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第四章 明けぬ夜の寝物語
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しおりを挟む宮女たちの笑い声が弾けた。
――冥王宮の中層階。数多ある中庭のうちのひとつ。
そこでは今宵も何やら宴が催されている。
老若男女さまざま、その場に集う冥界貴族は数百名にも及ぶ。
談笑する者、呑み食いに精を出す者、莨をふかす者、楽を紡ぐ者、楽に合わせて踊る者、はたまた束の間の享楽を共にする相手を見つけて小部屋にそそくさと消えて行く者も。……各々、思い思いに宴を満喫しているようだ。
宴の主催者は、常に冥王であるとは限らない。
王宮は、それ自体が冥界貴族の社交場である。どの貴家もあまたある中庭のひとつを夜ごとに借り切って、さまざまな些細な理由で贅を凝らしたパーティを開くのだ。とにかく似たような階級の者同士で集まって退廃的な宵時を過ごすことが目的であるので、酒が入ると皆その日の宴の理由も、時には宴の主催者が誰であったかも忘れてしまうほど。
冥王は基本的に、家臣たちの催す宴などにいちいち関知してはいないが、気が向いた時には執務を早めに切り上げて、こうした場所に姿を見せることもあった。
そして、今宵の王はそうした気分なのであろう……、瑠璃色をした杯を揺らしつつ、冥界貴族らの談笑の輪の中心となっていた。
ナシェルはというと、対角線上にある、別の輪のなかにあった。こちらには若い貴族たちが集っている。彼はその中にあって、侍らせた女たちに酌をさせ葡萄酒などを飲んでいる。
表面上はあくまでも優雅で、穏やかだ。
女たちの向ける雑談などに優しい態度で応じる精神的余裕を見せつつも、杯をにぎる指だけは父王への苛立ちで白く固まっている。
彼は王と視線を合わせないようにしていた。
昨日の口論(というより王の一方的かつ暴虐的な仕打ち…)から一切言葉を交していない。昨夜は結局ヴァニオンの屋敷であのまま眠ったのだ。とある貴族の婚約披露会だからそこで呑み直そう、とヴァニオンに誘われて連れだされなければ、いまだに公爵邸の離れのベッドの中に潜り込んで冥王の形をした藁人形に釘を打ち込む夢でも見ていたかもしれない。
ナシェルと、ヴァニオン――彼らふたりにとって誤算だったのは、さして重要な社交場とも思えない今宵の宴に、なぜか件の冥王までもが姿を現したことだろう。
思いがけず王と鉢合わせしていることに気づいた乳兄弟はナシェルを気遣ってみせた。
「……顔合わすの嫌だろ。やっぱり帰るか?」と尋ねてきたがナシェルは応じなかった。
帰るどころかむしろ堂々と宮女たちを周囲に侍らせ、色と酒に耽溺するふりをしはじめた。
……しかしナシェルの周りで宮女たちがどれだけはしゃいだ声をあげようが、王はこちらに一瞥をもくれることはないのであった。
何をそれほど可笑しがることがあるのだろうか、公爵らの輪からはしきりに笑い声が聞こえてくる。聞かないふりをしていても、耳に入ってくる。
そしらぬ顔をして今、噴水脇の長椅子に腰掛けているナシェルは、宮女たちにきゃあきゃあと姦しく歓待されながら、王とは反対に、王のふるまいに神経を尖らせている自分に、気づいている。
聞くつもりはないのだと云いつつまさに「全身を耳にする」といった状態で、あちらの輪から起こる笑声に過敏になっているのだ。
ナシェルは視界に父王を入れないように腐心しつつ、胸の内では心眼(…というものが実在すればの話だが)を三白眼にして父王を睨んでいた。
――己の心境と行動の乖離や支離滅裂さは常日頃から重々承知している。結局ナシェルは父をいらいらさせたいが為だけに女を呼び集めているのだ。さきほどからまるで効果はなく、募るのは己の不快指数ばかりであったが。
周囲に侍る宮女らはほとんどが、上流の冥界貴族の息女たちだ。普段は没個性的なお仕着せを身にまとい、侍女などとして王宮のそこかしこに姿をみせる。――彼女ら魔族の娘たちにとって王宮内殿での侍女身分というものは、冥王の後宮に召されることと、地位ある貴族の『令夫人』になることに次いで、羨望を浴びる身分なのだという。
今宵は仲間の婚約祝いの場であるから彼女らも、お仕着せをドレスに着替えて着飾っている。…普段は『宮女』としてしか認識していないが、こうして見まわしてみると意外にそれぞれ顔に特徴というものがあったのだな……、どの女も面白い顔をしているものだ、などと口には出せない感想を彼女らに対して抱きつつ、ナシェルはまた杯を乾した。
「しかし女というやつは小煩いほどに賑やかだな、いつも宴となるとこういうものなのか」
ちょっとした隙に、噴水の縁に腰かけていたヴァニオンに耳打ちする。ヴァニオンは片眉を上げ、呆れの表情を作った。
「女たちのテンションが半端ないのは、王子様、お前さんが来てるからだっつうのよ。今日は特別」
……なるほど。
公式の晩餐を除き、こうした宴のたぐいには滅多と出席せぬ王子が、めずらしく今宵は姿を現し、しかも冥王と一定以上の距離を保ち、酒を飲んで防御もやや手薄である、となれば寄りつかぬ宮女は皆無であろう。
気がつけば左右のひじと両膝、それぞれに女が一人づつ巻きついていて胸のやわらかな感触があたっている。
「殿下、おぐしに触らせて下さいませ、」と女たちはせがんでナシェルの黒髪に触れ、次から次へと質問を浴びせ、
「酔った」と称して彼の腕にますますしなだれかかり、若鹿のような太腿にまで、さりげなく触れるのであった。
「もうこの際二、三人ぐらい見繕って部屋に持ち帰っちまえよ」
今宵は女がいっさい自分のほうへ寄って来ないので、ヴァニオンは鼻孔を膨らませている。さっさと女を選んで自室へ引き上げてくれれば、そのあと他の貴公子たちもおこぼれにあずかれるから、と、どうやらそういうことが云いたいらしい。
「持ち帰る?」
ナシェルにとってそれは斬新な発想であった。
これまで彼にとって、宮女たちなどは、廊下に置いてある彫像と同種のものだったからだ。
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