虹の向こうの少年たち

十龍

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《24》

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 ジャロリーノの体にオイルとクリームを混ぜたトリートメントがすりこまれてゆく。
 すりこまれるというより、揉みこまれるといったほうが正しいか。
 うつ伏せて背中や腰をマッサージされていると、その心地よさにだんだん眠くなってきた。
「気持ちいい……」
「そうですか? 良かった」
「眠りそう……」
「ジャロリーノ様はどうやら随分お疲れのようですから、このまま少しお休みになってもよろしいですよ」
「……エッチなことって疲れるんだな……」
「はは」
「…………」
 うとうととしてきた時だった。
 誰かに足首を掴まれた。
「え!」
 思わず掴まれた右足を勢いよく上げた。
「どうしました? 足、つってしまいました?」
「いや、……今、足さわった?」
「いえ、背中しか」
「あ、そう。……そうだよな」
 ジャロリーノはシンフォニーの手だけに集中することにした。
 気持ちがいい。





 シンフォニーはマッサージの手を止めた。
 愛しのご主人様、ジャロリーノ・エリス・ネイプルス殿下は静かな吐息を立てている。
 さっきは驚いた。
 ジャロリーノ殿下が最初に眠りかけたとき、マッサージをしていた背中にアザのようなものが無数に浮かび上がってきたからだ。
 なんだ、これ、と思ったときにジャロリーノ殿下が声を上げ、右足を跳ね上げた。
 その足にはスーっと無数のアザが浮き上がり、足首には人の指が食い込んだような痕がはっきりと出た。
 今はアザは綺麗さっぱり消えている。
 くまなく監察し、無いことを確認すると、ほっとしてシンフォニーはベッドから降りた。
 少しベッドが揺れてしまったが、ジャロリーノ殿下はぐっすりとお休みになっている。その体に上掛けをかけた。
 起こさないように静かに道具をしまい、隣室に入った。
 そこはシンフォニーの書斎である。
 勉強のための部屋だが、くつろいで音楽を聴いたり絵を描いたりもする。
 そして、表の寝室にはない電話がある。
 アラームはならない。代わりにランプが点滅する。
 緊急の場合は部屋の明かりも点滅するのだが、今、緊急事態レベル高を表す赤い色の点滅が、部屋の中を異常空間に作り変えていた。
 
「お、おおお……」

 その物々しさにシンフォニーは思わず腹の底から声が出た。
 何事だ。
 一瞬、緊急避難の連絡であったり敵襲の知らせかと思った。
 一年ほど前まではそのような警告がたびたびあった。
 その時の恐怖と緊張がよみがえった。
 しかし戦争は終わり、アウロラには平穏が訪れている。
 もう空襲警報が鳴り響いたり、コーン人の軍勢がやって来るという噂が流れることもない。
 それに、本当に緊急事態であれば、表の寝室にも聞こえるけたたましい警報が鳴るだろう。
 なるほど、貴族たちに知られてはいけない、しかし異常な事態が起こっているらしい。
 もしや、地下で保護しているコーン人の奴隷たちが逃げ出したのだろうか。
 あの中にコーン人の精鋭部隊のスパイがいたりしたら大ごとだ。
 ともかく、シンフォニーはこの病んでしまいそうな点灯を止めるべく、受話器を上げた。
「はい、こちらシンフォニー」
 しかし、受話器の向こうから聞こえてきたのは、保留音だった。
「……」
 平和な音楽が、オルゴールの音色で延々と繰り返される。
「……」
 部屋の中の赤い点滅は止まらず、いよいよ病みそうだ。
 もういいや、ジャロリーノ殿下の所に戻ろうかな。
 添い寝をして、殿下が目を覚ましたらまた少しだけエッチなことしたいな。
 目を覚ますまで、キスして待ってようかな。
 抱きしめたら抱き返してくれるだろうか。抱っこしたときは結局腕を回してはくださらなかったし。
 キスしたら目を覚ましてくれるかな。
 よし、戻ろう。
 ジャロリーノ殿下に添い寝しよう。
 起きてくださるまでキスしていよう。
 よし、そうしよう、そうしよう。
 想像すると自然と頬が緩む。
 受話器を置こうとしたとき、タイミングが良いのか最悪なのか、保留音が消えた。
「シンフォニー?」
「はい」
 その声は奴隷王サーリピーチ王のものだった。
 声と共に赤い点滅が消えたが、シンフォニーの頭のなかには警報音が鳴り響いた。



「ジャロリーノ殿下はそちらに?」
 問われた時、シンフォニーの脳天に軽い落雷があった。
 ごくりと息を飲む。
 サーリピーチ王にとって、ネイプルス王家の四人の王子は息子も同然であり、目に入れても痛くないほどに溺愛している。
 その四人の王子の上二人が性的暴行の末に惨殺された前代未聞の大事件で、誰よりも激しく、それこそ実の父であるネイプルス王よりも激しく怒りと嘆きを露わにしたのが、このサーリピーチである。
 そして開戦と同時に、多くの奴隷兵を率いてコーンに突撃していったのだ。
 その時、まだサーリピーチは奴隷王ではなかったが、それに順ずる地位にいた。
 奴隷公女という地位だ。
 奴隷王の子や、次期奴隷王と目される人物に与えられる仮の称号である。
 奴隷公女の苛烈な戦いぶりは、かの大将軍グラファイト公爵をも凌ぐものだった。
 サーリピーチが指揮をしたのは戦争の序盤部分のみだったが、その功績を認められ、またネイプルス王の推挙もあってこの黒鳥宮の主となり、公女から王へとなったのだ。
