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225.思いがけない幸運
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琴子のお願いに、義昭が快諾する。
「あぁ。僕たちが留守の間、母さんがいてくれて構わないよ」
それを聞き、美羽の心に影が差す。
もちろん琴子に頼まれれば嫌とは言えないが、自分たちがいない間に義母に我がもの顔で家を占拠されるのは、あまり気持ちのいいものではない。それを義昭が美羽に尋ねることなく決めてしまったことにも、憤りを覚える。
すると、琴子が縋るように息子に更にすり寄った。
「ねぇ、ひとりじゃ不安だから義くんも一緒にいてくれないかしら? 美羽さんの実家に、どうしても義くんも行かなきゃいけないの?」
「どうしてもってわけじゃ、ないけど……」
義昭が困ったように、美羽を窺い見た。美羽の眉がピクッと痙攣する。
う、そ……
ほん、とに?
美羽は戸惑いつつ、口を開いた。体温がほんのりと上がり、鼓動が小刻みに震える。
「今回の帰省は私と隼斗兄さんだけで行くから、義昭さんはお義母さんの側にいてあげて。きっと今は心細いだろうから、義昭さんがいてくれたら安心だろうし」
眉を下げて『仕方ない』という表情を作ったが、心の中では歓喜に沸いていた。
義昭が琴子と残ることになれば、暫くは義昭と離れていられる。これは、願ってもないチャンスだ。
義昭は暫く迷っている様子だったが、やがて頷いた。
「分かった……
じゃあ、美羽。悪いけど今回は僕は体調が悪いからってことで、話しておいてくれるか」
美羽は思わず笑顔になりそうになった口角をキュッと引き締め、「分かったわ」と答えた。
琴子が美羽をチラッと見つめてから、義昭に上目遣いで尋ねた。
「もう客間は弟さんの部屋になってるって聞いてるから、私はどこに寝たらいいかしら?」
美羽はビクッと震えた。本来なら自分の部屋を譲るべきだと分かっているが、美羽のいないのをいいことに家探しされそうで怖い。電動マッサージ器は既に捨てたので見られて恥ずかしいものはないが、父の遺産に関する書類を置いていた。それを持っていかれたところで既に分与は終わっているので何も出来るはずがないとは思うものの、それでも何かされたらと不安だった。
以前の美羽なら自分の部屋を義母に気持ちよく貸しただろうが、今回の騒動により、美羽の琴子に対する気持ちは激変してしまった。
部屋は類が早く帰ってきた場合を考えて鍵を掛けてあるが、それは今自分が持っている。
もし、自分の部屋を貸して欲しいと言われれば断る理由がない。
俯いたままの美羽の様子を見て、義昭が口を開いた。
「じゃあ、母さんは僕の部屋で寝ればいいよ」
「あらそう? 悪いわねぇ」
琴子は、言葉とは裏腹に嬉しそうに答えた。
義昭さん、お母さんなら受け入れられるんだ……
そう美羽が思ったのは、他人を自分の領域に入れたがらない義昭は、自分のベッドに美羽を寝かせたこともなければ、部屋に招き入れることもなかったからだ。夜の営みの際には常に義昭が美羽の部屋を訪れ、事に及ぶ。
美羽が義昭の部屋に入るのは掃除をし、ベッドのシーツを替える時のみだ。その時も、デスクの上のものは決して触らないよう言われていた。といっても、いつも綺麗に片付けられているので何もすることがないのだが。
一度だけデスクの上に置きっぱなしにされていたグラスを片付けたことがあったが、その時には激昂された。
それゆえ、義昭の部屋に入る時にはまるで他人の家にお邪魔するような気持ちになる。
もし美羽に義昭への気持ちがあれば、どうして琴子は義昭のベッドに一緒に寝かせてもらえるのに、自分は一度もないのかと不満に思ったかもしれないが、今の美羽にはそんな気持ちなど毛頭《もうとう》ない。
むしろ、美羽の部屋のベッドで寝ると琴子に言われなくて安堵したぐらいだ。
琴子が息子の顔を窺う。
「義くんはどこで寝るつもりなの?」
「僕はリビングのソファにでも寝るよ」
それを聞き、琴子は笑いながら手をヒラヒラさせた。
「あら、その必要はないわよ。義くんのベッド大きいんだから、ふたりぐらい余裕で寝れるでしょ」
ぇ。お義母さん、義昭さんと一緒のベッドに寝るつもりなの?
