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第6話
先輩と蹄鉄 ②
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前回の休養日に、最寄りの駅近くにある書店で買ってきた雑誌である。
まだ未読のページを、適当に選んで開き、閉じる。
開閉した僅かな間で、視覚に飛び込んできた情報をできるだけ書き出していく。
同じページを開き、瞬時に読み取った情報がどの程度正確か、照らし合わせる作業をしてから、また別のページで同じことを繰り返した。
動体視力、その中でも瞬間視を鍛えるトレーニングだった。
就寝前の自由時間に、自室でもできる。
その上、雑誌によって多分野な知識も身に付くので、志摩は、このトレーニングが気に入っていた。
「志摩、ちょっといいか」
寮で隣室の同期が、ドアをノックし、そろりと顔を出した。
「悪いな、邪魔して」
「どうかしたのか?」
「それが、渋川がまた、後輩を呼び出して説教してるんだが」
「大矢君か。あの二人は、どうにもそりが合わないみたいだな」
「大矢だけなら、まぁいつものことなんだが」
「他にも誰か?」
「ほら、一学年で、女子が一人いただろ。あの子も一緒でさ」
藤刀あい。名前もすぐに浮かんだ。
二次試験の実技考査中に発生したトラブルで、裸馬を颯爽と乗りこなしたあいの姿が、志摩の脳裡に鮮明に蘇った。
志摩は実技考査で受験生が乗る馬を用意する役を任され、あの場にいたのだ。
「彼女は、あまり渋川の目につくようなことはしなさそうな印象だったが」
「どういう経緯なのかは、俺も知らないよ」
渋川は熱くなると、やや説教が行き過ぎるきらいがある。
後輩の大矢は、図太い性格で、熱くなった渋川とも対等に張り合えそうだった。
志摩の部屋に来た同期は、藤刀あいの方を心配している様子だ。
「わかったよ」
「すまん。志摩の言うことなら、あいつも素直に聞くからさ」
「真正面から言うからだ。あいつには、言い方があるだけさ」
志摩は席を立ち、一階へ降りて行った。
渋川は、男子寮一階の食堂にいた。
大矢一人に説教する時なら、自室に呼び出している。男子寮の中で唯一女子も出入りする食堂を選んだところに、渋川なりの配慮が見られた。
「渋川、少し頼みたいことがあるんだが。なにかあったのか?」
「志摩か」
「俺たちが木馬に乗ってたら、後から来た先輩に、そっちの藤刀が場所を替われって言われたんですよ。他の木馬が空いてるのに。で、藤刀が降りようとした拍子に、バランス崩して先輩にチョップを食らわせちまって」
大矢が、その時を再現するような身振り手振りを交え、説明した。
渋川が後輩の女子に水平チョップを食らう光景を思い浮かべて、志摩は笑ってしまいそうになった。
「災難だったな、渋川」
「うるさい。それより、用はなんだ?」
「今日の座学で配られたプリントを、どこかにやってしまったみたいでな。コピーさせてくれないか?」
「いまじゃないといけないなのか」
「今日習ったことは、今日の内に復習しておきたいんだ」
「……わかった、ちょっと待ってろ。大矢、藤刀、俺の話は終わりだ。今後は気をつけろよ、特に、藤刀」
「は、はい。すみませんでした」
渋川は席を立ち、自室にプリントを取りに行った。
「悪かったな、二人とも」
「志摩先輩は、なんも悪くないですよ。むしろ、いつも助けてもらってスンマセン」
「あいつの前でも、それぐらいしおらしくしておけば、面倒が減るんじゃないか、大矢?」
「渋川先輩には、無理っす。理不尽なんですもん」
「そう言うな。あれで、気のいいやつさ。ただちょっと、こだわりが強いだけでな。藤刀さんも、できればあいつを嫌わないでやってくれ」
