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18 距離感
しおりを挟む旅行から帰って、自宅に荷物を置いてからカナトの家に向かうと鍵を出す前に開いた戸から腕を掴まれて中に引っ張り込まれる。
背後でガシャンと戸が閉まった音が聞こえたのと同時に大きな温もりが正面から私を包み込んだ。
「おかえり」
頭に顔を擦り付けるカナトの声が脳に直接響いてくる。
「た⋯だい、ま⋯」
いつもくっつかれているが正面から抱き締められるのは初めてだ⋯
恥ずかしくて逃げようと体を捻ってみるが⋯カナトも一応男だ。
しっかり抱き締められては逃げようがなかった。
「靴⋯脱ぎたいんだけど⋯」
ハハハ~と頭を掻きながら離れたカナトに一安心して中に上がる。
ソファーに座るように言われ、お茶とお菓子を出したカナトが隣に腰を下ろした。
「ハイ、お土産。タケルさんに良いの教えてもらったの」
嬉しそうに受け取ったカナトに約束通り旅行の話しをする。
社長のこと⋯ショッピングのこと⋯イチカとタケルのこと⋯
お菓子に手を伸ばしながら話しているとふと気付いた。
一人分は空いていたであろう座っていた二人の距離が無くなっていたのだ。
片足をソファーに乗せて、私の真後ろの背凭れに肘を置き頬杖を付いたカナトが体ごと真っ直ぐにこちらを向いている。
あまりの近さに動きどころか呼吸まで止まってしまいそうだ。
「⋯⋯近くない?」
「そう?」
どう考えても近い⋯パーソナルスペースという言葉を知っているのか一度確認したい――と思いながら手に持ったままのクッキーを口に入れる。
反対の手を口の下に添えて、食べカスが床に落ちないよう気を付けながら一枚を食べ切った。
手の平に落ちたクッキーの欠片を食べる為、手を傾けようとした時⋯手首を掴まれて、カナトの顔の前に引っ張られる。
するとカナトの口が手の平に触れて、クッキーの欠片を食べていった。
小さな欠片を舌で舐め取られ、体が跳ねる。
顔を赤くして困っている私と目が合ったカナトが意地の悪そうな笑みを浮かべた。
(何⋯その顔⋯)
逃さないとでも言いたそうな表情に言葉が詰まる。
どうにかこの場を切り抜けて⋯家に帰る!――と心を決めた。
「アラタちゃん⋯夕飯、うちで食べてく?」
「母さんが⋯用意してくれてるから⋯もう、帰らないと⋯」
まさかカナトの口から逃げるのに丁度良い言葉が出るとは思わなかったが、何とか帰る意思を表すことが出来た。
こうして解放された私は自宅に帰ることができたのだが、寿命が縮むような思いをして更に疲れを感じる。
そんなに寂しかったのだろうか⋯――全ては寂しくて甘えたい一心からだと信じて疑わなかった⋯が、翌日からの私はこの時そう思った自分を殴りたい気持ちでいっぱいになった。
バイトでは無くなった家政婦の仕事はカナトの起床時間から始まる。
時には夜中遅くまで執筆しているカナトの生活リズムを狂わせないように叩き起こす。
それはいいが⋯毎日もれなく「おはよう」と頬にキスされる⋯
離れたとこから声をかけて起こそうともした。
でも声だけでは起きようとしないし、諦めてほっとけばそのまま二度寝をする。
結局軽く布団を捲って、体を揺すりながら声をかけるしか起きてくれず、逃げようとしても逃げ遅れてしまうのが日常になってきた。
お互いが仕事に集中している間は平和だ。
でもカナトが休憩に入って、私が座って洗濯物を畳んでいると必ず膝に頭を乗せてくる。
料理中も安全なタイミングを見計らって背中にくっついてくる。
隙あらば額や頬にキスをされ、日々冷静でいるように必死に努めた。
しかしカナトは接し方だけでなく、私にかけてくる言葉の距離感もおかしくなっていた。
「アラタちゃんって⋯安心する香りがする」
「抱き心地いいからずっとくっついてたい」
「もう帰る時間?⋯⋯じゃあ最後にギューとチューさせて」
まだまだあるが⋯もう頭がパンクしそうな状況であった。
どうしてこんなに甘えん坊になったのか⋯
カナトの扱いに困った時はタケルに連絡を取るしかない――と夜、自室でスマホを構えた。
『ハイハイ、どうした?』
事細かに説明したくない私は掻い摘んで「言葉と接し方の距離感がおかしい!」と必死に説明した。
「カナトさんって甘えん坊過ぎません?」
タケルが大笑いした。
かなりツボに入ったのか電話の向こうでヒーヒー言っている。
『ハハッ、アラタちゃん君さぁ鈍いって言われない?』
「言われませんけど⋯」
察しが良くて子供らしくないと言われたことはあるが、鈍いとは言われたこともなければ自分でも思わない。
『そうか。なら、見ようとしてないだけだな』
あぁ⋯そういうことか⋯――と早々に察した自分に頭を抱えた。
『何で真っ直ぐ見ようとしないんだ?』
そう言われても、今は心にそんな余裕はない。
そろそろ身構えていたい時期なのに、あんな感じでカナトに来られては気が抜けてしまう。
