11 / 41
11
しおりを挟むマクシュミリアンは慌てて誤る。
「いや悪かったよ‥‥それよりちょっと待ってくららさん、さっき君はこの部屋が火事になると言ったけど?」
彼はさっきまでくららと呼び捨てだったが、急に今度はさん付けになった。
「ええ、そうですけど、それが何か?」
くららはまだ機嫌が悪かった。
突然驚いたように声を上げた。
「マクシュミリアン様、あなた、まさか…屋根に上がられたのですか?」
くららは眉間にしわを寄せてじろじろ彼を見る。
「とんでもない。くららさんに言われていたから僕は屋根に上がらなかった。でも、代わりの男が屋根から落ちたんだ。悪いことをした気もするが、僕はおかげで助かった」
「でも、あなたが無事で何よりでしたわ。そのおかげでわたしたちは助けていただいたんですもの」
「礼を言うのはこっちの方だ。でも、君には不思議な力でもあるのか?」
「不思議なのかわたしにもよくわかりませんが、時々その方に触れると先の出来事が頭に浮かぶんです。でもこんなことを言えば皆さん気味悪がられますから、わたしあまりそのことには触れないようにしているんです。やっぱりあなたもそう思われるんですね。だからわたしを連れて行きたくなくなったのですか?どうせわたしのことを気味が悪いとでも思われたのでしょう?」
彼女はツンと顔を背ける。
「いや、そんなつもりではなかった…それより逃げるなら今のうちだ。どうするくららさん?」
彼女に不思議な力があろうとなかろうともうそんなことは関係なかった。
くららはほっとしたが言葉は辛らつになった。
「あなたはわたしも一緒に連れて行くって約束したじゃありませんか。マクシュミリアン様はまさか約束を破るおつもりではありませんよね?」
マクシュミリアンは取り乱した。
そんなつもりはない。君を置いて行きたくはないと言いたかった。
くららは、強がってはいるが決して平気ではないんだ。彼女は恐れ怯えそして僕を頼ってくれている。
それがどうしようもなくうれしかった。
くららの瞳は燃え上がるような勢いで、唇は硬く引き結ばれている。
きっと彼女はまだ怒っているな。
きれいに結い上げていられたであろう黒髪は今はほとんど崩れている。
しばらくするとくららは怒らせていた肩を落としてまつ毛を伏せた。
そして黒く濡れたまつ毛を震わせた。
瞳から溢れた涙がまつ毛を濡らしたと気づくともうどうしようもないほどくららを放っておけなくなる。
くららを手放したくないと思う。
天命か‥‥でも、そんなこと出来るはずもないのに…‥‥
「そうだ、とにかくすぐにここから逃げよう」
「でも、わたしこの格好ではとても無理ですわ」
「君の部屋によって着替えをもって行こう。着替えは後ですればいい。さあ急いで」
「はい、マクシュミリアン様」
くららが微笑むと白い歯がのぞいた。
マクシュミリアンの心にその笑顔が突き刺さる。
やっぱりくららは僕の天命の人なのか?
マクシュミリアンは首を振って馬鹿な考えを振り切った。
「こんなことをしている暇はない」
くららの手を取るとその手を強く握りマクシュミリアンには部屋を出た。
彼はなぜか王宮の事をよく知っているみたいに、すぐにくららの部屋にたどり着いた。
急いで着替えを持つと出口を目指した。
火事の騒動で見張りも手薄で案外簡単に王宮を抜け出すことが出来た。
マクシュミリアンとくららは町のはずれまで来るとやっと足をゆるめた。
「さあ、ここまで来ればもう一安心だろう」
「ええ、きっとそうですわ。はぁはぁ…」
くららは逃げるときに急いではおった侍女用のドレスを着ていた。
大きく息をすると道の端にあった木の根元に、へなへな腰を下ろす。
下にはまだネグリジェも着たままだったが、疲れすぎていてそんなことは気にもならなかった。
「マクシュミリアン様少し休んでもいいでしょうか、わたしもうすごく疲れました」
「ああ、君は良く走ったからな。何か探してこよう。そうだ。水でも汲んで来る。さあ、反対側に座って、ここで待ってるんだ」
この夜は晴れていて月明かりが遮られなかったので、辺りの様子が見えたので助かった。
マクシュミリアンは、すぐ近くに小川があることを知っていた。子供の頃母親のサボーアとよくこの近くに来たことがあったのだ。
母のサボーアは国王の籠妾だった。隣国の小作人の娘だったが彼女は貧しい家族の為に奴隷として売られてステンブルグ国に来た。
そして王宮の侍女として働くことになり、国王に見初められた。
王妃のクリスティーナとの間には子供が出来ず、サボーアが初めての男の子を出産したことで母は、王妃から妬みを買ってしまったらしかった。
王妃はサボーアにことごとくつらく当たるようになった。
国王は母を気にいっていたが、マクシュミリアンが生れた後、王妃の嫉妬に困って、結局サボーアとは距離を置くようになった。
母はそれをひどく寂しがっていたのを今でも覚えている。
そしてマクシュミリアンが3歳になると母親とは別に離れて暮らすことになり、彼は寂しい思いをした。それでも、週に一度母と会える日は、王宮の中にいるのが煩わしいのか、母はマクシュミリアンを連れてよく散歩に出かけた。
それがこの辺りだったのでよく覚えていた。
数年後、彼が7歳の時サボーアは風邪をこじらせてあっという間に亡くなってしまった。母はみんなから敬遠されるようになっていていつも部屋にこもりがちになっていたらしく、最後はとても孤独な最期だったと後になって聞かされたときにはすごく辛かった。
自分も母と一緒にいたかった。
だが、幼かったマクシュミリアンにはそんな事もわかるはずもなく、お前はこの国の大切な跡取りであるため、きちんとした教育を受けなければならないからと言われ、母に会いたいのをずっと我慢して来た。
もっと早くに子を持てない王妃が妬んでいたと気づいていればと時々考えるが、今となってはもうどうすることも出来ない。
そんなことは遠い昔の事だ。
そして今の僕の状況だってそうだ。
どうして僕がこんな間に合うのか全く分からない。でも獣人にされてしまった以上、それを受け入れて生きていくしかもう他に手立てはないじゃないか!
