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第28話 第七章 シバカタロウ 2
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アルバイト先の本屋は、八時に閉店する。店長が毎日施錠する事務所のドアを、綾花が合鍵で開けた。
俺達は安っぽいスツールに並んで座り、俺は事務所の真ん中のテーブルに肘をついた。
「他の人はね、……私の周りの人達は……」
「……ああ」
「他の店員さん達も、配送のトラックの人達も、お店に関わってる人達は大抵私の癌のことは知ってるの。それまでは結構、女の私をからかったりする人も多かったんだけど、手術が終わってからはぱったり無くなった。そりゃそうだよね。気を遣ってくれてるんだけど、やっぱり不自然に感じちゃう。そんなの私が、……悪いんだけど」
悪かないと思いますけど、と俺は口の中でつぶやいた。
「手術の後、私、自分が女じゃなくなったように感じたの。それまでは、セクハラじゃないんですかって言いたくなるようなことするおじさんとかも、そんなことしなくなって。それが私には、……自分が女扱いしてもらえなくなったことの象徴みたいに感じられて。変だよね、あの頃は、訴えてやるうなんて言ってたのに。本当に嫌だと思ってたのに」
変ではないと思うっす、と、また声には出せない。
「私がシバ君にべたべたしてたのは、シバ君がまだそのことを知らなかったからなの。分かってるのよ、私は今だって間違いなく女だし、子宮だけが女の全てじゃないって。でも……」
隣の綾花は、斜め下をじっと見つめて、俺とは全く目を合わせないまま、言った。
「今までごめんね、思わせ振りなことして。シバ君が、女の私に慌ててくれるのが嬉しかったの。あなたの前でだけは、……私はまだ、……女でいられたから。今日までは……」
俺は、相槌すら打てなかった。
共感なんて、しようが無い。綾花の苦悩は、俺にはきっと一生、その一片も理解してやれない。
「見たでしょ、さっき。結婚って言われた途端に、私ぐらついちゃって。そんなに結婚に執着する女、みっともないよね。私もそう思ってた、手術するまでは。先生のくせに、学校にいるのが、最近怖くなるの。女子達は皆、女としての体がどんどん出来上がって行く。皆、一人残らず子供が作れる。私以外は、全員が。あの子達皆にできることが、……私にだけは、できない。時々、たまらなくなるの……!」
二人で、しばらく黙った。空気が、一秒ごとに重くなっていく。その重さで、この人を潰させるわけにはいかなかった。ここに、俺がいるのに。
「綾花さん、数学の先生でしたよね。俺数字関係ぜんぜん駄目なんで、これから休憩時間とかバイト上がりとかに時間が合えば、勉強教えてくれないっすか。教わる人が先生なんて、最高ですし」
綾花は、目をぱちくりとさせて、一呼吸置いてから、言って来た。
「もしかして、……元気づけようとしてくれてるの」
「……一応。俺なりに、ですけど」
綾花が、小さい声で礼を言った。静かな夜が、静かなままに過ぎて行った。
俺達は安っぽいスツールに並んで座り、俺は事務所の真ん中のテーブルに肘をついた。
「他の人はね、……私の周りの人達は……」
「……ああ」
「他の店員さん達も、配送のトラックの人達も、お店に関わってる人達は大抵私の癌のことは知ってるの。それまでは結構、女の私をからかったりする人も多かったんだけど、手術が終わってからはぱったり無くなった。そりゃそうだよね。気を遣ってくれてるんだけど、やっぱり不自然に感じちゃう。そんなの私が、……悪いんだけど」
悪かないと思いますけど、と俺は口の中でつぶやいた。
「手術の後、私、自分が女じゃなくなったように感じたの。それまでは、セクハラじゃないんですかって言いたくなるようなことするおじさんとかも、そんなことしなくなって。それが私には、……自分が女扱いしてもらえなくなったことの象徴みたいに感じられて。変だよね、あの頃は、訴えてやるうなんて言ってたのに。本当に嫌だと思ってたのに」
変ではないと思うっす、と、また声には出せない。
「私がシバ君にべたべたしてたのは、シバ君がまだそのことを知らなかったからなの。分かってるのよ、私は今だって間違いなく女だし、子宮だけが女の全てじゃないって。でも……」
隣の綾花は、斜め下をじっと見つめて、俺とは全く目を合わせないまま、言った。
「今までごめんね、思わせ振りなことして。シバ君が、女の私に慌ててくれるのが嬉しかったの。あなたの前でだけは、……私はまだ、……女でいられたから。今日までは……」
俺は、相槌すら打てなかった。
共感なんて、しようが無い。綾花の苦悩は、俺にはきっと一生、その一片も理解してやれない。
「見たでしょ、さっき。結婚って言われた途端に、私ぐらついちゃって。そんなに結婚に執着する女、みっともないよね。私もそう思ってた、手術するまでは。先生のくせに、学校にいるのが、最近怖くなるの。女子達は皆、女としての体がどんどん出来上がって行く。皆、一人残らず子供が作れる。私以外は、全員が。あの子達皆にできることが、……私にだけは、できない。時々、たまらなくなるの……!」
二人で、しばらく黙った。空気が、一秒ごとに重くなっていく。その重さで、この人を潰させるわけにはいかなかった。ここに、俺がいるのに。
「綾花さん、数学の先生でしたよね。俺数字関係ぜんぜん駄目なんで、これから休憩時間とかバイト上がりとかに時間が合えば、勉強教えてくれないっすか。教わる人が先生なんて、最高ですし」
綾花は、目をぱちくりとさせて、一呼吸置いてから、言って来た。
「もしかして、……元気づけようとしてくれてるの」
「……一応。俺なりに、ですけど」
綾花が、小さい声で礼を言った。静かな夜が、静かなままに過ぎて行った。
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