にそっと顔を寄せて囁いた。
「夜に真尋に会えるのは、嬉しい」
真尋は口が自然とむにむにと動くのを止められなかった。ふーん、と口先で言いながらも、どうしてこんな照れくさいことをはっきり言えるのかと思ってしまう。
でもこれが理仁なのだろう。そして、真尋もそう言われて嬉しいと思ってしまうのだった。妙に火照る頬を押さえつつ、真尋は理仁を見上げる。自分が嬉しいと思うように、理仁も同じように嬉しいと思うだろうかなどと考えた。どうだろう。悶々としながら、俺も、と真尋はぽつりと零す。
「え?」
「俺も、理仁に夜会えんのは、嬉しい」
「ありがとう」
虚を突かれたように固まった理仁が、次の瞬間にはふにゃと顔を緩めた。おお、と真尋はひとり感動する。言ってみてよかった。
「あのさ」
それならこれもと、真尋はついでとばかりに自分が早口になるのを押さえられずに続けた。
「よかったらその、その日うち泊まるか」
「……いいのか?」
そう理仁が窺いを立てたのは、二回目の真尋宅に訪問した際、失敗があったからだ。真尋は失敗とは思っていなかったが、理仁にしてみれば失敗と思ったようだった。
「よ。お疲れ」
真尋が疲れているせいか、橋岡は苦笑しながら鞄から何かを取り出し、真尋に差し出した。りんごジュースだ。お疲れ、と真尋は返しつつ、ペットボトルを受け取った。いつかの桃のジュースと同じサイズだった。
「くれんの?」
「おー。南野甘いの好きなんだろ」
「よく覚えてんな」
ラベルに描かれたりんごのイラストは赤く、つるりと瑞々しい。真尋は底から白色を見つつ、ボトルを振った。
蓋を外していると、従業員用のドアがノックされ町田が入ってくる。仕事終わりのせいか、へろっとしていたが、真尋と橋岡を認めると、お疲れ、とにっこりと笑った。
「あ、りんごジュースだ。駅に売ってるやつだよね」
「町田も知ってんの?」
「知ってるよ~。いろんなブランドのりんごがあって面白いんだよ」
「へ? これだけじゃなく?」
「有名どころのりんごそれぞれのジュースがあるんだよ」
橋岡も町田もよく飲むのか、どのブランドが好きかと言い合っている。真尋が一口飲み、うまい、と声を漏らすと、ふたりともそうだろうとばかりに頷いた。ラベルに書かれたブランドは有名なもので、詳しくない真尋でも名前を聞いたことがある。真尋はまた一口飲みながら、もしかして、と思いつく。
「……青りんごとかもある?」
「あるある。あるよ」
「なに? 南野は青りんご好きなん?」
町田と橋岡が勢いよく頷くので、真尋は少し驚く。そんなにこのりんごジュースが好きなのか。
「いや、俺っていうか、まあ、うん。それが好きなやつがいるから教えてやろうかと」
真尋はそう言い訳のように口にしながら急速に恥ずかしくなってきた。別に仲がいい友達の好きなものの情報を知って、伝えたいと思うのは不自然ではないはずだ。それでもどうしてか、なんだか自分がそんなに理仁のことを考えているのだとおおっぴらにしたような感覚があった。胸がむずむずして口元が緩んでしまう。
言わなければ誰も何も言わないと分かりながら、真尋は顔をなかなか引き締めることができなかった。そのせいか、たまたま思いついたのか、あ! と町田が真尋をしっかりと見ながら声を上げる。
「もしかして北浦くん? 最近仲いいもんね」
「ああ、やっぱ付き合ってんの」
「うん、うーん、まあ……」
付き合っている、と言っていい状況なのだろうか。真尋は首を傾げたくなったが、付き合っている前の段階なのだからと頷いた。自分が相手を好きで、相手も自分を好きなのだから、何も間違っていない。
「いいねー」
にこにこする町田の影で、橋岡が渋い顔をしている。真尋が見ていることに気づくと、苦虫を噛みつぶしたように、リア充、と呟いた。町田が笑う。
「りんごジュースは駅の販売機で売ってるよ」
「駅か」
大学までは歩いて通える真尋が、電車を使うのは土日くらいだ。あまり販売機で買い物もしないので、いままで目を向けていなかった。この頃はよく一緒に出かけるようになった理仁も、駅の販売機で何かを買っているところはあまり見ない。もしかしたら、りんごジュースのことを知らない可能性がある。
「販売機って、駅のどこででも売ってんの?」
「駅のには入ってること多いけど、一つの販売機に一種類って感じだよ」
「じゃあ、販売機全部にあるわけじゃないのか……どこに青りんごのやつがあるとかはわかるか?」
「そこまで意識して見てないな~」
橋岡が俺も、と同意し、ごめんね、と町田が首を振る。真尋は首を振り、逆に礼を言った。ある程度の情報があれば、あとは自分で探せば良いだけだ。一緒に病院に行く約束をしているが、電車で移動する予定だ。帰り道にでも、理仁と一緒に探せばいいだろう。
「ま、今度見かけたら教えてやるよ」