誰にもどうすることも出来やしないんだ。
彼はそんな思い出を振り払うように、急いで道から外れて小川に走った。
そんな中でも、途中で見つけた野イチゴをくららのためにともぎ取った。
そして持っていた革袋に大急ぎで水を汲んだ。
そしてくららのところに戻って来た。
くららは相当疲れたのか、木の根元に寄り掛かったまま眠っていた。
ほのかな青白い月の光が、くららの顔に差し込み、まるでこの世のものとは思えないほど美しく浮き上がらせていた。
マクシュミリアンは、獣人になって初めて女を抱きたい欲情にかられた。
こんなすす汚れた女を見てそんなことを思うなんてどうかしている。
こんな状況だから僕はおかしくなっているんだ。
獣人には年に2回発情期があるらしく、今まではやたら仕事をしたりしてその時期をやり過ごしてきた。
何より他の人間や獣人と交わることもなく世捨て人のような生活をして来た彼は激しい欲情にかられることもなかった。
こんなのは長い間そういう行為をしていなかったし、人間と会う機会もなかった。
でも、こんなになるのもくららが…‥違う!もう考えるな!
まったくとんだ災難だ。全く予想もしていなかった事態に見舞われるとは…‥
「チッ!」
マクシュミリアンは、苛立ちをあらわにした。
第一彼女が僕を相手にするはずがないだろう。
マクシュミリアンはくららに声をかけた。
「くららさん起きるんだ。さあこれを飲んだら、急ぐぞ」
「わ、わたしったら…ごめんなさい。眠ってしまうなんて」
くららはマクシュミリアンに渡された革袋から水をごくごく飲んだ。
「冷たくてすごくおいしいですわ。こんなお水をどちらから?」
「すぐそこに小川がある。そこの水だ。これもどうだ?」
野イチゴを差しだされてくららは思わず微笑んだ。
「うん、すごくおいしいです。マクシュミリアン様も食べてください」
くららは彼の口元に野イチゴを差しだす。くららの手から野イチゴを口にくわえるとくららの指も一緒にくわえていた。
マクシュミリアンが気づかずにくららの指に吸い付く。
「はぁ‥‥」
くららの口からは甘い声が漏れた。
まるで心地よい行為に出すときのような声にマクシュミリアンは驚く。
「くらら?大丈夫か?」
マクシュミリアンがくららの顔を覗き込んだ。
彼女は頬を上気させてうっとりした眼差しでこちらを見ている。おまけに脚をぎゅっと閉じて腰をもじもじをくねらせている様子は、まるで男を欲しがっている時のしぐさに思える。
マクシュミリアンは無意識のうちに、指先を水で湿らすとそっと彼女の顔の汚れを拭っていた。
彼の肌がぞわりと粟立ち背筋がぶるりと震えた。
0
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
身代わりの公爵家の花嫁は翌日から溺愛される。~初日を挽回し、溺愛させてくれ!~
湯川仁美
恋愛
姉の身代わりに公爵夫人になった。
「貴様と寝食を共にする気はない!俺に呼ばれるまでは、俺の前に姿を見せるな。声を聞かせるな」
夫と初対面の日、家族から男癖の悪い醜悪女と流され。
公爵である夫とから啖呵を切られたが。
翌日には誤解だと気づいた公爵は花嫁に好意を持ち、挽回活動を開始。
地獄の番人こと閻魔大王(善悪を判断する審判)と異名をもつ公爵は、影でプレゼントを贈り。話しかけるが、謝れない。
「愛しの妻。大切な妻。可愛い妻」とは言えない。
一度、言った言葉を撤回するのは難しい。
そして妻は普通の令嬢とは違い、媚びず、ビクビク怯えもせず普通に接してくれる。
徐々に距離を詰めていきましょう。
全力で真摯に接し、謝罪を行い、ラブラブに到着するコメディ。
第二章から口説きまくり。
第四章で完結です。
第五章に番外編を追加しました。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
兄みたいな騎士団長の愛が実は重すぎでした
鳥花風星
恋愛
代々騎士団寮の寮母を務める家に生まれたレティシアは、若くして騎士団の一つである「群青の騎士団」の寮母になり、
幼少の頃から仲の良い騎士団長のアスールは、そんなレティシアを陰からずっと見守っていた。レティシアにとってアスールは兄のような存在だが、次第に兄としてだけではない思いを持ちはじめてしまう。
アスールにとってもレティシアは妹のような存在というだけではないようで……。兄としてしか思われていないと思っているアスールはレティシアへの思いを拗らせながらどんどん膨らませていく。
すれ違う恋心、アスールとライバルの心理戦。拗らせ溺愛が激しい、じれじれだけどハッピーエンドです。
☆他投稿サイトにも掲載しています。
☆番外編はアスールの同僚ノアールがメインの話になっています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる