愛されるべきかわいい女の子たちの敵がいつもおれ

クナリ

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第五章 一ノ谷来栖は恋をする 2

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 すりガラスの窓の外は、車の音や人の声もせず、静かだった。
 表は暗い。この部屋の中だけが明るい。

「男女の友情は、信じるか?」

「一応。でも、信じないっていう人の言い分も分かる気はします。私、男子相手も女子相手もまだまだ人生経験が足りませんし、なんとも」

「この話正解はないんだろうが、つまるところ、ある派にせよない派にせよ、そう思える相手と出会っているかどうかなんだと思う。おれは、男女の友情はあると信じられる人と出会ったことがある。だから、あると思ってる」

 二人が、寝転がったまま向き合った。

「もしかして、来栖の着てる制服をくれた子ですか?」

「そうだ。中学からの同級生だった。……あやめも同じで、おれにとっては大切な友人になると思ってた。おれは君に友情を抱いてしかるべきだし、事実そうなったと思ってた……んだが――」

 だが?
 あやめは、久しぶりにごく近くで来栖の顔を見て、頭が少しぼうっとしかけていた。
 陶器のようになめらかできめ細かい肌の上の、メイクの跡が分かる。いい香りがする。それくらい近く。

「――だが、今は違うような気がしてる」

「違う?」

「おれは君を、女の子として好きになりかけてる気がする。つまり、恋愛感情として」

「れんあいかんじょう……」

 そう口にした時、茫洋としていたあやめの意識が、急激に覚醒した。
 体をがばりと起こす。

「れんあいかんじょう!? って……あの!? あのれんあいかんじょうですか!?」

「どれかは分からんが、たぶんそれだ。そして、それがおれは怖い」

「こわ……?」

「人は、誰かを好きになると、平静を失ってミスをしてほかならぬ好きな相手に迷惑をかけたり、あるいは見栄を張って余計な真似をして、失望されたりするだろう。怖いよな。いや、それはいいんだ。それよりなにより――」

「なにより……?」

 意識は明確になったはずなのに、さっきから、あやめはおうむ返ししかできない。
 そして感覚がひどく鋭敏になっているように思うのに、頭の回転は空回りするばかりで、止まっているのと変わらなかった。

「――なにより、君を、あわよくばつき合えないだろうかっていう、下心を含んだ目で見てしまうのが一番怖い」

「し、したごころ……って、クルスが、私にですか……? つ、つき……? 私と?」

「そうだってば。下衆だろ、下心ありでそんなのは」

 あやめが、口をぱくぱくさせつつ、言葉はなにも発することができずにいると、来栖も体を起こした。

「いきなりこんなこと言って、悪い。変に意識させちゃうよな」

「そ、そうですね!? 意識、意識はしてしまうかもですね……!?」

「でも、そんなおれにブレーキをかけてくれるのも、君だ。だから正直におれの気持ちを話せた。さっき、安心してるって言っただろう?」

 寝て起きた来栖の髪が多少乱れている。それすらも、ほどよいカジュアルダウンのようで、あやめの目にはかわいらしい。
 あやめは、自分の髪も同じようになっていたら恥ずかしい、と一瞬思った。頭から髪がところどころ浮いている感覚がする――思いがけない展開に、思考が明後日の方向へ逃げようとしていた。
 それでもなんとか気を取り直して、言った。

「い、言いました。なんのことだろうなって、思ってたんですけど」

「以前、君がおれに言ってくれただろ。『私は一ノ谷くんのことなんて絶対に好きになりません』って。だからおれは、もしかしたらつき合えるかも……なんてよこしまなことを考えずに、こうして本心を打ち明けられる。君さえその気にならなければ、おれが本当にあやめに夢中になっても、独り相撲で済むんだからな。少しは脈があるかも、と思うから人は恋に暴走するんだ。まったく振り向かれないと分かっていれば、おれは理性と良識をフル活用して、君に迷惑をかけないよう踏みとどまれるだろう」

 曇りなきまなこでそう言う来栖の視線がまぶし過ぎて、あやめは目がくらんだ。
 記憶を探る。自分の軽挙が恥ずかしくて、あまり思い出したくなかった、来栖との出会い。
 言った。確かに言った。覚えている。忘れたいが。覚えている、けれども。

 あやめは、奥歯を噛みしめた。
 自分の気持ちは、まだ、淡い憧憬に近いもので、はっきりと告白なんてできるものではない。
 だが、ここまであやめを信じて本心を明かしてくれた来栖のことを、無難に受け流すことはできなかった。