美羽が驚いていると、義昭は母親の言葉を自然と受け止めた。
「あぁ、そうだな。
ソファじゃゆっくり寝られないし、そうするよ」
美羽の背中に寒気が走る。子供が小さいうちならともかく、いい歳した母と息子のあまりにべったりな関係に不快感を覚えた。
それは、嫉妬とは全く異なる次元のものだった。
琴子はパァッと表情を明るくし、義昭に躰を預けるように傾けた。
「あぁ良かった! 義くんが一緒にいてくれるなら安心だわぁ。久しぶりの母子水入らずもいいものよねぇ」
琴子にはホテルに泊まるという選択肢だってあるのだが、それはハナから考えていなかった。
琴子は何かを一人でするということを今までしたことがない。一人暮らしや一人旅はもちろん、どこかに泊まったり、レストランや喫茶店すら一人で入ったことがなかった。
だから、いくら息子の家とはいえ、ずっとそこに一人でいなければならないという状況が琴子には受け入れがたかった。
琴子が離婚という重大な決意をしたにも関わらず大作の元を離れて一人暮らしをしようとしないのは、経済的な問題よりも精神的な理由の方が実は大きいのだ。琴子は離婚を考えた時から自分の子供たちに寄りかかるつもりでいたし、それは当然の権利だと考えていた。
琴子の落ち着き先が決まったところで、義昭が膝を立てて立ち上がった。
「チョッ……美羽、ちょっといいか?」
声がひっくり返ってから慌てて整えた義昭の表情は、緊張を浮かべていた。これから何が起こるのかと、美羽は頬を引き攣らせる。
「う、ん」
不安に思いながらも、義昭から少し離れて後についていく。
「あぁ。僕たちが留守の間、母さんがいてくれて構わないよ」
それを聞き、美羽の心に影が差す。
もちろん琴子に頼まれれば嫌とは言えないが、自分たちがいない間に義母に我がもの顔で家を占拠されるのは、あまり気持ちのいいものではない。それを義昭が美羽に尋ねることなく決めてしまったことにも、憤りを覚える。
すると、琴子が縋るように息子に更にすり寄った。
「ねぇ、ひとりじゃ不安だから義くんも一緒にいてくれないかしら? 美羽さんの実家に、どうしても義くんも行かなきゃいけないの?」
「どうしてもってわけじゃ、ないけど……」
義昭が困ったように、美羽を窺い見た。美羽の眉がピクッと痙攣する。
う、そ……
ほん、とに?
