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曉彦と征也
アメノムコウ
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開け放された窓のふちに手をかけ、伸び上って天を見上げる。
空は真っ白な雲が厚く昼の太陽の光を遮っていて、夜のようには真っ暗にならず、かといって晴れた日のように辺りを強く照らすこともない。
ただ、ただすべてをやわやわと包み込み、日常の音さえどこか遠くに聞こえる。
目を瞑って、ゆっくりと鼻から息を吸い込んでみた。
頬にあたるかすかな風は、人の吐き出す吐息のようにやわらかくて暖かい。
遠くからアスファルトの匂いに交じって、土の香りと木の幹の匂い、そして土に根をおろす草ぐさと名前の知らない花の匂いがうっすらと甘い。
雨がいまにも降りそうなのに、なかなか降りださない、そんな瞬間が大好きで、曇りの日はいつも窓辺に座り込む。
「ゆきや」
やわらかな、やや低めの声がやさしく肩に降りてくる。
振り返ると、小さな黄色のレインコートを手にした母がたたずんでいた。
「お出かけしましょう」
屈んで自分にコートを着せ、上からゆっくりゆっくりボタンを留めてくれる彼女の白い指先を目で追う。
「どこ、いくの?」
「・・・。そうねぇ・・・」
一番下のボタンに手を止めたまま、母はしばらく考え込む。
さぁっと風が通り過ぎ、二人は窓を振り返る。
いつのまにか、霧雨が降っていた。
「雨の・・・。雨の向こうへ行くの」
「あめのむこう?」
少年は大きな瞳を更に見開く。
「そう。雨の、ずっとずっと向こうへ行きましょう」
まるで、おとぎ話のような言葉を母は口にする。
「かあさまと、二人っきりでね」
額と額をくっつけてささやく母の言葉が、なんだか秘密の冒険めいていて、少年の心ははずんだ。
「あめのむこう、すぐ、いくの?」
「ええ、今すぐね」
「おくつ、はかなきゃ」
母の手が最後のボタンを留め終えた途端、玄関に向かって黄色い鞠のように駆けだした。
「アメノ、ムコウ」・・・・・。
「あめのむこう」はどんなだろう。
風は、空のいろは、花の香りは・・・。
どんな「ふしぎ」があるんだろう。
父の買ってくれた絵本のような世界か、それとも・・・。
菜の花が咲く頃に、やっと三つになった少年の頭の中は、もう、「あめのむこう」でいっぱいだった。
「雨が降りだしたな・・・」
窓辺で、ぼんやり外を眺めながら煙草をふかしていた伯父が呟いた。
さり気なく高価な調度品が随所に配置された広い部屋の中は、電気がついているにもかかわらず、薄暗い。
時代がかったソファには、先程の親族会議に出席していた一族の者たちが思い思いの位置に腰をおろしているが、彼らは一様に押し黙り、聞こえてくるのは茶器の触れ合う硬質な音だけだ。
自分の親ほどかまたはそれ以上の年令の十数人の大人たちに囲まれながら、暁彦は自分がこの部屋にたった独りでいる錯覚に陥る。
抱え込んだ紅茶のカップが、両手の中でだんだん冷たくなっていった。
ふと、耳を澄ますと、板張の床を小さな音が駆けてくる。
ややおぼつかなげで不規則な足取りで、肉の薄い足の裏のかかとの部分が硬い床にあたってこつこつと音をたてるのは、弟の征也以外にいない。
「征也が来る・・・」
