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第1話
裸馬と少女 ⑥
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「いいわけがない」
教室の入口で、声がした。聞き知った声だが、ここにいるはずがない人でもあった。
あいは思わず顔を上げていた。
「天道さん」
「やぁ」
天道が軽く手をあげ、教室の中に入って来る。
「ちょっと失礼しますよ」
「なんですか、あなた。入校許可は取ってるんですか」
教師が訝しんだ。
「ええ、取ってますよ。僕はあいの母親の弟の嫁の従兄弟の友達で、まぁ、遠い親戚です」
天道は教師を煙に巻くと、その手から進路希望の用紙を抜き取り、あいの机に置き直した。
「あと、これね。山南が用意していたんだけど、暇だったもんで、届けに来ちゃった」
差し出されたカラー印刷の冊子を受け取った。
「CRA、競馬学校?」
「中央競馬協会。平たく言えば、競馬を運営していて、騎手の育成なんかも手掛けている団体だ」
「ここに行けば、騎手になれるんですか?」
「別に、これだけが道じゃない。地方にも、騎手の養成機関はある。けど、君は強くなりたいんだろう?」
競馬学校のパンフレットから、天道に視線を戻した。天道の、力強い光を宿した瞳が、あいを見つめていた。
誰かの期待に応えられる人間になりたい。
喜ばれる人間になりたい。
山南が保管していた、天道が一着を獲った年の有馬記念の映像を観た時、そう思った。
この人みたいになりたい。
あいがはじめて憧れを抱いた人が、目の前で、言う。
「あい、君ならなれる。誰よりも強い騎手に」
躰が、ぶるりと震えた。自分ならなれる。誰かにそんなふうに言ってもらえたことなど、いままで、一度もなかった。
「ちょっと、あんた、なにを無責任な」
教師が天道の肩を掴んだ。天道は、その手はあっさりと払い除けた。
「無責任? 僕はこの子ぐらいの歳で、裸馬を乗りこなせるほどの体幹を持った人間に、会ったことはない。馬とかなり深く気心を通じ合わせることもできる。どちらも、騎手には大切な能力だ」
「あんたは、一体」
「元CRAジョッキー。一応、四年連続でリーディングジョッキーになったこともある」
「はぁ、」
競馬に詳しくない教師は、いま一つ凄さが呑み込めない様子だった。だが、肩書に関わらず、なにかを成し遂げたことのある人間だけが放つある種の凄味に、圧され気味ではあった。
「僕が言ってやれるのはここまでだよ、あい。あとは、自分のことだ。自分の口で言いな」
あいは、机の用紙に向かった。
ペンを取り、一番上の欄に書かれた高校名をぐちゃぐちゃに塗りつぶしてから、CRA競馬学校と書きなぐった。
「ちょっと、本気なの、あい。あの馬、綾と、離れ離れになるんだよ」
朔の言葉が、鋭利な刃物のように、あいの心を抉る。
わかってるよっ。叫んでいた。椅子が倒れる音がして、自分が立ち上がっていることに、あいは気づいた。はっとしたが、溢れ出る感情は、抑えきれなかった。
「綾は、ずっと私の傍にいてくれた。でも、どんなに姉妹みたいに思っても、綾は、馬だから、私より先に死んじゃうんだ」
綾は、あいと同じ、今年で十四歳になった。
馬の寿命は平均でも二十四、五で、長くても三十ほどだと言われている。
「綾に、自分の心配をさせたまま、死んでほしくない。私なら大丈夫だよって、安心させてあげたい。そのために、私は、一人でも生きていけるってことを、綾に証明しないといけないんだっ」
「あ、あい」
「私は、朔ちゃんや、他の皆みたいに、器用にはできない。馬に乗ることしかできないから。一人でも大丈夫だって、綾に認めてもらうには、騎手になるしかないのっ」
あいの気炎に、朔が尻もちをついた。教師も、唖然としている。
そんな二人を尻目に、天道がいそいそと、机の上にあるものをあいのスクールバッグに片付けはじめた。
「天道、さん?」
「CRAの競馬学校の一次試験まであと八カ月弱。色々と対策しなくちゃいけない。時間が惜しい」
「は、はぁ」
「とりあえず今日は馬郷でこの先の計画を練ろう。てことで、先生、あと幼馴染ちゃん、僕たちはこれで失礼させてもらうよ。行こう、あい」
「え、え、待ってください、天道さん、それ、私のスクールバッグ」
勝手にバッグを取り、教室を出て行こうとする天道を、あいは慌てて追いかける。
教室の入口で、朔のことが気になり、振り返ったが、机が邪魔で表情は見えなかった。
