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しおりを挟む署内の医務室で目を覚ました俺は、窓からまだ明るい空を見てから、壁にかけてある時計を見た。
18時だ。灯はまだ仕事中だろうか。一応定時というものがあるが、そんなのはあってないようなもなで、灯の帰宅時間はまちまちだ。
俺はいつも灯の仕事終わるのを待って一緒に帰っている。あわよくば途中で食べるものをねだろうと思って。
しかし今日は、医務室の女性医師にこう言われた。
「あら、調子はどう?まだ寝ててもいいのよ。秋原君は先に帰ると言っていたから」
嫌な予感がしたんだ。だから俺は飛び起きて、それからまだ痺れの残る手足にイラつきながら署を出た。
灯のマンションに辿り着いて、急いで部屋へ向かった。玄関を開けると、やっぱり、そこには灯がいた。
「お前の引き継いだという剣はどこにある?」
あのベルセリウスの長剣を、実際に灯に見せたことはなかった。それまで特に紹介する必要性もなく、灯の前で使用する事態にも遭遇していなかったからだ。
「なんで…?触ってみたい、とか、そういう感じ?」
俺は務めて笑顔を浮かべて言う。しかし灯は真剣な表情で静かに腕を組んでいる。
「……悪いけどここにはない」
「じゃあどこにあるんだ?お前がここに住む時に私物はこっちに持って来ていただろ?」
話せば話すほど、ボロが出ているようで。でもちゃんと話さなければ許しても貰えないわけで。
「灯には黙っていたけど、前の部屋は今も俺が使ってる。元々ルイスの名義で借りていて、家賃だけ俺が払ってる状態だった。だから解約せずに残しておいてもらってて、あの剣はそっちに置いてる」
「何でだ?」
「何でって……」
ほとんど毎晩、復讐を果たしに人間や、最近はメモ用紙の最後のページに差し掛かってて、人外の名前が増えたからそいつらも殺して回ってるから。
血で汚れた衣服のままここへ帰ってくる訳にもいかない。だから前の俺の部屋で一度汚れを落としている、なんて灯に言えるわけがない。
「……言えないのか。それなら仕方ない。おれもお前の全てを知っているわけでは無いしそれが当然だと思うから。だけど、じゃあお前の背中の噛み跡はなんだ?」
俺はサッと血の気が引く思いがした。いくら吸血鬼でも怪我をしたら瞬時に治るわけではない。ちゃんと人間の血を飲んでいても、程度によるが3日ほど治るまでに時間がかかる。
それはだから、一昨日にあの教会へ行ったからで。
でもそれも、灯には言えないことだ。
「お前を医務室に運んで着替えさせた時に見てしまったんだ。なあ、カイリに聞いたんだが、お前は偏食もするのか?カイリみたいな存在の血は、人間と変わらないんだろ?カイリのいた孤児院の近くの廃れた教会でそんな奴らの集まりがあるとも言っていた。吸血鬼だけじゃなく、半分吸血鬼の奴も参加してると」
「っ、それは……」
言えない。俺だって、灯に不誠実なことをしているとは、わかっているんだ、一応。
灯は、バツの悪い顔で黙った俺に溜息を吐いた。
「お前の歴代のバディの話も聞いた。みんな心を病むか、死んだか、だってな。お前は、都合が悪ければおれも殺すのか?」
「そんなことしない!!」
確かに灯の言うように、俺のバディだった人間たちの何人かはトラウマ抱えて辞めるか、現場で死ぬか、だったのは認める。
でもそれは俺の知ったことではない。ただ他の人外より感覚が鋭い俺は、何よりも死の色が濃い場所に気付いて駆けつけることができた。ただ、それだけの話だ。疑われるなんて思ったこともなかった。
