虹の向こうの少年たち

十龍

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《37》

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 少し眠っていたみたいだ。
 ジャロリーノは綺麗に整えられたベッドの中で目を覚ました。
 あまりにも整然としていたので、朝方の出来事は夢の一部なのではないかと思った。
 けれど最近は、夢だと思っても夢ではないことがある。
 夢か現実か判別しがたい場合、それがどうか夢であって欲しいくらいの酷い内容なら、夢だと信じたい。
 けど、判別しがたいならばきっと、それは現実なのだろう。
 ジャロリーノは体に残るリアルな感触を認め、チャコールとの出来事は夢ではないのだと結論した。
 第一、あれは別に夢であって欲しいと願う内容ではない。
 ちょっと気恥ずかしいだけだ。
 それにチャコールは慣れているだろう。気にもとめていないに違いない。
 朝から体力を消耗したせいて気だるかった。ジャロリーノは十分ほどベッドの中でゴロゴロ過ごし、その後シャワーを浴びた。
 部屋に戻ると、暖炉に火が入っていて、テーブルにはホットミルクが置いてある。
「冷えますので早くお着替えください」
 どこからともなくチャコールの声がして、自分でも大げさだと感じるくらいビクついてしまった。
 チャコールは背後にいた。
 決して近い距離ではないが、それにしては気配がない。
 まあそれはそうだ、本来は気配を消して生きる奴隷なのだから。
「着替えは?」
「ベッドの上にご用意しております。今朝も食堂でお勉強されますか」
「うん。する」
「そう思いまして、制服とは別です。制服はお食事が終わられるまでにコーディネートしておきます」
 昨日はああでもないこうでもないと時間をかけていたので先手を打たれた。
「ミルクは飲めますか?」
「飲めるか? って……、飲むけど」
「では早く服を着て、いえ、その前に……」
 そう言って、チャコールはチェストの引き出しからクリームの缶を取り出した。
 ジャロリーノは目を見開いた。
 そして慌ててそれを奪い取った。
「自分でやるって!」
 そのクリームはいつも風呂上がりに体に塗っているものだ。
 チャコールを含めた世話係りがいつもしてくれるが、今は人に体を触られたくない。
 いや、チャコールに触られたくないのだ。
 クリームなど塗られたら、その最中に変な気分になりそうだ。
 朝の生々しい感覚は、まだ肌のすぐ下でくすぶっている。
「しかし、背中などには届かないでしょう?」
「届くよ!」
 いや届かないが。
 それでも意地になって、クリームを自分で塗った。
 チャコールは無表情でその様子を見ていて、ジャロリーノは視線を感じながら着替えを急いだ。
 絶対に今、塗れていない場所をチェックしてた。
 几帳面そうなので、内心イライラしているかもしれない。
 ジャロリーノはあまり几帳面ではないが、シェパイはかなり几帳面なので、たまに予期せぬ場面で苛立たせていた。チャコールもシェパイ側の人種に思える。
 そろりと顔色を窺うと、チャコールは視線だけをそらした。
 暖炉の前の椅子に腰かける。スツールの上に足を乗せ、適度に温かいカップを手のひらで包んだ。
「蜂蜜入りですから」
 蜂蜜。
 シェパイが用意してくれたものだろうか。
「……」
「飲めませんか?」
「飲むってば」
 一口含めば、幸せが口一杯に広がる。
「美味しいですか?」
「うん」
「それは良かった」
 体が芯から温まる。
「……この蜂蜜は……シェパイが用意したやつか?」
「ミルクは郊外の牧場から。蜂蜜はシェパイ様がラブラドラの養蜂場に掛け合って手に入れたものです」
「……」
「ラブラドラには巨大養蜂場があります。古来より蜂蜜は栄養の宝石と呼ばれてきました。アウロラの一部となる前からラブラドラでは養蜂が盛んで、現在もその研究において世界の最先端といえるでしょう。……栄養価が高く上質な蜂蜜はラブラドラ産だと決まっている、そう言われるくらいには。しかし、ラブラドラはアウロラの他の地域との交流を断っておりますので、手に入れるのはとても困難なのです。とくに、……戦争中は。戦後になってやっと出回りましたが、大半が偽物で、本物を入手するのは本当に骨が折れたと思いますよ」
