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地獄の学期末試験。
追試の理由。
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「ねぇ~……私が来ちゃってよかったのかな?」
「いいのよ。こういうのは、はっきり聞いておかないと」
職員室前――
ヘルミーナは落ち着かない様子で、リルベーラのスカートをきゅっと掴んだ。
「でも……」
「“でも”じゃないわ。いつもの強気なあなたはどうしたのよ?」
その言葉に、ヘルミーナは小さく口をつぐむ。
ガラガラガラ――
ためらいなく、リルベーラは扉を開けた。
「失礼します」
職員室に足を踏み入れた瞬間、紙の擦れる音と、低い話し声がぴたりと止まった。
数人の教師が、一斉に扉の方を見た。
「……なんだ。エーデルヴァーンか」
ホルトは書類から顔を上げると、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
その途中で、彼の視線が一瞬だけ――
ヘルミーナの立っている“あたり”をかすめた。
だが、何も言わない。
そのまま、当然のようにリルベーラへと視線を戻す。
(この先生……やっぱり、ミーナのことに気づいている)
確信に近い感覚が、胸の奥で静かに形を作った。
「ホルト先生。ちょうどいいところにいらっしゃって助かりました」
リルベーラは、わざと少し声を張った。
「お聞きしたいことがありますの。
――ヘルミーナ・スヴァルドレーンの件で」
その名前が出た瞬間、周囲にいた教師たちの視線が、わずかに集まった。
「ヘルミーナ・スヴァルドレーン……?」
「確か、筆記試験はほとんど上位に入っていた生徒よね」
「そうそう。それなのに……」
一人が、首を傾げる。
「実技は、全て追試。正直、少し違和感はありましたね」
すると、実技を担当したはずの教師が、一人、ため息混じりに口を挟んだ。
「追試になるのは仕方がなかったんですよね。だって――」
一瞬、言葉を切る。
「試験に、現れなかったんですから」
その場に、重い沈黙が落ちた。
(え……?現れ、なかっ……た……?)
その言葉を、ヘルミーナは頭の中で何度も繰り返す。
(え!?ちゃんと行ったし……踊ったし、演奏もしたし……
刺繍だって、あの部屋で――)
けれど、喉が詰まって声が出ない。
ヘルミーナは先ほどよりも強くリルベーラの裾を握った。
リルベーラはヘルミーナの異変に気づいたのか、そっとヘルミーナの手に重ねる。
「……待ってください」
静かに声を出したのは、リルベーラだった。
「“現れなかった”というのは、どういう意味ですか?」
教師は少し考えるように顎に手を当てる。
「どう、と言われましても……。名簿上、該当の生徒が確認できなかった、という意味ですが」
名簿。
その一言で、リルベーラはすべてを悟った。
それは、彼らにとって「記録上、そうなっている」だけの話だった。
(やっぱり……思っていた通りだったようね。)
「わ、私……グスッ…ちゃんと受けたのに……」
隣で泣き出したヘルミーナを、リルベーラは一度だけ見つめた。
それから、静かに視線を戻し、この場にいる教師たちへと、淑女の微笑みを向けた。
「そうですか。……本日は、いろいろとお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
リルベーラはヘルミーナの手を掴むと職員室を後にした。
「あれ……誰か、水こぼした?」
「「「いや?」」」
ヘルミーナのいた場所には、
まるで誰かが確かに“そこにいた”かのように、
涙の跡だけが、きれいに残っていた。
***
「リル……」
「ミーナ。一旦泣き止みなさい。そんなに涙流していたら、本当にうさぎちゃんになってしまうわよ?」
職員室から出ると、先ほどまでの重たい空気が嘘のように、暖かい空気が流れてきた。
窓から差し込む光はやわらかく、まるで試験などなかったかのように、廊下中に声が響き渡っている。
しかし――
ヘルミーナの胸の奥だけが、ひどく冷えていた。
「ねぇ……リル……」
小さく呟く声はひどく弱々しい。
(これは……結構堪えてるわね。)
「どうしたの?」
ヘルミーナは空を見上げて無理矢理涙をこらえた。
