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宮殿の落日
しおりを挟むきっかけは一通の招待状。
郊外での大掛かりな狩猟会の誘いだった。
送り主はエルンスト・アビゲイル伯爵となっていたが、中を開くと明らかに女性の字でつづられている。
妻のドロテア・アビゲイル伯爵夫人の手によるものだった。
彼女は、十年以上も前からナイジェルに執着し、隙あらば関係を持とうと画策してくる。
そんな女の懐へ飛び込むなんて狂気の沙汰だ。
ナイジェルは破り捨てるのをなんとかこらえて断りの返事を執事に代筆させようとすると、義妹のゾーイが横からそれを取り上げた。
「これが、あの有名なアビゲイル宮殿狩猟会の招待状?」
妻に似たヘーゼルの瞳をきらきらと輝かせ、招待状を丁寧に音読した。
「うん。渡りに船だわ。義妹が同行したいとせがむのでよろしくお願いしますって返事をしてちょうだいな、お義兄さま」
十年前に妻フィリスと結婚した数年後に帝国学院への通学のために帝都へ出てきた、末の義妹ゾーイ。
以来、彼女はこのモルダー家に同居して次々と生まれる子どもたちと戯れつつ通学し、やがて姉の背を追い王宮に就職した。
妻の実家ロス家は八人姉妹。
息子は一人も生まれなかった代わりに、そのへんの男では到底太刀打ちできない有能な女性に成長した。
ナイジェルとしては実妹のようにかわいがっているつもりだが、今度ばかりはゾーイの頼みを簡単には聞き入れなかった。
しかし、次の日には妻のフィリスの了解ばかりか、王妃からの命まで取り付けてきたので泣く泣く招待に応じる返事をナイジェル自ら書いた。
王妃直々の命は複数あり、一つ目は同じく招待されているはずのリチャード・ゴドリーと愛人のコンスタンスの関係性と動向を探ること。
二つ目はアビゲイル伯爵夫妻の様子を探ること。
特にこれはゾーイが王妃に提案した案件だ。
武器商人を多く抱えるアビゲイルはあまりにも儲け過ぎているのではないか。
狩猟会に出席することにより、彼らがどのくらい道楽に金をつぎ込むかで総資産や金の流れを測ることができないか潜入してみたいと自ら志願したのだ。
そして、三つ目はベージル・ヒルを正規軍及び近衛へ引き抜けたなら成功報酬を弾むと。
王妃としてはできるだけ信用のおける人物で周囲を固めたかった。
中でもヒルは腕が立つ。
もし飼い殺しにされているようなら回収してこいと厳命を受けた。
義妹にしてやられ、ため息しか出てこないナイジェルに、妻フィリスがさらりと言った。
「これが、あの宮殿の栄華を見られる最後の機会かもしれないわ。行って、お祖母様の昔話に思いを馳せるのも良いかと私は思って賛成したのよ」
「むかしばなしねえ……」
ナイジェルの祖母は、没落しかけた名家フォサーリ侯爵家の令嬢だった。
年の離れた兄が持参金なしでモルダー伯爵家へ妹を嫁がせ、見返りに一年分の税に相当する額をせしめたが焼け石に水の状態で、いつ爵位返上せねばならぬかわからない。
そんな時に、爵位は格下だが指折りの資産家であるブライトン子爵家から縁談が舞い込んだ。
子爵家の跡取り息子と侯爵家令嬢の婚姻。
ブライトン子爵は有能な植物採集探検家を多く支援しており、彼らが発見したハーブ、果実、野菜、香辛料、観賞用植物が生活と文化を豊かにし、王立植物園には貴重な植物が続々と運び込まれ、王族のおぼえもめでたい。
その功績は計り知れず、伯爵へ上がるのも目前と言われた。
だからこそ、侯爵家の娘を迎え入れることで血統を良くし、宮廷での立ち位置の向上と一家の更なる繁栄を画策していた。
ブライトン子爵が成婚の報酬として持ち掛けたのは、新たに発見し国内での栽培に成功したばかりの新種の薔薇をフォサーリ侯爵領で大々的に育てる手助けをすることだった。
その薔薇は薫り高く、抽出したオイルの使い道は無限大。
起死回生の機会と目した侯爵は、美貌で名高い長女を降嫁させるついでに、婚外子である次女も付けると提案した。
庶子に関してはいかようにしてもかまわないとのことだったが、哀れに思ったブライトン家は彼女を次男の妻とすることに決める。
婚約を結んでから二年後。
ブライトン子爵は侯爵家からの二人の花嫁を迎えるために、郊外にある大邸宅で大々的な結婚披露宴を開催した。
それははるか昔にとある王族が建てた宮殿で、広大過ぎる故に維持できずに荒れるに任せていたものをブライトン子爵が買い取り、二年の間に多くの人と金をつぎ込んで改装と改築を行い、在りし日を思わせる絢爛豪華な建物へ造り直した。
数週間にわたり滞在した招待客たちはそのもてなしに満足し、後々までの語り草になり、フォサーリ侯爵家の人々の面目は立ったのである。
もちろんモルダー伯へ嫁いだフォサーリ侯爵の実妹も招待され、長期滞在の間、実家でも経験したことのない贅沢な暮らしを味わい、姪の結婚を心から祝った。
その姪の名は、アザレア・フォサーリ。
一年後にハンス・ブライトン小子爵を産み、その数年後にカタリナを産んだあたりまでは、彼女の人生も順風満帆だった。
その女性は、リチャード・ゴドリー伯爵の名義上の妻になることを条件に父ハンスから二千ギリアで売り飛ばされた、ヘレナ・リー・ブライトンの祖母である。
