闇色令嬢と白狼

犬飼春野

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第二章 公女去りて後のアシュフィールド国

第二王子妃ガートルード

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「ウォーレン様……。またこんなにお仕事をなさって。お身体は大丈夫ですか?」

 ラベンダー色の瞳が気づかわし気にうっすらと潤む。

 第二王子ウォーレンの執務室に現れたのは、第二王子妃ガートルードだ。

 生糸を思わせるホワイトブロンドの長い髪とほっそりと長い手足の清らかな外見から、『白百合の聖女』と称される。

「ああ……。心配をかけてすまない、大丈夫だよ。ガーダ」

 山積みの書類をさばいていたウォーレンは立ち上がって歩み寄り、両腕を広げ、優しく彼女の身体を優しく包み込んだ。

「悪阻で苦しむ妻を不安にさせるなんて、悪い夫だな、私は…」

 そっと夫の背中に両手を添え、頬を彼の広い胸に当ててほうとガートルードは安堵する。

「貴方様がご無事であることこそ、私とお腹の子の幸せでございますから」

「ありがとう、君のその言葉が何よりの薬だよ」

 姿だけでなく、声も美しいと賞賛されるガートルードの囁きに、ウォーレンは口づけをそっと額に落とし、その様を見ている補佐官や侍女、そして護衛騎士たちはまるで一枚の美しい絵を見ているような心地になり、感嘆のため息をついた。

「それよりもガーダ。君はこんな所へ来て大丈夫なのか。オズボーン侯爵家の魔導師が優秀だと言っても、ほんの数日前まであれほど具合が悪かったというのに」

 ウォーレンとガートルードは王太后の命により十年前に婚約し、夫婦になってもうすぐ一年を迎える。

 喜ばしいことに一月前に妊娠と診断されたころから悪阻が重く、第二王子の住まいである離宮から実家であるオズボーン侯爵領へ里帰りし静養していた。

 そんななか、王宮に残り執務をこなすウォーレンの元へ、容態が悪化し流産する可能性ありとオズボーン侯爵の執事直々の知らせであったため、すぐさま転移魔法でガートルードの元へと急いだ。

 エステルを断罪した宴の半日前の事であった。

「大丈夫ですわ。東の国から来たという薬師が作ったシロップがどうやら身体に合うようで、今は信じられない程元気なのです。悪阻も昨日からぱったりと止んで、今までの苦しさが嘘のようですわ。もう、ダンスも踊れる気がします」

 腕の中で無邪気な笑顔を見せる妻に、ウォーレンは困ったように眉を下げて見せる。

「まったく、私の妻は……。あの時はどれほど心配していたか。落ち着いたなら、これほど嬉しいことはないけれどね」

 すると、ウォーレンの腕の中からするりと抜け出したガートルードは長椅子に腰掛け、幼い少女のような仕草で隣を手で叩いた。

「それよりも、ねえ旦那様。ここにお座りになって。たまには休憩なさらないと、また体調を崩されますよ?」

「……君にはかなわないな」

 微苦笑を浮かべてウォーレンが素直に座ると、それを合図にガートルード付きの侍女たちがティーセットを並べ始める。

「少しは召し上がらないと、身体によくありませんわ。疲労によく効くというハーブティーも用意しています。薬と思ってお飲みになって」

 硝子ポットから茶器へと注がれるうっすらと黄色がかった透明な液体からカモミールの香りがふわりと立ちのぼった。

「いつも気にかけてくれてありがとう。頂くよ」

 ウォーレンが優雅な仕草で茶器に口をつけ、数口飲んだところで、その様子をじっと隣で眺めていたガートルードはぽつりと尋ねた。

「……また、昨夜もあまり眠れなかったのですか、ウォーレン様」

「ああ、そうだね。眠ろうとすればするほど眠り方が分からなくなる。でも、多分少しは眠っているはずだよ。気が付いたら時計の針が進んでいるからね」

 若草色の瞳を細めて、にこりと笑う。

「すっかり痩せてしまわれて。いったいどうしたことでしょう。お医者様は、まだ原因を見つけられていないのですか?」

 泣きそうな顔で下から覗き込む若い妻をウォーレンはそっと抱き寄せた。

「ああ。宮廷で一番の医師にもわからないらしいが、私はまだ大丈夫だよ。君と、子どものためにも頑張らねばね」

「あなた……」

 互いの身体に腕を回し合いしばらくじっと抱き合った後、ふと、ガートルードは瞑っていた目を開いた。

「あの……。ウォーレン様。ここへ到着してから聞いたのですが」

「うん。何かな」

「あの……。エステル嬢が断罪されて、護送中に行方不明になり、命を落としたとか……」

「ああ、そうだよ。……まったく、不安定な体調の君にそんな話を吹き込んだのはいったい誰だい? お腹の子がびっくりしたらどうしてくれるんだ」

 さらりと艶やかな髪を指で愛しながらウォーレンはため息をついた。

「お願いでございます、罰しないでくださいませ。明日、ジュリアン殿下とオリヴィア嬢の婚約式が行われると文官が知らせに来たのです。その折に事情を少し説明してくださったの」

「…そうか。それで君はどうする? 私は立場上出席せねばならないが、君は体調がまだ安定しないということにしても大丈夫だよ」

 陶器のようにきめの細かい白い頬をウォーレンが優しく撫でると、長い睫毛を伏せ彼の手に自分のそれを添えガートルードは微笑む。

「いえ。殿下の義姉ですもの。出ないという選択肢はありませんわ。オリヴィア嬢とはこれから家族になるのですし、何事も最初が肝心と言うでしょう。オリヴィア嬢のお腹の御子とも産み月が近いことですし、仲を深める良い機会です」

「…君がそう決めたなら、反対しない。二人も喜ぶだろう」

 互いに眼差しを交わし合い、微笑む。

「そう言えば、貴方様は婚約指輪を今もはめたままなのですね」

 ガートルードは両手で夫の手を取りまじまじと見つめた。

 ウォーレンの左手の薬指には二本の指輪が重ね付けされている。
 婚約指輪と結婚指輪だ。

 対するガートルードは薬指に結婚指輪と、中指に大ぶりな若草色のガーネットの指輪で彩っていた。

「うん。これは君と婚約して長い時を一緒に過ごしたしるしだからね。もう身体の一部みたいで外すとどうしても落ち着かない」

 アシュフィールドの王族の結婚式は独特で、祭壇で婚約指輪を外し、結婚指輪を新たにはめる。

 ウォーレンは結婚式から数日後にはまた婚約指輪を重ねてはめるようになっていた。

 公務に忙しく、二人だけの時間がなかなか取れないからこそ付けていたいと公言する第二王子に、ガートルードへの溺愛ぶりを人々は恋愛小説の世界を現実で見ているかのように喜び、楽しんだ。

「明日の婚約式が楽しみですわ。私たちは子どもの頃に行ったから大人に振り回されてつまらなかったけれど、殿下たちは感動もひとしおでしょうね」

 夫の胸に頬を寄せ、くすくすと笑うガートルードの頭をゆっくりと撫でながら、ウォーレンは窓の外を見つめた。

「そうだな…」

 鳥たちが鋭い声を上げとまっていた枝から一斉に羽ばたき去る光景に、目を細める。

「楽しみだ、明日が」

 冬を前に、慌てたように木々は葉を次々と落としていく。
 微かな風に促され。
 寒さから己を守るために。

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