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一章.幸せになったのは王子様だけでした。
3-3.
しおりを挟む数日後、マリーベルは午後の太陽に照らされる庭を見つめていた。
「外はいい天気ね。」
広い庭では庭師の青年が庭を手入れしていた。
屋敷の部屋から見える青年の姿は遠くにいるので小さく見える。
マリーベルは青年の姿を優しい眼差しで見つめていた。
「彼のおかげで今日もお庭は綺麗。」
庭師の青年は視線を感じ屋敷の方を見る。
遠くの窓からこちらを見つめていたマリーベルと目が合うと、青年は嬉しそうに満面の笑みで両手で大きく手を振った。
マリーベルは青年の姿にクスリと笑うと小さく手を振り返した。
すると青年はもっと嬉しそうな笑顔になり、もっと大きな動作で両手をぶんぶんと振った。
「まるで犬の耳と尻尾が見えるようね。」
青空の下に立つ青年の姿は今のマリーベルには眩しく見えた。
太陽にキラキラ照らされたオレンジ色の短髪。
ちょっと日に焼けた健康的な肌。
庭の鮮やかな緑と同じグリーンの瞳。
鍛えられた男性的な肉体。
爽やかで心が暖かくなるような笑顔。
マリーベルは彼が太陽のような方に見えその目には魅力的な男性に映っていた。
そして遠くの場所からマリーベルに向かって嬉しそうに大きな動作で両手を振る姿が、まるで大型犬が嬉しそうに尻尾を振る姿の様で可愛く見えて笑ってしまう。
「ふふ、可愛い。」
ここ数日間の庭師の青年との窓越しの離れた場所からのコミュニケーションは、とてもささやかなやり取りだがマリーベルにとっては心の支えの一つだった。
最初はただ窓から美しい庭を眺め、庭師の手により少しづつ整えられて綺麗になっていく庭をマリーベルは何も考えずにただ眺めていただけだった。
そしてふと庭師の青年と目が合うと、青年が嬉しそうに手を振ってくれたので最初は遠慮がちに手を振り返しただけだった。
その日からマリーベルが庭を眺めていると青年と目が合う度に青年が嬉しそうに手を振ってくれた。
そしてマリーベルは青年の太陽のような笑顔につられて手を振り返す。
ただそれだけのやり取りなのにマリーベルは楽しかった。
そんな感じでマリーベルと青年の窓越しの交流がこの数日間毎日続いていた。
使用人達からの嫌がらせで荒んだ日々を送り、夕食時以外部屋から出ることのないマリーベルにとって、名前も知らないし喋ったこともない青年との窓越しのささやかなこの交流がこの屋敷での楽しみであり心の支えになっていた。
そして庭師との交流以外に屋敷でのマリーベルの生活にもう一つ心の支えができた。
それはマリーベルのベッドにある枕の下に、隠す様に綺麗なハンカチに包まれたクッキーが置かれてある事だった。
最初に見つけた時、寝ようと枕を頭に乗せた瞬間違和感を感じて枕を退かすと、綺麗なハンカチに包まれた小さなクッキーが3枚あって驚いた。
新手の嫌がらせかと思いクッキーに毒物か何か変な物が入っていないかと警戒したが、久しぶりのクッキーの美味しそうな匂いに負けて3枚共食べてしまった。
食べてしばらく経ってもマリーベルの身体に異変は無かったので、多分普通のクッキーだったのだろう(と思いたい)。
誰が枕の下に隠したのかわからないが久しぶりのクッキーはとても美味しく、クッキーをくれた人にマリーベルは感謝した。
その2日後にまたしても枕の下にクッキーがあったり、3日連続で置いてある日もあれば2日ぶりにあったりと不定期に枕の下にクッキーを置いてくれる人がいた。
この屋敷では気まずく楽しくない夕食以外で食べ物を食べる事はなかったので、荒んだマリーベルの心を美味しいお菓子が癒してくれるようだった。
クッキーを置いてくれる人が誰かはハッキリは分からないが、多分メイドのニコラだろうとマリーベルは思っている。
ニコラとはあの日に廊下で名前を聞いた日以来話す事もないし、主にニコラはメイド長や他のメイド達と団体行動してマリーベルへの嫌がらせに加担はしていたが、マリーベルの直感でニコラは好き好んで加担しているとは思えなかった。
