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破門宣告
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ニューイヤーコンサートのプログラムは毎年微妙に変えてはいるものの、「ワルツ王」と呼ばれたヨハン・シュトラウス2世とシュトラウスファミリーの作品を中心に構成されている。ワルツやポルカなど、明るく、華やかな新年の幕開けにふさわしい曲が流れる中、美姫の気分は優れなかった。
休憩に入り、秀一は美姫を窺うように顔を覗き込んだ。
「美姫、大丈夫ですか」
その声に美姫はハッとした。せっかく秀一が用意してくれたニューイヤーコンサートの場を台無しにしては、申し訳ない。
「着物の帯をきつく締め付け過ぎたかもしれません。ちょっと、お手洗いに行って直してきます」
美姫はそう言って立ち上がった。
ホールを出て、ざわつく廊下を抜ける。観客たちは皆、正装しており、特に女性はドレスだけでなく、各国の伝統衣装を着ている人もいて華やかだった。
歩いていると、ふと耳に日本語が飛び込んでくる。訪問着を着た40代の女性がふたり、大きな声で話しているのが聞こえてきた。
「まさかニューイヤーコンサートで来栖 秀一を見られるなんて、ラッキーだったわね」
「ほんとね。もしかして、もうこちらに仕事の拠点を移すつもりなのかしら」
「そうかもしれないわね。だって『ピアノの巨匠』の一番弟子とも言われてる程の腕ですもの。今までずっと日本で活動していたのが不思議なくらいよ」
美姫はふたりの前を通り過ぎ、お手洗いに行くと、ハァ...と大きな溜息をついた。
美姫は、自分が責められているような気がしてならなかった。秀一を引き止めているのは自分だと。彼の足を引っ張り、可能性の芽を摘んでいるのは自分だと。
それでも、私は秀一さんを離したくない......
美姫が席へ戻る途中、秀一がモルテッソーニを中心として皆とドイツ語で何やら楽しそうに話し込んでいるのが見えた。
秀一が話すのを、モルテッソーニが頷きながら、カミルが微笑みながら、ザックが賑やかに手を叩きながら、レナードが目を輝かせながら、ミシェルが艶やかな笑みを浮かべながら、見つめていた。
美姫の鼓動が落ち着きなく騒めき、くらりと酔ったように足元がふらつくような意識がした。
やめて。そんな笑顔を見せないで......
私以外の人とそんな風に楽しくしないで......たまらなく、不安になるから。
「秀一さん......」
美姫は席に座り、幼い子供が母親の気を引こうとするように、美姫は話の腰を折るように秀一だけに聞こえる程の小さな声で話しかけた。
「よかった、美姫。少し遅いと思って心配していたのですよ」
秀一さんは、優しい。けれど、いつもと同じ優しさなのに、不安を拭い去ることが出来ない。
秀一は心配そうに美姫の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、美姫」
「えっ?」
「何か、ありましたか?」
「あ...大勢人がいるから圧倒されてしまって」
そう言った途端、休憩の終わりを告げるアナウンスが響いた。秀一は気にしながらも、それ以上追求することはなかった。
あれほど興奮し、楽しみにしていたニューイヤーコンサートだというのに、美姫の心は重く沈んでいた。
考えたくなくても、考えずにはいられない。何度も頭の中から追い出そうとしても、ゴールのない迷路のように、元来た道に戻ってきてしまう。
モルテッソーニの言葉が頭にこだまする。
『シューイチに、世界に誇るピアニストとして、更なる飛躍をして欲しいとは思わないかい?
君にとってもシューイチが大切な存在なら、彼にとって最高の選択肢を与えるべきだとは思わないかね?』
その言葉を聞いた時にも、彼の言っている意味は理解しているつもりだった。
けれど、今日、ニューイヤーコンサートで聴衆の前で紹介された秀一の姿を見たり、何気なく聞いた会話から、どれだけ秀一がピアニストとして賞賛され、認められているのか、嫌という程肌に刻みつけられた気がした。
失いたくない、秀一さんを。
私の愛する人を。
たった一人の私の拠り所を......
