泉界のアリア

佐宗

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第四部 至高の奥園

4 半身②

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「……だから私の監督責任についてはこのとおり謝るよ。だが……そのことと今私が話しているのは全く別の問題だ。あの子をこれまで堕落させ続けてきたお前のやり口が汚いと、私は云っているんだ。
 そんな関係を『絆』などという甘やかな言葉で括ろうとするな」

 痛烈な批判を浴びても、冥王は眉ひとつ動かさなかった。
 それどころか冥王は阿呆くさいと云いたげな目つきで天王の傍を離れ、一口つけただけの杯を片隅の小卓に置いた。
 振り返り、卓に尻を預ける形で凭れかかる。そして腕を組んだ。

 一筋の細い光が黒衣の上に降りかかり、闇の主に彩りを添えている。

「……まあ余が健全な父神でないことは認めよう。だが、貴様には所詮わかるまい。
 余とあれは、共に『異端の神』としてこの世で唯一の同族だ。支え合って生きてきた。あれの意思を無視していると貴様は勝手に思っているようだが、あれの意思は畢竟ひっきょう、余の方角しか向いておらぬぞ。
 余を呼ぶあの声を貴様も聞いたのだろう……。あの声色が、あれの希みの全てを表している。ありのままにな」

「自信たっぷりのようだが、それはお前が、そもそもナシェルに他の選択肢を与えていないからじゃないか」
「――ほう。選択肢?」

 セダルは殊更に繰り返し、眉を幽かに上げた。

「そう、選択肢だよ。お前はあの子の前に常に一枚のカードしか置いてあげていないように感じるね。
 その重厚な札にはただお前の名が深く刻み込まれているだけだ……あの子にはカードを選ぶ権利がない。思考するのをやめて、その札を義務的に習慣的に手にとり、時を経るごとに、持っていた『己』という札を一枚ずつ捨てていく。
 可哀想に……、あの子はそうしてお前に支配されつくしてきたのだ。
 ナシェルが本当はどの札を捨て、どんな札を得たいと感じているか、お前は考えてみたことがあるか?」
「………」
「セダル。お前は『神司を注ぐ』という行為を餌にして、あの子から自由な思考を奪い、ただ単に己の欲望を満たしてきたのだろう。
 ……たとえ『影の王』というその名の表わすとおり己の分身のような存在であっても、感情が別個である以上、あの子の尊厳を踏み躙る権利はお前にはないはずだ。
 見えない鎖であの子を縛ろうとするのはやめたまえ。ナシェルにも自分の生き方を自分で選ぶ権利はあるはずだ。お前はあの子がそれを知るより遙か前から束縛を開始して、そんな大事なことは全く教えていなかったのじゃないか!?」

 冥王は口を閉ざした。反論するのも馬鹿らしい。天王の語る内容はまたしても正論に満ちているが、それは所詮、その状況に置かれたことのない――本当の意味での孤独というものを味わったことのない、健常者・・・の云い分であろう。

 ――何も知らぬくせに知った風な口を叩くな。


 天王は続ける。

「……それに、そもそも交わらずとも、己の子に神司を受け継がせる方法は他にもあるだろう。そんなに焦って渡すものではない。あまり与えすぎると己の神格を下げることになる。お前の神格が下がれば三界の秩序そのものが崩れることになるぞ」
「生憎と、神司は有り余っておる。あれに施したぐらいで神格が下がるほどのことはない。――それにしても秩序秩序。貴様はそればかりだな」

 冥王は組んでいた腕を外し、鬱陶しげに、何か目に見えぬものを追い払うように振った。

「余は冥界のことだけで沢山だ。こうしている間にも地底からは妖魔が次々と湧いて出てきているのだぞ。対照的にこのぬくぬくとした場所で、さぞかし貴様には他の世界のことまで考える余裕もみなぎるのであろうよ。余と王子の間の事情にまで、口を差し挟めるぐらいだからな」

「話を、逸らすな。交わらずとも神司をナシェルに受け継がせる方法はあるだろう、と言っているんだよ。
 たとえばお前が――……たとえばの話だ。お前が創世界に転位すれば、残った司は自然と同属性の他の神にうつる。お前の場合、それはあの子しかいないじゃないか。
 つまりお前はおかしな小細工を弄さずとも、あの子に己の全てを受け継がせることができる。やりようによっては、記憶や経験さえも」

「余の経験したことなど――ましてや記憶など、あれに持ち越すつもりはない。……そんなものを受け継がせてどうするというのだ。あんな経験をするのは余ひとりで充分だ」

 冥王が経験したのは、千年にも及ぶかの地での壮絶な孤独だ。そしてそこで得たものといえば、すべての血悪の始まりといえる狂気――それだけだ。
 それに自分が転位して、ナシェルひとりが冥界に生き残るようなことがあっては本末転倒ではないか。

『異端のくらき神』としての宿命を背負わせて、世界にたったひとり、あれを遺していけるか。
 天の神々すべてを敵に回して――誰ひとり味方などおらぬこの世界に?