「……ふうん。そんな苦労して用意してくれたんだ……」
「ネイプルス城では質の良い蜂蜜を切らさぬように用意しておりますけれど、シェパイ様が手に入れた蜂蜜は特別稀少です。……すべては、ジャロリーノ様の健康のために、……」
「……」
 

 ホットミルクと暖炉のおかげで指先までほかほかしてきたので、ジャロリーノは重い腰を上げ、勉強道具を持つと食堂に向かった。
 食堂まではチャコールは付いてこない。
 代わりにオペラが待ち構えている。
「おはようございます。ジャロリーノ様」
「うん、おはよう」
 昨日と同じ場所に座り、兄たちのドリルを開く。
 それだけで脳の一部に小さな竜巻が生まれた。
 完全に脳細胞が、これは苦手! とトラウマを植え付けられている。近くに人がいなければ、すぐさまドリルを閉じていただろう。しかもオペラは絶妙のタイミングで、
「紅茶をどうぞ」
 とか、
「甘いものは脳を活性化させるのですよ」
 と言って、テーブルに蜂蜜入りの紅茶や、焼きたてのお菓子を置いてゆくのだ。
 サボりたくなると接触してきて、直ぐに距離を取る。
 煩いよ! とか文句を言う隙も与えられない。
 ジャロリーノは良いように操られ、頭を叩きながらドリルを解き続けた。
 周りに使用人達が増えてきて、朝食の準備が整えられてゆく。
 勉強をしながら、ジャロリーノは随分と甘いものを食べ、蜂蜜の入った紅茶をポット一つ分飲んでいた。
 朝食は入るだろうかと不安になるも、勉強をやめて朝食の席につくと、しょっぱい味付けだったので夢中で口にほおばってしまった。
 食べすぎた。
「く、苦しい……」
「そんなことを言うと、チャコールが剣持ってやってきますよ?」
「無理! 朝は無理! 学校に行く体力なくなる!」
「そうですね。せっかく学校に行っても、授業中に居眠りしてしまうかもしれませんね」
「そうだよ。せっかく単位増やそうとしてるとこなのに、居眠りなんてしたら減らされちゃうかもしれないだろ」
「単位……増やそうと……?」
「あ!」
 しまった、単位の取得状況を調べたことは誰にも言っていなかったのだった。
「いやー、ほら、戦争で? 出席日数が足りなかったり? アフタも早めに単位を貯めておこうとしてるし、俺もそのつもりなんだよ。うん」
「そうだったのですね。素晴らしいです」
「だ、だろ? あははは」
 オペラはニコニコ笑っている。信じてくれただろうか。
「戦争世代が帰ってきて、その世代と大学入学を競わなくちゃいけないって言われたら、焦るじゃないか」
「戦争世代、ですか。兵士上がりは粗野ですので、お気を付けくださいね」
「うん。クラスメイトも怖がってるんだ。俺も何人か見かけたけど、大人の雰囲気があって、学校には異質だったな。……それだけじゃなくて、なんだか少し怖い感じだった。けど、親切な先輩もいたよ。耳当てを学校内で落としちゃってさ、見つけてくれたんだ」
「そんなことがあったのですか。お礼をしなくてはなりませんね。どなたかお分かりですか? ネイプルス家からもお礼の手紙を出さなくては」
 大げさな対応かもしれないが、ジャロリーノの耳当てがどれだけ大事な物かはネイプルス家の人間なら誰もが知っている。
「確信はないんだけれど、あれはきっと、グラファイト家の子息だよ」
「……グラファイト……」
「フー・グラファイトだと思う」
「……フー・……グラファイト……、……ですか……」
「……オペラ?」
「……いえ、すみません。あの、ジャロリーノ様、その方はフー・グラファイトで間違いなのですね?」
「んー、確証はないんだ。名前を名乗られたわけじゃないし。でも、なんか、そうだと思ったんだよなぁ」
「……、そうですか。もしも確実にお分かりになりましたら、お知らせください」
「うん。分かった。探して聞いとく。俺もちゃんとお礼を言わないといけないし」
「……、それでしたら、ジャロリーノ様に護衛の奴隷をお付けしなければなりませんね」
「ん? なんで?」
「相手は、粗野な戦争帰りですから。危険です」
 ずいぶん過保護な言い分だとジャロリーノは笑いそうになったが、戦争帰り達の雰囲気を思いだせば、用心に越したことなないような気がしてきた。
「じゃあ、付奴隷を父上に催促してみようかな。……、気になってる奴隷が一人いるんだけど、……お願いすれば、父上は与えてくださるだろうか?」