「私、ちゃんと……試験受けたよね?」
刺繍の試験はリルベーラと同じ部屋だった。
ダンスも、マナーも、音楽も――
「最後まできちんと受けたはずなのに……」
言葉にすればするほど、指先が震える。
(受けてなかったってことなのかな。)
自分の記憶さえもが曖昧になっていくのを感じる。
その瞬間――
リルベーラは、足を止めて、静かにヘルミーナのほうへ向き直った。
「……ええ」
短く、けれどはっきりと。
「あなたは、確かにそこにいたわ。」
その言葉に少しだけ、胸の痛みが和らいだ。
「でもね」
リルベーラは、廊下を行き交う生徒たちに目を向ける。
誰もが楽しそうで、誰もが当たり前のように歩いている。
「“いた”ことと、“見られていた”ことは、別なのよ」
その言葉に、ヘルミーナは息を呑んだ。
目の前を、生徒が二人、笑いながら通り過ぎていく。
肩が触れそうな距離なのに、誰一人、立ち止まらない。
「……ねえ、ミーナ。気づいた?」
リルベーラの声は、少し低かった。
「今の人たち、あなたのこと――避けてもいないし、ぶつかりもしなかった」
「まるで、最初から“そこに誰もいなかった”みたいに」
ヘルミーナは、ぎゅっと自分の袖を握りしめる。
(そうだ……わかっていたじゃない。リルが普通に接してくれていたからすっかり忘れていた。)
胸の奥で、ずっと感じていた違和感が、静かに形を持ち始める。
「そっか…私……見えていなかったのね……」
ヘルミーナの言葉にリルベーラはうなずくことなく両手を握った。
そして、微笑むと一言――
「……でも、大丈夫」
その笑みは、さっきまでの強気なものとは少し違う。
「あなたが“いなかった”なんてこと、私は絶対に認めない」
「それに――」
一歩、前へ。
「見ていなかった側が間違っているだけよ。そもそも生徒の特性を知らないこともどうかと思うわ。」
その言葉に、ヘルミーナはゆっくりと顔を上げた。
「……ほんとに?」
「ええ。本当」
だから、と。
「まずは追試。そして――この学園に、ちゃんと“あなたがいる”ってことを、思い知らせてあげましょう」
ヘルミーナは、まだ少し赤い目で、こくりとうなずいた。
廊下の先では、鐘の音が鳴り始めている。
いつもと同じ、学園の日常。
けれど二人は知っていた。
「さぁ、これからが本番よ!」
リルベーラの言葉に空を見上げる。
何も知らない空は、どこまでも澄んでいた。
「いいのよ。こういうのは、はっきり聞いておかないと」
職員室前――
ヘルミーナは落ち着かない様子で、リルベーラのスカートをきゅっと掴んだ。
「でも……」
「“でも”じゃないわ。いつもの強気なあなたはどうしたのよ?」
その言葉に、ヘルミーナは小さく口をつぐむ。
ガラガラガラ――
ためらいなく、リルベーラは扉を開けた。
「失礼します」
職員室に足を踏み入れた瞬間、紙の擦れる音と、低い話し声がぴたりと止まった。
数人の教師が、一斉に扉の方を見た。
「……なんだ。エーデルヴァーンか」
ホルトは書類から顔を上げると、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
その途中で、彼の視線が一瞬だけ――
ヘルミーナの立っている“あたり”をかすめた。
だが、何も言わない。
そのまま、当然のようにリルベーラへと視線を戻す。
(この先生……やっぱり、ミーナのことに気づいている)
確信に近い感覚が、胸の奥で静かに形を作った。
「ホルト先生。ちょうどいいところにいらっしゃって助かりました」
リルベーラは、わざと少し声を張った。
「お聞きしたいことがありますの。
――ヘルミーナ・スヴァルドレーンの件で」
その名前が出た瞬間、周囲にいた教師たちの視線が、わずかに集まった。
「ヘルミーナ・スヴァルドレーン……?」
「確か、筆記試験はほとんど上位に入っていた生徒よね」
「そうそう。それなのに……」
一人が、首を傾げる。
「実技は、全て追試。正直、少し違和感はありましたね」
すると、実技を担当したはずの教師が、一人、ため息混じりに口を挟んだ。
「追試になるのは仕方がなかったんですよね。だって――」
一瞬、言葉を切る。
「試験に、現れなかったんですから」
その場に、重い沈黙が落ちた。
(え……?現れ、なかっ……た……?)