暁彦のつぶやきに、傍らにたたずんでいた秘書の高遠がうなずく。
「征也様がおいでになったようです」
さほど大きな声でないにもかかわらず、深みのある彼の声が部屋の中を響き渡り、居並ぶ大人たちの顔色が一斉に変わった。
「皆様、ご足労ですが、玄関の方へお願いいたします」
高遠に促されて、伯父たちはぞろぞろと部屋から出ていく。
膝のうえに拳をかたく握り締めたまま、暁彦は動けなかった。
「暁彦さま」
大きな手が肩の上に優しく降りてくる。
「行きましょう」
暁彦は、深く、息を吸った。
征也は、ご機嫌だった。
お気にいりの黄色のレインコートと小さな雨靴をはいて、外に飛びだそうとした彼を引き止めたのは、父の傍らでよく見かけたいつでも優しい大人たちであった。
彼らは、かわるがわるり征也の頭を撫でてくれ、二言三言、話し掛けてきた。
そうこうするうちに、大好きな母が肩にやや大きな荷物を下げ、左手に傘を持って玄関を出てくる。
「ゆきや、いきましょう」
嬉しさに歓声を上げると、征也は母の足に体当たりして、しがみつく。
「お世話になりました」
母は、しがみついた征也の頭に手を置いて、深々と居並ぶ人々に頭を下げた。
しかし、彼らは、黙ったまま微動だにしない。
「・・・では」
もう一度黙礼して、母は征也を門へとゆっくり促す。
多くの人に見送られて、玄関からの長いうっそうとした道を足早に抜けると、門の前に人影が、二つ見えてきた。
年の離れた兄の暁彦と、父の秘書の高遠だった。
「にいさま・・・・」
全速力で駆けていき、弾みをつけて兄の膝に飛びついた。
「あのね、かあさまと、あめのむこうにいくんだよ」
「あめのむこう・・・?」
「うん」
霧雨の小さな透明の粒を金色の髪の上にちりばめ、征也は嬉しげに頷く。
乳白色の、透き通るような肌と、けぶるような長い金茶色のまつげ、そして黄緑がかってよく動く大きな瞳。
父の幼い頃に瓜二つと誰もが信じ、愛されたその容姿も、今では、全て見ず知らずの男の面影を目の前に突き付けられている気がして、暁彦は腰にまとわりついて離れない弟から思わず顔を背けた。
わかってる。
小さな征也に何の非もないことは、頭ではわかっている。
でも、どうしても、どうしても心がついていかない・・・・・。
「にいさま・・・?どうしたの」
兄のジャケットの裾をそっと引いて、征也は小首を傾げる。
暁彦は、目を伏せたまま動かない。
「にいさま・・・」
「ゆきや、おにいさまに、ごあいさつなさい」
ゆっくり目を開くと、高遠の傍らに赤い傘を手にした小柄な女が立っていた。
黒く、肩にとどく艶やかな髪を無造作に束ね、細身のブルージーンズの上に白いシャツを羽織り、大きなリュックを肩に掛けている。
このようないでたちの母を暁彦は初めて見た気がした。
薄い肩、細い首筋、長い指先、そして、自分を見据えたまま動かない、静かで、大きな黒い瞳。
こんな女は知らない。
「どうぞ、お元気で」
薄く紅を引いた唇からは、ありきたりの、空々しい挨拶しか紡ぎだされない。
こんな女は知らない。
「・・・あなたがたも」
できることなら叫びたかった。
でも、何を?
誰を、責めればいいのだろう。
冷たく微笑むだけのこの女を?
足元にまとわりつくこの子供を?
それとも、突然あの世へ旅立ってしまった父を?
そして、何も知らず、何もできない、この自分を?
