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 俺と灯は、冬の間を療養で費やした。

 まあ、簡単に言うと俺の実家にふたりで帰っていた。

「灯、あそこにいる鹿、見える?」
「見えない!おれは人間だ!さっきから、全くなんのことを言っているのかわからん!」

 シッ!と俺は指を一本立てて口元にやった。灯はイライラした顔で口を閉じた。

「ああ、逃げちゃった。もう、灯がうるさいからだよ……」

 短気な灯に狩猟は合わないな、と思いながら、でもそれはそれで楽しかった。

 結局、俺は自分で猟銃を手にして、雪深い山に入って鹿を撃った。冬のシンとした山の中に、猟銃の発砲音が響き、倒れた鹿の弱まっていく鼓動を聞きながら、命の尊さと有り難さに手を合わせた。

 俺の部屋である平屋に担いで帰り、専用のナイフで丁寧に解体して、そんなところを灯が興味深げに見ていて。

「俺はこのまま、軽く焼いて食べても平気だけど、人間は食中毒になっちゃうからちゃんと調理するね」
「ちょっと待て。お前が調理するのか?」
「…?そうだよ?」

 灯はなんだか複雑な顔をしていた。俺は首を傾げつつ、解体した鹿肉を部位ごとにわけて、ロースの部分を適度な大きさに切り分けた。塩胡椒を適当に振って、前もって焚いておいた火の上に鉄板を置き、バターを多めに溶かして焼く。

 時々溶けて溜まったバターをお肉にかけながら、しっかり火が通ったら、鹿ロースのステーキの出来上がりだ。

「なあ……なんでこんなのができて、鍋はできないんだ?」
「え、鍋…?なんでかな?アハハ……」

 赤ワインを飲みながら鹿肉のステーキを食べて、その間にも、鹿モモ肉の煮込みを作り、出来立てを食べて盛り上がった。

 残った肉はお屋敷の厨房へと差し入れし、後は家族に食べてもらう。いつもの流れ、というやつだ。

 そんなことをしながら、俺と灯は充実した冬を過ごした。

 そして春、新年度が始まると同時に機動班に復帰した。

 高嶺とジョンが涙目で復帰を祝ってくれて、俺は久しぶりに、首にチョーカーを付けた。

「お前のことは信用している。牧田課長も、別に付けなくてもいいと言っていたが」

 灯が、なんとも言えない辛そうな顔をして、俺の首のチョーカーに触れた。

「違うよ、灯。これはね、灯が俺を信用していないとか、俺が信用されていないとか、そういうことじゃないんだ」
「どう言う意味だ?」

 俺はニッコリ笑って言った。

「俺は機動班の、誰かのバディなんだよ、っていう証。行動制限だとか、首輪だとか、躾なんかじゃなくてね、俺は灯のなんだよ、ってこと」

 そんなことで、俺たちふたりは、なんだか嬉しくて笑った。

 で、今年度もまた、新人がこの魔界都市の殉職率ナンバーワンみたいな機動班にもやってきたのだ。

 やって来たのは人間ひとりと人外ひとり。

 人間は女で、人外は男の吸血鬼だった。

「おお……同族に、俺みたいな奇特な奴がいたんだなぁ」

 単純にびっくりして言った。その吸血鬼は、俺より背が高く、でも多分結構若くて、榛色の髪と瞳の好青年だった。

「あの、オレ、ルナリア様に憧れて機動班に入りました。お役目を全うしつつ、オレたちに糧をくれる人間を守る、そんなルナリア様を尊敬していて……」
「お前、名前は?」
「トーヤです。トーヤ・ラングラン。母が日本の吸血鬼で、父がフランスの、」
「ああ、あのおっさんの子か。ラングランの名馬は昔よく乗らせてもらった。おい牧田!!こいつを俺の舎弟にする!!」
「黙れルナ!!何勝手なこと言ってんだガキが!!」

 チェッ、と舌打ちをこぼして、でも俺は黙った。

「なあ、どういう関係なんだ?」

 と、灯がこっそり聞いてくるので、

「俺は執行人としてお役目を果たしているのはアジア圏なんだけど、それはほら、俺が今日本に住んでいるからで。でも本当の実家は……というか、俺の父方の祖父母の家がルーマニアなんだよ。それで、昔は車なんてなかったから、馬に乗って移動してたのね。その馬を育てている家が、フランスのラングラン家なんだよ。で、俺も昔、そのラングランの家によく出入りしていて……というのも、俺は乗馬が好きだからなんだけど」

