稲荷狐となまくら侍 -明治あやかし捕物帖-

山口 実徳

文字の大きさ
22 / 64

水の戯れ②

しおりを挟む
「座って見張るほど、大事な水瓶なの?」
 娘は目を見開いて、背筋を伸ばして前のめり、その重要性を必死になって訴えた。
「それはもう! この町に欠かせない水瓶よ!」
 広げた手を後ろにやったから、中華街にとって大事なもの、ということらしい。物盗りに遭ったにも関わらず娘は焦る様子もなく「ちょっと聞いてよ!」と水瓶の来歴を語りだした。

「お義母さまったら、私が苦労して汲んできた水を好き放題に使ったの。毎日毎日何度も何度も、遠くの水場から重たい水を運んでいたの」
 中華街から山手の水場までは近いから、中国にいた頃の話だろう。姑から嫁いじめに遭っていたとは不憫だが、この様子だと聞いてもらえそうな相手には、誰彼構わず話してそうだ。

「そんなある日、仙人から木の枝を貰ったのよ。それを瓶に入れて水を少し入れると、いっぱいになったの! 何度汲んでも水が湧いて、ちっとも減らないのよ!」
 日々の努力を仙人が報いてくれたのだろう。
 そして水源もなく水売りをすると言った禄郎と話がつながった。そうだとしたら人の、しかも仙人から賜ったものを盗むなど、とんでもない。

 すぐ禄郎のところへ行かなければ、と思ったが娘の話に熱がこもり、腰を折るような隙がない。
「今までは村で水を配っていたんだけど、横浜は水が足りないって言うでしょう? だから困っている人に、水を配りに来たのよ」
 何と優しい娘だろう、きっと旦那は幸せ者だ。
「君も偉いけど、着いてきた旦那さんも偉いね」
「とっくの昔に死んじゃったわよ、もう何千年になるかしら」

 不思議だったのは水瓶だけではなかった。娘は神か、それに近いあやかしだろう。
「君の名前は?」
「私は水母娘娘すいぼにゃんにゃんよ」
「にゃんにゃん?」
 コンコがあざとい、リュウは閉口した。

 神の持ち物を盗むとは、とんでもない。きっと天罰が下るに違いない。
「水瓶の目星はついておる。見つかったら返す、待っておれ」
 水母娘娘はパァッと明るい顔になった。やはり焦っている様子はない。
「でも、こんなにのんびりしていて、いいの? すぐ取り返したいんじゃないのかな?」
「いいのよ。今、盗っ人を懲らしめているから」
 水母娘娘は、ニッコリ笑った。その笑顔が恐ろしく、コンコとリュウは顔を引きつらせた。一体何をしたというのか。

 盗みを働くなどとんでもない、と思っていたのはどこへやら。今は禄郎にどんな天罰が下っているかが気になって仕方ない。
 家まで行って絶句した。
 玄関から大量の水が流れ出ていて、路地は川のようになっていた。
 リュウは着流し、コンコはズボンの裾を上げ、水を掻き分け中へと入ると、瓶から吹き出す水に右往左往する禄郎がいた。
 家中の器という器に汲み上げたが、あっという間に使い切り、今は水よ止まれと祈るばかりだ。

「助けてくれ! 水が止まらん!」
 許さぬと言わんばかりに水の勢いが増し、家財道具を次々と流しはじめた。
「馬鹿、神の持ち物を盗むからだ」
「か、神!? 盗む!? そんな馬鹿な話……」
 神の怒りを買ったのか、更に勢いが増し水柱が立った。これでは町が沈んでしまうと禄郎は、瓶に覆い被さった。
 人間ごときが神に敵うはずもなく、水柱に押し上げられた禄郎は天井を破り、屋根を突き抜け、2階の高さで宙を舞った。安普請のお陰で、怪我はしていないようだ。
「水瓶を返すか? 禄郎!」
「返す返す! だから助けてくれ!」

 水瓶が見つかったことをコンコに伝えに行ってもらうと、水柱はピタッと止まって禄郎はリュウの上へと落っこちた。
「盗品で商いなどするな、馬鹿が」
「盗品だなんて、知らなかったんだ。これを使えと、親切な爺さんがくれたんだよ」
 リュウは痛みを吹き飛ばし、禄郎の肩をガシッと掴んだ。
「どんな爺さんだ!?」
「何というか、痩せぎすの気の良さそうな爺さんだったよ。まさか、物を盗むなんて……」
 延遼館で会った爺さんに違いない。そしてそれは、横浜を狙う恐ろしいあやかしなのだ。

 禄郎はびしょ濡れの畳に正座して、肩肘張って固い顔でリュウを見つめた。
「金が目当てで商いをはじめようとしたが、お前に会って考えが変わった。俺はお前を、表舞台に連れ戻す。そのために商いをする」
 口をへの字に曲げて「余計なことを」の一言をこらえるリュウに、禄郎は拳ひとつ近寄って必死になって懇願した。
「世間を見ろ! 元彰義隊士でも活躍している者もいる! 箱館戦争を率いた榎本武揚様などは、今や新政府側の人間だぞ!? だからお前も……」
 リュウは腫れ物に触れられたように顔を歪め、スッと立ち上がって禄郎に背中を向けた。
「お前が今すべきは、俺を誘うことではない。水瓶を返し、誠心誠意謝ることだ」

 禄郎は水母娘娘にこっぴどく叱られた。怒ると手がつけられないらしく、早口でキィキィまくし立てるものだから、弁明の隙もなく説教の終わりが見えない。
「にゃんにゃん、盗んだのはあやかしなんだよ」
「何ですって!? そいつを見つけたら、水責めにしてやるわ!!」
 と、何とか解放された帰り道。
「にゃんにゃん、怒ると怖いんだね」
「説教で済むなら、よい方だ。放っておいたら、どうなっていたことか」
「そうだよ、水って怖いんだね! たくさんあると、あんなふうになっちゃうんだ! お爺さんのあやかしも、ひどいことをするなぁ」

 確かに平らな埋立地で水不足の横浜にいると、水害の恐ろしさには気付きにくい。
 延遼館で会った老人は、横浜を沈めるのが狙いだったのか……。

 リュウは夕暮れ空の遥か彼方を見つめた。
「水も爺さんも怖いが、俺には人が一番怖い」
 禄郎の言葉を反芻すると、見つめる先に一番星が瞬いた。チカチカとする小さな光に、俺を惑わさないでくれ、とリュウはポツリつぶやいた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

処理中です...