なす術が見つからないから暁彦は機械的に呟く。
「征也。いっておいで」
「・・・うん。いってきます」
征也はそろそろと指を解く。
湿り気を帯びたアスファルトの上に小さな泡の足跡をてんてんと残して、弟は母親目掛けて走っていった。
しかし、手を引かれてゆっくり門を出て、二三歩歩いたところでふいにふりかえり、じっと暁彦を見つめる。
「・・・ゆきや!」
母の制止を振り切って、黄色の塊は駆けて来た。
征也は飛び上って暁彦の腕をつかむ。
「・・・いこう」
小さな指を思いっきり広げ、ちからいっぱい引っぱる。
「あめのむこう、にいさまも、いこう」
小さな体のどこにそんな力があるのか、暁彦はじりじりと門へ向かって引きずられていく。
「征也・・・」
「にいさまも、いくの」
不釣り合いなほどに大きな瞳が暁彦をにらむように見据えた。
「僕は、行けないよ」
征也の力に抗いながら、首を振る。
「どうして?」
「どうしても」
「じゃあ、にいさまといっしょじゃなきゃ、ゆきやもいかないっ」
「ゆきやっ」
大声をだして手を振り払うと、征也は驚いたように暁彦を見上げ、一瞬後に見開いた瞳からぽろりと涙が落ちた。
「いっしょじゃなきゃ、いやぁ・・・」
両足を地面にしっかり踏みしめ、握り締めた拳をぴんとはったまま、全身を小刻みに震わせて征也は涙を流す。
「にいさま、いこうよ・・・」
暁彦は地面に膝をついた。
しゃくりあげながら、ただただ同じ言葉を繰り返す弟に、そっと腕をのばす。
「・・・ごめん」
抱き締めた体は、やわらかくて暖かい。
「今は、行けない」
何度も何度も柔らかな髪をすいているうちに、征也の呼吸もだんだん落ち着いてきた。
「・・・いまは・・・?」
暁彦の肩に頬を寄せて呟く。
「そう。いまは」
今の自分には、何の力もないから。
「いつか、僕も行くから」
「いつか、いくの?」
「うん。いつか、行く」
「あめの、むこうに?」
「そう。雨の、向こうにね」
ぱあっと征也の顔がほころんだ。
「にいさまも、いつか、いくんだね?」
「うん。でも、今は行けない。だから、征也が先に行くんだよ」
肩に手を回して体を反転させ、征也の背中を軽くたたく。
「さあ、行っておいで」
「うんっ」
弾みをつけて、今度は門の外に向かって駆けだした。
「あめのむこう、きてねぇ・・・」
振り返り、振り返り、征也は手を振る。
「きっと、きてね、きっとだよ・・・・」
甘くて細い征也の声とその姿は、ふわふわとした霧雨にとけこんでいく。
「にいさま・・・・」
やがて、見えなくなった。
・・・・なにもかも。
空は真っ白な雲が厚く昼の太陽の光を遮っていて、夜のようには真っ暗にならず、かといって晴れた日のように辺りを強く照らすこともない。
ただ、ただすべてをやわやわと包み込み、日常の音さえどこか遠くに聞こえる。
目を瞑って、ゆっくりと鼻から息を吸い込んでみた。
頬にあたるかすかな風は、人の吐き出す吐息のようにやわらかくて暖かい。
遠くからアスファルトの匂いに交じって、土の香りと木の幹の匂い、そして土に根をおろす草ぐさと名前の知らない花の匂いがうっすらと甘い。
雨がいまにも降りそうなのに、なかなか降りださない、そんな瞬間が大好きで、曇りの日はいつも窓辺に座り込む。
「ゆきや」
やわらかな、やや低めの声がやさしく肩に降りてくる。
振り返ると、小さな黄色のレインコートを手にした母がたたずんでいた。
「お出かけしましょう」
屈んで自分にコートを着せ、上からゆっくりゆっくりボタンを留めてくれる彼女の白い指先を目で追う。
「どこ、いくの?」
「・・・。そうねぇ・・・」
一番下のボタンに手を止めたまま、母はしばらく考え込む。
さぁっと風が通り過ぎ、二人は窓を振り返る。
いつのまにか、霧雨が降っていた。
「雨の・・・。雨の向こうへ行くの」
「あめのむこう?」
少年は大きな瞳を更に見開く。
「そう。雨の、ずっとずっと向こうへ行きましょう」
まるで、おとぎ話のような言葉を母は口にする。
「かあさまと、二人っきりでね」
額と額をくっつけてささやく母の言葉が、なんだか秘密の冒険めいていて、少年の心ははずんだ。
「あめのむこう、すぐ、いくの?」
「ええ、今すぐね」
「おくつ、はかなきゃ」
母の手が最後のボタンを留め終えた途端、玄関に向かって黄色い鞠のように駆けだした。
「アメノ、ムコウ」・・・・・。
