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幕間の物語~追憶の糸~
序
しおりを挟む「……それじゃ、始めよっか。準備はいい?」
「う、うん……その、よろしく……」
「ふふっ、そんなに緊張しないでよ。どっちかっていうと、大変なのはあたしの方なんだからさ」
行燈の灯火だけが光る、薄暗い部屋の中。
そこで、蒼は白い襦袢姿のやよいと向かい合っていた。
薄い生地で仕立て上げられているそれは、大和国でよく用いられている下着の一種。
栞桜が胸に巻いているサラシや、現代の下着であるブラジャーとショーツなどと比べれば布面積はかなり大きいが、下着であることに変わりはない。
胸元からは小柄な体に反して育った胸の谷間が覗き、薄い生地から透けて見える肌の色に顔を赤らめる蒼に対して、くすくすと愉快気に笑ったやよいは、別段羞恥を感じていない様子でこう口にする。
「あははっ! あたしみたいな美少女の下着姿を見られるなんて、蒼くん役得だね! ……でも、そこまで恥ずかしがる必要はないでしょ? この後にすることのことを考えたら、さ」
「……まあ、そうなんだけどさ。でもやっぱり、どうにも意識しちゃうっていうか……」
「ふ~ん……まあ、あたしとしてもケロッとされてた方が悔しいし、そういう可愛い反応を見せてくれる方が楽しいから、良いんだけどね」
そう言いながら、やよいが左手を蒼へと伸ばす。
体格に見合った小ささを持ちながらも、日々の鍛錬のお陰で随分と硬くなっているその手を右手で握り返した蒼は、女性と指と指を絡ませ合う手の繋ぎ方をしていることにドギマギとした緊張を抱いていた。
「……始めるよ。準備、いい?」
「う、うん……!」
数秒前のやよいの姿からは想像出来ない、真面目で静かな声。
その声に蒼が返事をした途端、見計らったかのように行燈の灯火が消え、部屋の中に暗闇が満ちる。
やよいの静かな吐息と、自分の心臓の鼓動を感じながら、強く彼女と繋がり合った状態で瞳を閉じた蒼の耳に、淡々と繰り返されるやよいの呪文の詠唱が響いた。
「淀み、溺れ、狂いし者。その咎、業、罪の根源は何処にありや。急急如律令、我らに見せよ。如何にしてこの者が外道に落ちたのか。その道筋を……」
やよいの声を耳にする度に、意識が薄れていくことを感じる。
何処か深く、遠くて近い場所に引っ張られていく感覚を覚えながら、蒼は自らの意識を暗闇の中へと埋没させていった。
「妖の過去が見たい、だって?」
「うん! だから、蒼くんにも協力してもらえないかな~って!」
蒼がやよいからそんな頼みを受けたのは、この日の朝のことだった。
朝食を取り終え、いつものように修行場に向かおうとしていた蒼を呼び止めたやよいは、ニコニコとした笑みを絶やさないまま、胸元からとある物を取り出し、彼へと見せる。
「それは……?」
「この間、戦った絡新婦の一部! 蒼くんの技でバラバラになっちゃってた肉体の中から一番大きいのを拾ってきたんだ!」
別府屋武士団との勝負の際に立ち会った妖の姿を思い浮かべた蒼は、やよいが手にしている肉片の一部をまじまじと見やる。
おそらくそれは脚の先と思わしき部位であり、鋭い光を放つ爪の先を見つめた蒼は、これをどうするつもりなのかと視線でやよいに問いかけた。
「えっとね、これを媒体として、陰陽術であの妖の過去を見るの! これには絡新婦の残留思念が宿ってるはずだから、記憶を覗くことくらいは出来るはずだよ!」
「あの妖の、過去……彼女が人であった時の様子を見てみたいってことかい?」
「そういうこと!」
元気いっぱいに首を縦に振るやよいの姿に、蒼は渋い表情を浮かべた。