「わ、私が、不注意で、先輩に手をぶつけちゃったのは、ほんとうなので。だ、だから、嫌いとか、そんなふうには思ってないです」
「ありがとう。それじゃあ、解散だ」
志摩は手を打ち、女子寮に戻るあいを玄関先まで見送った。
「想像とは違ったかな」
「なにがっすか」
志摩と一緒に見送りに出てきた大矢が、首を傾げた。
「二次試験の実技考査で、馬が暴走するトラブルがあっただろう。あの時、裸馬に乗って飛び出していった大胆さが、彼女のどこから出てきたのだろう、と思ってな」
想像していたより、あいは小柄で、気の弱そうな女子だった。
走路訓練をしていると、たまに馬場で基礎馬術をやっている一学年の中に、あいの姿も見かけたが、そこでの印象とも違った。
「隊長は、そうなんすよ。馬に乗ってはじめて、ひとつの生物として完成するって感じで」
「わからなくはないが、その隊長というのは?」
「あ、なんか藤刀の親父が自衛隊の幹部らしくて。この前、海自の航空基地見学に行った時に、案内してくれた広報の人と話してるのが聞こえて」
「で、からかって呼んでるのか? まったく、しかたないやつだな」
志摩が呆れると、大矢は犬のような懐っこい笑顔を見せた。犬は犬でも、大型犬だ。
「大矢、お前、身長はいくつだ?」
あいの背中が見えなくなり、寮のリビングに戻った。
「百五十八っす」
「でかいな」
「志摩先輩も、それぐらいありますよね」
「俺は、百五十五だ。お互い、これ以上背が伸びないことを祈らないとな」
「そっすね」
騎手課程生には、年齢別の体重制限が設けられていて、それを越えると退学しなければならない。どれだけ躰を絞っても、限界はある。
大矢を部屋に戻らせ、渋川が持ってきたプリントを寮に置いてあるコピー機でコピーし、志摩も自室へ戻った。
机の抽斗を開け、座学の配布物をまとめているファイルを取り出した。一番上に、今日配られたプリントがすでに挟まれている。
コピーした、まったく同じプリントを上から挟み、志摩は眠りについた。
まだ未読のページを、適当に選んで開き、閉じる。
開閉した僅かな間で、視覚に飛び込んできた情報をできるだけ書き出していく。
同じページを開き、瞬時に読み取った情報がどの程度正確か、照らし合わせる作業をしてから、また別のページで同じことを繰り返した。
動体視力、その中でも瞬間視を鍛えるトレーニングだった。
就寝前の自由時間に、自室でもできる。
その上、雑誌によって多分野な知識も身に付くので、志摩は、このトレーニングが気に入っていた。
「志摩、ちょっといいか」
寮で隣室の同期が、ドアをノックし、そろりと顔を出した。
「悪いな、邪魔して」
「どうかしたのか?」
「それが、渋川がまた、後輩を呼び出して説教してるんだが」
「大矢君か。あの二人は、どうにもそりが合わないみたいだな」
「大矢だけなら、まぁいつものことなんだが」
「他にも誰か?」
「ほら、一学年で、女子が一人いただろ。あの子も一緒でさ」
藤刀あい。名前もすぐに浮かんだ。
二次試験の実技考査中に発生したトラブルで、裸馬を颯爽と乗りこなしたあいの姿が、志摩の脳裡に鮮明に蘇った。
志摩は実技考査で受験生が乗る馬を用意する役を任され、あの場にいたのだ。
「彼女は、あまり渋川の目につくようなことはしなさそうな印象だったが」
「どういう経緯なのかは、俺も知らないよ」
渋川は熱くなると、やや説教が行き過ぎるきらいがある。
後輩の大矢は、図太い性格で、熱くなった渋川とも対等に張り合えそうだった。
志摩の部屋に来た同期は、藤刀あいの方を心配している様子だ。
「わかったよ」
「すまん。志摩の言うことなら、あいつも素直に聞くからさ」
「真正面から言うからだ。あいつには、言い方があるだけさ」
志摩は席を立ち、一階へ降りて行った。
