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第二章・少女剣士たちとの出会い
露天風呂 蒼とやよい
しおりを挟む夜になり、夕食の時間になっても、栞桜は今に姿を現さなかった。
部屋に引き籠る彼女のことを、今はそっとしておくべきだと判断した燈たちは、部屋の前に食事を置き、栞桜が落ち着くまで待つ選択肢を取る。
各々が栞桜に何を伝え、どう接するべきか?
彼女に大きなコンプレックスを与え続けている燈と、僅かばかりでも心を通わせることが出来たこころは、それぞれ自分なりに想いを伝えるための言葉を模索していた。
そんな中、ただ一人だけ落ち着いて桔梗邸自慢の露天風呂に浸かっていた蒼は、見上げた夜空に星々が光る光景に深く息を吐く。
背をごつごつとした岩に預け、ぼんやりと空を眺めていた彼は、その岩を挟んで反対側にある脱衣所の扉が勢いよく開いた音を耳にして、ゆっくりと顔を前に向けた。
「やっほ~! お背中流しに参りました~っ!!」
元気の良い、快活な声。
無邪気で楽し気で、その小さな背に圧し掛かる重圧なんてものをまるで感じさせない明るい声色を耳にして、蒼が呟く。
「……来ると思ってたよ。君を、待ってたんだ」
「およ? お風呂場で女の子を待ってただなんて、さてはあたしのおっぱい目当てだな!? いや~! 一晩でそこまで成長するなんて、流石は天才的な才能を持つ剣士さんだねぇ!」
すいすいとお行儀悪く湯船を泳ぎ、楽し気な口調でそう言いながら、やよいは蒼へと近づいていく。
昨日ならば、湯船で隠れているとはいえ、近くに全裸の少女がいるという状況に緊張してまともに彼女の姿を見ることが出来なかった蒼であったが、今宵は真っ直ぐに彼女の目を見つめ、会話することが出来ていた。
「……少し、話がしたいんだ。二人っきりで」
「……ん、いいよ。わざわざあたしを待ってた殿方の想いを、無碍には出来ないもんね」
真面目で、真剣で、真摯な蒼の表情。
昨日の大慌てに慌てた彼とは全く違うその表情を見て、やよいもふざけるのを止め、蒼と同じように岩に背を預けて彼の横に並ぶ。
そこから、暫し無言。
露天風呂を吹き抜ける風の音と、水面が波打つ音だけが響く時間が僅かに流れた後、蒼が会話の口火を切った。
「……ごめん。君に、謝りたかったんだ」
「謝る? 何に対して? あなた、あたしに何かしたっけ?」
「……君の戦い方を卑怯って言ったことについてさ。騙し討ちとか、女の武器を使った戦い方とか、そういうのは正々堂々とした立ち合いじゃないって口にしたことを、訂正させてほしい」
顔を動かし、やよいの横顔を見つめながらそう口にした蒼は、目を閉じたまま何も言わない彼女に向け、言葉を続ける。
「最初に戦った時、僕は君のことを勝負に勝てればどんな手でも使って構わないって考えてる剣士だと思ってた。折角、それだけの強さを持ってるのに、どうしてまともに戦わないんだって、そういう風に思ってたんだけど……あの戦い方は、自分自身の弱点を補うために君が必死になって編み出したものだったんだね」
「……別に、そんなんじゃないよ。勝つためになら、どんなことだってやってやろうって思ってるのは本当だしね」
飄々とした口調で蒼に告げるやよいだが、その表情はぴくりとも変化していない。
それはきっと、彼女が僅かだとしても自分の心を偽って口にした言葉だからなのだろうと思いながら、蒼は話を続けた。
「君は……必死だったんだ。最初から全力を出すことが出来ないっていう弱点を抱えたまま、それでも強くなるために必死だった。気力を満足に放出出来ない序盤をどう凌ぐか? どう時間稼ぎするか? その問題点を考えに考え抜いて出した答えが、持てる武器を全て使って戦いの主導権を握ること……自分が全力を出せるようになるまで、相手の調子を崩させるあの戦い方だった」
「にししっ! あ~、改めて聞くと、本当に卑怯だね! 遠距離から一方的に攻撃する~、なんて戦い方が可愛く聞こえるよ!」
「でも、でもそれは! ……君が、誰よりも強くなるってことについて真剣に考えているから出た答えなんだと僕は思う。師匠たちの夢である『最強の武士団を作る』っていう目標を誰よりも真面目に考えて、そのために必要な強さを得るために必死に努力した結果が、その戦い方だったんでしょう?」