「は。分かった分かった――貴様の言うとおりだ」

 冥王は不意に、面倒臭げに全肯定してみせた。何をどう云っても自分の理論は、正反対の性格をした『秩序の神』レオンには通じるまい。また、魂の底から求め合い愛し合っているのだといくら説明したところで、信じてはもらえないだろう。
 そもそも天王の理解など得たいと思っているわけではない。――かつては……下天したはじめの頃は、それでもこの兄と、共在するべき方法はないかと模索したものだったが。

「すべて貴様の言う通りだ。逐一間違ってはおらぬ。
 確かに余は神司を餌にしてあれを支配し、欲望を満たした。だがそれはほんの最初の切欠にすぎぬ。今やナシェルは余の司を注いでやればやるほど悦ぶのだ、受容と供給が合致しているのだから問題などあるまい? 神格も上がる。一石二鳥ではないか。
 ……単純に己の欲望を満たすだけなら、魔族の女どもも、いるにはいる。だが半神半魔の子など成さぬように注意せねばならぬし、不自由なことこの上ないのでな」

 ことさら悪ぶってみせ、一瞬凄みのある笑みを浮かべたセダルだが、次に語り出したときにはもう笑いは消えていた。

「……己の生き方を決める権利だの自由だのと、貴様は抜かしているが、そもそも堕天した余にとてそんなものは与えられなかった。余がどんな想いで千年もの間、冥界を独り彷徨い歩いたと思う?
 ひとりの同族もおらぬかの地で、孤独のみを伴として」

「……孤独を味わった立場なら、己の子をどんな風に扱っても赦されるというのか? それはおかしいよ、セダル」
「――余に孤独を与えた貴様が、それを云うのか!」

 セダルの拳が、苛立たしげに卓を叩いた。

「光と闇。そもそも貴様と余は表裏一体であった。云わば互いに半身といってよい存在……。互いがあるからこそ魅き立つ。兄上よ、貴様は余の対称となるべきもの、本体となるべきもの、同時に魂の半分でもあった。
 それを喪って、余はかの地で1千年もの間、どのように生きるべきかを悩みぬいたのだぞ。……もっとも大半の刻は、狂ったまま過ごしたのだがな。

 そしてティアーナが顕われ、余に告げた。己の躯の半分をもがれて苦しんでいるのなら、新たなる半身を生もうと。
 それは光闇のような対となる半身ではなく、決して分かたれることのない、喪った躯の半分を埋める存在であるべきだと。ティアーナは余を狂気の澱みから引き上げようと、それを提案したのだ。……そしてあの子が生まれた。あれを得てはじめて、余は『貴様の影』という不完全な闇から脱却することができたといってもよい。

 ……つまりナシェルは、貴様という、余の欠けた部分を……魂の半分を補完するために生まれた半身なのだ。ただ単純な跡継ぎというだけではない。
 そしてあれも、そのことをちゃんと理解している。反発もしてきたが理解はしているのだ。だからこそ余に誓った。

 決して傍を離れぬと。あれ自身の意思でだ。
 あれは余の傍らにあることをこそ、希んでいる。

 ……ゆえにどんなそしりを受けようとも、それは余とあれを分つ障壁にはならぬ。

 これでももし貴様がまだ自由がどうの選択肢がどうのと抜かすなら、あれが目覚めるまで待つか? そして何を選択するのか、あれの口から直に貴様が聞いてみればよい。
 死の影の王シャフティエル――ナシェルは考え、躊躇いながらも己の意志で何かを選びとるであろう。
 余の存在があれの選択に悪影響だというなら余を交えずにそれを行えばよい。

 だがな兄上よ。
 あまたの取り札を置いてやったとしても――あれにどれだけ選択の自由を与えてやったとしても」

  冥王の紅玉の瞳が、半身の眠る部屋の方に向けられる。優美な白い顎を持ち上げて隣室を示しながら、冥王は断言した。

「あれは間違いなく、余の名の書かれた札を選びとる。――絶対にだ・・・・



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