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264.なくなっていく逃げ場
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琴子に案内されて居間へと入ると、そこには既に義昭の父である大作が和服に身を包み、どっかりと腰を据えていた。威厳ある佇まいに緊張しつつ、美羽は大作に向かってお辞儀をした。
「は、初めまして。本日はお招きくださり、ありがとうございます」
「座りなさい」
低い声で向かい側の席を示され、美羽は義昭の後に続いて腰を下ろした。琴子とは対象的な、いかにも『昭和の父』といった趣の大作に、緊張が急上昇していく。
大作が琴子に向かって、苛々したように声を上げた。
「圭子はどこだ?」
「け、圭子には今日、家にいるように言っておいたんですけど……目を離した隙に出掛けてしまったみたいで」
「なに!? お前がちゃんと見てないからだろう! ったく、大事な席に家族が揃ってないとは、どういうことだ!!」
「も、申し訳ありません……」
琴子は萎縮しながら頭を下げた。突然始まった夫婦のやりとりに、美羽は戸惑いを隠せない。けれど、きっと家族を紹介したい思いが大作には強かったのだろうと思い直すことにした。
琴子が髪を撫で、スッと立ち上がる。
「み、美羽さん、ごめんなさいねぇ。今、お茶を入れてきますから」
「いえ、お構いなく……」
お茶と美羽の持ってきたのとは違う茶菓子が出されると、おもむろに大作がゴホンと咳をした。
「結婚に関する条件は聞いている」
いきなりそう切り出され、美羽はビクッと肩を震わせた。
「結婚式をそちらのやり方に合わせ、場所も指定、費用もこちらで負担することを条件にしてるとか」
「は、はい……申し訳、ありません」
美羽は睫毛を伏せ、頭を深く下げた。
どんなに自分勝手なことか、分かっている。けれどこの条件を呑んでもらえなければ、美羽は華江の支配から逃れることは出来ない。
隣に座っている義昭が、正座した膝の上の拳を固く握った。その拳は美羽に分かるほどガクガク震え、額からは汗が滲んでいる。
「と、父さん……結婚式の費用は全て僕が出しますから、どうか美羽さんとの結婚を認めてください。お願いします!!」
「義昭、さん……」
そこまでして自分と結婚してくれようとする義昭の思いに感謝しながらも、その裏にある黒い思惑に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
こんなにいい人を騙すようなこと、しちゃいけない。
しちゃ、いけないのに……私は何をしているんだろう。
「お父さん……」
隣に座っている琴子が、心配そうに大作を見つめている。大作はジロリと美羽を睨みつけるように視線を投げかけた。
「養子に入れというわけでは、ないんだな?」
「は、はい。養子は望んでいません。私は『朝野』姓を名乗り、義昭さんのお家に……お嫁入り、します」
そう言って、ゴクリと生唾を飲み下した。後ろめたさから、どうしても大作と目を合わせることが出来ない。
「長男の嫁としての責務を果たす覚悟が、あるということだな?」
大作はそんな美羽の真意を問うようにして、更に畳み掛けてくる。
美羽は、自分の愚かさを呪わずにはいられなかった。
結婚は、美羽と義昭だけの問題でも、義昭と美羽の母親だけとの問題でもない。義昭の家族も巻き込むことになるのだ。
美羽は、改めて思い知った。結婚してしまえば、簡単に離婚など出来ない。この運命を、受け入れる覚悟をしなければならないのだ。
再び、ゴクリと生唾を飲み下す。不安が急激に渦を巻いて押し寄せ、美羽を呑み込もうとする。
本当に……本当に、ここで答えてしまってもいいの?
もし、類がこのまま迎えに来なければ、私は義昭さんと結婚し、朝野美羽になってしまう。
ううん……類が迎えに来たところで、結婚してしまった後では、もう遅いのかもしれない。
ジリジリと身を焦がされるように熱くなってきて、胃がキリキリと捻れて痛い。背中から、じっとりと汗が湧いてくる。
「覚悟はあるのか?」
鬼のように恐ろしい面をした大作に睨まれた美羽は足が竦み、小指すら動かせなかった。
「は、い……あります」
美羽は蚊の泣くような震える声で答えるだけで、精一杯だった。義昭から、安堵の息が漏れる。
美羽は後戻りの出来ないことをしたと後悔しながらも、自分に対して言い訳をした。
たとえ、類が迎えに来なくても……お母さんの支配から逃れるためには、こうするしかない。
だからどうか、類。お願い。
私が義昭さんと結婚する前に、迎えに来て。
大作は仏頂面のまま、今度は義昭に視線を向けた。
「お前も……覚悟はあるんだな?」
「は、はいっ!」
おどおどしながらも声を上げた義昭に、大作は「うむ」と小さく顎を縦に振った。
「……まぁ、朝野家の嫁になるのなら、認めてやろう」
それを聞き、不安そうに夫の顔を窺っていた琴子が歓声を上げた。
「あぁ、良かった!! こんないいお嬢さんがお嫁に来てくれるなんて嬉しいわ。一時期はどうなることかと思ったけど……」
琴子の言葉を、義昭が「母さん!」と慌てたように遮る。それに気づいた琴子がハッとして口に手を当て、目尻を引き攣らせながら微笑んだ。
「あ。ほら……この子って内向的で人見知りだから、女性ともうまく喋れないのよ」
