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第三章 蝶の行方
22
そんなヴァニオンにも、懸念がないわけではない。
無論、冥王のことだ。
ナシェルとの以前までの浅からぬ仲について、これまで王から直々に咎めを受けたことは無い(というより、それを受けた時点で一巻の終わりだという気がする)
が、今回の件では、いよいよそれも覆されるのではないかと彼は危惧していた。
自分の命も、所詮王にとっては掌の上で簡単に捻り潰してしまえる程度の存在なのだ。
筆頭公爵家の跡取り息子として、王子の遊び友達として生かされてきただけの存在。いつでも、冥王は不要と判断した時に、――極端ないい方をすれば気が向いたときにでも、ヴァニオンを始末できるのだ。
それをしない冥王の懐の深さを、ヴァニオンはナシェルと同様に猜疑する。
王が、今回の件をうやむやのままに終わらせるとはとても思えなかった。
(何を考えているのか、さっぱり分かんねえ。ナシェルも『まだ呼び出しを食らってない』って不安がってたしな……)
後ろ向きに手すりに両肘と背を預け、回廊の天井の吊り燭台をぼうっと眺めていたヴァニオンは、そこでふと足音に気づいて視線を奔らせた。
大理の石柱の並ぶ廊下を、カツンカツンとよく響く靴音を鳴らして歩んでくる者がいる。
――幽かな、衣ずれの音を立てて。
全身が強張る。
当の冥王だ。
ヴァニオンは咄嗟に円柱の陰にでも潜もうかと思った。しかしもう隠れるには不自然なほどの距離に迫っていたため、やむなく片膝をついて拝跪した。
こちらに視線を遣ることもなく通り過ぎるかに見えた冥王であるが、やおら足を留め、声をかけてきた。
「ヴァニオン・ヴェルキウスか。久しいな……」
「……陛下」
冥王は目を細めた。宴の間で少し、飲酒してきたようにも見える。
「そなたは今日の叙勲式では見かけなかったな。ジェニウスの意向どおり黒翼騎士になるのだとばかり余は思っていたが……? ああそうか、たしか余の王子がそなたの叙任に関して横槍を入れたのであったな」
「………」
ついに来たかと緊張に身を固くするヴァニオンに、回廊の中央に立つ冥王は皮肉な言葉を投げる。
「下賜の剣を、そなたにも一振り授けてやりたいと余は思うていたのだがな」
ヴァニオンにはうまい返答も見つからない。
「立って楽に致せ、ヴァニオン・ヴェルキウス。そなたは、余から剣を受けたいと思わぬのか?」
「……無論、できるならばお受けしたく存じます。ですが俺は、軍務に縛られることなく王子殿下にお仕えしたいのです。我が父の云うままに軍籍に入っていれば、それは適いません」
「公人としてではなく私人として王子に仕えたいということか?」
「そうです。殿下も俺に、そうした役割を求めておられます。それは、俺以外にはできない役割ですから」
ヴァニオンははっきりと冥王を見つめて答えた。
冥王はそこでようやく横目でヴァニオンを見るのをやめ、向き直って彼と正面に相対した。毒々しい紅色の瞳を眇めて、冷え冷えした表情を作る。
「ヴァニオン・ヴェルキウス。そなたの口ぶりからすると、そなたの忠誠心は余の方向には向いておらず、ナシェルのみに向けられているように思われるな」
「そう聞こえますか。でしたらそう受け止めていただいても構いません」
無論、冥王のことだ。
ナシェルとの以前までの浅からぬ仲について、これまで王から直々に咎めを受けたことは無い(というより、それを受けた時点で一巻の終わりだという気がする)
が、今回の件では、いよいよそれも覆されるのではないかと彼は危惧していた。
自分の命も、所詮王にとっては掌の上で簡単に捻り潰してしまえる程度の存在なのだ。
筆頭公爵家の跡取り息子として、王子の遊び友達として生かされてきただけの存在。いつでも、冥王は不要と判断した時に、――極端ないい方をすれば気が向いたときにでも、ヴァニオンを始末できるのだ。
それをしない冥王の懐の深さを、ヴァニオンはナシェルと同様に猜疑する。
王が、今回の件をうやむやのままに終わらせるとはとても思えなかった。
(何を考えているのか、さっぱり分かんねえ。ナシェルも『まだ呼び出しを食らってない』って不安がってたしな……)
後ろ向きに手すりに両肘と背を預け、回廊の天井の吊り燭台をぼうっと眺めていたヴァニオンは、そこでふと足音に気づいて視線を奔らせた。
大理の石柱の並ぶ廊下を、カツンカツンとよく響く靴音を鳴らして歩んでくる者がいる。
――幽かな、衣ずれの音を立てて。
全身が強張る。
当の冥王だ。
ヴァニオンは咄嗟に円柱の陰にでも潜もうかと思った。しかしもう隠れるには不自然なほどの距離に迫っていたため、やむなく片膝をついて拝跪した。
こちらに視線を遣ることもなく通り過ぎるかに見えた冥王であるが、やおら足を留め、声をかけてきた。
「ヴァニオン・ヴェルキウスか。久しいな……」
「……陛下」
冥王は目を細めた。宴の間で少し、飲酒してきたようにも見える。
「そなたは今日の叙勲式では見かけなかったな。ジェニウスの意向どおり黒翼騎士になるのだとばかり余は思っていたが……? ああそうか、たしか余の王子がそなたの叙任に関して横槍を入れたのであったな」
「………」
ついに来たかと緊張に身を固くするヴァニオンに、回廊の中央に立つ冥王は皮肉な言葉を投げる。
「下賜の剣を、そなたにも一振り授けてやりたいと余は思うていたのだがな」
ヴァニオンにはうまい返答も見つからない。
「立って楽に致せ、ヴァニオン・ヴェルキウス。そなたは、余から剣を受けたいと思わぬのか?」
「……無論、できるならばお受けしたく存じます。ですが俺は、軍務に縛られることなく王子殿下にお仕えしたいのです。我が父の云うままに軍籍に入っていれば、それは適いません」
「公人としてではなく私人として王子に仕えたいということか?」
「そうです。殿下も俺に、そうした役割を求めておられます。それは、俺以外にはできない役割ですから」
ヴァニオンははっきりと冥王を見つめて答えた。
冥王はそこでようやく横目でヴァニオンを見るのをやめ、向き直って彼と正面に相対した。毒々しい紅色の瞳を眇めて、冷え冷えした表情を作る。
「ヴァニオン・ヴェルキウス。そなたの口ぶりからすると、そなたの忠誠心は余の方向には向いておらず、ナシェルのみに向けられているように思われるな」
「そう聞こえますか。でしたらそう受け止めていただいても構いません」
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