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第一章 策士策に溺れない
第二話 先生の落とし物
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亮の自己紹介は少々品性に欠けるが、いたって普通だったと思う。
火野先生の返し方がおかしいのだ。言葉のキャッチボールが成り立っていない。
教室にいる全員が、目を点にして先生のほうを向いている。
「岩永君はオランダご出身の家族がいる……あれ? 違うの?」
「俺はジャパニーズピーポーです。先祖代々日本人ですよ?」
「ごめんなさい。スケベニンゲン出身なのかと……」
「なんすか? スケベニンゲンって」
「スマホ持ってる? 本当は教室で使っちゃいけないけど、調べてみてくれる?」
それぞれがカバンやポケットから端末を取り出して調べ始める。
音声認識を使う生徒がたくさんいるせいか、スケベニンゲン連呼の嵐となった。
「おぉ!? オランダの南ホラント州のデン・ハーグ基礎自治体の一つだって!」
「それがスケベニンゲンね。岩永君がスケベニンゲンって言うから……」
「えっと、先生。それマジボケなの?」
「え!? なにかおかしかったのかな……」
クスクスと笑いをかみ殺したような声が教室のあちこちから聞こえる。
亮の渾身のボケ自己紹介は、火野先生の天然ボケ返しに叩き潰されたのだ。
誰もがひとつ知識を得た。スケベニンゲンという地名があること……
騒々しい亮の自己紹介が終わると流れがスムーズになり、自分の番が近づいてくる。みんな名前と部活、趣味や特技を言ったりしている。
初っ端にインパクトがあったが、あとは普通の自己紹介に戻ってしまった。
目の前の席に座る水早ちゃんが立ち上がる。
「蔵です。蔵水早。水泳部です。
掛け持ちで茶道部にも入っていますが、ほぼ毎日水泳部にいます。
去年同じクラスだった人も今年同じクラスになった人もよろしくね」
「蔵さんには昨年に引き続き茶道部員として協力してもらうの」
クラス全員の視線が一斉に水早ちゃんから先生に移る。
亮が軽く手をあげて質問を投げかけた。
「先生って茶道部の顧問になるの?
伊豆先生が定年退職して廃部って聞いたんだけど……」
「引継ぎで茶道部の顧問よ。廃部になるかどうかは部員の集まり次第かな」
校則を公式ウェブサイトから確認する。
部活動に必要な部員数。運動部は最低五名、文化部は最低三名。
顧問がいることが条件で、それを満たさないとただの同好会になるようだ。
同好会には部費が支給されない。
「茶道かぁ……先生着物似合いそうだよなー……いいなぁ」
「亮! うっさい! 次の咲君が自己紹介できないじゃない!」
水早ちゃんの一言で、亮がこちらを向いてスマンと手を合わせる。
自己紹介は自分の番がくるまで待っている時間が一番イヤなもんだ。
「木花咲耶君ね」
火野先生は笑顔と共にフルネームで名前を呼んでくれた。
小さな小さなプレゼントをもらった気分になるのはなぜだろう。
「木花咲耶です。名前も容姿もあれですけど、正真正銘男です」
「いいぞ咲耶! ポコチン付いてるぞって言ってやれ!」
亮が囃すとドッと笑いが起こる。
女子からはカワイイとか肌がきれいだとか賞賛の言葉が聞こえてくる。
中には男子からも聞こえるが、こっちは無視したほうがよさそうだ。
「木花君は部活には入ってないの?」
「部活には入ってません。えっと趣味は読書です」
先生は教卓で全員の名前が記載された名簿を持っていて、ひとりひとり自己紹介が終わるたびになにかを書き込んでいるようだ。おそらく、個々の性質を見極めるため、特長で名前と顔を一致させるための一言メモみたいなものだろう。
***
一時間目に始業式、二時間目はホームルームで自己紹介。
春休み明けの今日はこれで終了となる。
あとは部活をやっている生徒が残るだけだ。
明日は休みの間に出された課題の小テストと身体測定、これも昨年と同じだ。
「咲君も亮も部活入らないの?」
帰り支度を始める僕に水早ちゃんが問い掛ける。
「うん。僕は特にやりたいことがないし、亮は何事も自己流みたいな感じでしょ。型破りのバカ野郎とも言うんだけど……」
「アイツの運動神経や身体能力もったいないよね」
