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番外編
かけがえのない日々⑤
しおりを挟むナシェルは瞬きを繰り返して王を見つめ返した。王の言葉は少し意外に聞こえた。
けれど無理もない。ふたりはかけがえのない互いの半身であるよりも以前に父と子であり、王は愛するナシェルに、自分の消滅した後の世界を託さねばならないのだ。
いつまでも共に在りたいと思う心と同時に、『己を越えて歩んで欲しい』という想いもまた、本心なのだろう。
ナシェルは王に凭れたまま、その流れる黒髪のふさを指で梳く。
群青色の瞳に敬慕を込めた。
「……私の過去も、このさき辿るべき未来も、すべて貴方が私のために造り上げてきた道。貴方が足元を照らして下さっていたおかげで私は今こうして居られるということが、ようやく認識できるようになったのですよ。私が貴方を越えるなんて、まだまだ到底、考えもつきません。ましてや、貴方に背を向けて歩むなんて――」
「今はね。だがいずれはそなたがこの泉界を統べねばならぬ」
「ルゥと共に、でしょう。分かってる――分かってるからこそ、どうか今は私に、貴方の傍にいる喜びを感じさせて。
それに、これからだって、貴方が傍らにいて下さらなければ、向かう先には何も楽しいことなど有りはしません。だから、ね……」
成長期に繰り広げてきた、王との攻防の歴史が思い出される。『父は狂ってる』と決めてかかっていたから、時にはその愛を疑問視したり、神司で縛られることへの憎しみで気が触れそうになったこともあった。知っている限りの暴悪な言葉で彼を罵ったことさえある。
だが王は泰然と、一貫して遥かな未来を見つめナシェルを導き続けてきた。
誰よりも重い孤独と痛みを抱えてきたというのに、ナシェルに向けられる眼差しはいつも本当に情熱的で甘美で、優しい。
――逆を言えばこんなにも強く凛々しく、蕩かすような愛に満ち溢れているというのに、それに比して王の辿ってきた運命は、なんと苛酷であったのだろう。
(――貴方は私を絶え間ない不断の愛で包み、愚かな私の行いを許し、
『そなたの存在だけがこの世に生きる糧』だと言ってくれる。
そなたはかけがえのない宝物なのだと、繰り返し言い聞かせてくれる。
私のようなろくでなしの神も、貴方にとっては宝物なのだと、信じさせてくれる)
ずっと長い間、受け止めることを、愛を返すことを躊躇っていたけれど、今のナシェルはもう自分に嘘をつくのはやめたのだ。
ナシェルは王に凭れかかったまま、王の手の甲にそっと頬を寄せる。
肌と肌を触れ合わせるたびに、愛しい気持ちが満ち溢れてくる。
「…貴方に寄り添って生きさせて。ずっと素直になれなくて余所を向いていた分を、取り戻したいのです。苦悩があれば分かち合って共に乗り越えたいし、考えをもっと共有したいし、父上が疲れておられるときは神司を分けて差しあげたい。
貴方を孤独にしないために母は、私を貴方へと遺していったのに、私は、ずっと貴方に背を向けて――ずいぶん酷いこともしてきました。自由が欲しいと駄々をこねたり、貴方を罵ったり。貴方は私をずっと、悲しみや痛みから守ろうとして下さっていたのに……。
だから、ね。父上がなんといおうと、これからは私が貴方のそばにいて差し上げたいのです。
もちろん現実には、たまにこうして領地から帰って来ることぐらいしかできないけれど……。心は、いつでも傍らにおります。我が主」
「ナシェル……そなたから、そんな言葉を聞く日が来ようとはね」
王の紅の瞳が、波を湛えたように揺らいでいる。
「こんなの何遍でも言いますよ――愛しています。これまでだって、ずっとそうだった。そしてこれからも。ね、覚えてて――たとえ喧嘩したって、愛してる」
「……信じていいのかな? そなたはずっと、即物主義で嘘つきだったからね」
「信じて。もう前の私とは違う。嘘をつくのはやめにしたんです。――まぁ即物主義は、そんなに以前と変わらないですが……」
ナシェルは首をかしげてみせ、父のしなやかな体の凹凸にそっと、指を這わせた。
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