「どのような奴隷ですか?」
「えっと、オペラは知ってるかもしれない。シンフォニーっていう奴隷で、昔一度ネイプルス城に来たって言ってた」
「シンフォニー。ええ、存じております」
「そっか。でもさ、王宮に近衛として就職が決まってるんだって。サーリピーチは俺に勧めてくれたんだけど、王様が反対してるみたいで……。俺のものにできるかなあ? 俺の奴隷になってくれるかなぁ」
「ジャロリーノ様……、シンフォニーが聞いたら喜びますよ。泣いて喜びます。号泣します」
「そこまで?」
「はい。今、ジャロリーノ様がおっしゃったお言葉は、奴隷にとって一生に一度でいいから言われてみたい言葉なのです」
「え!」
 嘘だろ。
 恥ずかしい。
「ああ、私も言われてみたかったですね……」
 オペラはうっとりした表情で遠くを見た。
 ジャロリーノはますます恥ずかしくなった。
「うっわ、もう絶対言わないように気をつける。恥ずかしすぎる」
 のたうち回りたいくらい恥ずかしい。
「そんな。なるべく口に出すようにしてください。それだけで、奴隷は有頂天になって尽くしますよ」
「それが恥ずかしいんだよ!」
 手で顔を覆ってジャロリーノは叫んだ。ああ、もう、うっかり変なこと口走ってしまった。なかったことにしたい。なかったことにしたい。
 ひとしきり悶絶してから、ジャロリーノは手を外した。
「はぁ……」
 顔の熱っぽさが全然引かない。きっと赤く染まっているだろう。
「……素直に言ったら……、王様じゃなくて俺を選んでくれるかな……」
 ジャロリーノ様と優しく呼んでくれて、抱きしめてくれて、キスをしてくれるだろうか。
 思い出したら胸がきゅっと締め付けられる。
 そしてなぜかシェパイのことが頭をかすめて、ジャロリーノは涙が出そうになって、シンフォニーのことを強く思い浮かべた。
 シンフォニーだったら、きっと愛してくれる。
 きっと、受け入れてくれる。
「へ、……変かな、……こんな風に、あの奴隷が欲しいな、って思うのって……。執着するのって、異常?」
「とんでもない。理想の関係ですよ」
「そ、そっか。なら、……よかった」
 ジャロリーノはうつむいた。
 理想の関係か。救われた気がした。
「でもさ、まだ会って数時間だけなんだよな。……、それなのに父上にお願いするのは早過ぎかな」
「けれどサーリピーチが勧めたのであれば、ジョーヌ様もその価値を認めていると思いますよ。それとも他にも候補がいるのでしょうか?」
「候補は……もう一人いたけど……。あっちは…………嫌だ」
「……、でしたら今日、シンフォニーの元を訪ねてはどうでしょうか」
「え、今日?」
 いきなりすぎる。
「でも、その、父上に言ってないし、」
「ジャロリーノ様はもう一人で黒鳥宮に入れます。裏からは年齢制限がありますのでまだ無理ですが、表からでしたら」
「けど仕事じゃないし」
「仕事もされればいいのですよ。サーリピーチに話は通しておきます。黒鳥の仕事は膨大ですし、覚えなくてはならないことが山のようにあります。大学卒業と同時に本格的に仕事に入れるようにしなくてはいけません。今日からサーリピーチの元で学び始めてもいいと思います。そして仕事帰りに、お気に入りの奴隷を探しに行くのです。ジョーヌ様も、アメシスト様も、そうやって手持ちの奴隷を増やしてゆかれたのですから」
「そ、そうなのか?」
「そうですよ。この城の奴隷のほとんどは、ジョーヌ様とアメシスト様が一人ひとり選び、連れてきたのですよ。その中でも特にお気に入りを傍付きとしているだけで、コフィとかクリームとかレドベリィなんかは別格中の別格と思ってください」
 そうだったのか。
 物心ついたときからネイプルス城にいる奴隷ばかりだったので、全員ネイプルス城で生まれ育った奴隷なのだと思っていた。
「……、じゃあ、俺が気に入った奴隷も、例えば……付奴隷じゃなくても連れてきていいの?」
「付奴隷じゃなくても……、ということは、性奴隷とかですか?」
「せ、性奴隷?」
 オペラの言葉にジャロリーノは悲鳴を上げそうになった。
「そんな声を裏返して驚かなくても」
「だ、だ、だって、だってさぁ、……性奴隷って……」
「性奴隷は二三人持っていて損はありませんよ」
「ええ?」
 そうなの?