「ああ、うん。ありがとな。でも特に気にしなくっていいから」
橋岡はそうか? とくちびるを尖らせる。なぜここで拗ねるのかわからないが、気にせず真尋はちら、と時計を確認した。橋岡はそろそろ店内に行った方がいいだろう。橋岡もつられて時計を確認して、じゃあ行くかとばかりに背伸びをした。そしてそのまま店内に向かうかと思ったが、ぱっと振り返って戻ってくる。
「そうだ。今度バイトのメンツで飲み会行く話出てんだ。南野も行くだろ?」
「飲み会?」
真尋は目を瞬かせた。バイトのメンツという言葉に町田を振り返るが、町田もうんうん、と頷いている。すでに大体のことは決まっているのだろう。
「親睦会って言った方がいいか? メシだけでもいいよもちろん。つーか来てくれねえと女二人に男一人で俺が気まずい」
「ってことはこのメンツに芝先輩ってことか?」
いまのバイトのメンツは、ここにいる三人と芝だ。パートや正社員もいるが、仕事の話以外はあまりしたことがなかった。
「そうそう。芝先輩がなかなかみんなで会えるときがないから、一回くらいそういう機会を設けたいねって。ちょうど今度の金曜の夜ならシフトがみんなないしさ、どう?」
「いいけど」
真尋は深く考えることなく頷いた。芝が言い出した、というのが正直意外だ。芝は態度が悪い人間ではないが、特に真尋や橋岡とはあまり近い雰囲気はない。町田とは仲良くしているようだが、相性が良いのか同性だからなのか。仕事での会話ややりとりに問題はないので気にしたことはないが、仕事内だけでの関係を望んでいるのだろうと勝手に思っていた。
「決まりな」
予定を言い渡され、真尋はスマートフォンのカレンダーアプリを立ち上げる。その間に橋岡はばたばたと店内へと駆けていった。
アルバイトからの帰り道は、迎えに来た理仁にその日の仕事のことを話すことが多かった。今日は肉まんがよく売れたとか、コピー機が紙詰まりを起こして大変だったとか。今日は親睦会の話になった。
「俺は酒飲まないし、町田も飲まないだろうから、めし食べて終わりだろうけど」
だがこの四人で何を話すのだろうと真尋は首を捻っている。仲が悪いわけでもないし、集まることに意義はないが、アルバイトだ。楽しく仕事をしているし、やりがいもある。だがこのアルバイトのためにこれからも皆と仲を深めたい、というほどの熱意を持っている人間は、真尋も含めていないと思っていた。
理仁は軽い相槌を打ちながら聞いていたが、話が途切れた合間にそっと声を出した。
「迎えに行ってもいいか?」
「えっ迎え……って、その、親睦会の日か?」
「ああ」
「親睦会ったってそんな遅くならないだろうし、場所だって駅前だし、別に」
「だめか?」
人差し指を立てて迎えに来なくてもいい理由をあれこれ上げていた真尋は、理仁に覗き込まれただけでぐう、と口を噤んだ。人差し指も曲げてしまう。だめかと言われたらまったくだめではない。
「だめじゃないけど。翌日もあるんだぞ。疲れないか?」
伝えられた日程は、奇しくも理仁と病院に行くと予定していた日の前日だ。予約は午前の早い時間に入れてある。帰りにデートしようとあれこれ行き先の話もしたばかりだ。理仁は真尋に向かって柔らかく笑った。夜の街灯が、妙にきらきらと理仁を照らす。真尋は眩しさに目を細めた。
「前も言ったけど」
夜道は静かだ。出歩いている人もなく、時々どこかの家のテレビの音や、子供の泣き声が微かに聞こえてくるがそれくらい。特に意識せずに話すだけでお互いの声は届く。それなのにどこか秘密を打ち明けるように、理仁は真尋にそっと顔を寄せて囁いた。
「夜に真尋に会えるのは、嬉しい」
真尋は口が自然とむにむにと動くのを止められなかった。ふーん、と口先で言いながらも、どうしてこんな照れくさいことをはっきり言えるのかと思ってしまう。
でもこれが理仁なのだろう。そして、真尋もそう言われて嬉しいと思ってしまうのだった。妙に火照る頬を押さえつつ、真尋は理仁を見上げる。自分が嬉しいと思うように、理仁も同じように嬉しいと思うだろうかなどと考えた。どうだろう。悶々としながら、俺も、と真尋はぽつりと零す。
「え?」
「俺も、理仁に夜会えんのは、嬉しい」
「ありがとう」
虚を突かれたように固まった理仁が、次の瞬間にはふにゃと顔を緩めた。おお、と真尋はひとり感動する。言ってみてよかった。
「あのさ」
それならこれもと、真尋はついでとばかりに自分が早口になるのを押さえられずに続けた。
「よかったらその、その日うち泊まるか」
「……いいのか?」
そう理仁が窺いを立てたのは、二回目の真尋宅に訪問した際、失敗があったからだ。真尋は失敗とは思っていなかったが、理仁にしてみれば失敗と思ったようだった。
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