美羽は出会った頃の義昭を思い出し、クスッと笑った。
「はい、知っています」
「そ、そう……本当に安心したわぁ。ねぇ、お父さん?」
大作は、それが普段からの表情なのかムスッとしたまま義昭を睨みつけ、「あぁ」と一言答えると、胸元からタバコを取り出した。
「は、初めまして。本日はお招きくださり、ありがとうございます」
「座りなさい」
低い声で向かい側の席を示され、美羽は義昭の後に続いて腰を下ろした。琴子とは対象的な、いかにも『昭和の父』といった趣の大作に、緊張が急上昇していく。
大作が琴子に向かって、苛々したように声を上げた。
「圭子はどこだ?」
「け、圭子には今日、家にいるように言っておいたんですけど……目を離した隙に出掛けてしまったみたいで」
「なに!? お前がちゃんと見てないからだろう! ったく、大事な席に家族が揃ってないとは、どういうことだ!!」
「も、申し訳ありません……」
琴子は萎縮しながら頭を下げた。突然始まった夫婦のやりとりに、美羽は戸惑いを隠せない。けれど、きっと家族を紹介したい思いが大作には強かったのだろうと思い直すことにした。
琴子が髪を撫で、スッと立ち上がる。
「み、美羽さん、ごめんなさいねぇ。今、お茶を入れてきますから」
「いえ、お構いなく……」
お茶と美羽の持ってきたのとは違う茶菓子が出されると、おもむろに大作がゴホンと咳をした。
「結婚に関する条件は聞いている」
いきなりそう切り出され、美羽はビクッと肩を震わせた。
「結婚式をそちらのやり方に合わせ、場所も指定、費用もこちらで負担することを条件にしてるとか」
「は、はい……申し訳、ありません」
美羽は睫毛を伏せ、頭を深く下げた。
どんなに自分勝手なことか、分かっている。けれどこの条件を呑んでもらえなければ、美羽は華江の支配から逃れることは出来ない。
隣に座っている義昭が、正座した膝の上の拳を固く握った。その拳は美羽に分かるほどガクガク震え、額からは汗が滲んでいる。
「と、父さん……結婚式の費用は全て僕が出しますから、どうか美羽さんとの結婚を認めてください。お願いします!!」
「義昭、さん……」
そこまでして自分と結婚してくれようとする義昭の思いに感謝しながらも、その裏にある黒い思惑に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
こんなにいい人を騙すようなこと、しちゃいけない。
しちゃ、いけないのに……私は何をしているんだろう。
「お父さん……」
隣に座っている琴子が、心配そうに大作を見つめている。大作はジロリと美羽を睨みつけるように視線を投げかけた。
「養子に入れというわけでは、ないんだな?」
「は、はい。養子は望んでいません。私は『朝野』姓を名乗り、義昭さんのお家に……お嫁入り、します」
そう言って、ゴクリと生唾を飲み下した。後ろめたさから、どうしても大作と目を合わせることが出来ない。
「長男の嫁としての責務を果たす覚悟が、あるということだな?」
大作はそんな美羽の真意を問うようにして、更に畳み掛けてくる。
美羽は、自分の愚かさを呪わずにはいられなかった。
結婚は、美羽と義昭だけの問題でも、義昭と美羽の母親だけとの問題でもない。義昭の家族も巻き込むことになるのだ。
美羽は、改めて思い知った。結婚してしまえば、簡単に離婚など出来ない。この運命を、受け入れる覚悟をしなければならないのだ。
再び、ゴクリと生唾を飲み下す。不安が急激に渦を巻いて押し寄せ、美羽を呑み込もうとする。
本当に……本当に、ここで答えてしまってもいいの?
もし、類がこのまま迎えに来なければ、私は義昭さんと結婚し、朝野美羽になってしまう。
ううん……類が迎えに来たところで、結婚してしまった後では、もう遅いのかもしれない。
ジリジリと身を焦がされるように熱くなってきて、胃がキリキリと捻れて痛い。背中から、じっとりと汗が湧いてくる。
「覚悟はあるのか?」
鬼のように恐ろしい面をした大作に睨まれた美羽は足が竦み、小指すら動かせなかった。
「は、い……あります」
美羽は蚊の泣くような震える声で答えるだけで、精一杯だった。義昭から、安堵の息が漏れる。
美羽は後戻りの出来ないことをしたと後悔しながらも、自分に対して言い訳をした。
たとえ、類が迎えに来なくても……お母さんの支配から逃れるためには、こうするしかない。
だからどうか、類。お願い。
私が義昭さんと結婚する前に、迎えに来て。
大作は仏頂面のまま、今度は義昭に視線を向けた。
「お前も……覚悟はあるんだな?」
「は、はいっ!」
おどおどしながらも声を上げた義昭に、大作は「うむ」と小さく顎を縦に振った。
「……まぁ、朝野家の嫁になるのなら、認めてやろう」
それを聞き、不安そうに夫の顔を窺っていた琴子が歓声を上げた。
「あぁ、良かった!! こんないいお嬢さんがお嫁に来てくれるなんて嬉しいわ。一時期はどうなることかと思ったけど……」
琴子の言葉を、義昭が「母さん!」と慌てたように遮る。それに気づいた琴子がハッとして口に手を当て、目尻を引き攣らせながら微笑んだ。
「あ。ほら……この子って内向的で人見知りだから、女性ともうまく喋れないのよ」
美羽は出会った頃の義昭を思い出し、クスッと笑った。
「はい、知っています」
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