君を想う

朝海

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第十一章

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夏樹は海が見える田舎の街で暮らしていた。十代の若者が引っ越してきたと近所の者は警戒していたが、今は心配してちょくちょく顔を覗かせるようになっている。
 どうして、ここに来たのかという理由を聞く者は誰もいなかった。
 流れゆく日々の中で、食べ物を持ってきてくれて――。
 遊びに誘ってくれて、勉強を教えてくれて。
 お勧めされた本を読んでみて。
 その中で、時々海辺を歩いて。
 移ろいゆく景色を感じながら――。
 田舎で空気がおいしくて、夜は星空と月が綺麗なのが印象的で――。
 夏樹の心を落ち着かせてくれた。
 それに、ゆったりと過ごせるこの場所を夏樹は気に入っている。
(本当にここに来てよかった)
 夕日を見ている時――夏樹は歩いている足を止めた。身体の異変に気がついたからである。できれば、秋の薬の副反応であってほしい。
 解毒剤が効いていると信じたい。
 夏樹はそう思った。
 願っていた。
 だが、身体に出てきたのはボスの薬の副反応だった。繰り返し打たれた薬は、身体が覚えているらしい。やはり、ボスの呪縛から逃れることができなかった。
 逃げることは許さないと――。
 いつまでも、絡みついてくる。
 まとわりついてくる。
 それを、振り払う術はない。
 気持ちが高揚し――理性がくいつぶれそうになる。頭の中が真っ白になった。ゴホゴホと嫌な咳がでる。吐血をし――身体が震える。
 視界が揺らいでいく。
 久しぶりの発作だった。
 武器を持っていないことが、唯一の救いだろう。持っていたら、衝動的に使っていたかもしれない。
 人を殺していたかもしれなかった。
 意識が飛びながらも、必死に耐える。
 医院長か副医院長を呼んで来いという声が飛ぶ。電話をかけても通じない――インターホンを押しても出て来なかったことを、気にして入ってきたのだろう。比較的よく話す青年――水元輝の声だった。
 輝は身体を支え――声をかけ続ける。
 その声を遠くで聞きながら――。
 夏樹の意識はそこで途切れた。



 夏樹が目を覚ました時には、気がつけば緩和ホスピスのベッドに寝かされていた。意識を失う直前――身体を支えられたことまでは記憶にある。
 何とか、理性を保てたことに安堵しかなかった。
 いつも、海を見ている緩和ホスピスの委員長夫妻に助けられたことを、様子を見に来た看護師から聞くこととなる。帰る場所がないと夏樹が話せば、そのままの流れでここのホスピスに入ることになった。
 ここを居場所にすればいいと医院長夫妻は言ってくれたのである。
 夏樹はその言葉に甘えることにした。深くまで聞いてこない医院長夫妻に感謝しかなかった。
「――はい」
 夏樹は輝から渡されたジュースを受け取った。都会に疲れてこの土地に引っ越し――自然とホスピスを手伝うようになったという。
「ありがとうございます」
 夏樹はジュースを飲む。
 その甘さが身体に染み渡っていく。
 二人で桜の木の下に座った。
「俺でよければ、話を聞くけど?」
「僕は大切な人を裏切りました――その人たちから逃げてきました」
 ある場所に暗殺者の少年がいました。
 少年は与えられた任務をこなす日々が続いていました。
 そんなある時、少年は幼馴染の少女と従兄弟に再会します。
 再会は少年の心に、わずかな光を照らし出してくれました。
 暗闇から拾いあげようと手を伸ばしてくれました。
 しかし、少年はその手を握り返そうとはしませんでした。
 自分が人殺しだということを、気にしていたのです。
 そんな中、少年は幼馴染の少女から自分のことを覚えておきたいから抱いてほしいと頼まれます。
『あなたのことを覚えておきたいの。刻んでおきたいの』
 思いを聞いて――少年は少女を抱きます。
 少女を抱いたあと、少年は自分が生きていたという痕跡を全て消して、姿を隠してしまいます。
 その少年が今は、生きているのか――死んでいるのか、分からないままです。
 ただ、今、思うことは――その少年が笑顔でいられているかどうかを祈るのみです。
「僕も聞いた話ですけど」
「俺は逃げてもいいと思う」
「――え?」
 思わず、輝を見つめる。
「俺は逃げてもいいと思う。少年が弱いわけじゃないと思う。いつか、その場所に戻りたいと思う気持ちがあるのなら、逃げてもいい。それに、その少年はよく戦ったよ」
「その言葉を聞いたら、少年も喜ぶと思います」
「なぁ、夏樹。ここでなら、ゆっくりできるし肩の力を抜いてもいいと思う」
「僕は――」
「俺にとって夏樹は夏樹で、それ以下でもそれ以上でもない。何者でもないさ。それは、変らない」
「僕が人殺しだとしても?」
「もし、本当にそうだとしても、それをひっくるめて夏樹だと思う」
「なぜ、出会ったばかりの僕にそこまでできるのですか?」
「何だろう? 何か引き寄せられるものがあったのかもしれないな。そうでなければ、こうして会っていないと思う」
「こうして、会ったもの縁だと言いたいのですか?」
「そうかもしれませんね」
 少し離れた場所で輝を呼ぶ声がした。
「じゃあ、俺。行くわ」
 輝は歩き始めた。



(ああ――眠い)
 夏樹は輝と話している時から、眠気に襲われていた。身体が限界だと悲鳴をあげているのだろう。
 ここで、眠りに身を任せてしまえば、二度と現実には戻れない。
 直感でそう思った。
 夏樹にとってそれでもよかった。
(お休みなさい)
 太陽の光を感じながら――夏樹は目を閉じた。



「――夏樹」
 名前を呼ばれて夏樹が目を開けると、一樹と梓が立っていた。
 真っ暗な空間に三人だけである。
 きっと、迎えに来てくれたのだろう。
「父さん、母さん。僕、頑張れたかな?」
「よく頑張れたと思うわ」
「頑張ったと思うぞ」
「僕は――皆の優しさに甘えていた。秋や昴、木本さんの思いを踏みにじってしまった」
「夏樹――見てごらん」 
 梓がスッと手をかざす。
 そこには、秋と一緒に仕事をこなす和葉の姿が――。
 映像が歪み切り替わる。
 昴が上司になったのか、部下らしき人物に指示を出しているところらしかった。
 それぞれが、踏ん張り――支え合い――自分たちがきることをやっていた。お互いが助け合い――手をとり、生きていこうとしている。
 映像が散り散りになり消えていった。
「疲れた――ねぇ、そっちにいってもいいかな?」
 二人に問いかける。
 わずかに甘えを含んだ声色だった。
 予想外の言葉に、一樹と梓は顔を見合わせる。
「戻れなくなるけど、それでもいいのか?」
「まだ、戻れるチャンスはあるわよ?」
 夏樹は首を横にふった。
 戻らないといった意思表示だった。
「――おいで」
 一樹と梓の声が揃う。
 優しい声に夏樹の瞳に涙が浮かぶ。くしゃりと顔を歪めて、ポロポロと涙を流す。
 涙を見せる姿はどこにでもいる少年そのもので――。
 いや、少年どころか幼い子供のようだった。
 一樹と梓の前だからこそ見せた涙と姿だろう。誰にも見せたことがない夏樹の素の姿だった。
 勢いよく飛び込んできた身体を一樹と梓は抱きしめる。
 一樹、梓、夏樹の身体は光の渦に飲み込まれていった。



 輝はホスピス代表として夏樹の墓に花束を置いた。誰かが代表にしなければ、花束の山ができていただろう。それほど、夏樹を心配している患者や住民が多かった。
 結局、医院長夫妻が経営している墓地に埋葬をしたのである。家族の元へと返すことも考えたが、夏樹がよしとはしないはずである。
 せめて、魂だけになったとしても、形はどうであれ――どこかで家族と会っているかもしれない。家族の傍に帰れたと思いたい。
 心から笑い合えていることを、信じていたい。
「なぁ、医院長、副医院長」
「どうしたの?」
「どうかしたのか?」
「夏樹は本当に幸せだったのかな? これで、よかったと言えるのだろうか?」
 それでも、いなくなって思い出すのは夏樹の悲しそうな笑顔ばかりで――。
 憂いをおびていて。
 今にも、壊れてしまいそうな印象だった。
 ここに来て数ヶ月たち――周囲の人物が慣れてきた頃でも、あまり本心を語ろうとはしなかった。一歩――離れた場所から皆を見ていたのである。
 最初から自分の命が長くないと理解をしていたからこその距離感だったのだろう。
 心を開かせることができれば、夏樹は生きていたかもしれない。
 ここにいたかもしれない。
 ただ、隣にいることしかできなかった。
 支えることしかできなかった。
 寝ているときも悪夢に魘され――苦しむ夏樹の手を頑張れという意味を込めて――握ることしかできなかったのである。
 輝は拒絶し続けられても、手を握ることをやめようとはしなかった。ひんやりとした手を握りしめた感触を今でも覚えている。
 同年代よりも折れそうで――華奢な手を忘れることはできない。
 何もできない自分が無力でしかなかった。
 力不足を思い知った。
 それが、輝にとって心残りだった。
「幸せだと思うのは、人それぞれだと思うの」
「私もそう思う」
 医院長と副医院長が答える。
「あーあ。もっと、夏樹と話をしたかったな。遊びたかったな」
 それは、輝の本心でもあった。
 紛れもない本音でもあった。
「人の心は難しいわよね。だからこそ、この仕事にやりがいがあるのよ」
「うん。俺もそう思いたい」
「お前はさ、なりたいものとかないのか?」
「医院長から聞かれるとは意外だな。俺は医者になりたい。いずれ、医院長のようなホスピスを開きたい」
「そう言ってくれると嬉しいわ」
 医院長と副院長が笑う。
「そして、夏樹のような人たちを助けたい」
「そうだな。居場所も必要だろうな」
「頑張ってね」
「――はい」
(なぁ、夏樹。お前の居場所はここにもある。だから、安心して帰ってくればいいI
 輝は心の中で夏樹に呼びかけるのだった。



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