 王となり、戦姫と恐れられたサーリピーチは、嫋やかな女性に戻った。
 戻ったが、再び戦姫に戻る可能性がないわけではない。
 特にネイプルス家の王子に関しては。
「シンフォニー?」
「は、はい」
「ジャロリーノ殿下は、そこにいらっしゃるのかしら?」
「……はい、サーチピーチ王」
「まあ。王だなんて、いつものように、サーリピーチ様と呼んでよろしいのよ? それとも、なにか後ろめたいことでも?」
 う……、という呻きが出た。
「……いえ、ございません……」
「ジャロリーノ殿下は、どのようにお過ごしかしら?」
「で、殿下は……、お休みになられています」
「お休み? お眠りになっているの?」
「……はい」
「どのような経緯でそのように?」
「………………」
 どのような。
 どのようなと言われますか。
 シンフォニーはかつてない危機に直面している。
 あなたの愛するジャロリーノ殿下に対し、男でありながらいやらしいことを行い、男性である殿下にあられもない喘ぎ声を何度も上げさせて射精に至らしめました。
 こんなこと伝えたら殺される。いや、殺されるだけでは済まない。
「シンフォニー?」
「は、はい」
「なぜ黙っているのかしら?」
「そ、それは……」
 シンフォニーは覚悟を決めた。
「サーリピーチ様。私は、ジャロリーノ殿下の奴隷になりたく思います。そのため、ジャロリーノ殿下にお味見をしていただこうと、お部屋にお誘いいたしました」
「そうなのですね。それで?」
「それで、…………、」
「それで。なにか、後ろめたいことでも?」
「誓って、ジャロリーノ殿下を傷物にはいたしておりません」
「誓うのね?」
「誓います」
「それで?」
「お部屋までお連れし、一緒に入浴し、入浴後に簡単なオイルマッサージを施している最中に、お眠りになりました」
 だいぶ重要な部分をそぎ落としてしまった。
 覚悟は決めたが、やはり怖くて言えなかった。
「殿下には『ご満足』いただけたのかしら?」
「……、ええと、」
「シンフォニー」
「はい。サーチピーチ王。殿下には、数回『ご満足』いただけたと思います」
「お体に『障りある』ことはしなかったわよね?」
 障りある。つまり、こちらから特殊なプレイを強要はしなかったか、ということだ。
 シンフォニーの頭の中はグルグル回っている。
 アナルを責めて、何度かカライキさせてしまったし、乳首をいじるとそれはもう可愛らしく悶えるのもだから、乳首だけでイかせてしまった。
 これは特殊プレイだろうか。
 ああ、シャワーで鬼頭とアナルを責めてしまった。シャワーの刺激は強い。一度その良さを覚えるとやめられなくなるという話だ。
「シンフォニー?」
「ええと……、殿下に……、その、殿下の……アナルに、指を……」
「………………、それで?」
 サーリピーチの声は落ち着いているが、その中に凄みを感じとってしまうのは気のせいだろうか。
 シンフォニーは声を出すに出せない。
「シンフォニー? それで?」
「あ、……あと、乳首と……、アナルだけで……その、極まられてしまわれて……。殿下の、男性としての尊厳を……著しく傷つけてしまったかもしれません……。……申し訳、ございません……」
「……そう……」
 自分の息子同然の子が、男相手にそのような行為をされ、挙句には極まり果てたということなど、聞かされくはなかっただろうし、その事実を許せるわけがない。
「……申し訳……ございません」
 シンフォニーは死を覚悟した。
 正確には、生存を諦めた。
 こんなことなら、我慢せずに殿下と結ばれておけば良かった。
 そんなことを後悔しているときだった。
「こちらの聞き方が悪かったわ。『障りある』ことはされなかった?」
 予想とは真逆の言葉をかけられた。
「え?」
「『障りある』ことを、されなかった? 奴隷王として、まずはそれを聞かなければならなかったのに、ごめんなさいね」
「私は……一切」
「そう。お互いに『障りある』ことがなければいいの」
 サーリピーチに心配をされて、シンフォニーは少しだけ拍子抜けをした。
 けれど、よくよく考えてみれば、サーリピーチはこの黒鳥の主であり、黒鳥の奴隷の利益を最優先にする立場なのだ。
 シンフォニーはこれまでさほど多くの貴族に言い寄られたことがないので、サーリピーチにかばわれた経験がまるでなかった。
 数人の貴族相手に体を開いた経験はあるが、どの場合も同席者がおり、その様子を見られていた。
 サーリピーチには事後に、ご苦労様、とねぎらいの言葉をかけられただけだった。
「……ところで、殿下は、……殿下であらせられた?」
「……、と、いいますと?」
「あなたが気にならなければそれでいいの。殿下が殿下のまま、あなたに気を許していたのであれば、それはとても喜ばしいことなのですから」
 気になることならばいくつかある。
「あの、そういえば、なのですが」
「なにかあった?」
「自分のことを変だとおっしゃっていました。私としては、その、……性的興奮に戸惑っていらっしゃるだけなのだと思っていたのですが、……サーリピーチ様が気がかりにされていることは、そのことが関係あるのでしょうか」
 すると電話の向こうでしばし沈黙。
 再び聞こえた声は、やや固く、緊張が伝わってきた。
「実際には、変でしたか?」
「はい。とても可愛らしくいらっしゃいました」
「……」
 沈黙された。
「あの、サーリピーチ様?」
「……いえ、……その可愛らしいご様子の最中、殿下は殿下であらせられた?」
「おっしゃっている意味がよくわかりません。少なくとも、私はギリギリのところで自分を見失わずにすんだとは思っていますが」
