稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

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水の戯れ①

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 驚く声で呼び止められて振り返ったリュウは、何とも気不味そうな顔をしていた。
「生きていたのか! あの後、どうなったのか心配していたぞ!」
 嬉しそうに笑う男に肩を叩かれ、リュウは苦々しくしている。ふたりの関係を知らないコンコは置いてけぼりになった気分である。
「リュウのお友達?」
「昔の仲間だ」
 つまり元彰義隊士ということだ。名前を上野の山に葬ったリュウとしては、生き恥をさらすことになる。出来れば会いたくない相手だった。

 男は声を落として、リュウに近寄った。
 まだ日が高く往来も激しい中、聞かれたくない話をするのだろう。リュウは早く立ち去ってくれないかと、疎ましそうにしている。
「リュウと名乗っているのか。俺は変わらず禄郎だ。その子はお前の……にしては大きいな」
「僕、コンコだよ。リュウと一緒に仕事をしているんだ」
 男児の洋装で紺子とは?
 男の格好で女児なのか?
 子供と一緒に仕事とは?
 禄郎の頭は疑問符で埋め尽くされて、間抜けな顔になってしまった。

「まぁ、いい。この近くに越したんだ、積もる話もあることだし、寄っていかないか?」
 上野の山でのリュウを覚えている元官軍の警官は、思いのほか多くいる。元彰義隊士のふたりが立ち話を長々としていたら、目を付けられるのは間違いない。
 久々の再会を喜んでいるし、昔の義理もある。言い訳がましいが、志半ばで戦闘を離脱した無念を伝えたいし、その後の彰義隊がどうなったのかは気になるところだ。
 そう思って、禄郎の家に向かうことした。

 家は元町の裏路地、崖の下にあった。元は離れだったのか、ひとり住まいには丁度よい、こじんまりした家である。それでも、リュウの小屋よりかは幾分マシだ。
「お前も、ひどい目に遭ったなぁ。崖から落ちるところを見ていたよ。助けたかったが、こちらにも砲弾が飛んできてな。怪我はなかったが官軍に捕縛されて、ずっと牢にいたんだよ」
 そうか見ていたのか、無様な言い訳をしなくて済んだと、リュウは胸を撫で下ろした。
 旧幕府側として国を憂いて戦って、罪人として牢獄に入れられたとは、禄郎も大変な目に遭ったものだ。

「ところで、仕事って何だ?」
 信じてくれるかわからずリュウが口ごもっていると、コンコが堂々と胸を張り「あやかし退治だよ!」と言い放った。禄郎は目も口も丸くして、ポカンと呆けている。
「信じられないだろうが、本当なのだ。その先に神社があるだろう。捕らえたあやかしは、そこに納めている」

「あの、菓子食って寝てる狸がいる神社か?」
「たぬおさんは宮司なんだよ」
 怪しげな商いだと思っているのが見て取れる。あやかし退治に狸の宮司を信じられないのは仕方ないが、こうも露骨だと気分が悪い。
 コンコが稲荷狐だと明かそうとした矢先、禄郎が身を乗り出して話してきた。
「なぁ、俺と商いをしないか?」
「何をするのだ?」
「水売りだ、ジェラールより安く売る」
 打越うちこしと山手に水源を持ち、浄水施設の水屋敷を構えるジェラールより安い水とは、一体どういうからくりか。リュウは怪しいと片眉を上げた。

 そうか、ここは崖下だ。それが目当てで、この家に暮らしているのか。
「裏の崖から水が湧くのか?」
「いや、見てのとおり茂っているだけだ」
「では、別に水源を買ったのか?」
「そんなもの、いらんのだ」
 鼻で笑う禄郎に、リュウはもちろんコンコも眉をひそめた。水源も無しに水売りなど、一体どうすると言うのか。

 こんな怪しい話には乗れないと思ったリュウは「御免」とだけ言って立ち上がった。禄郎は意外そうに狼狽している。
「お前のことだ。こう言ってはなんだが、死んだ身だからと裏稼業でもしているのだろう?」
「あやかし退治は、そんな仕事じゃないよ!」
 カッカとするコンコの肩に手を置いてなだめるリュウは、残念そうにした。それは一緒に商売が出来ないことではない、かつての仲間が怪しげな商売をしようとしていることが残念なのだ。
「すまん、今の仕事は簡単には辞められんのだ」

 草履をつっかけるリュウを、禄郎は名残惜しそうに見つめていた。
「裏稼業などと言って、すまなかった。俺はお前を日の当たる場所に出したいんだ」
 リュウは微かな笑みを浮かべた。表舞台に立つ気は更々ないと知った禄郎は、シュンと肩を落とした。
「困ったことがあったら、言ってくれ。そのときは力になる」

 あやかし退治を信じてもらえず、裏稼業と決めつけられてコンコはプリプリ怒っていた。
「まったく失礼しちゃうよね! 横浜を守る大事な仕事なのに。ねぇ、そう思わない!?」
 不快感と落胆と義理人情が入り混じった複雑な顔をして、リュウは黙り込んでいた。武家の誇りや日本の文化を守るために共に戦った仲間から、怪しい商売の話など聞かされたくはなかった。

 むっつり黙るリュウとは対称的に、コンコの話は止まらない。
「だいたい僕たちは、困った人のためにあやかし退治をしているんだもん。あやかしが困っていれば助けることだってあるし。そうだよね!?」
 そう誇らしく言ったところで、中華街の入口に困り顔で頬杖ついて、深くため息をつく中国娘が座っていた。

 逃げるつもりは毛頭ないが、言ったそばから見て見ぬふりが出来るはずもない。コンコは義務感に背中を押され、娘の元へと向かっていった。
「どうしたの?」
「大切なものを盗まれちゃったの」
「物盗りとは物騒な。何を盗られた」
「水瓶よ。私、いつもそこに座っているの。朝、起きたら無くなっていたわ」
 物盗りよりも、いつも水瓶に座っている方が気になった。変わった娘もいたものだ。
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