追想

秋音なお

文字の大きさ
7 / 18
岸根リョウという作家がいた。

窓辺の席に

しおりを挟む
 キンと冷えた駅前のカフェ、窓辺の席。
 夏から孤立したように二人、向かい合って座っている。
 雲ひとつない快晴がひどく暑い午後。
 二人の頬にはまだ、いくつかの雫が伝っている。
 ガラス越しだというのに陽射しが目に強く滲みる。
 その瞬きすら、絵になると思っていた。

 注文はいたって普通のコーヒー。
 ブラックとカフェラテをひとつずつ。
 言うまでもなく、二つともグラスに氷の入ったもの。

 それらが来るまでの間、僕らは窓の外を眺めている。
 お互いの間を行き交う言葉などない。
 ささやかなピアノがゆるやかにこぼれるだけ。

 君は冷房の心地よさに目を細めている。
 緩んだ口元からは透けるような吐息がひとつ。
 頬の赤みは大方抜け始めていた。

 注文したコーヒーがやってくる。
 僕にブラック、君にカフェラテ。
 さっきの僕らみたいにグラスが汗ばんでいる。
 君に向けて、目配せをひとつ。

 互いにグラスを寄せ、ストローを咥える。
 はぁ、と息を漏らすタイミングが被る。
 あ、と二人の視線すらひとつに重なる。

 二人から笑みが吹き出す。
 君の頬にはえくぼができている。
 僕の好きな、君の表情。

 君を小説として書くならば必ず書きたい。

 そう思った矢先、右手がむずがゆさを覚える。
 親指、人差し指がぴくんと跳ねる。
 今書きたい、指がそう訴えてくる。

 こんな朗らかな日常も僕にとってはかけがえのない。
 手を伸ばせば届くものであれど、在ることは奇跡に近い。
 幸せというのは、そのような視認できる無形。
 だからこそ、狂おしくて愛おしい。

 もう、目も耳も口もあまり機能していない。
 ただただ、君を書きたいとだけ思っている。

 君が笑う。
「なにか思いついたの?」と。
 僕は曖昧に答える。
「あぁ、まぁ」と。
 こんなこと、気恥ずかしくて言えない。

 君はかばんからボールペンとメモ帳を差し出す。
 どうぞ、なんて言葉はない。
 ただ、僕を見つめるその顔は微笑んでいる。
 僕はそれを「どうも」なんて格好つけて受け取る。

「ねぇ、見ててもいい?」
「君が退屈じゃなければ」
「じゃあ、……お言葉に甘えて」

 再び、二人の間から言葉がなくなる。
 ペン先と紙の擦れる音が綴られるだけ。

 ひどく静かな時間だ。

 僕の脳内だけがひたすらに騒がしい。
 君のことを謳うように言葉に変換していく。
 果たしてこれを愛などと呼んでもいいのだろうか。
 僕はいつも、一方的な好意を向けているばかり。
 それはまるで、外で燦然と輝くあの太陽と大差ない。


 グラスの氷が大半溶けてしまった頃。
 結露が滴り、水溜まりのようになっている。
 僕が手を止めて顔を上げると、君と目が合う。

 思わず出そうになった声を呑む。
 本当にずっと見ていたのか、と。
 君は変わらず柔らかに微笑んだまま。
 グラスの中身も減っていない。
 氷が溶けた結果、水の層となって上澄んでいる。

「進捗はどうでしょう、先生」
「ぼちぼち、かなぁ」
「ありゃ、それは困りましたね」

 君が、くすりと笑みを声にして漏らす。

「あんなに楽しそうに書いていたのに」
「楽しそう、だった?」
「うん。生き生きしてた。やっぱり好きなんだなぁって」
「そりゃもちろん」

「ねー。ひとつ聞いてもいい?」
「んー?」
「今答えてくれた好きなものって、小説? それとも、私?」
「……いや、それは、さ」
「ねー答えてよー」

「……答えないと、だめ?」
「もちろん」

「……言わなくてもわかるようなことなのに?」
「女の子は、わかった上で言葉にして欲しいの」
「そ、そういうものなの?」
「そういうものなの」

「…………君のこと、だよ」
「ふふふ、満足。お礼にこれをあげます」

 口をあけて、というジェスチャーにつられて口を開く。
 ころん、と丸いなにかを口の中に入れられる。
 甘みが広がる。飴玉だ。
 りんごのような味だが、それにしてはいやに甘い。

「これ、何の味?」
「りんごあめ」
「あー、言われてみたらりんごあめの味する」
「この間コンビニに売ってたの」
「珍しい。そんなやつあるんだ」
「なんか夏っぽくていいよね」
「ほんと。でも、なんか本物のりんごあめ欲しくなるなぁ」

「そう言うと思った。……ね、今度花火大会あるから一緒行かない?」
「いいね、行こうよ」
「どうせなら、浴衣とかどう?」
「あー、でも僕持ってないしなんなら着たことないんだよな」
「私も今は持ってない。……どうする? 一緒に買っちゃう?」
「あり。小説のネタになりそう」
「ほんとぶれないねぇ」
「あ、ごめ…」

「でも、私はあなたのそういうところが好き」

 バツが悪そうに君は窓の外へと視線を逃がした。
 その頬は赤らんでいる。
 ふと頭に浮かんだりんごあめに似ていた。
 花火大会はまだなんだけどな、なんて思う。

 つられて赤く熟れないようにとコーヒーに口をつける。
 コーヒーがぬるいのは時間が経ってしまったから。
 なにも、君の言葉に照れたわけじゃない。

 うん、決して。
 多分、きっと。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

ワシの子を産んでくれんか

KOU/Vami
ライト文芸
妻に先立たれ、息子まで亡くした老人は、息子の妻である若い未亡人と二人きりで古い家に残された。 「まだ若い、アンタは出て行って生き直せ」――そう言い続けるのは、彼女の未来を守りたい善意であり、同時に、自分の寂しさが露見するのを恐れる防波堤でもあった。 しかし彼女は去らない。義父を一人にできないという情と、家に残る最後の温もりを手放せない心が、彼女の足を止めていた。 昼はいつも通り、義父と嫁として食卓を囲む。けれど夜になると、喪失の闇と孤独が、二人の境界を静かに溶かしていく。 ある夜を境に、彼女は“何事もない”顔で日々を回し始め、老人だけが遺影を直視できなくなる。 救いのような笑顔と、罪のような温もり。 二人はやがて、外の世界から少しずつ音を失い、互いだけを必要とする狭い家の中へ沈んでいく――。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...