 ゴホン、と牧田課長が咳払いをして、俺のこのどうでもいい昔話は中断することになった。

 それからもうひとり、新人の女が自己紹介を始めた。

「深山明希です。26歳。前年度まで東京の公安部にいました。今年度より、こちらに配属を希望いたしまして、本日付けでこちらにお世話になります」

 あ、と俺はその女の顔を見た。

 まっすぐ見つめ返されて、俺はなんだか懐かしい気分になった。この、情熱的で芯の通った強い光を宿す瞳を、俺は知っているような気がして。

「ルナさん。私は、あなたに会いたかったんです」
「…え、俺?」
「はい。私のひいおじいちゃん……曾祖父ですが、深山総司と言います」

 俺は、その時、まるで時間が止まってしまったんじゃないかと思った。

 いつもの如く咥えていた棒付きキャンディが、ポロリと口から落ちてしまったことにも気付かなかった。

「総司の……ひ孫?」
「はい、あの、」

 そこで俺は、徐にふらりと歩き出した。そのまま、牧田課長の横をすり抜けて、事務室兼待機室を出る。珍しく牧田は何も言わなかった。

 俺はそのまま、階段をふらふらと上がって屋上に出た。途中で牧田からスったタバコを出して、一本口に咥えて火を付けた。

 そういえば、総司も昔、タバコを吸っていた時期があった。それはガキのイキがった行動のひとつで、総司は高校の制服のまま、どこでもかしこでもタバコを吸っていたのだ。

 勧められて俺も吸ってみたけれど、何がいいのかよくわからなくて、何故かそれを、アホほど歳下の総司に笑われていた。

 そんなくだらない思い出が蘇った。

 後に牧田とバディを組んで、またタバコを吸ってみたけれど、やっぱり何が良いのかわからなくて、でも総司の事を思い出せたから、俺は少しの間、タバコを吸い続けたことがあるのだ。それが今では棒付きキャンディになり変わったが。

「ルナ……」

 灯が後ろにいて、俺を呼んでいる。

「平気か?」
「うん。別に、特に変わりはないよ」
「じゃあ何で逃げたんだ?」

 逃げたわけではない、と思いたい。

 ただ、何を言えばいいのかわからなくて。

 だって今更、総司の曾孫に、俺はどんな風に接したらいいのか、そんなの誰にもわからないだろう。

「あのね、灯。お前にはあんまり想像がつかないだろうけれど、今から80年前はさ、到底女ひとりで、赤ん坊をつれて生きていけるような世の中じゃなかったんだ」

 そんなのは、時代という流れを無視して生きている吸血鬼にだってわかっていた。

 なのに、俺は加代から、その子どもから、父親を奪って、逃げた。もう少し、金銭面でもなんでも、手を貸してやることはできたのに。ベルセリウスの名を出せば、かなり裕福に生活させてやることもできたのに。

「俺は総司の大事だったものを、自分が傷付きたくなくて放り出して来た。何よりも、総司が大事だったのに……」

 苦い。これはタバコの味だけじゃない。

 俺の心が、どんよりとした苦味を放っている。

 フッ、と紫煙を吐き出して、懐かしいその苦味を噛み締めた。

「だから俺は、彼女に顔を合わせるべきじゃないんだよ。俺のせいで苦労したはずだから」

 そう言って振り返った。

 灯の側に、その女がいる事を知っていて。

「ルナさん。私はあなたを責めるためにここに配属を希望したわけではありません」

 深山明希は、ニッコリと人懐こい笑みを浮かべていた。

「ひいおばあちゃんから、ひいおじいちゃんの話を沢山聞いて育ちました。一緒に住んでいたので」

 そして語ったのは、俺の知らない総司の話だった。

「ひいおじいちゃん……深山総司は、ずっとあなたの話ばかりを、ひいおばあちゃんにしていたんです。荒んでいた幼少期に出会った、美しい吸血鬼のこと。その人が抱えている闇。でも自分は、そんな美しい人に笑って欲しかった。だから、この街の中を、いろんなところへ歩いて行って、あなたを見つけては声をかけた。いつも寂しそうだったから。親が不甲斐ない自分より孤独な人だったから。沢山話をして、食事をするようになって、すこし打ち解けてくれるようになって」

 俺はもう、火のついたタバコなんてどうでもいいくらいに固まっていた。

「役目があるというあなたに、それ以外の生き甲斐を見つけて欲しくて、だから機動班に誘うことにした。その前に花火をしたけど、自分の想いをただぶつけてしまっただけだったから、怒っているかもしれない、もう街にいないかもしれないと思っていたけど、あなたはまだここにいて、誘いに乗ってくれた。嬉しかったんだ、と。曽祖母は、そんな話を沢山聞いていました」

