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第三章 蝶の行方
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名も知れぬ数々の窟門を抜け、二頭の翼ある黒馬は冥界の宙を翔ける。
翼は鋭利な刃と化し、垂れこめる瘴気の雲を断ち切りつつ空を滑る。
二頭の黒天馬はそれぞれ名を幻嶺、炎醒といって彼らの愛馬だ。
暗黒界の暴風を跨ぎ越して華麗に疾駆する騎影は、地表から仰ぎ見る者にはさながら黒い稲光のように映るだろう。見えたとしてもあまりに一瞬のことすぎて、それに跨る者の顔までは、視認できないに違いない。
死の精や闇の精たちが、ナシェルの黒天馬のあとをふわふわとついてくる。
ナシェルは精霊たちの群れが大軍にならないよう適度に、彼らを配下から切り離しながら騎行する。それでも彼らはこのような辺境で主神と思いがけず出くわしたことが嬉しいのか、こぞってナシェルのあとをついて来たがり、幻嶺が速度を上げるとその尻尾に次々としがみついて、幻嶺の尾は団子のようになってしまった。
「――お前たち、また今度遊んでやるから」
ナシェルのつれない言葉に享楽的な死の精たちは唇を尖らせる。心配性の闇の精たちは、王子神が何処へ向かうのかが気になるようだ。
それでも指先に接吻を許してやると、彼らは闇神の愛し子に熱烈な愛を示してからようやく追従をあきらめ、後方へ遠ざかって行った。
幻嶺の手綱を引いて速度を落とし、ナシェルは風にはためく黒髪をかきやる。眇めた双眸のはるか先には、未だ建設途上の『エレボス城』があった。
外壁はおおかた出来上がり、覆いはすでに取り払われていた。宙の昏黒を背景に、四方に聳える四つの尖塔は優雅なチェスの駒のよう……、城壁の灰色の石組はまるで天然の迷路のように緻密で、美しい。
冥王が贅を尽くして我が子に贈る壮麗な『檻』。
言い換えればそれが、エレボス城の正体であった。
―――あの城に私が住むようになったら。
父上との忌まわしい関係も、新たな局面を迎えることができるのだろうか。
それは、まだ分からない……。父上の考えは私には分からないことだらけだ……。
完成間近の城をしばし遠目に眺めたあと、ナシェルはふたたび幻嶺の腹を蹴って手綱を緩めた。馬は翼を傾けて、疾駆の姿勢にうつる。
少し先を行くヴァニオンは左手のエレボス城には一瞥もくれずに、果てしない洞窟世界の闇のかなたを、ただ苛烈なほど見つめていた。
――どこまで往くつもりなのだろう? この先にあるのは冥界軍の守備する砦が三つと、『最果ての河』だけなのに。
「ナシェル! 速度を上げようぜ、砦を通り越すところを見つかると厄介だ」
ヴァニオンは不意に振り返りそう声を張った。砦の守備隊の連中に視認されないようにするということは、三途の河まで行くということらしい。
酔狂なことだ。そこには彼らの世界の“果て”が横たわっているだけで、他に興趣をそそるようなものは、なにもないのに――。
けれどもナシェルは、頷いて速度を上げた。正直行く先などどこでもいい。
ただヴァニオンと二人こうして轡を並べる時間が、長く続けばいいと思っただけで……。
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