それは、彼女の行いが決して褒められるべきものではない行動であることを知っているが故に否定したい気持ちと、さりとて彼女がただの興味本位でこんな悪趣味なことをしようとしているのではないことを悟ってしまったが故の肯定してあげたい気持ちが混じり合った、複雑な思いを抱いてしまったからだ。
妖、と一言にいっても、その種類は千差万別。
起源も、分布も、変化の仕方も、何もかもが違っているが故に、大和国の学者たちもその生態を完全に把握することが出来てはいない。
しかして、大半の妖の誕生に関しては、負の感情が関係しているという点が共通している。
例えば、燈の初陣の相手である『髑髏』は、きちんと供養されなかった人の亡骸に宿る無念や恨みが邪気へと変わることによって生まれる妖だ。
『狒々』に関しても、その起源は普通では考えられない寿命を得た猿が高い知能を得ることによって憎しみや欲望といった負の感情を抱くようになり、それが元々の妖力と合わさることで猿から化物へと変化して誕生した妖だといわれている。
そして、そういった妖の中には、元は人間であったという者も存在しているのだ。
絡新婦は、そんな人間が変化してしまった妖の一つ。
強い恨み、怨念、憎悪を抱えた女性が、外道へと堕ちし姿こそが、あのおぞましい妖の正体なのである。
彼女がどうして妖になったのか? それを知るということは、あの絡新婦が人間であった時の様子を覗き見るということに他ならない。
妖とはいえ、元は人間であった彼女の過去を探るというのは、死者の魂に鞭を打つような非道な行いだと蒼は思っていた。
やよいも、その行為が悪趣味であることは理解しているだろう。
その上で、彼女は絡新婦の過去を覗き見ようとしている。
一応、蒼がその理由を尋ねてみれば、やよいは浮かべていた笑顔を引っ込めた真面目な表情でこう答えた。
「だって、知りたいじゃない。どうしたら人が妖になるのかを知っていれば、それを防ぐ手立てを考えることも出来るでしょ? 一つの魂の尊厳を汚すことで、無数の人間の命を守れる可能性が生まれるのなら、あたしはそうするべきだって思うな」
「……わかった。付き合うよ」
「あはっ! やったぁ! やっぱり蒼くんは優しいなあ!」
承諾の返事を受けた瞬間、真面目な雰囲気を消し飛ばしたやよいは嬉しそうにその場で飛び跳ねている。
子供のような、おとなのような、そんな掴み所のない彼女の様子に苦笑しながら、蒼は気になっていたことを尋ねた。
「でも、どうして僕を付き合わせるの? 一人でやれない理由があるとか?」
「ん? まあ、いざという時の保険かな? あたし、陰陽術はほんの少しだけしか扱えないから、もしも妖の負の感情にあてられちゃったりしたら、マズいことになりそうでしょ? そうなった時、水の気力で邪気を祓える蒼くんの力が必要になるかな~、って!」
「ああ、なるほどね……」
ようやく合点がいったと頷き、それ以上彼が何も尋ねなくなったことを確認したやよいは、普段通りの笑顔を浮かべながら決行の時間を蒼へと告げた。
「それじゃ、今晩、あたしの部屋でやろっか! 色々準備をしときたいから、時間は子の刻ぐらいでよろしく!」
「わかった。引き受けたからには、もしもの時の用心棒役、しっかり務めさせてもらうよ」
「うんうん! 頼りにしてるよ~! ……あ! お礼、どうすればいい? 蒼くんがお望みなら、体で払うってのもやぶさかじゃないけど――」
「いいから、そういうの! 毎回そうやって人をからかうの止めてくれない!?」
上目遣いで胸の谷間を強調するやよいに顔を赤くして蒼が吼える。
そんな彼の反応をからからと笑い、今日もやよいは自分の思った通りの反応を見せてくれた蒼へと満足気な笑みを見せるのであった。
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