 見方によってはギリギリアウトかもしれないが。
「………………」
「……、僕変になっちゃうから怖い、とか言われたら、」
「………………」
「目に涙ためて悶えて、……あんな、……あんな声出されたら……」
「………………、」
「しかも、あんな、ああ、もう!」
 あんなに感じていただけたなんて、それこそあのまま死んだっていい。
 本望以外のなんでもない。
 ジャロリーノ殿下に、入れて、とかおねだりされて、この自分の手で何度も極まってアンアン鳴いて、幸せそうにもたれ掛かってくれて。
「もう私、死んでもいいです」
「本当に傷物にしてないでしょうね?」
 サーリピーチの、いつもよりも低い声にシンフォニーはビクッとして、我に返った。
「……はい、誓って」
「殿下の仰っている変という状態が、興奮状態のことを差すのか、それともなにかに……、異変を感じているものなのか……、『味見』においての通常時におこる『変』とは違うものを感じた?」
 サーリピーチの言う味見の通常時の変、つまり、性行による興奮時の体と心の、当然の変化。
 そして性行時の、当然ではない変化。
 その差を見極められるほど、シンフォニーは経験も情報も持っていない。
 フェラチオやアナルセックスの訓練は行ってきたが、それは主の興奮の吐け口になっても大丈夫なように、という目的だ。心を通わせる目的ではなく、性欲処理の道具的なものである。
 相手の心身の変化の機微に気を払うことまでは、訓練していない。
 そんなものができるのは性奴隷くらいだろう。
 ポラリスカノンであれば、サーリピーチが知りたいことを答えられたかもしれない。
「お役に立てず申し訳ございません、サーリピーチ様。私では、殿下の些細な変化までは読みとることはできませんでした。ですが、……奇妙なアザのようなものを見ました」
「……傷ではなく、アザ」
「傷は見受けられませんでした。お肌もすべすべで、あ、変な意味ではなく」
「変な意味という意味が分からないけれど」
「ジャロリーノ様の、」
「『様』?」
「ジャロリーノ殿下の、」
 厳しいな。
「お肌が、それは見事にお手入れが施されていました。日常にできるであろう小さな発疹の痕すらなく、普段ジャロリーノ殿下のお世話をしている者の、……執着心を感じました」
 シンフォニーはジャロリーノ殿下の姿を思い浮かべた。
 過去のふくふくした姿からは想像していなかった、ほっそりした体つきだった。
 別に小さい頃に太っていたわけではないが、頬が健康的にふっくらしていて、手とかは温かくぷくっとしていて、走ったり跳ねたりと元気な男の子そのものだった。
 少し繊細なところもあったが、今ほどではない。
 何年かぶりに拝見したお姿は、良く言えば華奢であり、悪く言えば病気にかかっているのではと思うくらい、細かった。
 ジャロリーノ殿下ではなく病弱なビガラス殿下なのでは、と思った。
 人は数年の内に随分と変わる。
 シンフォニー自身、幼少期の全く可愛くないことで大人にため息をつかせていた顔が、今や自他ともに認める美形に変貌したのである。自分の成長に感心してやまない毎日だ。
 だからジャロリーノ殿下だって、変わる。
 その変わりように戸惑いがなかったとは言えない。
 カミングアウトを含め、性格や体の反応もろもろ。
 カミングアウトにはビックリしたものの、それに全く動じない自分にビックリだった。
 むしろ、そのために可愛くて可愛くて堪らなく見えてもう堪らない。
 再会前から好きだったが、それと再会後のそれとでは意味が違う好きだし、再会直後と今現在ではこれまた違った好きになっていて、なにがなにやら分からないが、シンフォニーは今とても幸せである。
 ジャロリーノ殿下の奴隷になったら、あれやこれやとお世話したいし、可能な限り一緒にいたいし、同じベッドで寝起きしたい。
 近い将来ご結婚されるのだろうが、できるなら女なんかに近寄らせたくない。
 結婚相手にはめちゃくちゃ口出しするし、夫婦の夜の生活をことごとく阻止してやりたい。
 そんなことを考えてしまうくらいジャロリーノ殿下に焦がれてしまっている。
 しかし、それ同等いやそれ以上の執着を、ジャロリーノ殿下の体から感じ取った。
 ほっそりした体のすみずみに行き渡る、潤い。
 傷一つ許さない、乾燥一つ許さない、湿疹などもってのほか。
 人間離れした、自然な美しい肌。
 それがジャロリーノ殿下の素肌だった。
 ジャロリーノ殿下はご自身の体毛などを気にされていた。確かに発育が遅めだと見受けらるものの、誰かの手によって産毛の処理が施され、硬くなりがちな陰部の毛にはトリートメントがされている。
 ジャロリーノ殿下がそれを知らないということは、眠っている間に施されているのだろうか。
 ゾクッとした。
 自分が抱いている感情を凌ぐ想いを持って、長年ジャロリーノ殿下に気が付かれないように、お体に触れている者がいる。
「シンフォニー? どうかしたの?」
「え! あ、いえ……」
「そのアザというものは、どんなものですか?」
「そうですね、確かに、傷のようにも見えました。しかし、お体をお流しした際にはそんなものは一切なかったのです。本当に、異常なくらいに綺麗なお肌でした。爪もきれいに整えられ、甘皮も切られて良く磨かれていて、かかとも柔らかく、お尻の割れ目さえも潤いに満ちておりまして、肛門も柔らかく良く慣らされておりましたが、腸の内壁が飛び出てはおらず綺麗で、これまでの事後の手当てが良かったのだろう……と……、……あ、れ……?」