「おいこら、俺の噂を聞こえる範囲でするんじゃないっての!」
カバンを持って亮がこちらに歩いてきた。
「亮はもう帰るの? 僕は帰るけど」
「面倒なんだけどさ、今日も明日も店の手伝いだ」
「アンタ、お客さんナンパしてないでしょうね?」
「してねーよ。そんなことしてるのバレたら親父にぶん殴られる」
亮の家は学校から東側約二キロの場所でコンビニを経営している。
学校は基本的にアルバイトを禁止しているが、家事手伝いは許可される。
一部の業種に限り、申請すれば許可される場合もある。
「さてと……僕もそろそろ帰ろうかな」
「水早は部活だよな? 新入部員来るよな? 新入生も競泳水着か!?」
「アンタがプールのぞきにきたら水球打ち込んで顔面クラッシャーするからね!! それに、今日は新入生も見学だけに決まってるじゃない! バカ! スケベ!」
「なぁんだ……つまんねーの。咲耶、今日はもう帰ろうぜ」
「ああ、うん。帰ろうか。水早ちゃん、また明日」
トボトボと教室を出て行く亮。僕もそのうしろに続く。
帰ったら明日のテスト勉強をして、読みかけの本を読んで……
頭の中で数分後の予定を組み立てていたときだった。
「あっ! 咲君ちょっと待って!」
背後から水早ちゃんに呼び止められた。
手になにか書類らしきものを持っている。
「亮、先に帰ってくれ。店の手伝いまで時間ないだろ?」
「おお。また明日な!」
亮は軽く手を振って小走りで廊下を駆けて行った。
「水早ちゃん、どうしたの?」
「茶道部の入部届けを部室にいる先生に渡しに行ってほしいの!」
「茶道部の部室って音楽室や理科室がある別棟の三階だよね?」
「うん! 水泳部の集合始まっちゃってるみたい!」
「わかった。水早ちゃんは急いで部活行って。入部届けは僕が届けるよ」
「ごめんね! ありがとう! これを火野先生に提出すればいいの」
「それじゃあ、行ってくるね」
水早ちゃんは一階の屋内プールへ。僕も一度外へ出て渡り廊下へ。
目的地は別棟三階の茶道部部室。ターゲットは火野先生。
ミッションは水早ちゃんの入部届けを提出すること。
姫咲高校には敷地内に教室棟が二つと職員棟と別棟がある。
別棟は音楽室や理科室など教室外で行う授業の部屋が完備されている。
「別棟三階……普段はひとけがない場所だなぁ……」
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
使われていない教室がひとつ、その向こうが茶道部の教室だ。
ドアの上のプレートに茶道部と書いてある。
(足音?)
部室のうしろ側のドアから人が出てきた。
トートバッグを左肩にかけて突き当りのトイレへと歩いて行く。
一目で火野先生だとわかったが、どうやらこちらに気付いていないようだ。
「火野先生!」
「え!? うわっ!」
振り返った先生は驚いた声をあげ、なにかを落とした。
その物体は落とした拍子に電源が入ったのか、生き物のように動いている。
形状は……男性に付いているアレだ。ディテールが実に忠実だと言える。
頭の中が混乱しそうになっているが、僕はそれを拾いあげた。
「あの……これ落としましたよ」
「え? それ木花君が落としたんじゃないの?」
「苦しい言い訳ですね。先生のトートバッグの底見てください」
「わっ! なにこれ!? 穴が開いてるじゃない!」
「そこからこれが落ちるのを目撃しました。間違いないです」
火野先生は動き続ける物体を受取り電源を切った。
切ったら切ったで本物そっくりで少し気持ち悪い……
「これね……誰かが私のバッグに入れたみたいなの」
「イタズラですか? すごいものを入れられましたね」
「う、うん。そう思いたくないんだけどね。初日からこれかぁ……」
「誰かがおもちゃをバッグに入れて、バッグの底に穴まで開けたんですね?」
「穴は気付かなかったなぁ……」
美人は妬みの対象となるのだろうか。
初日からこれでは先生があまりにも可哀想だ……
「あれ……先生、さっきバッグ持ったままトイレに行こうとして――」
「うわっ! ちょっと待って!」
赤面して慌てだした火野先生は、僕の手を引っ張って部室へと誘導した。
教室の中は向い合せた机が二つ、部屋の真ん中に畳が二枚と茶道用具。
ポコポコとお湯が沸く音がする。