 そうなの?
 もう訳が分からない。刺激が強すぎる。
「付奴隷も夜のお相手をすることもありますが、やはりそこは専門の奴隷に任せたほうがいいのです。付奴隷はなるべく昼間、つまり主が起きているときに行動を共にしなくてはいけません。夜まで一緒だったら、不眠不休になりますからね。性奴隷は、無防備にならざるをえない状況の主のすぐそばで、周りを監視する役目を持っています。簡単に言えば、眠っているときです。性行為をするためだけの奴隷ではなく、例えば、自分の家など比較的安全な場所でしたら、一人でゆっくりベッドでお休みになられたり、恋人や夫婦で過ごされても問題ないかと思います。けれど、どこか出張や公務に行かれた際、見知らぬ土地であったり安全性に不安がある場合などでは、寝ている間に殺されるかもしれません。そのようなときに、ベッドに引き入れて警護をさせる、それが性奴隷の使い方です」
「へ、へー。そんな使い方をするんだな……」
 胸の中ではドキドキと大きな音が鳴り響いていて、外に漏れだしているんじゃないかと不安になるほどだった。
「暗殺奴隷を侍らす者もいますが、暗殺奴隷は性技に長けているわけでもないですし、体もその様に訓練しているわけでもないので、よっぽど相思相愛でなければ性奴隷を選んでおくのが安パイです」
 ということは、チャコールに自慰の手伝いをさせるのはやはり止めたほうがいい。
 だいぶ無理をさせていたに違いない。
 そのためにも、早めに自分の奴隷を見つけよう。
 付奴隷と、性奴隷と。
 性奴隷。
 駄目だ、刺激が強すぎる。
「まあ、付奴隷や性奴隷以外にも、信頼のおける近衛をつけたり暗殺奴隷をつけたり、歌姫を囲ったり、ダンサーを育成したり、他の貴族に自慢できる奴隷を集めるのも楽しいですよ。黒鳥には超一級の奴隷が集められていますが、他の奴隷館から掘り出し物を見つけるのもよし、階級の低い奴隷を育成して、下剋上なみの出世をさせてみるのもよし、引退間近もしくは隠居生活している優秀な老奴隷を引き抜いて、茶飲み友達にしてみたり。もしくは後進の指導に当たらせたり。性奴隷としても意外と壮年の奴隷が人気だったりするんですよ」
「ほんとかよ」
「テクニックが違いますからね、そこは。桁違いです」
 桁違い。
 桁違いか。
 桁違い。
「………………」
「……少しおしゃべりが過ぎましたね。失礼いたしました」
「……うん……」
「ああ、そろそろお出かけの支度をなさらないと。ジャロリーノ様、今朝も寒さが厳しいので、玄関からお車に乗っていったらいかがですか?」
「……んー……。いや、歩く」
「かしこまりました」



 ジャロリーノは部屋に戻り、気分を変えようと歯磨きをした。
 多めにつけた歯磨き粉はスースーするので、口の中が寒い。そのため暖炉の前で磨いていたら、チャコールに渋い顔をされた。
 口をゆすぐために渡されたコップにはお湯が入っている。
 洗面台のそばには持ち運びストーブが一つ増やされていた。
「……」
 随分サービスが良くなったものだ。
 暖炉の前での歯磨きがよほど気にくわなかったとみえる。
 用意されていた制服に着替えると、チャコールは無言でやってきて髪のセットを始める。
 それが終わるとジャロリーノをじっと見つめ、手にしていた顔用の保湿クリームの蓋を開けた。
「……」
 その間、チャコールの目はジャロリーノから動かなかった。
 体用クリームで逃げらたので、顔用では逃さない。
 そんな強い意志が感じられた。
 顔をくりくりマッサージされて、手の指先もよく揉まれた。
「椅子にお座りください。ブーツの手入れを終わらせております」
「あー、ありがと」
 椅子の横にロングブーツが置いてあり、座ったジャロリーノがそれに手を伸ばそうとすると、
「足を乗せてください」
 と、チャコールが目の前に膝をついた。
「?」
 ジャロリーノは首をかしげた。
「……」
 するとチャコールは無言でジャロリーノの足首を持って自分の太腿の上にのせたのだ。
 そうされても、ジャロリーノは意図が分からなかった。
 理解したのは、流れるような手つきでブーツを履かされ始めてからだった。
 あっという間に左右の足がブーツに通された。
「さあどうぞ」
「ありがと」
 チャコールは立ち上がり、ジャロリーノにも促す。
 それから手早くコートを着せられマフラーを巻かれ、手袋に耳当てに、最後にもう一枚マフラー。物凄い手際のよさで外出支度を完成させられた。
 持とうとした鞄も先に持たれた。
 そしてスタスタとドアまで行き、先に部屋を出る。慌てて追いかければ、チャコールはドアを開けたまま待っていた。
 全て先に行動されて、なんだか調子が狂う。
「俺、そんなにちんたらしてた?」
「いえ。では、参りましょう」
「え、ちょっと待って」
 先導するようにチャコールは先を行く。
 速足になってようやく隣に並ぶことが来た。
「なあチャコール」
「なんでしょう」
 ジャロリーノは、周りに誰もいないことを確認して、こそっと告げた。
「昨日と今日と、悪かったな」
「……言っている意味が分かりませんが」
「その、……オナニーの手伝いさせて」
「……」
「気持ち悪かったろ?」
「ですから、そんなことは、」
「もうやめるからさ。今日黒鳥に行って、自分の奴隷を探してくるから」
「……」
「気になってる奴隷がいるんだ。……、秘密だけど、その奴隷と、……エッチなことをしたんだ。……、だから、……多分、チャコールに変なことさせなくても大丈夫になると思う。……、その奴隷が俺のものになってくれればの話しだけどさ。もしその奴隷が俺のものにならなくても、俺の変態行為に付き合ってくれる性奴隷を探すから」
 ジャロリーノはチャコールの手から鞄を取った。
 そして顔を見上げて、ニッと笑って見せる。
 いつも不愛想なチャコールは、やっぱり不愛想なままで、せっかく作った笑顔が苦笑いに変わってしまった。
「じゃ、そうゆうことだかから。……学校行ってくるな。夜の剣の稽古までには帰ってくるから」
 ジャロリーノが先を歩き、チャコールが後ろからついてくる。
 長い廊下の先に玄関に付くと、オペラが扉の横に控えていた。
「ではジャロリーノ様、お気をつけて。帰りのお迎えには、私も車に同乗して伺います。黒鳥宮には連絡を入れておきますので、この件については心配なさらず、勉学に専念されてください」
「わかった。ありがとう。じゃあ行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
 オペラとチャコール、そして数名の使用人に見送られて、ジャロリーノは城を出た。
 外は晴れていたが、昨日よりも日の出が遅くなっていて、空はまだ薄暗い。
 星が光っている。
 東の空は白んでいるが、森に入ればその明るさも木々の陰に隠れてしまった。
 代わりに地面には黒い影が沈んでいる。
 そろそろ登校も車のほうが安全かもしれない。
 今年は今日までだろうか。
 年内最後の、朝のネイプルスの森。あらためてそう思うと、ジャロリーノは勿体ない気分になった。
 



 登校すると、学校が少しざわついていた。
 余裕をもって到着したので、慌てることなく荷物をロッカーに仕舞う。耳当てはちゃんとチェストの上に置いて、鍵をかけるときも再確認した。
 ロッカーを出るところで、クラスメイトに出会った。
 挨拶をし、なんとなく一緒にクラスに向かう。
「なんだか騒がしい気がするんだけど、なんかあったのか?」
「ああ。寮で、ちょっと」
「喧嘩?」
「……決闘」
「決闘? なにそれ」
「……、主従関係をめぐっての、真剣勝負なんだってさ。勝ったほうが親指、負けたほうが小指。負けたほうがショックで……自殺しかけたんだ」
「えっ」
「未遂に終わったけど。負けたほうが爵位が上だったんだよ……」
 つまり、下位の貴族が主になってしまったわけか。
 上位の貴族にとってはこれ以上ない屈辱だろう。
 二番目の兄、セレステも決闘をして勝ち、相手に小指の指輪をねじ込んでやったと自慢していたことがある。
 ネイプルス家は貴族の頂点だ。
 相手も自殺するほどのショックではなかっただろう。
 けれど、もしも逆だったら。
 想像したらゾッとした。
「こわ。俺だったら、決闘なんてしないなー。負けたらネイプルス家の凋落につながる」
 ジャロリーノはついそう言ってしまった。
「ジャロ、お前、負ける気でいるのか?」
「いや、だって。勝つとは限らないだろ?」
「……ふうん。……、そっか」
「なに?」
「いや、なんでも……」
「なんだよ。だってそうだろ? 俺、決闘になったら背水の陣だ」
 負けたら、ネイプルスの名前を捨てて、すぐさま死のう。
 汚辱を背負って生きてゆくことなどできない。
 クラスに着くと、そこも決闘とやらの話題で持ちきりだった。
 みんな、どこか暗い表情で、ぼそぼそと会話をしている。
 アフタはまだ来ていないようだった。
「……、ジャロリーノ。お前、今日も一人か?」
「え? うん。いつも通り」
 アフタとは反対隣りのクラスメイトが訊ねてくる。
「アフタは? 今日も一緒じゃないのか?」
「あー、少し前まではグロウ王もアフタもネイプルス城に滞在してたけど、昨日からは違うんだ。だから分かんないな。多分、来るとは思うんだけど」
 けれどアフタは来なかった。
 朝、担当教諭からアフタが休みであることが告げられ、そして、寮で起こった事件に動揺しないようにと言葉が添えられた。
 一時間目が終わると、ジャロリーノの周りに人が集まってきた。
「なあ、昨日の帰り、戦争帰りに目をつけられてただろ?」
 クラスメイトの一人が言った。
 フー・グラファイトのことだろうか。
「目をつけられたっていうか、落とし物を届けてもらっただけなんだけど」
「でも接触されたんだろ?」
「接触と言われたら、そうだな」
「お前、絶対に一人で行動するなよ?」
「え、ええ?」
 すると別のクラスメイトが泣きそうな顔になってジャロリーノの机に両手をついた。
「もう! ジャロリーノは寮生じゃないから呑気でいられるんだ! 今回の決闘、持ちかけたほうも勝ったほうも、戦争帰りなんだよ! あいつら、自分たちの腕に自信があるからってやりたい放題なんだよ!」
「ともかくな? お前、ひょろっこいじゃん。弱そうじゃん。チビだし」
「おい。喧嘩売ってんのか」
「聞けよ」
「いや聞き捨てならないし」
「いいから聞けって。しかもちょっと、……金髪が……黒いだろ」
 それはジャロリーノの最も気にしているコンプレックスだった。
「俺たちはわかるよ? お前の金髪が綺麗だってことは。珍しいし、つやつやで手入れも行き届いているし。……だけど、……調子こいてる戦争帰りには、恰好の餌食なんだよ」
「心配なんだよ! 一人でふらふらされたら、戦争帰りに囲まれて、……四方八方から小突かれそうで」
「棒で突かれるひよこみたいに」
「ピーピー泣いて、巣から落っこちて、食べられちゃいそうだし」
「お前ら、遠回しに決闘申し込んでるなら、受けて立つぞ?」
「いや、決闘無しでいいです。ネイプルスの傘下に入れてくれるならよろこんで小指の一本くらい差し出させていただきます」
「うちも。ネイプルス印のなんか欲しい。貿易に有利だって噂はかねがね聞いてます」
「準男爵でいいから爵位欲しいな、ご主人様」
「お前の下僕になったら、ネイプルスだけじゃなくてグロウの恩恵も受けそうだから、むしろ是非」
 冗談か本気か分からないけれど、まったく媚びない態度で媚びられた。
「てゆーか話を逸らすなよ、ジャロリーノ! 心配なの! だから今日は集団行動必須な! 俺らも五人くらいで行動するから」
「戦争帰りを見つけたら全力で逃げる! これはもう寮では鉄則になってるからな」
 二時間目の始まりの鐘が鳴ると、クラスメイトたちは一糸乱れぬ動きでそれぞれの机に戻った。
 午前の授業がすべて終わり、食堂に向かうのもほとんどクラスメイト全員で行動した。
 いつも無視されていた、孤立しているクラスメイトも一緒だ。
 それでも数人は別行動だった。
 ちょっと心配になったが、どうやら一緒に行動する友人がいるらしかったので、大丈夫だろう。
 集団行動が功を奏しているのか、戦争帰りと思しき先輩とすれ違っても問題は起こらなった。
 午後には教室移動が連続していたけれど、そこでも学習班で行動した。そのおかげか、これまであまり会話をしたことのないクラスメイトと距離が縮まった。
 そうして、一日は無事に終わろうとしていた。
 ジャロリーノは放課後、職員室へ向かった。単位取得の小テストを受ける為だ。
 一応、心配性の友人も数人一緒について来てくれた。
「失礼します」
 声をかけて職員室の扉を開けた。
 しかしそこは、修羅場と化していた。
 教師たちが血相をかけて喚き散らし、紙類が散らばるのも気にも留めずに、忙しく動き回っている。
 怒鳴り声も聞こえ、泣きそうな声もした。
「今は入っては駄目だ! 後にしないさい!」
 近くにいた教師によってぴしゃりとドアが閉められた。
 ジャロリーノも、クラスメイト達も面食らって、しばし動けなかった。
 職員室の喧騒とは裏腹に、廊下は静かだ。
「……なんだ?」
「なんかあったのかな?」
「今朝の、……あれのせいかな?」
「だろうなぁ……」
「今日はよしたほうが良いな」
「だな。しばらくは……それどころじゃなさそうだな」
 ジャロリーノたちは言葉少なにその場を離れた。
 そしてロッカーに向かう途中、救急隊がやってくるのを見た。
 廊下の静けさとは真逆で、遠くかは騒がしい。
 生徒の悲鳴や大人たちの怒鳴り声がかすかに響いている。
「……どうしたんだろ」
「朝の自殺未遂なら……もう病院に行ったよな」
「まさか、二度目の自殺を図ったとか?」
「いや、だって病院だろ? でなくとも、親元に戻されてるんじゃないか?」
「だよなぁ……」
 ジャロリーノ以外の寮生たちがぼそぼそと話している。
 それから各々のロッカーに散って、帰り支度をした。
 異様な緊張に包まれていた。
 ジャロリーノも、全身が妙に冷えている。
 寒さとは別の、心が冷えてゆく感じだ。
 そして再び集合すると、全員奴隷を傍に連れていた。
「へえ、勢ぞろいか。初めて見た。壮観だな」
 クラスメイト達の奴隷がそろっているところを見たのは初めてだった。
 全員がやはり純アウロラン。綺麗な少年たちだった。
 だがその少年たちの表情が暗い。
「ジャロリーノ、お前、……明日から奴隷を連れてきたほうが良いぞ」
 クラスメイトの一人が言った。
「付奴隷でなくていいから、腕の立つ奴隷、連れて来いよ。お前の家ならたくさんいるだろ?」
「……どうしたんだ?」
「……、今朝、……決闘に勝った戦争帰り、……死んだってさ」
「……は?」
「殺されたんだ。……射殺。頭打たれて、即死だってさ」
 何が起こっているのだろう。
 ジャロリーノにはついてゆけない。
「ジャロリーノ様!」
 その時、オペラの声が響き渡った。
 振り返ると、黒いロングコートにネイプルスの紋章飾りを付けたオペラが向かってくる。
 いつもの柔和な表情ではなかった。
 周囲の人間たち、貴族も奴隷も関係なく、足を止めてその姿を凝視している。
 オペラはすぐにジャロリーノを抱き寄せた。
「ああ、ご無事でよかった。さあ、参りましょう。ご友人方もなるべく早めにお部屋にお戻りになってくださいね。それでは失礼いたします」
 オペラはジャロリーノの腰を抱くようにして歩き出した。
「え? オ、オペラ?」
「ご友人方に挨拶はどうしました?」
「え、あっと。あー、じゃ、じゃあな。また明日」
 ジャロリーノは慌てて挨拶をし、それを見届けたオペラに強く引き寄せられる形で歩き出した。
「ジャロリーノ、またな」
「気を付けてな」
 後ろから友人たちの声が聞こえた。
 なにが起こっているのだろう。
 理解が追いつかない。


 続く。
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