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第四部 至高の奥園
8 決意と別れ③
しおりを挟む壁を隔てて隣の室で昏睡しているナシェルを案じてか、王女の瞳は潤んで揺れていた。命を司る女神であるルゥだからこそナシェルの容態を最も正確に察知し、危惧しているのだろう。
「この二柱には、結局お互いしかいないのよ。
――そして兄さまの状態を考えたら、すぐあちら側に連れて帰らなくてはいけないと思うの。
このままじゃ、神の死病にかかってしまいそう。
ね、おじさま、だからお願い。ここはルゥに免じて引いてちょうだい。
『冥界に報復が必要』だという他の神さまたちが、私たちを帰してしまうことを許さないのなら、ルゥが、ここに残りますから」
必死の面持ちで見上げてくる王女と、冷ややかな表情の冥王に見つめられ、レオンはたじろぐ。
「……ちょっと待て。これじゃ逆に、まるで私が悪者みたいじゃないか」
「だっておじさま。ルゥたちをこのまま返しちゃうと、他の神さまたちにまた何を言われるかわからないんでしょう」
「それはそうだが……小さなキミを人質に取ろうとか、キミたちを易々と冥界に帰すわけにいかないとか、そんなことはこれっぽちも考えてないよ」
「じゃあ、綺麗さっぱり帰してくれるのね?」
うるうるした瞳で見上げられ、レオンは異論を挟む余地がない。
やや気圧されぎみに頷いた。
「……分かったよルゥ。君に免じてここは私も引き下がろう。冥王が『とんでもない悪神』だという認識は未だ改めることはできないが、少なくともこちら側の世界がナシェルにとって苦痛でしかないのは、確かなようだから。分かり合えるまでとことん話し合う時間も、どうやらないようだし」
「ありがとう、おじさま、あきらめてくれて。父さまと分かり合おうなんて思わない方がいいわ。あなたの常識は父さまの常識じゃないんだから。父さまが常識通じる相手だったらそもそもこういう状況になってないわ。
…あなたのお説教は結局、あなたの価値観を父さまに押し付けているにすぎないの」
王女は微笑みつつ、ざくりとレオンの世話焼き心を両断する。
失笑ぎみに兄に皮肉を云おうと口を開きかけた冥王に対しても、ルゥはぎろりと容赦ない視線を送って黙らせる。
そうして双子王をそれぞれ怯ませておいてから、幼い姿をした女神は掌をひろげ、一件落着とでもいうようにパチンと手を打ちあわせた。
「よかった。ひとまず話がひとつ片付いたわ……」
「……」
「……」
未だ憮然とした面持ちで睨み合う双子王の間で、場の雰囲気をとりもつようにルゥが声を上げた。
「あ、それから父さま。兄さまのことで頭が一杯で忘れちゃってると思うけど、父さまは、もうひとり連れて帰らなきゃいけないのよ」
「――忘れてなどおらぬよ。これからそれも話し合わねばならぬと思っていた所。……まさかそれももう、話がついているのか?」
冥王の問いに王女は微笑んで頷き、戸口の方を振り返って声掛けした。
外から様子を窺っていたらしいサリエルが、遠慮がちに、恐々と入ってくる。
ほっそりした肩に淡紫の肩掛けを羽織り、心もとなげな表情ではあるが、それでも随分歩調はしっかりとしていた。体調はいいのだろう。
「冥王陛下……」
その厳めしい姿を前に、サリエルの表情は蒼白だった。
「なんと、――なんとお詫びを申し上げたらいいのか――…私が地上界に出たことで……殿下や姫様まで巻き込んでしまって……」
みるみる涙を溜めはじめる瞳。十歩ほどの距離を置き、サリエルはそれ以上間を詰めることができずに立ち竦んでしまう。
冥王の方が、すっと音もなく彼に近づいた。畏怖と自責に震え、貌を上げることができずに項垂れるサリエルの肩に手を置く。
王はその手をやがてサリエルの顎に添え、ついと軽く持ち上げた。
「……!」
一瞬凍りついた室内に、冥王の静かな声が響いた。
「帰り支度はできておるのか」
「……陛下……」
すでに許されているのだと分かり、はらはらと滂沱の涙を流し始めたサリエル。
「私も……ついて行ってよろしいのですか……?」
「無論だよ。―――天王とは、ちゃんと別れを済ませたか?」
サリエルは涙目でちらとレオンを見遣り、静かに頷いた。
「はい――陛下。すでにレオン様のお許しを得ております。自由に生きて行きなさいと。
私の想いは、貴方様の世界に……。ヴァニオンさまの元に」
「ふむ。成程な……」
「――おい、なんだセダル。その目は」
冥王に見透かすような眼差しを送られ、天王は歯噛みする。
「……何だか二回も振られた気がする……面白くない展開だ……」
「おじさま、かわいそう……」
「余計なことは言わなくていいんだよ。…きみのどこがセファニアだ? 全然性格が違うじゃないか」
「あらおじさま。ルゥはルゥだって言ってるでしょ」
「……まあいい。これ以上天王宮を封鎖したままにしておくと、騒ぎが大きくなりかねない。用事が済んだのならさっさとナシェルを連れて仲良く帰ってしまえ。二度とこの地に来るんじゃないぞ、この異端神ども!」
天王は彼らしからぬ憎まれ口を叩き、この場にサジを投げた。
一触即発の事態に割って入り、鮮やかな収拾をつけてみせた王女は、静かに微笑んでいた。
ひとりでヤケ酒でもするつもりなのか、少々立腹気味に部屋を出て行きかける天王に、冥王が最後に声をかける。
「あぁ。……待て、兄上よ」
「何だ?! まだ何かあるのか!」
「……よう考えたら帰りの馬が足らぬ……。帰りのことを完全に失念していた。中庭に繋いであるやつの中から一頭貸しておいてくれ」
「――勝手に乗って行け! お前、返す気があるのか? ありがたいことだな!」
「父さま、相当あわてて乗り込んで来たのね……」
このやりとりに、サリエルが涙を流しながらも思わず軽く吹き出した。
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