「シンフォニー、……殿下は、……性の経験は初めてかどうか、なにか仰っておいででした?」
「殿下は……、殿下の言動からは、……初めてだと。……、ですが」
 あの反応は、初めてではない。あの体は、初めてではない。
「『味見』の最中は、ジャロリーノ殿下の肌は綺麗だったのですか?」
「あ……はい、とてもお綺麗でした」
「ではアザというのは?」
「ベッドに移動し、入浴後にオイルとクリームでお肌のお手入れをしている最中です。背中をマッサージしていた際、殿下は少し眠ったようなのですが、その時、背中全体にアザのような赤紫色の跡がいくつも浮かび上がってきまして、その瞬間に声を上げて起きられました。……それで、右足をビクッとされて……。右足にもアザのようなものと、それと、人が握って付けた様な、痕が……」
「まだそれはありますか?」
「いえ、再び眠られて、ほどなく消えました……」
「では、……殿下は殿下であらせられたまま……だったわけですね」
 サーリピーチの言っている意味がよく分からない。いや、意味が分からないふりを脳がしているだけだ。
 分かろうとしたくないだけだ。
「シンフォニー、あなたの前では、ジャロリーノ殿下はずっと、ジャロリーノ殿下のままだった」
 尋ねるのではなく、それは確信。
「あなたの話を聞く分には、ひとまずは合格ね。後ほど詳しく状況を聞きますが、今は殿下を優先してちょうだい」
「あの、待って下さい、合格といいますと……?」
「殿下の傍付きとしての、受け入れられるかどうかですよ。前々からジョーヌ陛下と、殿下の付き奴隷について話し合いを重ねてきました。私が最終候補に挙げたのが、あなたとポラリスカノンですよ。……、まあ、……私の腐心など、あの王にはまったく伝わってなかったようですけれどね。いえ、伝わっていてもそれを意に介さないだけか、相変わらず」
「サーリピーチ様?」
「ごめんなさいね。こちらの話しよ。ともかく、あなたはジャロリーノ殿下にとって、気を許してもいい相手と認識されたようなの。けれど気を緩めないで。もしも殿下に奇妙な言動や、先ほど消えたというアザが再び現れたら注意して欲しいわ。決して、それらの症状が出たことを報告せずそのままにはしないように。私とあなたとの信頼関係を壊す事につながりますし、なにより、殿下のお心とお身体に悪影響になります」
「はい。心得ております、サーリピーチ様」
「殿下は眠りが浅く、ゆっくりとお休みなれることが少ないようです。ですが、うなされていたら起こして差し上げて。あ! ちょっと」
「シンフォニーか?」
 突然電話の主が変わった。
 聞きなれない男の声。だがすぐに誰だかわかった。
「はい。ネイプルス王陛下」
「ジャロリーノに良くしてくれて大変感謝する。だが、少し長すぎるな。初見にしては占有しずぎだ。そろそろ帰宅するので、早急に開放してもらおうか。ユーサリーが待っている。そう伝えろ。あと三十分だ」
「ちょっとジョーヌ様!」
 サーリピーチの非難の声が最後に届いたが、電話はそこで切れた。
 ツー、ツー、ツー、という音を聞きながら、シンフォニーはしばらく動けなかった。
 今までの話を、ネイプルス王が全部聞いていた。
 ジャロリーノ殿下に何をしたのか、全て筒抜けなのか。
 ネイプルス王の声、怒りのようなものがにじんでいた気がする。
 というか、怒っている。
「……、……、うわあ……」




「シンフォニー? シンフォニー? ……はあ……」
 サーリピーチはため息を吐いて受話器を置いた。電話をかけ直したが、受話器が上がったままのようで、全くつながらない。
 電話口で硬直している様が容易に想像できた。
 かわいそうに。
 ネイプルス王の抑揚の少ない声には、あまり多くの感情が表れることがない。
 けれどそれは、自分の抱いている感情が鏡のように跳ね返ってくるということにもなる。
 自分が後ろめたさを感じていれば、ネイプルス王の声は非難めいたものに聞こえるだろう。
 逆に、自分の行いに自信があれば、素直な感謝に聞こえるだろう。
 シンフォニーはどのように感じているだろうか。サーリピーチは前者だと予測した。どう考えても前者だ。
 あんな物言いをされて、褒められたと思う者がいるはずがない。
 いるとすれば、辛うじてダン王くらいだろうか。
 かわいそうに。
 ネイプルス王は四人の王の中で一番感情を読み取れない人物だ。いや、国王を筆頭に、四人の王たち全員が何を考えているのかさっぱり分からない難物ばかりであるが。
 国王は不思議発言ばかり言うし、ダン王は心優しく弱きを憐れむ素振りをして冷たい方であるし、グロウ王は感情の起伏が激しすぎるし、ネイプルス王は表情と声に変化が乏しい。
 四人の中では、ネイプルス王が最も常識人だと言われている。確かに人としてのぬくもりがある。だがあくまで、四人の中では、という前提が付く。
 表情と声に大きな変化がないため、常識人としての温かみが伝わりにくいという面があるが、短絡的で感情的で、世界の中心が自分であるという超利己的な面も伝わりにくい。
 グロウ王よりも利己的だし、機嫌を損ねると一番やっかいな人物なのだ。
「まったく、なんのおつもりですか」
 サーリピーチは、すでにソファに座り直して新聞を開いているネイプルス王を見た。
「なにがだ?」
「全てです、全て」
 ネイプルス王は肩眉をゆがめて、ゆっくりと首を傾げてから、新聞に視線を戻した。
 その新聞をサーリピーチは叩き飛ばした。半分ほど破れ、その端がネイプルス王の額の横をかすめて床に落ちる。
「何をするんだ。痛いな」
「そうですか」
 ゴッ!