お願い、お願い......誰も、奪わないで。
休憩に入り、秀一は美姫を窺うように顔を覗き込んだ。
「美姫、大丈夫ですか」
その声に美姫はハッとした。せっかく秀一が用意してくれたニューイヤーコンサートの場を台無しにしては、申し訳ない。
「着物の帯をきつく締め付け過ぎたかもしれません。ちょっと、お手洗いに行って直してきます」
美姫はそう言って立ち上がった。
ホールを出て、ざわつく廊下を抜ける。観客たちは皆、正装しており、特に女性はドレスだけでなく、各国の伝統衣装を着ている人もいて華やかだった。
歩いていると、ふと耳に日本語が飛び込んでくる。訪問着を着た40代の女性がふたり、大きな声で話しているのが聞こえてきた。
「まさかニューイヤーコンサートで来栖 秀一を見られるなんて、ラッキーだったわね」
「ほんとね。もしかして、もうこちらに仕事の拠点を移すつもりなのかしら」
「そうかもしれないわね。だって『ピアノの巨匠』の一番弟子とも言われてる程の腕ですもの。今までずっと日本で活動していたのが不思議なくらいよ」
美姫はふたりの前を通り過ぎ、お手洗いに行くと、ハァ...と大きな溜息をついた。
美姫は、自分が責められているような気がしてならなかった。秀一を引き止めているのは自分だと。彼の足を引っ張り、可能性の芽を摘んでいるのは自分だと。
それでも、私は秀一さんを離したくない......
美姫が席へ戻る途中、秀一がモルテッソーニを中心として皆とドイツ語で何やら楽しそうに話し込んでいるのが見えた。
秀一が話すのを、モルテッソーニが頷きながら、カミルが微笑みながら、ザックが賑やかに手を叩きながら、レナードが目を輝かせながら、ミシェルが艶やかな笑みを浮かべながら、見つめていた。
美姫の鼓動が落ち着きなく騒めき、くらりと酔ったように足元がふらつくような意識がした。
やめて。そんな笑顔を見せないで......
私以外の人とそんな風に楽しくしないで......たまらなく、不安になるから。
「秀一さん......」
美姫は席に座り、幼い子供が母親の気を引こうとするように、美姫は話の腰を折るように秀一だけに聞こえる程の小さな声で話しかけた。
「よかった、美姫。少し遅いと思って心配していたのですよ」
秀一さんは、優しい。けれど、いつもと同じ優しさなのに、不安を拭い去ることが出来ない。
秀一は心配そうに美姫の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか、美姫」
「えっ?」
「何か、ありましたか?」
「あ...大勢人がいるから圧倒されてしまって」
そう言った途端、休憩の終わりを告げるアナウンスが響いた。秀一は気にしながらも、それ以上追求することはなかった。
あれほど興奮し、楽しみにしていたニューイヤーコンサートだというのに、美姫の心は重く沈んでいた。
考えたくなくても、考えずにはいられない。何度も頭の中から追い出そうとしても、ゴールのない迷路のように、元来た道に戻ってきてしまう。
モルテッソーニの言葉が頭にこだまする。
『シューイチに、世界に誇るピアニストとして、更なる飛躍をして欲しいとは思わないかい?
君にとってもシューイチが大切な存在なら、彼にとって最高の選択肢を与えるべきだとは思わないかね?』
その言葉を聞いた時にも、彼の言っている意味は理解しているつもりだった。
けれど、今日、ニューイヤーコンサートで聴衆の前で紹介された秀一の姿を見たり、何気なく聞いた会話から、どれだけ秀一がピアニストとして賞賛され、認められているのか、嫌という程肌に刻みつけられた気がした。
失いたくない、秀一さんを。
私の愛する人を。
たった一人の私の拠り所を......
お願い、お願い......誰も、奪わないで。
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