「おれはずっとお前を疑ったりしなかった。種族が違うからお互いに尊重できると、そう思ってきたが、今のお前はどうだ?夜中にこっそりと出かけてることには気付いてた。でもおれが詮索すべきことじゃないんだと思い込もうとしていた。しかしもう黙っていることができなかった。お前、最近いつおれから血を飲んだ…?10日前だ。その間、どうやって耐えてたんだ?別の誰かから、それもお前と同じか、半分だけ人間の奴から貰ってるんじゃないのか?」
苦いものが口の中に広がるような、何とも言えない不快感が湧き起こってくる。
それは俺が、灯に悪いことをしているとわかっているからだろう。
「……ごめん、ちゃんと話す。俺ね、」
そう言った時だ。灯はさっと動いて俺を抱きしめた。この俺でも痛いくらいの力で、ギュッと全身を包み込むように抱き締め、そんな灯のため息が頭頂部に落ちてきた。
「悪い、ルナ……お前を試すような言い方をした」
「と、とも、り?」
何が起こったかわからなくて、俺は戸惑いも露わに目を見開いた。
「上野さんに聞いた。お前の、これまで陰でやって来たことを」
俺はまた苦い顔をしていたと思う。灯は体を離し、そんな俺の目を見て笑った。
「朝、お前が倒れてから医務室へ運んで、おれはそこでお前の昔の写真を見たんだ」
上野とは、医務室に勤務する女性医師で、内川さんの後輩だ。そして魔界都市で生まれ育った牧田課長と内川さんはもともと親交が深かった。俺は80年も機動班に居座っているから、これでもある程度の人間関係を把握している。
そしてこの3人の関係は、雨宮というひとりの人間で繋がっていた。
「内川さんは牧田課長と元々友人なんだってな。そして内川さんの後輩である上野さんは、牧田課長の後輩の雨宮さんと婚約してた……その雨宮さんのバディがお前だった」
「そんな時もあった。もう昔の話だけど……」
あれはもう25年くらい前のことだったか。日々適当に生きてきたからか、詳しい年代までは覚えていない。
ああでも、雨宮とはよく食事をしに行った。それで、結果的に上野さんも一緒になることが多くて。さらには何故か内川さんや牧田課長……その時は確か課長じゃなかったけど、とりあえず、何でそうなったかわからないくらい自然に、俺たちは5人で集まってよく食事に行った。
「ある時起きた暴動事件で、お前と雨宮さんはいつものように後方に待機していた。でも何故かその事件で雨宮さんは亡くなった……この事件は、おれが巻き込まれたものでもあった」
「……え?」
頭が追いつかなくて、俺は灯の目を直視した。もちろんこの後に起こったこと、自分がやったことは、ちゃんと覚えていた。その頃には、俺の中ではそれが当たり前だったから。
「おれは、両親を亡くしてから引き取られた親戚に、両親はギャングによる暴動で死んだと聞かされていた。だから直接誰がおれの両親を殺した原因になったかなんてわからない、と。でもそれじゃあおれの気が済まない。捕まった犯人たちの顔を見て、そして、お前がやったのかと糾弾したかった。そんなこと不可能だってわかっていたが」
だから、と灯は俺を見たまま続けた。
「いつか機動班に入れば、事件のことがわかるかもしれないと考えた……ルナのことを責めることはできない。おれのこの思いだって、間違いなく復讐心だったから。そんな不純な動機もあって、必死でここへ戻ってきた」
「でもその事件のファイルは無かったんだろ?」
俺がそう言うと、灯は静かに頷いた。
「ルナの言う通りだ。どうしても見つからなかった……ルナは覚えているんだろ?その事件のこと」
上野は多分、灯に全て話してしまったんだろうと察しがついた。だから俺は諦めて、その時にあったことを語った。
「あれは、俺も詳しくは知らないし覚えてもないけど、ギャングの暴動じゃなかった。魔界都市で権力を持つ政治家の息子が、精神錯乱で無差別に銃を乱射したんだ。それで、その時署にいたすべての機動班が急行した。俺と雨宮は運悪く、最初にそいつに遭遇してしまったんだ」