「それでどうしてトイレに……」
「――思ったの!」
「えっと……もう一度言ってもらえます?」
「自分で使ってみようと思ったの!!」
火野先生の返し方がおかしいのだ。言葉のキャッチボールが成り立っていない。
教室にいる全員が、目を点にして先生のほうを向いている。
「岩永君はオランダご出身の家族がいる……あれ? 違うの?」
「俺はジャパニーズピーポーです。先祖代々日本人ですよ?」
「ごめんなさい。スケベニンゲン出身なのかと……」
「なんすか? スケベニンゲンって」
「スマホ持ってる? 本当は教室で使っちゃいけないけど、調べてみてくれる?」
それぞれがカバンやポケットから端末を取り出して調べ始める。
音声認識を使う生徒がたくさんいるせいか、スケベニンゲン連呼の嵐となった。
「おぉ!? オランダの南ホラント州のデン・ハーグ基礎自治体の一つだって!」
「それがスケベニンゲンね。岩永君がスケベニンゲンって言うから……」
「えっと、先生。それマジボケなの?」
「え!? なにかおかしかったのかな……」
クスクスと笑いをかみ殺したような声が教室のあちこちから聞こえる。
亮の渾身のボケ自己紹介は、火野先生の天然ボケ返しに叩き潰されたのだ。
誰もがひとつ知識を得た。スケベニンゲンという地名があること……
騒々しい亮の自己紹介が終わると流れがスムーズになり、自分の番が近づいてくる。みんな名前と部活、趣味や特技を言ったりしている。
初っ端にインパクトがあったが、あとは普通の自己紹介に戻ってしまった。
目の前の席に座る水早ちゃんが立ち上がる。
「蔵です。蔵水早。水泳部です。
掛け持ちで茶道部にも入っていますが、ほぼ毎日水泳部にいます。
去年同じクラスだった人も今年同じクラスになった人もよろしくね」
「蔵さんには昨年に引き続き茶道部員として協力してもらうの」
クラス全員の視線が一斉に水早ちゃんから先生に移る。
亮が軽く手をあげて質問を投げかけた。
「先生って茶道部の顧問になるの?
伊豆先生が定年退職して廃部って聞いたんだけど……」
「引継ぎで茶道部の顧問よ。廃部になるかどうかは部員の集まり次第かな」
校則を公式ウェブサイトから確認する。
部活動に必要な部員数。運動部は最低五名、文化部は最低三名。
顧問がいることが条件で、それを満たさないとただの同好会になるようだ。
同好会には部費が支給されない。
「茶道かぁ……先生着物似合いそうだよなー……いいなぁ」
「亮! うっさい! 次の咲君が自己紹介できないじゃない!」
水早ちゃんの一言で、亮がこちらを向いてスマンと手を合わせる。
自己紹介は自分の番がくるまで待っている時間が一番イヤなもんだ。
「木花咲耶君ね」
火野先生は笑顔と共にフルネームで名前を呼んでくれた。
小さな小さなプレゼントをもらった気分になるのはなぜだろう。
「木花咲耶です。名前も容姿もあれですけど、正真正銘男です」
「いいぞ咲耶! ポコチン付いてるぞって言ってやれ!」
亮が囃すとドッと笑いが起こる。
女子からはカワイイとか肌がきれいだとか賞賛の言葉が聞こえてくる。
中には男子からも聞こえるが、こっちは無視したほうがよさそうだ。
「木花君は部活には入ってないの?」
「部活には入ってません。えっと趣味は読書です」
先生は教卓で全員の名前が記載された名簿を持っていて、ひとりひとり自己紹介が終わるたびになにかを書き込んでいるようだ。おそらく、個々の性質を見極めるため、特長で名前と顔を一致させるための一言メモみたいなものだろう。
***
一時間目に始業式、二時間目はホームルームで自己紹介。
春休み明けの今日はこれで終了となる。
あとは部活をやっている生徒が残るだけだ。
明日は休みの間に出された課題の小テストと身体測定、これも昨年と同じだ。
「咲君も亮も部活入らないの?」
帰り支度を始める僕に水早ちゃんが問い掛ける。
「うん。僕は特にやりたいことがないし、亮は何事も自己流みたいな感じでしょ。型破りのバカ野郎とも言うんだけど……」
「アイツの運動神経や身体能力もったいないよね」
「おいこら、俺の噂を聞こえる範囲でするんじゃないっての!」
カバンを持って亮がこちらに歩いてきた。
「亮はもう帰るの? 僕は帰るけど」
