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第三章 蝶の行方
15
ヴァニオンは寝台の上に仰き、親友に対するやるせない想いを抱えたまま悶々と、この恋情を刻が鎮めてくれるのを待った。だが刻は無情にも、何の解決も示してはくれない。
親友……そう、二人は親友だ。それ以上の関係になりかけたこともあったが、ナシェルのほうがそれを拒絶し、父王の囲いの中に生きることを決意したのではなかったか?
……俺たちはなにを未練がましく、つらつらと互いに終わった愛を回顧しているのだろう?
幽けき水音は、その清めを受ける者の典雅な裸体を彼に嫌でも想像させる。
肌理の細かい、大理石のような白肌。
仰向いたナシェルの首筋に水滴が弾けて流れ落ちる様。
鎖骨の艶かしい窪み。
腰から下の見事な曲線……。
ヴァニオンは耳を塞ぎたいような気持で寝返りをうち、頭によぎったものを何とか打ち払おうと努めた。
しかし、水音はいつまでも終わらない。
髪を洗うにしても、いつもより時間が掛かりすぎているようだ。
不意に不安に襲われ、ヴァニオンは立ち上がって木戸の前に立った。
「おい、大丈夫か、ナシェル……いつまで掛かって…」
声をかけるなり、水音は止んだ。
突如がちゃりと扉が開いて、濡れたままのナシェルが不意にヴァニオンの腕の中に倒れ込むように、身を寄せてきた。
慌てて抱き止める。
腕の中で、ナシェルは下を向き顎から水を滴らせていた。
「いきなり、どうしたんだよ」
吃驚して上向かせると、火照ったナシェルの頬に、とめどなく流れ落ちる小さな雫がある。
はっとした。
一度ヴァニオンに別れを宣告した時でさえ、涙は見せなかったナシェルである。
今さら、何を泣く、と息を詰めているヴァニオンに対して、ナシェルが発したのは思いもよらない言葉だった。
「私を抱け、ヴァニオン」
まるで、そうすることでこの刹那の苦しさから逃れられるならばというかのように。
胸に詰まった何かをかなぐり捨てるような叫びだった。
「抱け。そうしたいのだろう。だから私を連れてきたのだろう!」
「……」
まだ未練があったことは確かだ。しかし、そんなはっきりとした理由のためにナシェルを連れ出したわけではない。
ただ、父王との関係に鬱屈するナシェルを見るのが耐え難かったからだ。
……けれど。心のどこかでこうした状況を待ち望んでいたには違いなく。
深い部分にそうした下心があったからこそ、そもそも自分は冥王の目の届かない所へナシェルを誘ったのかもしれない。
ナシェルは最初からそれに気づいていた。そしてずっとそうされるのを待っていた……。
抱いてくれ、というのではなく。
命令口調に秘められた彼の激情と、傷つくすれすれまですり減った自尊心とを、悟る。
「……何のために?」
ヴァニオンは昂りを抑えながら問う。胸の奥に、ついに王子が先に音を上げたという歓喜が灯るのと同時に、その片隅には、自分が堪えなければという自制心があった。
「最後に一度だけ…」
濡れた睫毛を戦慄かせて、ナシェルは溜息のような呟きを零す。
「……それで全て終いにしよう。これを最後に、お前は私を諦める。そして私はお前を、」
ナシェルは躊躇いがちにヴァニオンの首に両腕を廻してきた。
「誘惑するのやめる……」
「誘惑してるっていう自覚は、あるんだな」
ヴァニオンはナシェルの濡れた頭髪に唇を寄せ、少し嗤い、そして眉を顰める。
「お前、ずるいよ」
そして王子の、水滴を滴らせるなめらかな腰を、指でなぞりあげた。
「そんな風に泣いて縋りつかれたら、俺が拒絶できるはずないの分かってるだろう? お前の考えてることぐらい、俺には分かる」
寝台の上に放ってあった布巾で、ナシェルの黒髪を包んだ。
陥落した王子を従順にさせるのは簡単だ。ヴァニオンはナシェルの頤を掴んで軽く唇を寄せてから、
「……最後にもう一度だけ抱いてくれって、どうして素直に云えないんだお前は? ん、」
優しく諭されて、ナシェルは云われたとおりにぼそぼそと哀願した。
若い二人がこの葛藤に彩られた旅を終わらせるためには、何かの転機が必要だった。
そしてそれは、ここに存在する激しい愛に、この辺りでけりをつけること以外にない。
二人とも、そう感じていた。
親友……そう、二人は親友だ。それ以上の関係になりかけたこともあったが、ナシェルのほうがそれを拒絶し、父王の囲いの中に生きることを決意したのではなかったか?
