稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
12 / 64

プルガサリ②

しおりを挟む
 大岡川に人だかりがあった。
 あそこに違いないと人混みをかき分けて川面を見ると、細長くゴツゴツした黒っぽい浮島が海に向かって流れていた。
 よく見てみると、短い手足が生えている。前の方へと回ってみると、ズラリと並ぶ鋭く尖った歯がわかる。
「あれはワニだ、書物で見たぞ」
「ワニって、海にいるんじゃないの?」
 リュウが言うのは鰐であり、コンコが言うのは因幡の白兎に欺かれ皮を剥いだ鮫である。

 横浜駅近くまで追い掛けると、ワニは荷揚げ場から陸に上がり、のっしのっしと駅へ向かった。
 人々は逃げ惑い、遠巻きに恐る恐る見つめている。
 警察官が集まってワニを取り囲み、一斉にサーベルを抜いて斬りつけた。しかし黒光りする身体にはちっとも効かず傷のひとつもつけられない。それどころかサーベルは刃こぼれし、警官たちは悔しそうに刃を見つめている。

 警官が近くにいた郵便配達夫を呼びつけた。
「郵便屋さんに何の用かな?」
「現金を運ぶだろう。護衛のために小さな鉄砲を持っているのだ」
 郵便配達夫が拳銃をワニに向けると、凄まじい爆音が轟いた。野次馬は耳を塞ぎ、身体を丸めて目を白黒させている。
 しかしワニは血の一滴も流すことなく、弾丸が当たったところを蚊に食われたようにボリボリとかいている。

 野次馬連中に聞かれないよう、コンコがリュウに耳打ちをした。
「あのワニ、あやかしじゃないかな?」
「俺もそう思う。この刀で斬れるだろうか」
「わからないけど、警官がいるから今はやめた方がいいよ」
 白昼堂々妖刀を振って、斬れたら後が面倒だ。なまくら刀だと見せてみても、何故斬れたのだと連行されるに違いない。

 ワニは立ち上がり、警官たちのサーベルを手に取ってバリバリと食べはじめた。
「鉄を食うのか、コンコが言った通りだな」
 郵便配達夫の拳銃をむんずと掴むとポイッと口に放り込み、サーベルの柄と銃把だけをププッと吐き捨てた。
 心なしか、ワニが一回り大きくなったように見える。
「しばらく様子を見た方がよさそうだね」
 コンコもリュウも顔を固く引きつらせていた。

 ワニが横浜駅に入ると、乗客も鉄道員も悲鳴を上げて逃げ惑った。銃が効かず、サーベルを食べられたことに警官たちは尻込みし、遠巻きに追うだけである。
 陸蒸気の前まで這うと、ワニはヒョイッと立ち上がり、煙突を掴み大きな口をガバっと開けた。
 コンコとリュウが駆けつけて、尻尾を掴み引き止めた。
「やめろ! 食うな!」
「熱いよ! 火傷しちゃうよ!?」
 するとワニは残念そうに口を閉じ、再び這って歩きはじめた。

 コンコとリュウは尻尾を掴んだままであるが、凄い力で引きずられている。このままでは草履も靴も擦り減ってしまう。
「この尻尾で叩かれたら死ぬだろうな」
「怖いことを言わないでよ。話が通じるあやかしでよかったね」

 ワニが向かった先は居留地・関内と日本人街の関外・伊勢佐木町を結ぶ鉄の橋、吉田橋である。
「ダメだ! 橋は困る!」
 ぱっくりと口を開くワニの尻尾を強く引いて、見ていただけの警官たちにも加勢させた。
「横浜がふたつに分かれちゃう! そんなのは嫌だよぉ!!」
 コンコの叫びが届いたようで、ワニは名残惜しそうに吉田橋を渡り、コンコとリュウと警官たちを引きずって馬車道を闊歩した。

 悲鳴に包まれてたどり着いたのは、横浜港だ。
 ワニは首をもたげて一隻の船を見つめていた。
雲揚うんよう……?」
「これは軍艦だ」
 去年の明治8年、朝鮮西岸海域を測量して武力衝突を起こした船である。戦闘は日本が勝利し、中国との条約締結を拒んでいた李氏朝鮮が日本、そして西洋諸国と不平等条約を結ぶことになる。

 コンコとリュウは、ワニの頭の方へと回った。
「お前は、朝鮮のあやかしか?」
「やめなよぉ、あんなに大きな船なんか食べられないよぉ」
 しかしワニの意思は強いのか、コンコの説得に耳を貸さず、黄色い目玉を船に向けたままだ。

 さざ波が押し寄せる海面を睨みつけ、短い足を浮かせると、そこからギシギシと音がして、赤い破片がポロポロと剥がれ落ちた。
 尻尾を引いた警官たちが、後ろの方へと飛んでいった。ついに弾き飛ばされたのかと思ったが、ワニの尻尾が抜けたようで、三角錐の物体に押し潰されそうになっていた。
 尻尾を失ったワニは、そちらの方から順番に、ガランガランと音を立てて崩れていった。

 最後に残った頭が地べたに落ちると、噂を聞きつけた朴一家が、ワニの残骸に駆け寄った。
 光を失い、ただの虚になった目のそばで、すがりついて泣いた。
「プルガサリ……」
「それが、これの名か」
「プルガサリは悪人から鉄を奪う」
「そうなのか……。いや、俺は針を食われたぞ」
「釘と火箸と、鍋も食べられちゃったんだ」
 朴が円筒形をしたプルサガリの胴体を開くと、赤錆まみれの輪っかの中から、大量の鉄製日用品が現れた。
 朴は持ち主を探して返すと言って、プルガサリの足跡を戻っていった。

 ちょうど身体の中心にリュウの縫い針があり、そのすぐそばでヤモリがひっくり返って足をピクピクと痙攣させていた。
 コンコが壺を取り出して、ヤモリを入れて封印すると、ちょっと首を傾げた。
「封じてよかったのかな、朴さんたちにとっては神様みたいなものでしょう?」

 コンコが、狐火退治のときに言っていたことが思い出された。
『封じるばかりが能じゃないよ、神様になるあやかしだっているんだから』

 針をつまんで、雲揚号に目をやった。
 プルガサリの狙いは、雲揚号だったのだろう。この船に挑むため、大きな身体を欲して針や釘や火箸や鍋を食べたのだ。
 しかし長く潮風にさらされて、潮混じりの川を泳いだせいで、志半ばで力尽きてしまった。
「朝鮮に帰せないか、高島に聞こう」
「それがいいよ! そうしよう!」

 雲揚号はこの後、家禄の廃止による士族反乱を制圧するため萩に向かうが、その途中の遠州灘で暴風雨に破壊される。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...