美羽は戸惑いつつ、口を開いた。体温がほんのりと上がり、鼓動が小刻みに震える。
「今回の帰省は私と隼斗兄さんだけで行くから、義昭さんはお義母さんの側にいてあげて。きっと今は心細いだろうから、義昭さんがいてくれたら安心だろうし」
眉を下げて『仕方ない』という表情を作ったが、心の中では歓喜に沸いていた。
義昭が琴子と残ることになれば、暫くは義昭と離れていられる。これは、願ってもないチャンスだ。
義昭は暫く迷っている様子だったが、やがて頷いた。
「分かった……
じゃあ、美羽。悪いけど今回は僕は体調が悪いからってことで、話しておいてくれるか」
美羽は思わず笑顔になりそうになった口角をキュッと引き締め、「分かったわ」と答えた。
琴子が美羽をチラッと見つめてから、義昭に上目遣いで尋ねた。
「もう客間は弟さんの部屋になってるって聞いてるから、私はどこに寝たらいいかしら?」
美羽はビクッと震えた。本来なら自分の部屋を譲るべきだと分かっているが、美羽のいないのをいいことに家探しされそうで怖い。電動マッサージ器は既に捨てたので見られて恥ずかしいものはないが、父の遺産に関する書類を置いていた。それを持っていかれたところで既に分与は終わっているので何も出来るはずがないとは思うものの、それでも何かされたらと不安だった。
以前の美羽なら自分の部屋を義母に気持ちよく貸しただろうが、今回の騒動により、美羽の琴子に対する気持ちは激変してしまった。
部屋は類が早く帰ってきた場合を考えて鍵を掛けてあるが、それは今自分が持っている。
もし、自分の部屋を貸して欲しいと言われれば断る理由がない。
俯いたままの美羽の様子を見て、義昭が口を開いた。
「じゃあ、母さんは僕の部屋で寝ればいいよ」
「あらそう? 悪いわねぇ」
琴子は、言葉とは裏腹に嬉しそうに答えた。
義昭さん、お母さんなら受け入れられるんだ……
そう美羽が思ったのは、他人を自分の領域に入れたがらない義昭は、自分のベッドに美羽を寝かせたこともなければ、部屋に招き入れることもなかったからだ。夜の営みの際には常に義昭が美羽の部屋を訪れ、事に及ぶ。
美羽が義昭の部屋に入るのは掃除をし、ベッドのシーツを替える時のみだ。その時も、デスクの上のものは決して触らないよう言われていた。といっても、いつも綺麗に片付けられているので何もすることがないのだが。
一度だけデスクの上に置きっぱなしにされていたグラスを片付けたことがあったが、その時には激昂された。
それゆえ、義昭の部屋に入る時にはまるで他人の家にお邪魔するような気持ちになる。
もし美羽に義昭への気持ちがあれば、どうして琴子は義昭のベッドに一緒に寝かせてもらえるのに、自分は一度もないのかと不満に思ったかもしれないが、今の美羽にはそんな気持ちなど毛頭《もうとう》ない。
むしろ、美羽の部屋のベッドで寝ると琴子に言われなくて安堵したぐらいだ。
琴子が息子の顔を窺う。
「義くんはどこで寝るつもりなの?」
「僕はリビングのソファにでも寝るよ」
それを聞き、琴子は笑いながら手をヒラヒラさせた。
「あら、その必要はないわよ。義くんのベッド大きいんだから、ふたりぐらい余裕で寝れるでしょ」
ぇ。お義母さん、義昭さんと一緒のベッドに寝るつもりなの?
美羽が驚いていると、義昭は母親の言葉を自然と受け止めた。
「あぁ、そうだな。
ソファじゃゆっくり寝られないし、そうするよ」
美羽の背中に寒気が走る。子供が小さいうちならともかく、いい歳した母と息子のあまりにべったりな関係に不快感を覚えた。
それは、嫉妬とは全く異なる次元のものだった。
琴子はパァッと表情を明るくし、義昭に躰を預けるように傾けた。
「あぁ良かった! 義くんが一緒にいてくれるなら安心だわぁ。久しぶりの母子水入らずもいいものよねぇ」
琴子にはホテルに泊まるという選択肢だってあるのだが、それはハナから考えていなかった。
琴子は何かを一人でするということを今までしたことがない。一人暮らしや一人旅はもちろん、どこかに泊まったり、レストランや喫茶店すら一人で入ったことがなかった。
だから、いくら息子の家とはいえ、ずっとそこに一人でいなければならないという状況が琴子には受け入れがたかった。
琴子が離婚という重大な決意をしたにも関わらず大作の元を離れて一人暮らしをしようとしないのは、経済的な問題よりも精神的な理由の方が実は大きいのだ。琴子は離婚を考えた時から自分の子供たちに寄りかかるつもりでいたし、それは当然の権利だと考えていた。
琴子の落ち着き先が決まったところで、義昭が膝を立てて立ち上がった。
「チョッ……美羽、ちょっといいか?」
声がひっくり返ってから慌てて整えた義昭の表情は、緊張を浮かべていた。これから何が起こるのかと、美羽は頬を引き攣らせる。
「う、ん」
不安に思いながらも、義昭から少し離れて後についていく。
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