……俺たちはなにを未練がましく、つらつらと互いに終わった愛を回顧しているのだろう?
幽けき水音は、その清めを受ける者の典雅な裸体を彼に嫌でも想像させる。
肌理の細かい、大理石のような白肌。
仰向いたナシェルの首筋に水滴が弾けて流れ落ちる様。
鎖骨の艶かしい窪み。
腰から下の見事な曲線……。
ヴァニオンは耳を塞ぎたいような気持で寝返りをうち、頭によぎったものを何とか打ち払おうと努めた。
しかし、水音はいつまでも終わらない。
髪を洗うにしても、いつもより時間が掛かりすぎているようだ。
不意に不安に襲われ、ヴァニオンは立ち上がって木戸の前に立った。
「おい、大丈夫か、ナシェル……いつまで掛かって…」
声をかけるなり、水音は止んだ。
突如がちゃりと扉が開いて、濡れたままのナシェルが不意にヴァニオンの腕の中に倒れ込むように、身を寄せてきた。
慌てて抱き止める。
腕の中で、ナシェルは下を向き顎から水を滴らせていた。
「いきなり、どうしたんだよ」
吃驚して上向かせると、火照ったナシェルの頬に、とめどなく流れ落ちる小さな雫がある。
はっとした。
一度ヴァニオンに別れを宣告した時でさえ、涙は見せなかったナシェルである。
今さら、何を泣く、と息を詰めているヴァニオンに対して、ナシェルが発したのは思いもよらない言葉だった。
「私を抱け、ヴァニオン」
まるで、そうすることでこの刹那の苦しさから逃れられるならばというかのように。
胸に詰まった何かをかなぐり捨てるような叫びだった。
「抱け。そうしたいのだろう。だから私を連れてきたのだろう!」
「……」
まだ未練があったことは確かだ。しかし、そんなはっきりとした理由のためにナシェルを連れ出したわけではない。
ただ、父王との関係に鬱屈するナシェルを見るのが耐え難かったからだ。
……けれど。心のどこかでこうした状況を待ち望んでいたには違いなく。
深い部分にそうした下心があったからこそ、そもそも自分は冥王の目の届かない所へナシェルを誘ったのかもしれない。
ナシェルは最初からそれに気づいていた。そしてずっとそうされるのを待っていた……。
抱いてくれ、というのではなく。
命令口調に秘められた彼の激情と、傷つくすれすれまですり減った自尊心とを、悟る。
「……何のために?」
ヴァニオンは昂りを抑えながら問う。胸の奥に、ついに王子が先に音を上げたという歓喜が灯るのと同時に、その片隅には、自分が堪えなければという自制心があった。
「最後に一度だけ…」
濡れた睫毛を戦慄かせて、ナシェルは溜息のような呟きを零す。
「……それで全て終いにしよう。これを最後に、お前は私を諦める。そして私はお前を、」
ナシェルは躊躇いがちにヴァニオンの首に両腕を廻してきた。
「誘惑するのやめる……」
「誘惑してるっていう自覚は、あるんだな」
ヴァニオンはナシェルの濡れた頭髪に唇を寄せ、少し嗤い、そして眉を顰める。
「お前、ずるいよ」
そして王子の、水滴を滴らせるなめらかな腰を、指でなぞりあげた。
「そんな風に泣いて縋りつかれたら、俺が拒絶できるはずないの分かってるだろう? お前の考えてることぐらい、俺には分かる」
寝台の上に放ってあった布巾で、ナシェルの黒髪を包んだ。
陥落した王子を従順にさせるのは簡単だ。ヴァニオンはナシェルの頤を掴んで軽く唇を寄せてから、
「……最後にもう一度だけ抱いてくれって、どうして素直に云えないんだお前は? ん、」
優しく諭されて、ナシェルは云われたとおりにぼそぼそと哀願した。
若い二人がこの葛藤に彩られた旅を終わらせるためには、何かの転機が必要だった。
そしてそれは、ここに存在する激しい愛に、この辺りでけりをつけること以外にない。
二人とも、そう感じていた。
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