『⋯今は余裕がないのか?』
「え?」
『イチカが言ってた。今のアラタちゃんにはちょっと余裕がないって。目先の問題さえ片付けばもう大丈夫だってな』
一瞬、心の声を口にしてしまったかと思った。
そうか⋯イチカがタケルに先手を打っといてくれたんだ――と肩の力が抜けた。
「イチカとマメに連絡取ってるんですか?」
『そうだな。ほぼ毎日か』
これは⋯旅行を機に急接近じゃないか――とニヤついてしまう。
『気になるか?』
「ならないほうがおかしいですよ」
そうだな――と言って、タケルは言葉を続けた。
『最初は「いい女になるんだろうなー」くらいだったんだぞ?でもこの間の旅行で親父が余計なこと言っただろ』
社長がタケルにイチカみたいなのを選べよと言っていたことを思い出す。
『あの時のイチカ、らしくないくらい真っ赤な顔して動揺してただろ?』
そうだったそうだった――と思い出して、つい笑ってしまった。
『可愛いなって思ったんだ。アラタちゃんに思うような感じじゃない⋯もっと込み上げるような⋯』
「比較対象で私を出さないで下さい」
『あぁ、すまん。兎に角な⋯一緒に観光してる間に俺の些細な言葉や行動でスゲー嬉しそうにするイチカ見てたら堪らなくなったんだよ』
分かっているのに、何が?――と聞き返した。
『欲しくなった⋯』
それですぐに連絡先を交換して、他愛ない連絡のやり取りをしているというのだから凄い行動力だなと感心してしまう。
でもイチカを見れば、迫る期間なんて必要ないように感じるが⋯
『俺をよく知った上でちゃんと選んでほしいんだ。それに便乗して俺はもっとイチカを知ることが出来るしな』
もう二人がくっつくまで秒読み段階だな――と考えるとまた頬が緩む。
いつも私のことばかり優先して、考えて、行動してきてくれたイチカが幸せになることはとても嬉しい。
「応援してます」
『ありがとう。⋯⋯アラタちゃんも頑張れ、と言いたいとこだが君は危ないことでも一人で何とかしようとする傾向がある。頼れるものは全て頼って問題を片付けるんだ』
ハイーーとだけ返事をして通話を切る。
頼れるものは全て頼る⋯正直イチカ以外に泣きつく相手はいない。
むしろイチカにも頼るか疑わしいとこだ。
私はそれだけ⋯怯えている⋯
「終わった~、タケルからOKきた~」
原稿を上げて、しおれたカナトがリビングに来た。
「お疲れ様。夕飯も今出来たばかりだから温かいよ」
皿に被せようとしたラップを片付けながら声をかける。
「ありがとう。でも先に補充させて?」
カナトが自分の胸に私を抱き寄せた。
両腕で大事に私を包み込んで、頭に頬ずりする⋯いつものことだ。
「私、退勤時間だから⋯」
カナトの胸を押し返すと、また締め付けられる。
「一体何を補充してるの?」
「アラタちゃん」
なんじゃそれ――と心でツッコミを入れて気が緩んだ瞬間、額に唇が当てられた感触がした。
ハグの後に額か頬にキスをされるのが帰る時のお決まりだ。
私はこれで帰れる――とホッとしたが、カナトの腕の力は抜けなかった。
「カナトさん?」
額や頬に大量に降り注がれるキス。
解放してもらえないことに段々と焦りを感じ始め、必死にカナトの胸を押し返した。
「ねぇ⋯聞いてほしいことがあるんだけど⋯」
「聞かない!」
頬に口を付けたまま話すカナトの頼みを速攻で拒否すると、その状態のまま固まってしまった。
いやいや、固まるなら解放してからにしてよ!――と思いながら身を捩っているとやっとカナトの腕から力が抜けて、解放された。
二歩後ろに下がってカナトを見上げると線の細い端正な顔が切なさに溢れているように私を見つめてきた。
「聞いてくれないの?」
「仕事の話?」
違うと言うので、なら聞かない――と返すと目線を反らして今にも泣きそうに顔をしかめられた。
何となく話の内容が分かっているので聞きたくないのが正直な気持ちだが⋯悲しませたいわけじゃない。
今はその話を聞く、受け入れ態勢が出来ていないというだけだ。
カナトの頬に手を添えて、目を合わせる。
「今は無理だけど⋯ちゃんと聞けるようにするから、待っててくれる?」
私の添えた手に自分の手を重ねたカナトが少し穏やかに戻った顔で「うん」と返事した。
「待つよ。待ってる⋯」
両手で私の顔を包んだカナトが顔を近付けてきた。
ヤバいーーと思って目を瞑るとギリギリ唇に触れない位置の頬に唇が押し当てられた。
唇が離れるとカナトは私の肩に顔を埋めた。
何も言葉はない。
ただ抱き締め合っているだけで前に押し込んだ気持ちが浮上してきそうだった。
まだ早い⋯――また奥に押し込んで、無かったことにする。
無かったことにするはずなのに⋯
日に日にこの温もりから、心が逃れられなくなってきている。
出来るならば⋯このまま⋯⋯と⋯⋯
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