渋川は、男子寮一階の食堂にいた。
大矢一人に説教する時なら、自室に呼び出している。男子寮の中で唯一女子も出入りする食堂を選んだところに、渋川なりの配慮が見られた。
「渋川、少し頼みたいことがあるんだが。なにかあったのか?」
「志摩か」
「俺たちが木馬に乗ってたら、後から来た先輩に、そっちの藤刀が場所を替われって言われたんですよ。他の木馬が空いてるのに。で、藤刀が降りようとした拍子に、バランス崩して先輩にチョップを食らわせちまって」
大矢が、その時を再現するような身振り手振りを交え、説明した。
渋川が後輩の女子に水平チョップを食らう光景を思い浮かべて、志摩は笑ってしまいそうになった。
「災難だったな、渋川」
「うるさい。それより、用はなんだ?」
「今日の座学で配られたプリントを、どこかにやってしまったみたいでな。コピーさせてくれないか?」
「いまじゃないといけないなのか」
「今日習ったことは、今日の内に復習しておきたいんだ」
「……わかった、ちょっと待ってろ。大矢、藤刀、俺の話は終わりだ。今後は気をつけろよ、特に、藤刀」
「は、はい。すみませんでした」
渋川は席を立ち、自室にプリントを取りに行った。
「悪かったな、二人とも」
「志摩先輩は、なんも悪くないですよ。むしろ、いつも助けてもらってスンマセン」
「あいつの前でも、それぐらいしおらしくしておけば、面倒が減るんじゃないか、大矢?」
「渋川先輩には、無理っす。理不尽なんですもん」
「そう言うな。あれで、気のいいやつさ。ただちょっと、こだわりが強いだけでな。藤刀さんも、できればあいつを嫌わないでやってくれ」
「わ、私が、不注意で、先輩に手をぶつけちゃったのは、ほんとうなので。だ、だから、嫌いとか、そんなふうには思ってないです」
「ありがとう。それじゃあ、解散だ」
志摩は手を打ち、女子寮に戻るあいを玄関先まで見送った。
「想像とは違ったかな」
「なにがっすか」
志摩と一緒に見送りに出てきた大矢が、首を傾げた。
「二次試験の実技考査で、馬が暴走するトラブルがあっただろう。あの時、裸馬に乗って飛び出していった大胆さが、彼女のどこから出てきたのだろう、と思ってな」
想像していたより、あいは小柄で、気の弱そうな女子だった。
走路訓練をしていると、たまに馬場で基礎馬術をやっている一学年の中に、あいの姿も見かけたが、そこでの印象とも違った。
「隊長は、そうなんすよ。馬に乗ってはじめて、ひとつの生物として完成するって感じで」
「わからなくはないが、その隊長というのは?」
「あ、なんか藤刀の親父が自衛隊の幹部らしくて。この前、海自の航空基地見学に行った時に、案内してくれた広報の人と話してるのが聞こえて」
「で、からかって呼んでるのか? まったく、しかたないやつだな」
志摩が呆れると、大矢は犬のような懐っこい笑顔を見せた。犬は犬でも、大型犬だ。
「大矢、お前、身長はいくつだ?」
あいの背中が見えなくなり、寮のリビングに戻った。
「百五十八っす」
「でかいな」
「志摩先輩も、それぐらいありますよね」
「俺は、百五十五だ。お互い、これ以上背が伸びないことを祈らないとな」
「そっすね」
騎手課程生には、年齢別の体重制限が設けられていて、それを越えると退学しなければならない。どれだけ躰を絞っても、限界はある。
大矢を部屋に戻らせ、渋川が持ってきたプリントを寮に置いてあるコピー機でコピーし、志摩も自室へ戻った。
机の抽斗を開け、座学の配布物をまとめているファイルを取り出した。一番上に、今日配られたプリントがすでに挟まれている。
コピーした、まったく同じプリントを上から挟み、志摩は眠りについた。
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