話し出すと、その時の光景が鮮明に浮かんできた。
俺は案外、バディが目の前で死んだ時の光景はちゃんと覚えているらしかった。
「俺は雨宮を庇いながら、そいつに近付いて行ったけど、バカなそいつはどうやってそんなもの手に入れたのか、大型の小銃を持ってた。で……ああ……そうだ、これは人間の避難が優先だなって思って、その辺に転がってたまだ生きてるガキを物陰まで引っ張ってったり、まあ、俺もそれなりに混乱してた」
そんなことを繰り返していた時だった。振り返った時には俺の後ろに雨宮がいて。
「ま、雨宮と俺はさ、バカみたいにお互いを庇いながら撃たれたんだよ。俺は撃たれても死なないって言ってんのに、雨宮はそれでも俺を守ろうとしてた。バカでお人好しだったんだ……そのせいで死んだ」
結局この事件は、政治家が息子の罪を軽くする為に集団での暴動事件として改竄。ほとんど揉み消される感じで終わってしまった。
「だから上野さんの為に本当の犯人を殺して復讐に加担したのか?」
「ま、そうだな。それまでにもやって来たから。総司が死んで、その奥さんに頼まれてから、ずっとやって来た。バディやバディの大切な人が死んで、でもこの魔界都市では法律なんかクソみたいに思ってる奴も多くて。だったら俺は、関わった人間の復讐に手を貸してやることにしたんだ。だって俺はその為に生きてきた。俺にとっては、相手が同じ吸血鬼か、そうじゃないかの些細な違いだ」
そしてこの件に関して、署は深く追求しなかった。どうせ相手は犯罪者だ。だから歴代の署長は、俺が消してきた犯罪者の事件を改竄して、もしくは揉み消して、そのファイルを署長室預りにした。
「瓜山署長だって最初から知ってた。あのオッサンが俺にペコペコしてたのはさ、ベルセリウスからの寄付金もあるけど、俺が怖かったんだろうな。昔から気の弱いオッサンだからさ」
そして俺は灯が一番知りたいであろうことを打ち明けた。
「俺が今、復讐して回ってるのもそのうち無かったことになるよ。瓜山署長も牧田課長も最初から知ってる。灯には、バレなければいいと思っていたのは本当だ。自分の後始末が終わったら、俺は機動班を辞めるつもりだから」
俺はそこでニッコリ笑って灯を見た。
灯は何とも言えない顔をしていたけれど、全て話してしまった俺はどこか気分が良かった。
「前に話しただろ。おれは20年前に吸血鬼に助けられたことがあるって」
「ああ、なるほど。お前もあの場にいたんだな」
静かに頷いた灯は、続けてこう言った。
「上野さんのデスクにある古い写真……ルナ、お前はあの頃、髪が長かったんだな」
「フフ、そう言えばそんな時期もあった。でもごめん。俺は助けた子どのひとりやふたり、いちいち覚えてないんだよね」
以前灯が語ってくれた、機動班の女性吸血鬼は俺のことだろう。確かに俺は小柄だし、当時は母に言われて腰まで髪を伸ばしていた。アリアナに似ていると言われ過ぎて切ってしまったが。
灯が改めて俺の顔を見た。正面から目を合わせて、真剣な表情で。
「すまない。おれの発言がルナを苦しめてた。本心ではお前を理解しようとしている。だから機動班を辞めるなんて言うな。おれはどんなお前でもそばにいてほしい」
嬉しかった。久しぶりに灯の顔をまともに見た気がする。俺は確かに、復讐だとか言って非道なことをしている。でも人間である灯が、本当の俺を見て、理解しようとしてくれる。信じようとしてくれる。そのこと自体がとても嬉しかった。
「灯……俺、」
大好きだよ、ありがとう、とそんな事を伝えようとした。だがしかし、灯はニッコリ微笑んだままこう言った。
「でもおれは浮気は許さない。その噛み跡、きっちり説明してもらう」
一瞬で背筋が冷えたのだった。
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