闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第一章 婚約破棄と追放、そして再会

断罪の始まり

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 一呼吸おいてから足を一歩踏み入れると、出席者の歓談で鳥の集会のように姦しかったはずの大広間はしんと静まり返った。

 ゆるりと視線のみ巡らせて、装飾を確認する。
 白と淡いピンクのバラと絹のリボンに埋め尽くされた、なんとも初々しい趣向だ。
 それが何を意味するかしっかりと胸に刻み、ドレスの裾を軽くつまんで片足を踏み出した。

 カツン―――。

 楽団の演奏も止められ、エステルが歩を進めるたびに靴のヒールが大理石の床に当たって起こす硬質な音だけが響き渡る。
 遅すぎず、早すぎず。
 完璧な所作で歩き続けた。
 ひそやかなさざめきが耳に届くが、頭をまっすぐに前を見据えたままエステルは進む。
 周囲は色の洪水だ。
 女性たちは誰かの髪の色をドレスの基本色としているため誰もかれもが淡い色で、ふわふわと頼りない。
 優しい色、と言うべきなのだろう。
 その中を闇色のカラスが氷河を割って進む船のように色彩を割っていく。
 王家を除けば一番上の地位にある公爵令嬢に人々は頭を深く垂れ、道を開ける。

 ちょうど大広間の半ばまで到達した頃だろうか。

「エステル・ディ・ヘイヴァース! そこで止まれ!」

 裏返った甲高い声が高い位置から投げかけられた。

 ぴたりと足を止め、エステルは軽く頭を傾け二階へ半円型に張り出したバルコニーを見上げた。

 そこは王族が夜会の始めに姿を現して口上を述べ宴の開催を宣言する場所。
 もしくは、『重大な発言を行い、知らしめる』場所。
 そこは金糸のつづれ織の幕とリボン、そして薔薇で飾り立てられていた。

「ずいぶんと仰々しい演出だこと……」

 ひそりと呟き、両手の指をウエストの前に揃えて拝聴の姿勢をとる。

「エステル・ディ・ヘイヴァース公爵令嬢! 貴様との婚約を破棄する!」

 唾を飛ばしながら声を張り上げるのは、当然、第三王子ジュリアン。

 父譲りの青みがかったプラチナブロンドと、半透明なアクアマリンの瞳。
 エステルの中指にはめられたミルキーアクアマリンの石と同じ色だ。
 細くて高い鼻梁から作られた繊細な顔立ちは、友好国から嫁いだ王妃の美貌を多く受け継ぎ、幼いころから美しいともてはやされ愛された。

 しかし、それは彼にとって良いことだったのだろうか。

 ため息をエステルはこらえて口を開く。
 様式美を求められているのは、重々承知。

「……婚約破棄の理由は何でしょうか」

 さして大きくない公爵令嬢の問いはしかと彼の耳に届いたのか。
 いや、想定通りの言葉が嬉しくてたまらないのだろう。
 にやりとほおを緩ませ意気揚々と答える。

「理由は、お前が陰で男あさりをし、不貞行為を行っており、既に純潔を失っているからだ。決まりを破った女が王家に嫁ぐなど、背信行為も甚だしい!」


「不貞、行為ですか……」
 不貞行為を理由に婚約破棄しようとしているジュリアンの傍らには、甘いピンクブロンドにペリドットのようなオリーブグリーンの瞳の愛らしい顔立ちをした女性が寄り添っている。

 オリヴィア・ネルソン侯爵令嬢。
 ここ最近、ジュリアンの寵愛を彼女が一身に受けていることはエステルばかりでなく宮廷の誰もが知っている。

 そして今、彼女が身に着けているのはふんわりとした薄衣に真珠を惜しみなくちりばめられ、流行の最先端のデザインである水色のドレス。

 大きく開いた胸元には、首から繊細で見事な意匠の真珠のチョーカーが下がっている。

 おそらく。
 見覚えがあるというよりも、つい数刻前に首から解けて飛び散ったあのチョーカーそのものだ。

 あちらが全て本物。

 ジュリアンはエステルに恥をかかせるために、オリヴィアの為に作らせたドレスと装飾と全く同じでありながら、材質はことごとく格が下がるイミテーションをわざわざ贈り当日着るよう仕向けた。
 小柄で胸と腰が豊かな女性らしいオリヴィアに対し、エステルは父譲りのしっかりした骨格が災いし女らしさより威厳を感じ、近寄りがたい。
 もとより、オリヴィアの美しさを最高に引き出すために作られた衣装を身に着けたところで誰の目にも滑稽にしか見えないだろう。

 まがい物に気付かずこの大広間の中心に立たせることこそが彼の演出の一部だったのだ。

 しかし、そそっかしい侍女のおかげで一つ計画が崩れた。
 今頃あの侍女は内通者から罰を受けるか、いや、殺されているかもしれない。
 なぜなら、あの侍女はチョーカーがいずれ壊れるものだと知っていたからだ。

 壊れるのは、今じゃない。

 糸が切れた瞬間の彼女の悲鳴はそれを物語っていた。

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