「なにしてんの、置いてくよ」
天道に急き立てられ、あいは朔と担任の教師を残し、学校を後にした。
教室の入口で、声がした。聞き知った声だが、ここにいるはずがない人でもあった。
あいは思わず顔を上げていた。
「天道さん」
「やぁ」
天道が軽く手をあげ、教室の中に入って来る。
「ちょっと失礼しますよ」
「なんですか、あなた。入校許可は取ってるんですか」
教師が訝しんだ。
「ええ、取ってますよ。僕はあいの母親の弟の嫁の従兄弟の友達で、まぁ、遠い親戚です」
天道は教師を煙に巻くと、その手から進路希望の用紙を抜き取り、あいの机に置き直した。
「あと、これね。山南が用意していたんだけど、暇だったもんで、届けに来ちゃった」
差し出されたカラー印刷の冊子を受け取った。
「CRA、競馬学校?」
「中央競馬協会。平たく言えば、競馬を運営していて、騎手の育成なんかも手掛けている団体だ」
「ここに行けば、騎手になれるんですか?」
「別に、これだけが道じゃない。地方にも、騎手の養成機関はある。けど、君は強くなりたいんだろう?」
競馬学校のパンフレットから、天道に視線を戻した。天道の、力強い光を宿した瞳が、あいを見つめていた。
誰かの期待に応えられる人間になりたい。
喜ばれる人間になりたい。
山南が保管していた、天道が一着を獲った年の有馬記念の映像を観た時、そう思った。
この人みたいになりたい。
あいがはじめて憧れを抱いた人が、目の前で、言う。
「あい、君ならなれる。誰よりも強い騎手に」
躰が、ぶるりと震えた。自分ならなれる。誰かにそんなふうに言ってもらえたことなど、いままで、一度もなかった。
「ちょっと、あんた、なにを無責任な」
教師が天道の肩を掴んだ。天道は、その手はあっさりと払い除けた。
「無責任? 僕はこの子ぐらいの歳で、裸馬を乗りこなせるほどの体幹を持った人間に、会ったことはない。馬とかなり深く気心を通じ合わせることもできる。どちらも、騎手には大切な能力だ」
「あんたは、一体」
「元CRAジョッキー。一応、四年連続でリーディングジョッキーになったこともある」
「はぁ、」
競馬に詳しくない教師は、いま一つ凄さが呑み込めない様子だった。だが、肩書に関わらず、なにかを成し遂げたことのある人間だけが放つある種の凄味に、圧され気味ではあった。
「僕が言ってやれるのはここまでだよ、あい。あとは、自分のことだ。自分の口で言いな」
あいは、机の用紙に向かった。
ペンを取り、一番上の欄に書かれた高校名をぐちゃぐちゃに塗りつぶしてから、CRA競馬学校と書きなぐった。
「ちょっと、本気なの、あい。あの馬、綾と、離れ離れになるんだよ」
朔の言葉が、鋭利な刃物のように、あいの心を抉る。
わかってるよっ。叫んでいた。椅子が倒れる音がして、自分が立ち上がっていることに、あいは気づいた。はっとしたが、溢れ出る感情は、抑えきれなかった。
「綾は、ずっと私の傍にいてくれた。でも、どんなに姉妹みたいに思っても、綾は、馬だから、私より先に死んじゃうんだ」
綾は、あいと同じ、今年で十四歳になった。
馬の寿命は平均でも二十四、五で、長くても三十ほどだと言われている。
「綾に、自分の心配をさせたまま、死んでほしくない。私なら大丈夫だよって、安心させてあげたい。そのために、私は、一人でも生きていけるってことを、綾に証明しないといけないんだっ」
「あ、あい」
「私は、朔ちゃんや、他の皆みたいに、器用にはできない。馬に乗ることしかできないから。一人でも大丈夫だって、綾に認めてもらうには、騎手になるしかないのっ」
あいの気炎に、朔が尻もちをついた。教師も、唖然としている。
そんな二人を尻目に、天道がいそいそと、机の上にあるものをあいのスクールバッグに片付けはじめた。
「天道、さん?」
「CRAの競馬学校の一次試験まであと八カ月弱。色々と対策しなくちゃいけない。時間が惜しい」
「は、はぁ」
「とりあえず今日は馬郷でこの先の計画を練ろう。てことで、先生、あと幼馴染ちゃん、僕たちはこれで失礼させてもらうよ。行こう、あい」
「え、え、待ってください、天道さん、それ、私のスクールバッグ」
勝手にバッグを取り、教室を出て行こうとする天道を、あいは慌てて追いかける。
教室の入口で、朔のことが気になり、振り返ったが、机が邪魔で表情は見えなかった。
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