Ms.ジョッキー 〜落ちこぼれ少女、騎手になる〜

井ノ上

文字の大きさ
34 / 43
第6話

先輩と蹄鉄 ②

しおりを挟む
 前回の休養日に、最寄りの駅近くにある書店で買ってきた雑誌である。
 まだ未読のページを、適当に選んで開き、閉じる。
 開閉した僅かな間で、視覚に飛び込んできた情報をできるだけ書き出していく。
 同じページを開き、瞬時に読み取った情報がどの程度正確か、照らし合わせる作業をしてから、また別のページで同じことを繰り返した。
 動体視力、その中でも瞬間視を鍛えるトレーニングだった。
 就寝前の自由時間に、自室でもできる。
 その上、雑誌によって多分野な知識も身に付くので、志摩は、このトレーニングが気に入っていた。
「志摩、ちょっといいか」
 寮で隣室の同期が、ドアをノックし、そろりと顔を出した。
「悪いな、邪魔して」
「どうかしたのか?」
「それが、渋川がまた、後輩を呼び出して説教してるんだが」
「大矢君か。あの二人は、どうにもそりが合わないみたいだな」
「大矢だけなら、まぁいつものことなんだが」
「他にも誰か?」
「ほら、一学年で、女子が一人いただろ。あの子も一緒でさ」
 藤刀あい。名前もすぐに浮かんだ。
 二次試験の実技考査中に発生したトラブルで、裸馬を颯爽と乗りこなしたあいの姿が、志摩の脳裡に鮮明に蘇った。
 志摩は実技考査で受験生が乗る馬を用意する役を任され、あの場にいたのだ。
「彼女は、あまり渋川の目につくようなことはしなさそうな印象だったが」
「どういう経緯なのかは、俺も知らないよ」
 渋川は熱くなると、やや説教が行き過ぎるきらいがある。
 後輩の大矢は、図太い性格で、熱くなった渋川とも対等に張り合えそうだった。
 志摩の部屋に来た同期は、藤刀あいの方を心配している様子だ。
「わかったよ」
「すまん。志摩の言うことなら、あいつも素直に聞くからさ」
「真正面から言うからだ。あいつには、言い方があるだけさ」
 志摩は席を立ち、一階へ降りて行った。
 渋川は、男子寮一階の食堂にいた。
 大矢一人に説教する時なら、自室に呼び出している。男子寮の中で唯一女子も出入りする食堂を選んだところに、渋川なりの配慮が見られた。
「渋川、少し頼みたいことがあるんだが。なにかあったのか?」
「志摩か」
「俺たちが木馬に乗ってたら、後から来た先輩に、そっちの藤刀が場所を替われって言われたんですよ。他の木馬が空いてるのに。で、藤刀が降りようとした拍子に、バランス崩して先輩にチョップを食らわせちまって」
 大矢が、その時を再現するような身振り手振りを交え、説明した。
 渋川が後輩の女子に水平チョップを食らう光景を思い浮かべて、志摩は笑ってしまいそうになった。
「災難だったな、渋川」
「うるさい。それより、用はなんだ?」
「今日の座学で配られたプリントを、どこかにやってしまったみたいでな。コピーさせてくれないか?」
「いまじゃないといけないなのか」
「今日習ったことは、今日の内に復習しておきたいんだ」
「……わかった、ちょっと待ってろ。大矢、藤刀、俺の話は終わりだ。今後は気をつけろよ、特に、藤刀」
「は、はい。すみませんでした」
 渋川は席を立ち、自室にプリントを取りに行った。
「悪かったな、二人とも」
「志摩先輩は、なんも悪くないですよ。むしろ、いつも助けてもらってスンマセン」
「あいつの前でも、それぐらいしおらしくしておけば、面倒が減るんじゃないか、大矢?」
「渋川先輩には、無理っす。理不尽なんですもん」
「そう言うな。あれで、気のいいやつさ。ただちょっと、こだわりが強いだけでな。藤刀さんも、できればあいつを嫌わないでやってくれ」
「わ、私が、不注意で、先輩に手をぶつけちゃったのは、ほんとうなので。だ、だから、嫌いとか、そんなふうには思ってないです」
「ありがとう。それじゃあ、解散だ」
 志摩は手を打ち、女子寮に戻るあいを玄関先まで見送った。
「想像とは違ったかな」
「なにがっすか」
 志摩と一緒に見送りに出てきた大矢が、首を傾げた。
「二次試験の実技考査で、馬が暴走するトラブルがあっただろう。あの時、裸馬に乗って飛び出していった大胆さが、彼女のどこから出てきたのだろう、と思ってな」
 想像していたより、あいは小柄で、気の弱そうな女子だった。
 走路訓練をしていると、たまに馬場で基礎馬術をやっている一学年の中に、あいの姿も見かけたが、そこでの印象とも違った。
「隊長は、そうなんすよ。馬に乗ってはじめて、ひとつの生物として完成するって感じで」
「わからなくはないが、その隊長というのは?」
「あ、なんか藤刀の親父オヤジが自衛隊の幹部らしくて。この前、海自の航空基地見学に行った時に、案内してくれた広報の人と話してるのが聞こえて」
「で、からかって呼んでるのか? まったく、しかたないやつだな」
 志摩が呆れると、大矢は犬のような懐っこい笑顔を見せた。犬は犬でも、大型犬だ。
「大矢、お前、身長はいくつだ?」
 あいの背中が見えなくなり、寮のリビングに戻った。
「百五十八っす」
「でかいな」
「志摩先輩も、それぐらいありますよね」
「俺は、百五十五だ。お互い、これ以上背が伸びないことを祈らないとな」
「そっすね」
 騎手課程生には、年齢別の体重制限が設けられていて、それを越えると退学しなければならない。どれだけ躰を絞っても、限界はある。
 大矢を部屋に戻らせ、渋川が持ってきたプリントを寮に置いてあるコピー機でコピーし、志摩も自室へ戻った。
 机の抽斗ひきだしを開け、座学の配布物をまとめているファイルを取り出した。一番上に、今日配られたプリントがすでに挟まれている。
 コピーした、まったく同じプリントを上から挟み、志摩は眠りについた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

性別交換ノート

廣瀬純七
ファンタジー
性別を交換できるノートを手に入れた高校生の山本渚の物語

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...