「……ん。否定は出来ないかにゃ~。おばば様のことは大好きだし、あたしたちの想いを汲み取って、それぞれの体質に合った武神刀まで作ってくれたしね。だから、絶対におばば様の悲願は叶えたいって思ってるよ。でも、それ以上に……あたしには、その生き方しか出来ないからさ」
そう言いながらゆっくりと瞳を開けたやよいは、湯船の中にある蒼の手を掴むと自分の腹部へと運んでいく。
指先に触れる柔らかくすべすべとした女性の肌の感触。湯船の温もりとは違う、人の温かさを感じさせるやよいの体の弱く脆い場所。
急な彼女の行動に驚いた蒼は、身動き出来ずにやよいの成すがままに彼女の体を触れ続けた。
小さな彼女の下腹部に手を置いて、その奥には子供を宿すための神聖な器官が存在することを思い出し、僅かに体を強張らせる。
が、それと同時に、どこか違和感を感じる硬さがやよいの腹部に存在していることに気が付く。
「……気付いた? なんか変な感触があるでしょ?」
「これは、いったい……?」
「……昔、実験体として扱われてた頃にね、お腹を開かれたことがあったんだ。内臓に色々と手を加えて、気力量の増加を促すための実験の被検体になったのがあたしだった。そのしこりみたいな硬さは、手術の名残りって奴かな」
「………」
淡々と、事も無げに、やよいがその残酷な過去を語る。
自嘲気味に、悲し気に……寂しい笑みを浮かべた彼女は、感情のない声で目には見えない傷跡についての告白を始める。
「おばば様に治療してもらったお陰で、傷跡は消えたよ。でもね……内臓に施された処置は、取り返しがつかなかった。生命活動に関する部分には何の問題もなかったけどさ……その分、他の部分が割を食っちゃったみたい」
「……まさか」
やよいの言葉から何かに気が付いた蒼がはっと目を見開く。
顔を上げ、小さく頷いた彼女は、その小さな口からあまりにも重い事実を言葉として発した。
「産めないんだ、あたし。その機能がほぼ壊れちゃってるからさ。完全に終わってるわけじゃないけど、奇跡でも起きない限りは無理らしいよ。そう、施術した人が言ってたから」
「ぐっ……!!」
「まあ、そいつもあたしが最後まで生き残るとは思ってなかったみたいだしね~。明日死ぬかもしれない奴が、ずっと先の未来で子供を作れるかどうかを心配したってどうしようもないじゃない? でも、やっぱりさ……こうして恙なく人生を謳歌出来るようになった今だからこそ、あたしも思うわけですよ。ああ、あたしはこれから先の人生で好きな人が出来たとしても、大好きな人の子供を産むっていう、女の子の当たり前ですっごく幸せな出来事を体験出来ないんだな~、って……」
悲し気な表情を見せず、むしろ軽く笑いながら、やよいは自分の人生についてそう語った。
蒼は、そんな彼女の姿を茫然と見つめながら思う。
本当に……やよいは、痛みに慣れてしまったのだろう。
親に捨てられ、辛い人体実験の被検体とされ、その結果として失敗作の烙印を押された上に、体に重い後遺症まで残った。
そんな辛い過去を経験しながらも無邪気に笑う彼女の姿を見ると、胸を締め付けられるような苦しみが蒼を襲う。
きっと、やよいは自分の人生に絶望しただろう。過去も未来も、何も幸せなことがないのだと涙しただろう。
泣いて、泣いて、泣き続けて……そうして、涙が枯れるまで泣き尽くして、その痛みに感覚が麻痺して、泣くのを止めた。
明るく、無邪気で、どこか空虚な彼女の笑みは、真の意味で悲しみと苦しみに慣れてしまったからこそ生み出されるもの。
悔やんでも、悲しんでも、どうにもならないと知ってしまったからこそ、やよいは億万の涙を隠す笑顔の仮面を付け続けているのだ。
「男にもなれなくて、女としての生き方も出来なくってさ……なら、そういうのを超えた生き方をするしかないじゃん。性別も生い立ちも関係ない、自分のこれからを作っていくしかないでしょ?」
「……それが、師匠たちの夢に全力を尽くすことなのかい?」
「うん、そうだよ。最強の武士団、その一員として恥ずかしくない実力を付ければ、性別なんて誰も気にしない。剣士として生きて、大和国を救うだけの活躍を見せて、あたしたちを苦しめた幕府の連中を見返してやるの! ……人生を掛けるに値する、良い目標でしょ?」
温かい湯船の中に浸かっているはずの自分の手が、震え続けていることがわかった。