もしクッキーをマリーベルに密かにあげている人物がニコラだとして、他の使用人達にクッキーの事がバレてしまったらニコラがどんな目に合うかわからないので、マリーベルはニコラを見てもなんの反応もしないようにしていた。
そんな感じで庭師の青年の事とクッキーの事をマリーベルは心の支えにして屋敷で生活していた。
夕方になり青年が仕事を引き上げて庭から居なくなる姿を見届けると、憂鬱な夜が始まるとマリーベルは小さくため息をついた。
ここ数日夕食時にしか会わないロイドとマーガレットから毎回朝食を食べろと催促されていた。
毎朝出される腐った朝食を食べられる筈もないのに、執事からの報告を鵜呑みにしてマリーベルにわがままは辞めろと言うのだ。
それをマリーベルは無言で微笑みながらかわしているが、ロイドとマーガレットとの関係は悪化していく様に感じた。
仲良くなるチャンスもなく。
特にする会話もない。
執事の言葉を信じてマリーベルが悪いと思っている。
マリーベルの話を聞こうともしない。
「王命も何もかも忘れてこの屋敷から逃げ出せたらどんなに良いか。」
心の支えが出来たとしてもハーレン家での生活に限界を感じていた。
「明日になってまた彼の姿を見れば元気になるかしら?」
憂鬱な気分をあの青年の太陽のような笑顔を見て晴らしたかった。
マリーベルに向かって手を振る庭師の青年の姿を思い浮かべて夕食までの時間に気を紛らわせることにした。
だけどいつもの夕食の時間になっても誰も呼びに来なかった。
「とうとう完全に見捨てられたのかしら?別にいいけど。」
ロイドとマーガレットに嫌われて見捨てられても構わないけど、朝から何も食べてなかったので1人で食べるにしろ夕食を用意して欲しいとマリーベルは思った。
「すみません、そこの貴女。」
「何でしょう・・・。」
部屋のドアを開けると見張り役のメイドが廊下に立っているので声をかけるとメイドが無表情で答えた。
「わたくしの夕食はいつ頃になるのかしら?」
「ありません。」
「はい?」
聞き間違いだろうか?いっそ聞き間違いであって欲しいとマリーベルは思った。
「ですからありません。」
「な、なんで、ですか?」
「今日はルーベンス領の町長全員を集めた会議の日なんです。旦那様と大奥様は大切な会議の今日明日の2日間程留守になります。だから聖女様に用意する夕食はありません。」
「でも、朝から何も食べてないの・・・軽食で構わないから用意してくれないかしら?」
「はぁ?せっかく作った朝食を食べない聖女様が悪いんでしょ?聖女様の夕食なんて知らないわよ。2日ぐらい何も食べないでも大丈夫よ。いくらお腹が減ったからって厨房で食料を盗むなんて事したらただじゃおきませんから。フンッ!」
メイドにそんな事を言われてマリーベルは唖然とするしかなかった。
そしてこの2日間マリーベルは空腹のまま過ごすしかなかった。
その間も相変わらず嫌がらせで腐った朝食が出るがいくら空腹でも腐った物を食べる事は無理で、起きているとお腹が減るのでほとんど寝て過ごしていた。
空腹からほとんど寝て過ごしていたので心の支えである庭師の青年の姿を見ることが出来なかった。
そしてこの2日間ニコラはロイドと共に重要な会議について行ったメイドの1人だったみたいで姿を見る事はなかった。
例のクッキーはこの2日間枕の下に置かれず空腹のマリーベルは残念に思った。
不定期に置かれていたクッキーだったが、マリーベルの中でクッキーを置いてくれていた人物がニコラの可能性が高くなった。
「良かった。帰って来たみたい。」
3日目の昼頃には屋敷は騒がしくなり、ロイドとマーガレットが使用人達と共に会議から帰ってきて馬車から降りる姿を窓から目撃した。
その姿を見てマリーベルは今日は夕食が食べる事が出来ると思いホッとした。
夕食の時間になった。
3日ぶりとなるロイドとマーガレットとの再会。
2人から冷たい視線をいつもより感じた気がしたが気にせず席に着いた。
そして運ばれて目の前に置かれた料理を見てマリーベルは固まった。
夕食の料理が腐っていたからだ。
「(主人達がこの場にいるのよ!?)」
嫌がらせは主人達に隠れてやっていた事ではないのか?
