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 目が醒めた。

 吸血鬼の俺でも肌寒さを感じる。スマホで時刻を確認すると、朝の6時を過ぎた辺りだった。

 灯はいつ帰ったのか、病み上がりで爆睡してしまった俺にはわからないけれど、まるで痕跡を消すかのように、部屋は綺麗に片付いていた。

 俺はいつものパンツのみで毛布に丸まっていた。

 あの後一体何があったんだろう。何があったにせよ、灯は酔っ払っていて正気じゃなかった。

 じゃあ俺は?

 その気にならなくても、男ひとり返り討ちにするなんて朝飯前だ。

 なのに、なんであんなことになってしまったんだろうか。

 物事を深く考えずにこれまで生きて来たツケが、今まさに降りかかっているようだ。

 考えてもわからないから、俺はいつもそうするように、もう一度寝ることにした。

 次に目が醒めたのは、けたたましく鳴り響くスマホの着信音のせいだった。

 眠い頭でスマホを手に、誰からだ?と画面を確認。

 ……灯だった。

 時刻は10時過ぎ。本日非番の灯は、俺に何の用があるのだろうか?

「何?」
『あ…のさ』
「ん?」

 イマイチ歯切れの悪い灯だった。

『前に言っていた、その……スイーツバイキングに行かないか?』

 コイツ……昨日の今日で、どうして誘おうなんて思えるのだろう。ある意味鉄の心臓を持つ灯に感心する。

「もちろん灯の奢りだよね?」
『当たり前だ』
「じゃあ行く」

 そして誘いに乗ってしまうのも、ある意味俺も懲りないのだろう。

 いつもの如く11時きっかりに迎えに来た灯と向かったのは、ビジネス街にある高級ホテルの中のレストランだ。

 ひとり6000円で90分食べ放題のスイーツバイキングがウリのそこは、本番フランスでパティシエとして修行したシェフによる、厳選された気品漂うスイーツが並ぶ、女子が憧れるレストランだ。

 ホテルの最上階に位置するレストランで、俺は興味ないのだけれど、周囲が360度見渡せる景色の良さもウリとなっている。

「はぁ、この甘い香り…堪んないよね……」
「ああ…そうか」

 人間のくせに、食に無頓着な奴だな、と俺は残念な顔で灯を見た。人生短いからこそ、美味いものを食う有り難みがわかると言うものだけれど、当の人間はそれに気付いていない。本当に残念な生き物だ。

 ところで、別にドレスコードなどないレストランだけど、本日の灯のファッションはぎりぎり及第点、という感じだ。

 白いワイシャツの上に、前回も着ていたダウンを羽織り、濃い色のデニムを履いている。しかしスニーカーは前回と同じ履き潰していてみるも無惨な有様だ。

 俺はと言えば、オーバーサイズの黒いトレーナーに、白のスキニーを履いている。まあ、普通だと思いたい。しかしオーバーサイズというのは楽で便利だ。実家に帰るとこうもいかない。毎朝キッチリと髪まで撫で付けられるのだから、堅苦しくてイヤになる。

 そんな取り留めのないことを考えていると、俺たちの番が来た。少し並ぶ必要があったが、案外時間はかからなかった。

 窓際の二人がけの席に案内され、早速バイキングへと小走りで向かう。

 色とりどりの繊細なスイーツが、整列するように大きな皿に並んでいる。見ているだけで幸せな気持ちになる。スイーツは偉大だ。

 白い皿を手にして、端から漏れがないように取っていく。自分の席に戻るまでにヨダレが垂れそうだった。

「お前…それはどうかと思うぞ」
「え?なんか変かな?」

 灯は俺の取ってきた皿を見てドン引きしている。絶妙なバランスで隙間なくスイーツを乗せてきただけなのに。

 なにせ90分しかこの楽園にはいられないのだ。1秒も無駄にしたくない。

 はぁ、とため息が出た。なんて美しいスイーツなんだろう。食べるのがもったいない。でも食べてあげないとならない。しばし葛藤する。満を持してまずフルーツ盛りだくさんのタルトを頬張る。

 フルーツの甘味を生かした、程よい甘さのタルト。下の生地はサクサクで、良い感じの食感をだしている。

 続いてこれは、オペラというチョコレートケーキだ。深いコクのあるコーヒーと、滑らかなチョコレートの味わいがお上品だ。

 そんな感じで、ひとつひとつを堪能しながら、時間配分を考えて、満足するまでには程遠いけれど90分を惜しみなく満喫した。

 灯のことは、正直忘れていた。

「ふぅ、美味しかった。ありがと、灯」
「これはお詫びのつもりだ。おれのせいでまた怪我をさせてしまったから」
「その、おれのせいってのやめてよ。俺たちはバディだからさ、どっちが悪いとか悪くないとか、そんなの気にしなくていいんだよ」