そして。
アザレア・フォサーリの自尊心を満足させるためだけに用意された宮殿は、当初の計画通り改築三年以内の綺麗なうちに舅がひそかに転売し、その後いくつかの家門の手を渡り、現在はアビゲイル伯爵家の物となった。
ブライトンの持ち物だったのは、ほんの五年。
しかし、その記憶はいつまでも鮮明で、祖母はナイジェルにくりかえしくりかえし何度も宮殿での美しく楽しかった日々を語った。
「別に、これをお渡しするのは構いませんが……。我が家を巻き込むのはどうか、なにとぞ勘弁いただきたい」
エルンスト・アビゲイル伯爵は眉間を寄せわずかなしわを作った。
彼の手の平に乗っているのは小さな珠。
アビゲイル家がこの建物の各所に配備した監視装置の一つだった。
「私の魔道具に転写させていただければそれで結構です。原本は伯爵に権利がありますので処理はいかようにもお任せします。私は単に、ちょっとした誤解を解きたいだけで、ゴドリー伯爵の大切な人を追い詰めたいわけではありません」
目的は、あくまでもリチャードの誤解を解くだけ。
糾弾ではない。
ナイジェルがゆっくりと丁寧に述べると、アビゲイルはあからさまにほっとした顔をした。
「ゴドリー伯爵『夫妻』は、私の大切な客人です。王の覚えめでたい貴方が是非にと仰るから仕方なく提供いたしますが……」
仕方なく、というのを前面に出す彼にナイジェルは少し疑問を感じた。
「『夫妻』ですか。ゴドリー伯の正式な妻はストラザーン伯爵家の養女だとご存じですよね?」
「ああ、存じていますよ。最近消滅したブライトン子爵家の娘でしょう? なんでも、栄養失調で浮浪者の子どものようにみすぼらしく痩せて小さいらしいではないですか。いくら後ろ盾があったとしても、そんな女に子どもを産ませるのは無理ですし、そもそも名目の為に金で買っただけのこと。離婚は簡単に成立するに違いありません。そうすればコンスタンス様が正式な妻になるのも時間の問題でしょう」
ずいぶんと、コンスタンス様とやらがお気に入りのようだ。
「名目上の妻のことをよくご存じなのですね。それこそ社交界へ一度も出ていないのに」
「ああ、ストラザーン伯爵のご子息の婚約者だった令嬢が妻の茶会に出入りしていましてね。学院で彼女と同級生だったらしく、色々と話は聞いておりますし。……ずいぶんと醜悪な容姿だと」
その噂話の詳細を思いだしたのか、アビゲイルは嗤いに顔を歪める。
「なるほど」
アビゲイル家は、問題行動が原因で婚約解消された令嬢から聞いた情報を正しいものと認識しているようだ。
ナイジェルも彼女と会ったのは十年以上前のこと。
その時の記憶では少し小さめの少女で利発だった。
家が傾いてかなり苦労しただろうが、噂話がいかにあてにならないかは分かっている。
少なくとも、あのストラザーン伯爵が後ろ盾となっているのだ。
令嬢からの情報は疑ってかかるべきだろう。
「わかりました。アビゲイル伯爵がどのようなお考えなのかは。とりあえず、これ以上お時間を取らせるのも申し訳ないので……」
自分の手元にある投影用魔道具を起動させる。
話は終わりだと、言外に示すとアビゲイルはむっとした顔つきになった。
「そもそも、一介の護衛騎士のことなど捨て置けばよいのに、まったく物好きな……」
これからこの画像を使って、ゴドリー家に波風を立てようとしていることに不満をあらわにし、なおもちくりちくりと的外れな嫌味を言うアビゲイルに、モルダーは苛立ちを押し隠す。
「…………。ベージル・ヒルは、ケルニア戦争の功労者です。そんな彼のために動くのはおかしいでしょうか」
武器商人なら知っていてしかるべきこと。
「確かに、功労者として内々に賞されたのは聞いています。しかし、彼はゴドリー伯爵の護衛騎士。そもそもは幼い彼の看病のために命を落とした乳母の息子というだけで引き立てられ、一家は男爵の称号まで得ていますが……。分不相応だという声は無視できませんよ」
「そうですか……」
いったい、『誰』が、『分不相応』だと言っているか。
それはおいおい調べるとして。
「ご協力ありがとうございます。内々に使うだけなので、アビゲイル家とゴドリー家の友情にひびを入れることは一切ないと約束します」
「わかりました。では、どうぞ」
彼の手の中の投影画像をナイジェルの装置に転写した。
完了した時、どちらからともなく互いにため息をつく。
「それにしても、素晴らしい狩猟会でした。妻への土産話にいたします」
事を丸く収めるために、ナイジェルはアビゲイルへありきたりな賛辞を贈る。
「そうですか。ご満足いただけたなら、様々な準備も甲斐がありました」
「では、私はこれで。お心遣い、感謝します」
頭を下げながら、ナイジェルは暗い笑みを浮かべた。
この宮殿は、どうやら持ち主を凋落させる運命にあると。
創設者をはじめ、たった五年の持ち主だったブライトンがそうであったように。
アビゲイルの繁栄も、そう長くはない。
ヘレナ・リー・ストラザーン及びベージル・ヒルを見誤る程度の男が当主なら。
「たしかに……」
妻の言うように、この宮殿の栄華はこれが見納めだろう。
落日は、近い。
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