マリーベルはつい微笑みを崩し信じられないという表情で壁際の執事を見た。
執事はマリーベルのその表情が見れた事に気を良くしてニタリと笑った。
「(やっぱりこの2人が指示してたの?だから2人がいる前でこんな事できるの!?)」
マリーベルはやはりロイドとマーガレットが今までの嫌がらせの指示をしていたのではないかと確信に近い物を感じた。
そして2人は目の前で腐った料理を食べて苦しむ私の姿が見たいのだとマリーベルは思った。
でなければ使用人達が主人2人のいる前でこんな物を用意する筈がないし、主人達に秘密裏にやってたとしたら今この状況にした使用人達の目的がわからない。
「(公爵様とお義母様は私が使用人達から何をされていたか知っててあえて無視をしていたんだわ。そして何も知らないフリして全て分かって私を責めていたのね。」
ロイドとマーガレットが度々執事の報告でマリーベルがわがままを言っていると聞き、その度に責めるように注意をして来た2人。
だが本当は報告とか関係無しに理由をつけてマリーベルを責めたかっただけだという事に気付いたマリーベルは心がスッと冷たくなっていくのを感じた。
「(そんなにリズ・アージェントと婚約白紙にさせられた事が許せなかったのね。大切にするなんてわざわざ言わなくても良かったのに。貴方の憎しみは伝わってるわ、公爵様。)」
マリーベルは虚しさで酷く惨めな気持ちになって、目の前の料理をじっと見つめて固まっていた。
「何故食べない?やはり城で豪華な食事しか食べてこなかった貴女には我が屋敷のシェフの料理は食べられないようだ。」
ロイドの嫌味を周りで聞いた使用人達はくすくす笑う。
「ロイドの元婚約者だったリズさんは私達と楽しく食事をしてくれたわ。殿下の元婚約者だった聖女様は立派な立場の方としか楽しくお食事してくれないのかしら?」
ロイドの元婚約者であるリズ・アージェントを気に入っていたマーガレットも腐った料理に手を付けないでいるマリーベルに嫌味を言った。
「毎朝シェフが貴女の為に作るせっかくの朝食も食べず、とうとう聖女様は私達と食べる夕食も無理になったようですね。私達がいなかった2日間は豪華な料理が食べたいと暴れたとか・・・貴女のわがままを聞くにも限界です。」
限界なのは私の方だ。
「わたくしは貴方達がいなかった2日間何も食べてないしずっと部屋で大人しく過ごしてました。」
「嘘を付かないでいただきたい。貴女が暴れたせいでメイドが1人ケガをしかけたそうじゃないですか、その調子でいると貴女には別邸で住んでもらう事になりますよ?」
別邸?それは脅しか?
「わたくしが暴れるような女に見えるという事ですね?」
「見えるも何も暴れたと聞いている。」
分かってはいたけどやはり自分の意見は聞いてくれない。
そもそも彼にはその気がないんだとマリーベルは呆れから笑えてきた。
「はぁー・・・殿下が手離すのも分かる。」
ブツリ。
ロイドの一言でマリーベルの中で何かが切れた。
マリーベルはバンッとテーブルを両手で叩くとハーレン家に来てから1番の素晴らしい笑みで微笑んだ。
「わたくし分かりましたわ。最低な私には最低な貴方がぴったりだという事を。」
「は?」
「だから殿下は最低な私達を無理矢理くっつけたのね。殿下も粋な事をするわ、最低でお似合いな2人を王命で結婚させるなんて。」
「突然何を言い出す?」
先程とは違う雰囲気で話すマリーベルにロイドは眉をひそめた。
「ふふ、ロイド・ハーレン貴方は最低よ。この屋敷にいる誰よりも。」
そう言って薄っすらと目を細め鼻でロイドを笑ったマリーベル。
ロイドは何故そんな事をと言われる覚えのない言葉に目を丸くする。
マーガレットも今までずっと微笑んで何も言い返して来なかったマリーベルが、ロイドに喧嘩を売った事に目を丸くした。
「公爵様とお義母様が言った通り、最低な私にはお似合いの最低な料理を食べて差し上げます。」
そう言うとマリーベルは緑に腐り悪臭漂うステーキに乱暴にフォークを突き立てた。
「別邸だろうが地下牢だろうが私を好きなだけ閉じ込めておけばいいわ。」
次の瞬間マリーベルは腐ったステーキを頬張った。
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