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第三章 蝶の行方
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不毛と分かっているのに、そろそろ潮時だという言葉を、互いに云いだせずに旅を続ける。
彼らは長命の種族である。冥王がすぐさま追っ手を差し向けてこないのは、常世の国に暮す者特有の緩やかな時間の流れ方がそこにあるからか。
それともナシェルが必ず自分の腕の中に還ってくるという揺るぎない自信があるからなのか……。
恐らくは、その両方かもしれない。
どちらにせよ神族は三界に於ける最上級種族であり、また人間界には、冥界に棲むような獰猛な魔物も存在しないことから基本、命の危険などあるはずがないわけで、追っ手の気配が見えぬのはそうした理由からと思われた。
だがナシェルは、そうした状況にすら時折、父の思惟を感じずにはいられなくなってきた。
いつ、その馬鹿げた現実逃避を終えて、余の元へ戻るつもりなのか?
耳の奥では低い声が度々、そう語りかけてくるのだった。
ナシェルはそろそろ本当に引き返すべきだと思いはじめた。
痺れを切らした父が迎えを寄越す前に帰還した方が良い、というのも理由のひとつである。
何よりも大きかったのは、地上界の陽光が、闇の属性にある二人には少なからず酷であったことだ。
真昼の陽光を浴びると神司が徐々に弱まってゆくのを、彼は感じていた。
***
そんなある日の夕刻。
二人は街外れの小さな宿に辿り着いた。
陽光に体力を奪われることに気付いた二人は、これまで夜の間に街から街へと移動を重ねてきたのだが、その夜は砂漠の真ん中で悪天候に見舞われて馬が立ち往生し、夜明けまでに次の街に着くことができなかったのだ。
夜の嵐の過ぎ去ったのちに砂漠に訪れたのは、焦げ付くような光差す晴天の朝だった。外套を巻いて日差しを避けたけれども、やはり手や顔に多少の光を浴びてしまった。
普段光を浴びることはない二人の肌は、時間が経ってもまだちりちりと傷んでいた。ヴァニオンはありったけの手持ちの上着をナシェルの頭から被せて彼を光から護ったのだが、それでも万全には至らなかったようだ。
ナシェルは宿屋に着いて落ち着くと、赤くなった手首の皮膚をさすって膨れ面をしてみせた。けれどヴァニオンの肌のほうがよほど赤く腫れあがっていることに気づくと拗ねるのをやめ、布巾を水に濡らして持って来、ヴァニオンの手の甲に押しあてた。
「だいたい出立する前にきちんと天候を確認しておかなかったお前が悪い」
ナシェルはぶつくさ言いながらも、ヴァニオンの手をいつまでも布巾越しに握っていた。
ヴァニオンは微笑った。彼らの乗るのは冥界の宙を翔ける黒天馬である。天候悪化の際にはその大翼で、天空を舞って雨雲の上へ出れば良いと思っていたのだ。実際そのようにして天上界のそばまで彼は行ったことがある。
しかしそれが出来ずに立ち往生したのは、ナシェルの幻嶺が、叩きつけるような雨にずぶ濡れになったことで主よろしく臍を曲げたからだった。
ナシェルもそれは分かっているはずで、ことさら柄にもなく、甲斐甲斐しくヴァニオンの世話を焼くのはその詫びの気持ちからなのだろう。
そうした王子の素直でない所が、どうしようもなく可愛らしく思われ、ヴァニオンの口元はつい綻ぶ。
至近距離でじっと見つめられていることに気づくとナシェルは頬を赤らめて慌てて立ち上がり、
「先に湯を使うぞ」
と云って逃げるように客室の奥へ消えた。
やがて木戸の向こうからは小さな水音が聞こえ始めた。
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