泉界のアリア

佐宗

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番外編

かけがえのない日々⑪

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 将校と思しき騎士が直立し、申告した。
「ナシェル殿下! 報告いたします。冥王陛下のお部屋に毒牙を持つ妖虎がいるやもしれないので把握せよと魔獣軍団長ヴァレフォール公閣下の命令を受け確認しに参ったのでありますが、お部屋の扉が開いており、中に生物の気配はありません!
 そこで内殿一帯を封鎖しこれより逃げた魔物の探査に入ります。妖虎は毒牙・毒爪を持っており危険ですので殿下もどうぞこちらにてお待ち頂きたく存じます。お許しが頂け次第、陛下のお部屋の中を再度くまなく調べますが、肝心の冥王陛下のご所在が分からず、上長の指示を待っているところであります!」

「おお……それは……」

 なんだか父上がとっさについた嘘のせいで、大ごとに発展している……。

 事態を認識したナシェルは一瞬、本を持たないほうの手で頭を抱えそうになったが思いとどまり、手のひらで額を押さえた。おそらく軍務卿ジェニウスが、魔獣界の生物に博識なヴァレフォール公に「陛下が部屋で飼い始めた猫は妖虎の仔かもしれんヽヽヽヽヽ」と相談したのだと思われるが、そこからとんだ尾ひれがついてしまったようだ。
 しかも自分たち父子は、部屋の扉をきちんと閉めないまま書庫に出かけたらしいが、そんなことはいちいち覚えていない。

 ……『妖虎などいるものか、あれはジェニウスを帰らせようとした父上の冗談だ』と否定したら否定したで、しばらく事情聴取で牛ツノ公爵に捕まるかもしれないし、どちらにせよ父が場を収束させないかぎり一通り探索は実行されるだろう。
 ナシェルは出かかった真実を口中へ呑み込んだ。申し訳ないが、ここは黙っておこう……。

「……ご苦労なことだな。私はこれから暗黒界に帰るので、ここへは佩剣を取りに来ただけなんだが……」
「は、畏まりました。第一小隊! 王子殿下を厩舎まで護衛せよ、凶悪な妖魔が潜んでいる可能性がある、周辺警備には万全を期せ!」
「いや……私なら大丈夫だ……とりあえず部屋に入らせてくれ」

 にじり下がる兵たちの間を縫って父の部屋に入ると、戸口でビクついていた彼らが「殿下」「お気をつけて」とざわめいた。部屋のどこかにまだ妖虎が潜んでいるかもしれないと思っているらしい。「うな゛ぁ゛ぁお゛お゛お…」と例の声真似をしてみせたくてうずうずしたが、辛うじてこらえる。

 ナシェルは父の寝室で佩剣エイルニルを腰に差した。天蓋つきの寝台の隅からはみ出していたバスローブや二人分の衣装の類を見つけ、王との悦びのひとときを想い出してひとり恥じ入り、それらをシーツの合間に埋めて隠した。


 護衛役を除いた兵らは恭しく退きおののいて、闇の王の御子ナシェルの、凛然としたうしろ姿――実際には、きまり悪くそそくさと立ち去っている――を見送った。





◇◇◇






「ええい、泣くな! 気色悪い!」

 ナシェルは吼えた。
 目の前では“毒の公爵”ファルクが地面にぬかづくようにして、焚火たきびの前でおいおいと号泣している。
 パチパチと火の粉をふきあげ猛烈な勢いで燃えているのは、例の、ナシェルを描いた夥しい量のデッサンと肖像画類だ。

「ぬぉぁああーー私の家宝がぁぁ―ー!!」
「どちらにしろ父上に没収され燃やされるのだぞ! ならば問題性の高い絵だけでも今のうちに処分おいたほうが得策ではないか。馬鹿正直につつみ隠さず全て見せたら……貴様どうなると思う? たぶん削ぎ切りにされるぐらいでは済まぬぞ」

 無表情に『証拠隠滅』を正当化するナシェルの頬を、ゆらゆらと橙色の焔が照らす。

(せっかくここまで生き延びた命だ。ここへ来て処刑も忍びないので助けてやろうとしているのに当の貴様が号泣してどうする……)
「私とて仕置きを回避するために、できることは全てせねばならん……」
「ナシェル……保身に走った心の声が口をついて出ちゃってるよ……」
 乳兄弟が背後からツッコミを入れてくる。




 ――あれから数日後。

 いったん暗黒界へ戻ったナシェルは、休む間もなく乳兄弟のヴァニオン卿を連れて、腐樹界の領主・ファルクの城館へとやってきた。

 冥王の使者が絵画類一切を没収しに来るまでに、(父を激怒させる危険性のある)際どい作品がないか一度確認しておこうと思ったわけだが。

 上から数枚確認してすぐに
「そうだ、たき火をしよう」と決めた。





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