 もう、感情がぐちゃぐちゃで、溢れてくる涙が止まらなかった。俺は、そんな総司なんて知らなかった。知りたくなかった。

「ひいおじいちゃんは、自分が不幸な人生だってずっと思っていたけれど、あなたが変えてくれたと言ったそうです。不幸だと思って生きていた自分が、あなたと出会ったことで、誰よりも幸せになれば、あなたも救われるんじゃないかって。だから、幸せになった自分を、あなたが一番に喜んでくれるんじゃないかって、ずっと言っていたんですよ。ベルセリウスのお屋敷で、幸せな自分の姿を残して欲しいって。そして、そんな自分のように、あなたにも幸せが訪れるように、と」
「そんなの……俺は知らないよ!!自分勝手すぎるだろ!!俺の、俺の気持ちなんて、何にも知らないくせに!!」

 じゃあなんで、俺に黙って女と付き合って、子どもまで作って、それで俺が、どうして幸せになれると思ったんだ?

「ひいおじいちゃんは……自分勝手ですよね。私もそう思います。あなたのことが好きだったなら、なんでひいおばあちゃんと結婚したんだろうって。でも、そんな時代だったんですよね……今は、あまり気になることでもないんでしょうけれど、80年前は違ったのかもしれません。でも、あなたに付き合っている女性がいることを伝えられなかったのは、きっと罪悪感があったんだと思います。まあ、聞いているだけの私には、ひいおじいちゃんがそんな性格だったかは、正直わからないですけど」

 ごめんなさい、と明希は言って、くるっと踵を返して去って行った。

「何だよ……そんなの、今知って、俺はどうすればいいんだよ…?」

 涙も、怒りも、憤りも、そして、やっぱり大きな罪悪感も、俺を混乱させるには十分で。

 膝をついて泣く俺に、灯がそっと寄り添ってくれた。

「ルナ……あのな、こんな風に言うのは間違っているかもしれない。でも、おれたちが出会ったのは、深山総司とのことがあってから80年経った今だ。深山明希が言う通りなのだとしたら、おれたちはこの時代に、お互いが出会って想いが繋がったことが奇跡みたいなものなんだと思う。もう、お前がどれだけ悩んだって過去には戻れない。忘れられないのもわかるが……おれを選んでくれないか?」

 そうだ。総司はもう、過去の出来事のひとつなのだ。

 俺がただ、忘れられないだけで。

 でも灯に語っているように、たしかにそれは過去の出来事であって、今の俺に影響を与えたとしても、この時間に大切なのは、側にいる人なのだ。

 それは灯だけじゃない。ルーカスやルイスなんかの家族もそうだ。過去にバディだった奴らや、街中の至る所にある行きつけの店の店主も、商店街のみんなも、俺には今、大切にすべきものや場所がある。

「灯……思い出にするにはさ、大きすぎたんだ、総司は。でもそうだな、総司も俺にとってはやっぱり思い出に過ぎない。だって過去には戻れないもん。向き合おうと思って来たけれど、やっぱりどこかで気にしていたんだ。それが、あんな、曾孫がここに来るなんて思ってなかったから、ちょっと混乱しちゃったけど……俺が好きになって、それを分かち合って、死を共にしようと思えたのは灯だけだ。総司とはそんなこと考えもしなかったからさ。別に比べているわけじゃないよ?」
「わかってる」

 俺はフッと笑みを浮かべて、真剣な顔の灯を見た。俺はこの、刺すような瞳が好きなのだ。俺だけを、絶対によそ見なんかしないぞ、とばかりに見つめてくるこの瞳が。

「あのさ、本当はね、マスターのナポリタン、最後に食べたかった」
「知ってる」
「それでね、いつも俺はこっそり、どこかの行きつけのお店が代替わりする時にね、お花を送ったりしていたんだよ。変わるものが嫌いで、近付かないようにしていたけれど、それはそう、自分に言い聞かせているだけなんだ」
「お前が優しいのも、おれは知ってる」

 だから、と俺は言った。

「あの子……総司の曾孫、俺がちゃんと、機動班として育ててやろうと思うんだよね」
「そうだな。おれたちが面倒を見ることになってるんだ。牧田課長がそう言っていた。もうひとりのトーヤと深山明希がバディになるから、同じ吸血鬼のお前が先輩として教育してやれって」

 俺はそこでため息を吐き出した。

「牧田……課長になってから図々しいな」
「……は?」
「あいつ、実は俺の元バディなんだよ。俺がクソほどコキ使ってやったの、根に持ってやがるんだ」
「お前……実は署内でかなりの権力者なんじゃないか?」
「まあ、80年ここにいるからね。俺より古参はいないんじゃない?知らんけど」

 そう言って、俺と灯は顔を見合わせて笑ったのだ。
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