犬飼ハルノ

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征司、蒼、高遠

夕立-高遠-

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 雨が降っている。



 大気中の水分の全てがここに集結したような土砂降りがあたりを包み込む。

 全てを洗い流すような雨。

 全てを壊してしまうほどの強い力が音となって叩きつけられる。

 そんな中、車の運転席に座りハンドルに片手をかけたまま高遠厚志は動けないでいた。

 絶え間なく覆いかぶさる水のカーテンの向こうには、まだ青年への入り口に入ったばかりの少年が二人向き合う姿がうっすらと見える。

 彼らが何を話しているのかは車の天井を叩く雨音にかき消されて解らない。ただ、わずかに見える動きで言い争いをしていることだけは想像できた。

 何を話しているかなんて、聞いてはならないし、聞くつもりもない。

 何が起きているかなんて、見てはならないし、見るつもりもない。

 ただ、主君が戻り命令するのを待つ、それが己の仕事だから。

 しかし、目を閉じることだけは、なぜかどうしても出来なかった。



 いきなり二つの影が一つになった。

 雨よりも激しく絡み合う二人。

 自分はまるでカメラのレンズにでもなったようかのように見つめ続けた。

 絡み合い、もみ合い、やがて目の前のボンネットに倒れこむ。

 大きく車が揺れたが、指一本動かすことすらできなかった。

 ぼやけたフロントガラスの向こうで下になっているのは白いシャツを着た主君で、上に覆いかぶさっているのが相手の少年とすぐに理解した。

 長く長く続く激しい口づけ。

 雨も風も音も空気ですら存在しないかのような、永遠の交わりがそこにあった。

 当然、ここにこうして座っている自分も別の空間に取り残されたまま。



 上になっていた少年がふと顔を上げた。

 雨のカーテンが途切れたかのようにすっと落ちた一瞬、射るような目に遭遇する。

 目が合ってしまった。

 息を飲んだ次の瞬間、彼は腕の中の白いシャツを乱暴に引き裂く。

 それに包まれていた筈の乳白色の肩が目に入った。

 背筋に緊張が走り、今すぐ飛び出したい衝動に駆られる。

 だが、ハンドルを握りしめて堪えた。

 雨の向こうは彼らの世界で、自分は行ってはならないことを承知してここにいるのだから。


 来てはならない。


 そう、彼が命じたから。

 いや、それが彼の矜持だから。


 だから、行かない。

 だから、息をとめたまま、座り続けるしかないのだ。

 これから先に何が起きたとしても。

 ゆるゆると息を吐き出し、目を伏せた。



 完全に目を閉じてまもなく、ボンネットがまた大きく揺れた。

 ぱん、と音を聞いたような気がする。

 見開いた先には離れて佇む二つの影。

 決して交わらない二人の姿がそこにあった。

 ややあって、少年は背を向け、ゆっくりと雨の向こうに消えていく。

 白い背中はそれをいつまでも見つめ続けた。

 長く思える時の中、滝のような雨と立ち続ける白い影を自分も見つめる。

 もう、おそらく彼の目には何も見えない。

 容赦なく雨は降る。

 彼らの心の色をそのままに、激しく雨が降る。

 頼りない背中が雨に壊されてしまいそうで、胸が苦しくなる。

 こんな苦しさを今まで知らなかった。



 車を降りて傘をさしかけると、布をはじく音に我に返ったらしい青白い顔が振り向いた。


「高遠…」

「どうか、もう車にお乗りください」

「うん・・・。そう、そうだな・・・」


 ずぶ濡れの頬を水滴が新たに一筋流れていく。

 すっかり白くなった唇が細かく震えた。


「戻らないと…」


 まるで雨に溶かされたかのように小さく見える肩を思わず抱き寄せてしまう。


「・・・風邪をひきます」


 そう、言うのがやっとのことで。


「ああ、そうだな・・・」


 冷え切った体は身じろぎ一つしない。


「暖かい…」


 しかし、頬から顎にかけて水滴があとからあとから落ちてくる。


「暖かいだなんて、感じてはいけないのに…」


 茫然と涙を流し続ける細い体を強く自分の胸に引き寄せた。


「・・・行きましょう」


 少しでも温めたくて。



 ・・・この苦しさはどこから来るのだろう。



 雨は降り続ける。

 夕闇にだんだんと侵食されながら。

 心の奥底に楔を打ちつけて。

 雨が降る。


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