 レストランから出て階下へと降るエレベーターでそんな話をしていると、途中の階で止まった。

 俺も灯も何となく口を閉ざす。

 途中で乗ってきたのは、背が高くてブロンドヘアの、小綺麗なスーツを着た男だった。

 そいつは顔を上げるなり、パッと爽やかな笑みを浮かべた。

「ルナ!久しいな!」
「ジークか。お前、今まで何処にいたんだ?俺の実家にも連絡が来てだぞ」

 そう言うと、ジークは苦笑いを浮かべた。

「それがさ、新しい事業を始めて中々家に連絡もできなくてさ」
「こっちにいるならさっさと連絡してやれ。俺も他の連中に小言を言われるのは飽き飽きだ」

 このジークというのはもちろん吸血鬼で、昔からの顔馴染みだ。俺と同じく放蕩息子というか、とにかく、年中どこかへ行ってしまう癖があった。

「すまん。あ、アリアナも今こっちにいるんだろ?何か話したか?」
「いや、特には何も。俺も仕事中だったし、今の立場上声を掛けるわけにもいかないから」

 なるほど、とジークは俺の隣に立つ灯を見た。

「この人がルナのバディ?」
「そうだが」

 値踏みするような、いつもの吸血鬼たちの視線が灯に向けられる。俺はそれが嫌だった。少なくとも灯は、俺と良好な関係を築いている方だから尚更だ。

「ジーク、それ以上やるなら俺も黙ってられないけど」

 不機嫌を露わにしたように言う。ジークはあからさまに怯んで、一歩灯から遠ざかる。

「ごめんごめん、冗談だよ、ルナリア様」
「お前の冗談はわからないんだよ」

 飄々とした態度は昔からだ。そして立場を弁えないところも。

 エレベーターが一階に着き、ポン、と機械音がなった。

「ルナが暇な時にでも食事に行こうよ。オレはしばらくこのホテルに滞在する予定だから」
「気が向いたらな」

 ジークが先に降り、俺と灯も後に続く。

「ふぅ。俺、アイツ嫌いなんだよね」
「だと思った」

 ホテルから出て歩道を歩きながらそう呟くと、灯は苦笑いで答えた。

「基本的にさ、吸血鬼の世界ってのは、お家柄に左右されるんだけどね」

 俺の話を、灯は静かに聞いている。そんなところが、俺にとって心地良いのかもしれない。

「アリアナみたいなお家柄は社交向けで、実際権力を握っているのは別の家なんだ。そういう序列を、俺たちは何より重んじている……まあ俺も、そういうのが古臭くて嫌で、だから実家を出てるんだけどね」

 そんな話を灯にしたところで、理解できないだろうけれど、それでも俺は話し続けた。

「アリアナとジークは俺より少し若輩で、他にも同じ年頃の奴はいるけど、そのなかで俺をルナと呼ぶのはジークだけだ。みんなはルナリア様つって、まあ、俺もそんなところで壁を感じていたんだけど……」

 要するに吸血鬼の社交辞令のようなものを、ジークは嫌っている。

 そんなジークを、周りの大人たちは良く思っていないのだ。

「俺みたいに、そういうのが嫌いで家を出ているという点では、ジークを好ましく思うよ。でも、格式とか社交場を重んじる同族の懸念とか、そういうのも、俺はよくわかっているつもりなんだ。俺だっていつまでもお家柄とやらからは逃げられてないからさ。だからジークとは、簡単に気軽な関係を持てないんだけどね。アイツは本当にそういうの気にしない奴だからさ……」

 ふと灯を見ると、なんだか複雑な表情をしていた。

 船上パーティーの際に、多少その吸血鬼界隈の社交的な面を見たはずだ。俺の言うことを少しはわかってくれただろうか。

「俺も300年生きてて、多少のプライドはあるからかな。ジークに良い顔ばかりはできないんだ。単にあのマイペースなところが苦手というのもあるけれど」

 そう言うと灯はフフッと笑った。貴重な笑顔だ。

「マイペースで言うなら、お前だって相当だろう」
「え?俺ってマイペースだったの?どこが?」
「まず常識人なら、職場で棒付きキャンディは食べない。ソファにふんぞり返って寝ないし、突然飯を食いに出たりしないし、会議やブリーフィングはまともに聞いているはずだ」

 そこで俺は降参の意味を込めて両腕を挙げた。

「わかった!十分理解致しました!そんなことより、お口直しにラーメン食べて帰ろうよ」

 灯の表情が引き攣った。

「お前……まだ食べるのか?」
「まだってほどお腹いっぱいじゃないよ?俺今、家系ラーメンが食べたい!シャキシャキもやしとほうれん草がいっぱい乗ったやつ!軽く3杯はイケるけど、灯、奢ってくれる?」

 はぁ、とため息を吐き出した灯だけど、その後ちゃんとラーメンを奢ってくれた。

 そんな灯が俺は好きなのだ。
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