その言葉を、ヘルミーナは頭の中で何度も繰り返す。
(え!?ちゃんと行ったし……踊ったし、演奏もしたし……
刺繍だって、あの部屋で――)
けれど、喉が詰まって声が出ない。
ヘルミーナは先ほどよりも強くリルベーラの裾を握った。
リルベーラはヘルミーナの異変に気づいたのか、そっとヘルミーナの手に重ねる。
「……待ってください」
静かに声を出したのは、リルベーラだった。
「“現れなかった”というのは、どういう意味ですか?」
教師は少し考えるように顎に手を当てる。
「どう、と言われましても……。名簿上、該当の生徒が確認できなかった、という意味ですが」
名簿。
その一言で、リルベーラはすべてを悟った。
それは、彼らにとって「記録上、そうなっている」だけの話だった。
(やっぱり……思っていた通りだったようね。)
「わ、私……グスッ…ちゃんと受けたのに……」
隣で泣き出したヘルミーナを、リルベーラは一度だけ見つめた。
それから、静かに視線を戻し、この場にいる教師たちへと、淑女の微笑みを向けた。
「そうですか。……本日は、いろいろとお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
リルベーラはヘルミーナの手を掴むと職員室を後にした。
「あれ……誰か、水こぼした?」
「「「いや?」」」
ヘルミーナのいた場所には、
まるで誰かが確かに“そこにいた”かのように、
涙の跡だけが、きれいに残っていた。
***
「リル……」
「ミーナ。一旦泣き止みなさい。そんなに涙流していたら、本当にうさぎちゃんになってしまうわよ?」
職員室から出ると、先ほどまでの重たい空気が嘘のように、暖かい空気が流れてきた。
窓から差し込む光はやわらかく、まるで試験などなかったかのように、廊下中に声が響き渡っている。
しかし――
ヘルミーナの胸の奥だけが、ひどく冷えていた。
「ねぇ……リル……」
小さく呟く声はひどく弱々しい。
(これは……結構堪えてるわね。)
「どうしたの?」
ヘルミーナは空を見上げて無理矢理涙をこらえた。
「私、ちゃんと……試験受けたよね?」
刺繍の試験はリルベーラと同じ部屋だった。
ダンスも、マナーも、音楽も――
「最後まできちんと受けたはずなのに……」
言葉にすればするほど、指先が震える。
(受けてなかったってことなのかな。)
自分の記憶さえもが曖昧になっていくのを感じる。
その瞬間――
リルベーラは、足を止めて、静かにヘルミーナのほうへ向き直った。
「……ええ」
短く、けれどはっきりと。
「あなたは、確かにそこにいたわ。」
その言葉に少しだけ、胸の痛みが和らいだ。
「でもね」
リルベーラは、廊下を行き交う生徒たちに目を向ける。
誰もが楽しそうで、誰もが当たり前のように歩いている。
「“いた”ことと、“見られていた”ことは、別なのよ」
その言葉に、ヘルミーナは息を呑んだ。
目の前を、生徒が二人、笑いながら通り過ぎていく。
肩が触れそうな距離なのに、誰一人、立ち止まらない。
「……ねえ、ミーナ。気づいた?」
リルベーラの声は、少し低かった。
「今の人たち、あなたのこと――避けてもいないし、ぶつかりもしなかった」
「まるで、最初から“そこに誰もいなかった”みたいに」
ヘルミーナは、ぎゅっと自分の袖を握りしめる。
(そうだ……わかっていたじゃない。リルが普通に接してくれていたからすっかり忘れていた。)
胸の奥で、ずっと感じていた違和感が、静かに形を持ち始める。
「そっか…私……見えていなかったのね……」
ヘルミーナの言葉にリルベーラはうなずくことなく両手を握った。
そして、微笑むと一言――
「……でも、大丈夫」
その笑みは、さっきまでの強気なものとは少し違う。
「あなたが“いなかった”なんてこと、私は絶対に認めない」
「それに――」
一歩、前へ。
「見ていなかった側が間違っているだけよ。そもそも生徒の特性を知らないこともどうかと思うわ。」
その言葉に、ヘルミーナはゆっくりと顔を上げた。
「……ほんとに?」
「ええ。本当」
だから、と。
「まずは追試。そして――この学園に、ちゃんと“あなたがいる”ってことを、思い知らせてあげましょう」
ヘルミーナは、まだ少し赤い目で、こくりとうなずいた。
廊下の先では、鐘の音が鳴り始めている。
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