 ネイプルス王の側頭部、そこをサーリピーチは手加減無しで殴りつけた。
 素手ではない。
 分厚い本を握り、ネイプルス王の耳の上あたりを狙って。
 本の背表紙は狙った通りの場所を殴打し、ついでに頬にも当たった。
 頬に手を添えて、ネイプルス王が綺麗な緑の目をまん丸にして、
「何をするんだ。痛いな」
 と同じ台詞を吐いた。
「そうですか」
「相変わらず暴力的な女だな……」
「相変わらず自己中心的な男ですね」
「もしや妻のことをまだとやかく言うのか? 三人目を作ったのは妻の意向だし、四人目だって無理に産めとは言っていないと……」
 まん丸な目の真ん中で、緑色が少し潤んでいた。
「なんでそんなはるか昔のことを持ち出すのです」
「いや、お前は怒ると必ずその話題を持ち出すから」
「それは三本目のウオトカを飲み干した後です。今は一滴もお酒は飲んでおりません。今私が怒っているのは、王妃様が命を縮めてまで産み落とされました四番目の王子様についてですよ」
「……、私はジャロリーノになにかしたか?」
「色々しているとは思いますけれど、それらについては今はあえて追及はいたしません」
「ではなぜ私は殴られた」
「あんたがポラリスカノンに手を出したからでしょ!」
「それがなにか?」
「それが、なにか? それがなにかですって? あんたねえ! ポラリスカノンはジャロリーノ殿下のために用意した奴隷なんですよ? なぜあなたが手を出す?」
「……それがなにか? なぜそんなに怒る? なぜだ」
「なぜ私が怒っているのが分からない?」
「なんで怒ってるんだ? そして結構痛いんだが、誰か冷やすものをくれ」
 控えていた奴隷の一人が動き、すぐに冷たいタオルをネイプルス王に差し出した。
「あの奴隷は味見できるんだろう? 私が味見してなにがいけないんだ。なかなか良かったぞ。ジャロリーノにも味見をすすめようと思っている」
「普通の父親は、息子の奴隷候補を味見なんてしませんよ。親子で使いまわそうとは思いません。そもそも、親が手を付けた奴隷を息子が欲しがると思いますか」
 ネイプルス王は目をくるっと回し、考えた素振りをした。
「気に入ったなら、手に入れるが。私なら」
 もう少し考えてから口を開け。考えた素振り分くらいは実のあることを話せ。サーリピーチは文句をなんとか飲み込んだ。
「ええ。あなたはそうやってなんでも手に入れてきましたわね。王妃様も、それ以外も。それで? 手を出したポラリスカノンはどうするおつもりですの?」
「どうもしないが?」
「手元に置くつもりはない?」
「ないな」
「お気に召しませんでした?」
「なあ、腫れていないか? ジンジンするんだが」
 そばにいた奴隷に頬を見せるネイプルス王に、サーリピーチは机を殴ってこっちを向かせた。
「お気に召しませんでしたか? あの子にとってはジャロリーノ様が最後のご主人様候補だったんですよ?」
「私の奴隷候補でないなら私の付き奴隷にする理由がないだろう? ジャロリーノの奴隷候補だ」
「だから! だったらなんで、手を出したんだって話しですよ!」
「だから、味見できるんだろう? だからだと言っているだろうが! さっき話しただろうが、同じ話を何度もするな!」
「父親が手を出した奴隷をジャロリーノ様が自分の奴隷にするとお考えでしたら、それは間違いですからね。責任を取ることを考えていないのなら、手を出さないでいただきたかった」
「これまで責任取る貴族がいなかったというのに、なぜ私だけがこうも非難されるのか、まるで納得いかんのだが」
「状況っていうものを考えてください。いえ、考えても無駄ですわね。あなたと一般常識とでは基盤が違いますから」
 これで四人の王のなかで最も常識人で通っているのだから、アウロラ王国の行く末が心配である。
 そしてポラリスカノンが心配だった。
 誘われても断れないのが性奴隷だ。そもそも、ほとんどの奴隷が貴族からの誘いを断れない。
 シンフォニーはよく断っていたが、あれは例外だ。
 その逆で、ポラリスカノンは乗り気ではないのに、誘いに乗る。自分の価値に見合っていない貴族の誘いにも乗るので、あれはもはや自分を痛めつけているのだろう。一度性奴隷のレールに乗ってしまうと、途中で違う生き方を選びなおすことはなかなか難しい。
 数年前まで、どうにか別の人生を歩もうと様々な資格を取っていたが、最近はその意欲も消えてしまったようだ。
 自暴自棄になっていないか、気を揉んでいる。