「面倒なんだけどさ、今日も明日も店の手伝いだ」
「アンタ、お客さんナンパしてないでしょうね?」
「してねーよ。そんなことしてるのバレたら親父にぶん殴られる」
亮の家は学校から東側約二キロの場所でコンビニを経営している。
学校は基本的にアルバイトを禁止しているが、家事手伝いは許可される。
一部の業種に限り、申請すれば許可される場合もある。
「さてと……僕もそろそろ帰ろうかな」
「水早は部活だよな? 新入部員来るよな? 新入生も競泳水着か!?」
「アンタがプールのぞきにきたら水球打ち込んで顔面クラッシャーするからね!! それに、今日は新入生も見学だけに決まってるじゃない! バカ! スケベ!」
「なぁんだ……つまんねーの。咲耶、今日はもう帰ろうぜ」
「ああ、うん。帰ろうか。水早ちゃん、また明日」
トボトボと教室を出て行く亮。僕もそのうしろに続く。
帰ったら明日のテスト勉強をして、読みかけの本を読んで……
頭の中で数分後の予定を組み立てていたときだった。
「あっ! 咲君ちょっと待って!」
背後から水早ちゃんに呼び止められた。
手になにか書類らしきものを持っている。
「亮、先に帰ってくれ。店の手伝いまで時間ないだろ?」
「おお。また明日な!」
亮は軽く手を振って小走りで廊下を駆けて行った。
「水早ちゃん、どうしたの?」
「茶道部の入部届けを部室にいる先生に渡しに行ってほしいの!」
「茶道部の部室って音楽室や理科室がある別棟の三階だよね?」
「うん! 水泳部の集合始まっちゃってるみたい!」
「わかった。水早ちゃんは急いで部活行って。入部届けは僕が届けるよ」
「ごめんね! ありがとう! これを火野先生に提出すればいいの」
「それじゃあ、行ってくるね」
水早ちゃんは一階の屋内プールへ。僕も一度外へ出て渡り廊下へ。
目的地は別棟三階の茶道部部室。ターゲットは火野先生。
ミッションは水早ちゃんの入部届けを提出すること。
姫咲高校には敷地内に教室棟が二つと職員棟と別棟がある。
別棟は音楽室や理科室など教室外で行う授業の部屋が完備されている。
「別棟三階……普段はひとけがない場所だなぁ……」
ひんやりとした空気が頬を撫でる。
使われていない教室がひとつ、その向こうが茶道部の教室だ。
ドアの上のプレートに茶道部と書いてある。
(足音?)
部室のうしろ側のドアから人が出てきた。
トートバッグを左肩にかけて突き当りのトイレへと歩いて行く。
一目で火野先生だとわかったが、どうやらこちらに気付いていないようだ。
「火野先生!」
「え!? うわっ!」
振り返った先生は驚いた声をあげ、なにかを落とした。
その物体は落とした拍子に電源が入ったのか、生き物のように動いている。
形状は……男性に付いているアレだ。ディテールが実に忠実だと言える。
頭の中が混乱しそうになっているが、僕はそれを拾いあげた。
「あの……これ落としましたよ」
「え? それ木花君が落としたんじゃないの?」
「苦しい言い訳ですね。先生のトートバッグの底見てください」
「わっ! なにこれ!? 穴が開いてるじゃない!」
「そこからこれが落ちるのを目撃しました。間違いないです」
火野先生は動き続ける物体を受取り電源を切った。
切ったら切ったで本物そっくりで少し気持ち悪い……
「これね……誰かが私のバッグに入れたみたいなの」
「イタズラですか? すごいものを入れられましたね」
「う、うん。そう思いたくないんだけどね。初日からこれかぁ……」
「誰かがおもちゃをバッグに入れて、バッグの底に穴まで開けたんですね?」
「穴は気付かなかったなぁ……」
美人は妬みの対象となるのだろうか。
初日からこれでは先生があまりにも可哀想だ……
「あれ……先生、さっきバッグ持ったままトイレに行こうとして――」
「うわっ! ちょっと待って!」
赤面して慌てだした火野先生は、僕の手を引っ張って部室へと誘導した。
教室の中は向い合せた机が二つ、部屋の真ん中に畳が二枚と茶道用具。
ポコポコとお湯が沸く音がする。
「それでどうしてトイレに……」
「――思ったの!」
「えっと……もう一度言ってもらえます?」
「自分で使ってみようと思ったの!!」
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