「あめのむこう」はどんなだろう。
風は、空のいろは、花の香りは・・・。
どんな「ふしぎ」があるんだろう。
父の買ってくれた絵本のような世界か、それとも・・・。
菜の花が咲く頃に、やっと三つになった少年の頭の中は、もう、「あめのむこう」でいっぱいだった。
「雨が降りだしたな・・・」
窓辺で、ぼんやり外を眺めながら煙草をふかしていた伯父が呟いた。
さり気なく高価な調度品が随所に配置された広い部屋の中は、電気がついているにもかかわらず、薄暗い。
時代がかったソファには、先程の親族会議に出席していた一族の者たちが思い思いの位置に腰をおろしているが、彼らは一様に押し黙り、聞こえてくるのは茶器の触れ合う硬質な音だけだ。
自分の親ほどかまたはそれ以上の年令の十数人の大人たちに囲まれながら、暁彦は自分がこの部屋にたった独りでいる錯覚に陥る。
抱え込んだ紅茶のカップが、両手の中でだんだん冷たくなっていった。
ふと、耳を澄ますと、板張の床を小さな音が駆けてくる。
ややおぼつかなげで不規則な足取りで、肉の薄い足の裏のかかとの部分が硬い床にあたってこつこつと音をたてるのは、弟の征也以外にいない。
「征也が来る・・・」
暁彦のつぶやきに、傍らにたたずんでいた秘書の高遠がうなずく。
「征也様がおいでになったようです」
さほど大きな声でないにもかかわらず、深みのある彼の声が部屋の中を響き渡り、居並ぶ大人たちの顔色が一斉に変わった。
「皆様、ご足労ですが、玄関の方へお願いいたします」
高遠に促されて、伯父たちはぞろぞろと部屋から出ていく。
膝のうえに拳をかたく握り締めたまま、暁彦は動けなかった。
「暁彦さま」
大きな手が肩の上に優しく降りてくる。
「行きましょう」
暁彦は、深く、息を吸った。
征也は、ご機嫌だった。
お気にいりの黄色のレインコートと小さな雨靴をはいて、外に飛びだそうとした彼を引き止めたのは、父の傍らでよく見かけたいつでも優しい大人たちであった。
彼らは、かわるがわるり征也の頭を撫でてくれ、二言三言、話し掛けてきた。
そうこうするうちに、大好きな母が肩にやや大きな荷物を下げ、左手に傘を持って玄関を出てくる。
「ゆきや、いきましょう」
嬉しさに歓声を上げると、征也は母の足に体当たりして、しがみつく。
「お世話になりました」
母は、しがみついた征也の頭に手を置いて、深々と居並ぶ人々に頭を下げた。
しかし、彼らは、黙ったまま微動だにしない。
「・・・では」
もう一度黙礼して、母は征也を門へとゆっくり促す。
多くの人に見送られて、玄関からの長いうっそうとした道を足早に抜けると、門の前に人影が、二つ見えてきた。
年の離れた兄の暁彦と、父の秘書の高遠だった。
「にいさま・・・・」
全速力で駆けていき、弾みをつけて兄の膝に飛びついた。
「あのね、かあさまと、あめのむこうにいくんだよ」
「あめのむこう・・・?」
「うん」
霧雨の小さな透明の粒を金色の髪の上にちりばめ、征也は嬉しげに頷く。
乳白色の、透き通るような肌と、けぶるような長い金茶色のまつげ、そして黄緑がかってよく動く大きな瞳。
父の幼い頃に瓜二つと誰もが信じ、愛されたその容姿も、今では、全て見ず知らずの男の面影を目の前に突き付けられている気がして、暁彦は腰にまとわりついて離れない弟から思わず顔を背けた。
わかってる。
小さな征也に何の非もないことは、頭ではわかっている。
でも、どうしても、どうしても心がついていかない・・・・・。
「にいさま・・・?どうしたの」
兄のジャケットの裾をそっと引いて、征也は小首を傾げる。
暁彦は、目を伏せたまま動かない。
「にいさま・・・」
「ゆきや、おにいさまに、ごあいさつなさい」
ゆっくり目を開くと、高遠の傍らに赤い傘を手にした小柄な女が立っていた。
黒く、肩にとどく艶やかな髪を無造作に束ね、細身のブルージーンズの上に白いシャツを羽織り、大きなリュックを肩に掛けている。
このようないでたちの母を暁彦は初めて見た気がした。
薄い肩、細い首筋、長い指先、そして、自分を見据えたまま動かない、静かで、大きな黒い瞳。
こんな女は知らない。
「どうぞ、お元気で」
薄く紅を引いた唇からは、ありきたりの、空々しい挨拶しか紡ぎだされない。
こんな女は知らない。
「・・・あなたがたも」
できることなら叫びたかった。
でも、何を?
誰を、責めればいいのだろう。
冷たく微笑むだけのこの女を?
足元にまとわりつくこの子供を?
それとも、突然あの世へ旅立ってしまった父を?
そして、何も知らず、何もできない、この自分を?
なす術が見つからないから暁彦は機械的に呟く。
「征也。いっておいで」
「・・・うん。いってきます」
征也はそろそろと指を解く。
湿り気を帯びたアスファルトの上に小さな泡の足跡をてんてんと残して、弟は母親目掛けて走っていった。
しかし、手を引かれてゆっくり門を出て、二三歩歩いたところでふいにふりかえり、じっと暁彦を見つめる。
「・・・ゆきや!」
母の制止を振り切って、黄色の塊は駆けて来た。
征也は飛び上って暁彦の腕をつかむ。
「・・・いこう」
小さな指を思いっきり広げ、ちからいっぱい引っぱる。
「あめのむこう、にいさまも、いこう」
小さな体のどこにそんな力があるのか、暁彦はじりじりと門へ向かって引きずられていく。
「征也・・・」
「にいさまも、いくの」
不釣り合いなほどに大きな瞳が暁彦をにらむように見据えた。
「僕は、行けないよ」
征也の力に抗いながら、首を振る。
「どうして?」
「どうしても」
「じゃあ、にいさまといっしょじゃなきゃ、ゆきやもいかないっ」
「ゆきやっ」
大声をだして手を振り払うと、征也は驚いたように暁彦を見上げ、一瞬後に見開いた瞳からぽろりと涙が落ちた。
「いっしょじゃなきゃ、いやぁ・・・」
両足を地面にしっかり踏みしめ、握り締めた拳をぴんとはったまま、全身を小刻みに震わせて征也は涙を流す。
「にいさま、いこうよ・・・」
暁彦は地面に膝をついた。
しゃくりあげながら、ただただ同じ言葉を繰り返す弟に、そっと腕をのばす。
「・・・ごめん」
抱き締めた体は、やわらかくて暖かい。
「今は、行けない」
何度も何度も柔らかな髪をすいているうちに、征也の呼吸もだんだん落ち着いてきた。
「・・・いまは・・・?」
暁彦の肩に頬を寄せて呟く。
「そう。いまは」
今の自分には、何の力もないから。
「いつか、僕も行くから」
「いつか、いくの?」
「うん。いつか、行く」
「あめの、むこうに?」
「そう。雨の、向こうにね」
ぱあっと征也の顔がほころんだ。
「にいさまも、いつか、いくんだね?」
「うん。でも、今は行けない。だから、征也が先に行くんだよ」
肩に手を回して体を反転させ、征也の背中を軽くたたく。
「さあ、行っておいで」
「うんっ」
弾みをつけて、今度は門の外に向かって駆けだした。
「あめのむこう、きてねぇ・・・」
振り返り、振り返り、征也は手を振る。
「きっと、きてね、きっとだよ・・・・」
甘くて細い征也の声とその姿は、ふわふわとした霧雨にとけこんでいく。
「にいさま・・・・」
やがて、見えなくなった。
・・・・なにもかも。
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