 見た目も能力も奴隷公子として申し分なく、いずれは奴隷王になってしかるべき逸材であるが、日の目を見ることなく埋もれそうになっている。
 ネイプルス家の王子の付き奴隷という、降って湧いた最良の機会でさえ、そのネイプルス家の王によって摘まれてしまった。
 ジャロリーノ殿下にとっても、ポラリスカノンは必要な存在になるはずだったのに。
「……どうしましょう……」
 シンフォニーが拒否されなかったことが、不幸中の幸いだと喜ぶべきかしらと、サーリピーチは頭を抱えた。
「良い体をしているんだ、自分のモノにしたいという貴族は絶えないだろう」
「少し黙ってください」
「なんなんだ。……まあいい。さてと、そろそろジャロリーノを迎えに行く。部屋まで案内してくれ」
「は?」
「三十分だ。シンフォニーにはそう伝えてある。ここから部屋までは十分以上はかかるだろう?」
「そのことですが、陛下。ジャロリーノ殿下は今お休みになっているご様子です」
「知っている。寝ているなら寝たまま連れて帰る。問題ない。それに、言えば必ず飛び起きる魔法の言葉を伝えておいた」
「お待ちください。シンフォニーはジャロリーノ殿下に気に入っていただけたようなのです。ここは一晩様子を見てはいかがでしょうか」
「気に入ったのならなおさら後日でいいだろう。ジャロリーノにはここの仕事を覚えさせるつもりだ。その時に顔を出すように言うし、そっちでも調整してくれればいい。それにだ、初対面の味見で一晩というのは、いささか時期尚早ではないか? 味見ならば三十分あれば事足りる」
 そうやって三十分で済ませて捨て置くから、ポラリスカノンは貴族不信に陥るのだ。
 サーリピーチは文句をぐっと飲み込んだ。これ以上無駄な争いをして、損ねなくていい機嫌を損ねるのは得策ではない。
 ネイプルス王は立ち上がり、破れてそのまま放置されていた新聞をまたいで鏡の前に立つと、奴隷に上着を羽織る手伝いをさせ、鏡に向かって前髪少しをいじり、ちらちらとサーリピーチを見る。
「早くしろ」
「わかりました。ご案内いたします。では仮面をお付けください」
「頬骨に当たらないものをくれ。痛い。あ、なんか耳の上も痛い」
「文句が多い」


 シンフォニーはようやっと受話器を置いた。電話中に幾度となく危機が襲ってきた。
 よく耐え抜いたと自分を誉めたかった。
「えーと……これは、サーリピーチ様は、……怒ってはいらっしゃらなかった……ということで、大丈夫かな?」
 感覚が麻痺したのか、うまく処理できない。
「ネイプルス王陛下は……あれは、」
 冷や汗が噴き出した。
「あれは、あれは怒っている、……と考えるのが、常識だよなぁ? あはは、ははは、……」
 どうしよう。
 窓から遁走してしまおうか。シンフォニーは一瞬本気でそう思った。
 そしてすぐに我に返った。
 悩んでいる場合ではない。早くジャロリーノ殿下を起こして、お着替えをさせなくてはならない。
 そしてはっと気が付く。
 どうしよう。
 下着が乾いていないのだ。
 どうしよう。色んな意味でどうしよう。
 ズボンには染みは残っていなかったが、下着はぐっしょりと濡れていた。ズボンの内側がしっとりと湿るくらいには、たっぷりの液体を含んでいたのだ。
 ジャロリーノ殿下がバスタブでぼんやりしているうちに洗いはしたが、綿と絹でできたそれをおいそれと熱風で乾燥させるわけにもいかず、陰干ししている。
 暖炉から少し離れた場所にかけて、風を常に送っておけば早く乾くだろうけれど、もしそれをジャロリーノ殿下が見てしまったら、あの方はきっと顔を真っ赤にさせて泣くだろう。
 どうしよう。
 シンフォニーは書斎からそっと出た。
 ジャロリーノ殿下はぐっすりとお休みになっていた。
 音を立てないよう注意して、今度は別の寝室に移動した。
 そこは表の寝室とは違い、私的な寝室である。
 ご主人様を取らないと決めたシンフォニーは、普段の寝起きをそこで取っていた。
 週に二度、黒鳥の幹部が見回りに来るので、その時は着飾って表の寝室で寝起きをするが、それ以外は私的な寝室で過ごす。
 そのため、必要なものは全部この部屋に移動させている。だからか、シンフォニーの表の寝室は他の奴隷たちの寝室に比べ、スッキリとしている。
 だが、普段は便利だが、いざご主人様候補を部屋に招くことになると、少々不便だった。
 ご主人様候補をもてなすために必要な道具をいちいち取りに入らなければいけないし、なにより、必要な備品を素早くお出しすることができない。
 今まさに必要な備品。
 それは、新しいパンツだ。
 クローゼットを開けて、かけてある上着の下を覗きこんだ。
 そこに隠すように置いてある白い箱。
 シンフォニーは期待を込めてそれを引っ張り出した。
 リボンを結んで閉じてあるそれには、夜の必需品が入っている。
 コンドームやオイル、シルクのハンカチ、柔らかなティッシュ、いくつかのセックストイに軟膏などの薬。などなど。
 そして、替えのパンツ。
 行為後、お帰りの準備をする貴族にそっとお出しする下着。それは通常何枚かの新品が常備されているのだが、箱の中にはなぜか一枚しかない。
「黒かー」
 ジャロリーノ殿下は、白地に銀の刺繍が少しだけ入っている、品の良い下着をお召しになっていた。
 小さなお尻にフィットし、上のゴムは太め。ゴムの上部分がお尻の割れ目をちょうど隠していた。
 伸縮性のある素材も織り込まれているので、ダブつかず、お体のラインを綺麗に見せていた。
 だから、大きくなった性器の形にくっきり見えて、それはそれは煽情的だったのだ。股上が浅かったので、ペニスの先端が下着を引っ張り、お腹とゴムの間に隙間ができていて、そのペニスはパンツのラインよりも上に突き上げていて、あの隙間に手を突っ込んでまさぐってやりたかった。
 いや、精液をたっぷり含んだ下着の上からペニスをしゃぶるのも捨てがたい。
 これまでも口の中が感じるほうだったけれど、殿下のイチモツを含んだときは、これまでの快感の壁をいとも容易く壊し、口の中が完全に性器になったように思った。がつがつと喉を突かれながら、シンフォニーはイくのを必死で堪えていた。先にジャロリーノ殿下がイってくださって助かった。
 ジャロリーノ様はキスもお上手だったなぁ、……、うっとりと思い返していたが、シンフォニーはハッとした。
 早くしないと焦れたネイプルス王が部屋まで来てしまうかもしれない。
「黒で、しかも布地が薄い奴かー。これもセクシーで似合うとは思うんだけれど、履かせたのがばれたら絞首台か斬首台かの二択だな……。それに……、まだ幼さが残るジャロリーノ様には、ちょっと大人っぽすぎるかな。いや、似合うけれど。うーん、一度お召しになっていただきたいが、……けど白かな。白かなー。なんで白用意してなかったんだろう。白のティーバックとか。いや、それは下品すぎるかな。ううん、もともとお召しになていた下着が一番似合うなあ。……誰だ、どの奴隷だ、ジャロリーノ様に執着しているのは」
 お身体の手入れといい、下着の選択といい、殿下を最高の状態にするために尽力している者がいる。
 殿下にはお付き奴隷はいないという話だが、だとすると少しおかしい気がした。お付き奴隷が愛情をたっぷりそそいでいるのなら分かるのだが。
 城付き奴隷の中で、特別ジャロリーノ殿下をかわいがっている奴隷がいるのだろうか。
 だとしたらきっと高級奴隷だろう。もしくは乳母。
 いや、乳母はサーリピーチ王である。
 ふと、シンフォニーは気が付いた。
 亡くなられたライア殿下とセレステ殿下。お二人にはそれぞれ数名の付き奴隷がいたはずだ。
 殿下たちが性的暴行を加えられていたとき、付き奴隷たちはコーン人の侵入者と戦い、命を落としたと聞いている。
 ライア殿下付きのセルリアン。
 シンフォニーも良く知るその高級奴隷。
 主をかばい、死んだ。しかし、その死は無駄になった。結局、主は無残な殺され方をしてしまった。
 あの世でどれだけ悔しい思いをしているだろう。お亡くなりになった二人の殿下のことを思うとシンフォニーは胸が痛むが、セルリアンのことを思うとさらに強烈な痛みを覚えるのだった。
 セルリアン以外にも、付き奴隷はいた。
 もしも、その奴隷の誰かが生き残っていたとしたら、ジャロリーノ殿下に執着するのではないだろうか。
 殿下は、おそらく、あの場所にいた。
 ライア殿下とセレステ殿下が、性的な暴行を受けた場所に、いたのだ。
 そして同じような暴行を受けた。
 殿下は覚えていない。
 ならば、おぞましい出来事を思い出させないよう、体中にできた痛々しい暴行の痕を消し、新たにできる傷さえ許さず、丁寧に優しく、無かったことにしていく。
 あなたは綺麗なままですよ。
 あなたは、汚れてなんていませんよ。
 あなたは、こんなにも美しいのですよ。
 殿下に執着している人物は、そうなだめながら傷ついた肌に薬を塗りこみ、できてしまった傷跡にクリームをすり込んできたのではないだろうか。
 殿下は殿下であらせられた?
 サーリピーチの不思議な言い方。
「ジャロリーノ殿下……」
 ほっそりとした体。変わってしまった性格。
 長い間、殿下は殿下ではなかったのだろう。
 もしかしたら、ずっとお心を閉ざし、人形のように過ごされていたのかもしれない。
 今頃になって付き奴隷を探すというのは少し気になっていたが、今になってやっと、殿下のお心が癒され、日常の生活ができるようになったからなのかもしれない。
 だとしたら、それはそれで悲しい。
 殿下は、自分がゲイであることを戸惑われていた。嫌だとおっしゃっていた。
 けれど、男性に惹かれている。
 きっとそれは、決して口になどできないが、あの惨状で、大勢の男たちに……。
 目覚めさせられてしまったのだ。
 どんなに過去を忘れても、どんなに体の傷を癒しても、消しきることができなかった。
 ならばせめて、新しい記憶を作って差し上げたい。
 同性同士でも幸せな性行為ができるのだと、記憶を上書きさせればいいのだ。
 ゲイとして生きるしかないのであれば、ゲイであることが幸せな生き方だと思っていただければいいのだ。
 そうか、そのための付き奴隷か。
 シンフォニーはサーリピーチの考えにピンと来た。
 なぜ自分が選ばれたのか。それは、以前からジャロリーノ殿下以外の貴族のところにはいかないと言い張っていたからだ。
 無条件にジャロリーノ殿下に思いを寄せている自分であれば、ジャロリーノ殿下にとって、己を一番に愛してくれる男性ということになる。それは殿下にとって心を許せる存在だろう。
 そして、夜のお相手として優秀な性奴隷をつけることができれば、そのテクニックによって、無理なく同性愛の世界にお迎えすることができるはずだ。
 すでに開発されてしまっている自分の体をおかしく思うことなく、性奴隷のテクニックは凄いなぁ、なんてうっとりと快感に酔いしれてくださるだろう。
 初めてなのになんでこんなに体が慣れているのだろう、そう思われたら、過去の忌まわしい記憶がよみがえるきっかけになりかねない。
 そのためのポラリスカノンだったのだ。
 だというのに、
「あの野郎……」
 なんで、ネイプルス王の方とまぐわってるんだよ。
 けれど、あいつがあの時部屋を出て行かなかったら、ジャロリーノ殿下が寝ているベッドはあいつのところのベッドかもしれない。それはむちゃくちゃ悔しいから、あれはあれでいいか。
 いや、部屋からいなくなったとしても、なんで自分のご主人様候補の父親と寝るんだ。
 断れよ。そこは断れよ、馬鹿野郎。
「ほんと、これだから性奴隷は」
 頭よりも性器で物を考えると言われる所以だ。
 実際には、性奴隷も普通の奴隷も大して変わらないのはシンフォニーも分かっているが、今回ばかりはそんな悪態をつかずにはいられない。
「いや、今それを考えている場合じゃないな。パンツだよ、パンツ……」
 そう、下着である。まさか殿下に下着なしでお帰りいただくわけにはいかない。
「……白か……」
 自分の替えならあるのだけれど。
「それは、さすがになぁ……。……。……、さすがになぁ…………、うん…………」




 シンフォニーは再び表の寝室に戻った。
 ジャロリーノ殿下の寝顔は可愛らしい。仄かに頬がピンク色である。
「ふふ」
 可愛らしい。
 可愛らしい。胸に温かいものが広がる。
「ジャロリーノ様」
 我慢できずにピンク色の頬にキスをした。
 不思議なくらい、ジャロリーノ殿下に対して憐憫の情は湧かなかった。
 愛しさばかりが募る。
「殿下。ジャロリーノ様、起きてください」
 耳もとで囁くと、ジャロリーノ殿下はくすぐったそうに顔をシーツにすり付けた。
「起きないとキスしちゃいますよ。もうしちゃいましたけど、今度は唇ですよ」
「んー…………、ふふ」
 笑った。
 胸がギュウッとした。
 二分だけ。
 よし、二分だけ添い寝しよう。
 シンフォニーはベッドに乗り、その細い体を抱き締めた。すると、ジャロリーノ殿下がシンフォニーにすり寄ってきたのだ。
「んー、もうちょっと……あと、さんじゅっぷん……、」
 お願い、と舌足らずに言い、その後に誰かの名前をむにゃむにゃ言っていたが、それは聞き取れなかった。
 シンフォニーの腰辺りに自然な動きで回された腕。
 胸元に、甘えるようにくっ付けられた頬。
 完全に気を許した穏やかな寝顔だ。
 ジャロリーノ殿下に執着している誰かと間違えているのだろうか。
 少しだけ悔しく、大部分で羨ましく、残りは
「一体どの奴隷だ?」
 という気持ちだ。
 シンフォニーは数字を数えた。
 ゆっくりと三十数えたところで、そっと体を起こす。
「ジャロリーノ殿下っ、お時間ですよ。起きてください!」
 ぽろっと落ちた腕。その手を握り、指にキスをする。
「殿下。お父上がお待ちです」
「んん……」
 シンフォニーの手を振り払うように寝返りが打たれた。
「殿下ー。朝ですよ。まだ夜の七時ですが」
「……うん、わかった……てば…… 」
 起きるとは思えない感じだ。
 そう言えば、陛下が何か言っていた気がする。
 ユーサリーが待っている、とかなんとか。
 ユーサリーといったら、ユーサリー・グロウ王のことだろう。
「ジャロリーノ様、ユーサリー陛下がお待ちなんだそうですよ」
「んー……ユーサリー……おじさまが……なに……? ………………はっ!」
 ジャロリーノ殿下は瞬時に覚醒した。
「うわああああ! ユーサリーおじ様あああ!」
 そして絶叫して飛び起きた。



 続く。
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