過去の苦しみも、未来への希望も、全てをこの小さな体で背負い続けているやよいという少女の生き方に、体ではなく心が震えているのだと蒼は思う。
と、同時に……何処か、やりきれない思いが彼の胸を満たしたのも確かだ。
泣き疲れて笑うこの空虚な少女に、心の底からの笑みを浮かべて欲しいと願ってしまう自分自身の感情に戸惑う彼に向け、やよいは変わらぬ笑みを浮かべながら尋ねる。
「で? もうお話はお終いかにゃ~?」
「……一つ、聞かせてほしい。どうして、僕にそこまで拘る? 色んな助言をしたり、重大な秘密を喋ったり、顔を合わせて間もない僕にそこまでする理由はなんだ?」
「ああ、そのこと? それはね……」
「っっ……!?」
悪戯っぽく笑ったやよいが、蒼の腕を巻き込みながら彼の胸の中へと飛び込んでくる。
たわわな乳房を密着させ、彼に自分の体を抱き締めさせるような体勢を作り、そうやって自身の顔を蒼の耳元に寄せたやよいは、囁くような小声で質問に対する答えを返した。
「……昔、あなたによく似た人に会ったことがあるの。薄暗い実験室の中で、泣いてるあたしたちに大丈夫だって言いながら励ましてくれた女の子……性別は違うけど、あなたに雰囲気が凄く似てる。傍に居て、あったかいって思える……そんな、優しい子だった」
「………」
やよいの独白に、蒼は無言で押し黙る。
彼女は言った、実験体にされた女子たちの中で、生き残ったのは自分と栞桜だけだと……ならば、彼女が語る蒼に雰囲気が似た少女の運命は、酷く救われぬものだったのだろう。
「辛くて危険な実験は、その子が率先して受けに行った。大丈夫だから、安心してって……笑いながらそう言ったその子が廃棄された日のことは、今でも夢に見るよ」
その言葉の中で、やよいの声が初めて震える。
ほんの僅かで、何かの勘違いだと言われたらそれまでの変化であったが、蒼はそれが自分の聞き間違いであるとは到底思えずにいた。
「……あたしはね、一生懸命戦って、万策尽きた上で負けて、それで殺されるっていうのなら、何の未練もない。全力を尽くした上で死ねるなら、それで本望。覚えておいて、そうやって死にそうになったあたしを、絶対に助けようとしないで。無理にあたしを助けようとして……死んだりしないで。それが一番迷惑で、心にきちゃうから」
全裸の美少女に耳元で囁かれているというのに、その声にはまるで甘さがない。
冷たさと、その中に秘められた優しい感情を感じ取った蒼への囁きを終わらせたやよいは、普段と変わらぬ笑みを彼に見せながらこう話を締めた。
「あなたは誰かを死んでも助けようとする人。燈くんも、栞桜ちゃんもそうだけど、あなたが一番優しくて甘い。それはすっごく素敵なことだけど……その優しさを向けられることを望まない人だっている。そういう人を、無理に助けようとしないで。あたしはもう、優しくて良い人が自分のために死んだ時の苦しみを味わいたくないないからさ」
「……君、は……!!」
何かを、やよいに伝えなければならないと蒼は思った。
燈とこころが栞桜の苦しみを取り除こうと必死になるように、やよいの苦しみを消し去るのは自分の役目なのだということが、彼には何故だか感じることが出来た。
だが、何を言えば良いのかがわからない。
自分の想像を超える苦しみと絶望を味わってきたやよいに、何を告げれば良いのかが全く思いつかない。
それでもなお、彼女の綺麗な瞳から視線を逸らさぬようにしていた蒼であったが……瞬き一つの間に、やよいは煙のように彼の腕の中から消え失せていた。
何かの忍術か、あるいは彼女のとっておきか……瞬間的に姿を消したやよいの芸当に驚きながら、蒼は頭の中に響く彼女の声を思い返す。
おこがましいのかもしれない、背負うものが何もない自分が彼女を救いたいだなんて考えるのは。
だが、それでも……あの寂し気な笑顔が、どうしても脳裏から離れない。あんな悲しい笑顔が、やよいの全てだとは思いたくない。
出来るだろうか? こんな自分にも、誰かの心を解きほぐすということが。
そんな、初めての感情を抱えながら夜空を見上げ、蒼は伸ばした手を強く握り締める。
酷く臆病で、甘さしか知らない自分に、やよいの背負う重荷を分かち合えるようになるだけの強さが欲しいと願う蒼の頭上で、そんな彼を優しく見守る金色の満月が輝いていた。
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