「……そのこと……につきましては」

「ん?」

「実は、……私も、最近……つまり今まさになんですけど、来栖のことを、意識してしまっている気がします。その、お、男の子と、して」

 ぴた、と来栖の微笑みが固まった。
 もとより人形のように整った顔が、本当に人形のように、微動だにしなくなる。

「……よくない、……でしょうか」

「いや……よくなくは……って、それだと話が違ってくる……ような」

 来栖が赤面していく。
 あやめも赤面していく。
 とうとう、来栖が肩をいからせて、前のめりになりながら言った。

「す、好きにならないって言ったじゃないかよ!?」

「い、言いました!」

「絶対だって!」

「言いました! で、でもあの時とは、状況が全然異なっていて! 好感度がもうだいぶ違いますし! と、とりあえず離れましょう!」

 あやめが立ち上がった。
 来栖が、「なんで!?」と言って同じく立ち上がり、追いすがる。

「そ、傍に来ないでください! 離れてください!」

「だからなんでだよ!? 離れたらどうなるんだ!?」

 来栖がとっさに、今にも部屋から出ていきそうなあやめの左腕をとった。ごく軽く、握ったつもりだ。しかしあやめの体はびくりと震えて、来栖は慌てて手を放す。

 二人の体が静止した。
 至近距離で向き合う。
 さっき、ベッドに並んで寝そべっていた時よりも近くで。
 来栖の瞳にあやめが映り、あやめの瞳に来栖が映っている。

 あやめは、ああこの人は瞳の奥まできれいだな、目の色は黒いのにまるで澄んだ湖みたいに透き通っていると、まるで打ちのめされたように思った。
 来栖は、ただ顔の造作が整っているだけではない。煌々とした生命感があふれ、近くに立つだけで、人の胸を打つほど美しい。これは遠くから人形を見るように眺めているのでは味わうことのない、人間としての来栖との触れ合いが生む感覚に間違いなかった。
 打ちのめされるはずだ。きっともう、かなわない。
 光を放っていない状態でこれならば、至近距離で光られたらどうなってしまうのだろう。
 きっと自分など、ひとたまりもないのだろうと、あやめは思う。

「クルス、……今日も、とてもきれいですね……眼の中に、吸い込まれてしまいそうです。なんでそんなにきれいなんですか?」

「……お、おお? ありが、とう?」

「だから……私から離れないと、どうなるって……それは、」

「それは?」

 あやめが斜め下を見てうつむいた。ひときわ小さい声で、言う。

「……私に、好きになられますよ。今も、来栖がきれい過ぎて、この距離で向かい合っていると、歯の根が合わなくなりそうです。……これで平気でいろだなんて、無茶ですよ」

 少しの沈黙。
 なにかを言いたい。だが、なにを言っていいのか分からない。正解のない空間で、二人はそれぞれに逃げ出したくなる。
 それでも口を先に開いたのは、来栖だった。

「今でも、……絶対におれを好きにならないわけでは、……ない?」

「少なくとも……絶対では、なくなってしまいました……。特に、直接の接触は影響が大きいです。今、腕をつかまれた時、なにか、びりってなりました」

「そ……そうか。それは、まずいかな」

「は、はい。私たち、冷静にならないと。危ないですよ」

 危ない。
 なにが?
 彼らは知る由もないが、二人してまったく同じ疑問を頭に浮かべていた。

「と、とりあえず、私は今日はおいとましようと思います」

「そ、そっか。そういえばもう暗いし、家族いないし、おれの部屋でベッドの上って、やっぱりまずいよな」

「はい。あ、危ないです」

「それじゃ、駅まで送るよ」

「ありがとうございますっ」

 外に出ると、二人同時に、ほうと息をついた。
 十二月の冷えた空気の中で、吐息が大げさな白い綿を空中に作る。

 駅へは、あっという間に着いてしまった。来栖はわざと回り道をしたのだが、それでも、大した時間は稼げなかった。

「今日は、いきなり家に呼んだりしてごめんな」

「い、いえいえ。楽しかったです。私、休日にこんなにいろいろ起こることってほとんどないので。たいてい、一人でインドアですから」

「そっか」

「はい」

 会話が止まると、改札をくぐるしかなくなる。

「……それでは、また、学校で」

「ああ。……あの、あやめさ」

「はい?」

「おれたちって、今、危うい状態だよな?」

「そ、そう思います」

「だから、……少しだけ、だめかな」

 来栖が、よく見ていなければそうと分からないくらい小さく、両手を横に開いた。
 なにがどう「だから」なのかは、来栖にも分からなかった。もちろん、あやめにも。しかし、確かにそこには順接が存在している。
 週末の中途半端な時間で、人通りはまばらだった。

「す……少しだけなら、いいかもしれません。少しですもんね」

「ああ。ほんの、少し……」

 許しを得て、来栖が半歩踏み出すと、あやめが一歩踏み込んできた。
 二人の体が重なった。
 そのまま強く抱きしめてしまいたいのを、来栖は、なんとか我慢する。
 冬服同士のため、体温は伝わって来ない。
 だが、ほかのどんなものとも違う特別な感覚が、しびれるように二人の体に伝わってきた。

 同じ体勢を、来栖と美乃梨が作ってもこうはならないだろう。同じように、あやめと静二がこうしても。
 だからこそ危ないのだな、と二人は実感した。

 来栖は胸中でひとりごちる。
 本当に、あやめの言うとおりだ。
 おれたちは――少なくとも今のおれは、とても危ない。
 このくらいの接触は、いやそれ以上だって、これまでに何度か積極的な女子としてきた。というより、されてきた。
 だが、それとは全然違う。
 こんなのは知らない。
服越しの温もりは伝わっていないはずのに、温かい。頭の中は、そして胸の奥は、その何倍も熱い。

 時間にしてどのくらいそうしていたのかは、二人にはまるで分からなかった。
 ここは来栖の地元で、伝説の美形として今も近くの中学では語り継がれているので、いつ知り合いに見られるか、分かったものではない。
 それでも構わなかった。
 こんなにも危険な感覚に、今溺れないなんて考えられなかった。

 来栖のすぐ眼下に、あやめの、あまり丁寧に切りそろえられていない髪を湛えた頭がある。

「……おれをきれいだと言ったな? それはなんでかと。なら、どうしてあやめはこんなにかわいいんだ?」

 そう言いながら、来栖が広げた腕を少しだけ中心に向けて閉じると、びく、とまたあやめが震えた。
 そしてごく小さな声で、なにか言った気がする。
 来栖にはほぼ聞き取れなかったが、最初のあたりは「どうしてって」で、最後のあたりは「いけません」だったように思う。

 どうしていけないんだっけな……
 真っ赤な耳を見下ろしながら、来栖は、ようやくじわりと感じられてきたあやめの体温に、なけなしの思考を奪われていった。
 溺れるとは言いえて妙だ、と思った。


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